ACT10.嵐の学園祭
夏休みが終わり、約二週間後に学園祭が迫っていた。
生徒会役員として実行委員とのやり取りや使用場所等のスケジュール管理、軽音部のライブ練習、クラスの催し物のお化け屋敷の準備、とにかく毎日目まぐるしい。
その上、バイト先の店長は学園祭が終わるまで休んでも構わないと言ってくれたというのに、バイトも極力いつも通り入っていた。
私とイコちゃんはお化け屋敷の衣装担当に決まり、被服室のミシンで衣装を縫っている。
「晶ちゃん……このゾンビの服は破ってボロボロにした方が良くないですか?」
イコちゃんはそう言って、自分で縫った一枚の衣装を広げた。ゾンビの衣装は縫い始めたばかりで、まだまだ何枚も必要だった。
「そうだね。でも着て調節したほうがいいのかも……。汚い感じは出てるけど、後からスプレーで血とか表現したほうがリアリティ出るし、メイクとも合わせた方がいいかもしれないね」
私はそう言った。
「ドラキュラの服はどんな感じですか?」
イコちゃんに聞かれ、私は縫い終わった黒のマントを羽織ってみる。
「カッコいいです!!ドラキュラは理成くんですよね」
「うん。メイクの子が赤のカラコンまで用意するって張り切ってたよ」
「わあ、似合いそうです。美形のドラキュラってなんかこうゾクゾクしますよね。口元に血糊とかもお願いしちゃいましょうか?」
今日のイコちゃんは珍しくテンションが高い。
理成くんも絶対似合うだろうけど、加賀井さんだったら黒髪にオレンジの瞳、おまけに着てる服も大体黒だし、マントさえ羽織れば失礼ながらそのまま素でいけるなぁなんて考えてしまった。それにお医者さんだったら、献血で採取した血をいただけばいいし、吸血鬼にはなかなか都合のいい職業なんじゃないだろうか。
ああもう……ダメだ。変な想像している場合ではない。衣装に集中しないと。このペースでは全然終わらない。
9月13日。
軽音部のライブは野外にステージを作って行われることになっている。ステージは軽音部だけではなく、タイムスケジュールで外部ゲストや演劇部、ダンス部も使用する予定だった。
あれから紫音さんは完全におかしい。演奏の時は勿論ちゃんとしているけど、近づいて話しかけようとすると途端に動揺して目を反らす。あまりにもクールな紫音さんとのギャップが激しいから、見ているだけで私まで赤面してしまう。普通に話すこともできないなんて困る。
「……紫音さん!!」
休憩時、私はどうしていいのか分からなくて名前を呼んだ。
「……分かってる。ちゃんと……する」
突然、紫音さんは目を閉じた。
「え?」
「晶乃のこと……見なければ平気」
さり気に晶乃って呼ばれた。でもそんなことより……。
「あの……ふざけてるんですか?」
私はそう言った。
「ふざけてない。治まるまで……待ってほしい」
発作や腹痛じゃないんだから多分待っても治まらない。私が言えることではないけど、いくらなんでも紫音さんは恋愛に対して免疫がなさすぎると思う。こんなんでライブは大丈夫なのだろうか?目を閉じていても美しいからずっと見ていられるんだけど、そんな問題じゃなく、このおかしな状況は本当に困る。
何も知らない太陽さんが
「休憩終わりー。曲、合わせるよ!!」
と叫んだ。私はため息をつく。
9月15日。
生徒会室に実行委員の方たちが要望を言いにやってきた。学園内では至る所で問題が発生しているらしい。会長は黙って話を聞き、的確に対応策を伝える。美麗先輩と賢持先輩も常に忙しく走り回っていた。
私も実行委員の看板作りを手伝う。集中して文字を書く。ペンキでジャージを汚しながらもようやく終わり、立ち上がろうとした瞬間、なんだか少しくらくらした。炎天下の中、ずっとしゃがみ込んでいたせいだろうか。呼吸を整えてゆっくり立ち上がる。私はなんとか自分のクラスに向かった。
「晶ちゃん、顔色悪いみたいだけど大丈夫ですか?」
クラスに戻ると、イコちゃんが声を掛けてきた。
「大丈夫だよ」
「無理しないでください。今日はこっち手伝わなくて大丈夫ですから、早めに帰って休んだ方がいいですよ。理成くん、多分体育館です。呼んできますから」
イコちゃんはそう言って、教室を出ようとした。
「待って、イコちゃん。大丈夫だよ。遊くんに心配かけたくないし、今日はバイトだから学校から直行しないと。ホントに全然大丈夫。衣装の続き、少しやっちゃおう」
「……分かりました。本当に無理はしないでくださいね」
イコちゃんは優しい。それから被服室で少し作業し、バイト先に向かった。
「もうすぐ学園祭か?今の時期は無理してこっち入んなくてもいいんじゃねーの?」
休憩中の加賀井さんが、バックルームでそう言った。
「でも人手不足ですし、休んだら加賀井さんにも会えなくなっちゃいますし」
「……俺?……お前、俺のこと……」
加賀井さんは言いかけて途中で止めた。
「俺のこと?」
「いや、何でもない」
私は気になって加賀井さんを見つめる。
「そんなでかい目でじっと見るな」
彼は私から視線を反らした。
それから、いつものようにバイトが終わるとバイクで家まで送ってくれた。
「ホントに無理してバイト入らなくていい。……ゆっくり休めよ」
暗闇の中、街灯の光に照らされた加賀井さんのオレンジ色の瞳。昼間の吸血鬼の想像のせいか、いつもよりずっとミステリアスで妖艶に見えた。
バイクで去っていく姿を見ながら、さっきのやりとりを思い出す。俺のこと……?
ああ、そうか。……多分見透かされている。私は当たり前のように、加賀井さんのことも好きだなぁと思った。
学園祭まで約1週間。慌ただしく、でも着実に準備は進む。
9月24日。
いよいよ学園祭当日。学園祭は今日と明日の2日間だ。
軽音部のライブは明日のみで、クラスでのお化け屋敷は2日間催される。
「どうだ。衣装もバッチリだし、完璧な仕上がり!!」
メイク担当の子が理成くんを自信ありげに披露する。
「カッコいいです。やっぱり赤のカラコンいいですね。いつもの理成くんと違う、怪しいワイルド系の魅力です!!」
イコちゃんが興奮気味に言った。周りの女の子たちも騒いでいる。
そういえば元々理成くんには熱狂的なファンが沢山居るのだ。当然他クラスと言わず、他校からも理成くん目当てで女の子達が押し寄せるだろう。お化け屋敷は相当盛況しそうだ。
「あとで一緒に校内回ろう?」
理成くんが小声で私に言った。反射的に頷いたけど、こんな美形吸血鬼と歩いていたら目立って仕方がないと思った。それに、刺すような視線をまた彼のファンから一身に浴びることになる。
案の定、お化け屋敷の人気は凄まじいもので、理成くんは休憩も満足にとれず、もみくちゃにされ、結局一緒に校内回るどころではなくなってしまった。怖がってもらうのが目的なのに、彼に関しては恐怖の対象にはならないようだ。妖しい怖さはあるけど、魅力の方が遥かに勝ってしまっている。
私も仕事で何度も教室と実行委員本部を往復し、校内回るどころではなかった。1日目が終了した。
9月25日。
学園祭2日目。今日はいよいよライブ本番。
部室で最後の練習をする。
「かなりいい仕上がりだと思う。あとは本番で更に完璧な演奏をしよう!!でも勿論みんな、楽しんで!!」
太陽さんが言った。
これまでの練習の日々を思い出す。私なりに頑張ってやっとここまで上達した。緊張するけど、絶対にみんなの足を引っ張りたくない。
野外ステージに用意した500席の椅子は満席だった。椅子に座り切れず、相当な人数が立ち見状態だ。ステージよりずっと離れた顔が分からない遠いところまで人で埋め尽くされている。
ステージに上がるとますます緊張してきた。
太陽さんが挨拶、そしてバンド紹介をする。
黄色い声援が飛び交う。紫音さんの名を叫ぶ女の子が多い。私の名を呼ぶ男の人まで居る。まるで、芸能人にでもなったみたい……。
一曲目が始まる。私は自然と紫音さんを見る。紫音さんはいつもの冷静な顔で私を見て頷く。それで、気持ちが落ち着いた。とにかくベストの演奏をしよう。月さんの合図。
私たちは8曲にアンコール2曲を含めた全10曲を演奏し切った。みんな完全燃焼だった。いつも元気な太陽さんも、さすがに疲れているようだ。ライブは大成功だった。
ライブが終わり教室に行くと、イコちゃんが「おつかれさま」と声をかけてくれた。
理成くんとモブ男子と三人でライブを見に来てくれていたようだ。イコちゃんとしばらく話した後、私はお化け屋敷を手伝った。
後夜祭の準備があるので、生徒会室へ向かう。
会長と賢持先輩が生徒会室でタイムスケジュールのリストを見ていた。私に気づくと会長は
「ライブ、お疲れ様。君は少し休んでいて構わない」
と言ってくれた。
「会長、もしかしてライブ聴きに来てくれてたんですか?」
「ああ、勿論。今年の学園祭のメインイベントの一つでもある。とても良かったと思う」
「僕も行きましたよ。凄い盛り上がりでしたね。素晴らしい音楽に感動しました。あれだけ人気あるのも分かります」
賢持先輩がそう言った。
私は奥の部屋から、後夜祭で使う備品の入った段ボールを持ち上げる。
ふと、眩暈がした。
……白い。目の前で急にフラッシュを浴びたみたいな感覚。倒れる……!!自分で分かる。しゃがまないとと思う。どこかで大きな音がする。真っ白な世界の中、頭は割と冷静で、私は段ボールを落としてしまったのだと思った。
記憶が途切れた。
「気が付きましたか?」
薄らと目を開ける。誰だろう?聞き覚えのある声。
「大丈夫ですか?」
必死の声。私は返事ができない。
朧げで良く見えない。少ししてようやく視界がはっきりしてくる。
「大丈夫……か?」
南波会長が上から覆いかぶさるように私を覗き込んでいる。
「私……?」
「君は過労で倒れたんだ」
「会長が……側に付いていて……くれたん……ですか?」
掠れた声でようやく聞いたけれど……なんだかまだ瞼が重い。
再び意識が遠のく。声が聞こえる。会長が遠いところで何か言っている。返事をしないとと思いながら、私はまた闇に落ちていった。
「……波留くん?」
二度目に目を開けると、波留くんが心配そうな顔で私を見つめていた。椅子に座る彼の顔色は蒼白に近い。
「ここ、家?保健室に居たのに……どうして?」
私は保健室のベッドからいつの間にか自分のベッドに寝ていた。
「南波会長は?波留くん、会長が家まで連れてきてくれたんですか?」
「誰が連れてこようが、そんなことどうだっていいでしょう?」
波留くんの口調は厳しかった。
「晶乃さん、大丈夫ですか?痛いところはないですか?」
厳しい口調のまま、聞いてくる。
違和感。こっちに来てから、波留くんは私を名前で呼んだことがない。いつもの似合わない『姉ちゃん』はどうしたんだろうと思った。私は、大丈夫という意味で小さく頷く。
「……なんでそんな倒れるくらい無理するんですか?たかが、ゲームの世界ですよ?」
ゲームの世界……。波留くんにはっきりとそう言われ、勿論最初から分かり切っていることなのに何故か哀しくなった。
「でも今は、この世界が私にとっての現実です」
「とにかく、もっと自分のこと第一に考えて大事にしてください。こんなアクシデントは沢山です!!」
自分を大事にと言われても、私、すでに死んでるんだけど……。当然波留くんも分かっているはずだ。でも今、とてもそんなこと言い返せる雰囲気ではない。彼が口調と裏腹に、泣きだしそうな表情をしているから。
「また、波留くんに迷惑かけてしまったんですね。……ごめんなさい」
「迷惑とか、そんなことはいいんです。怒っているのは、本当は自分に対してで……。僕のせいです。貴方に何かあったら、僕は……」
波留くんの大きな瞳から涙が零れた。
「波留くん?」
「……何、これ?コントロール……できない」
波留くんはそう言って、呆然と止まることのない手の平に落ちる自分の涙を見ていた。
私は上半身を起こして、幼い子供にするようにそっと波留くんの頭を撫でた。彼の蒼白だった顔色が朱色に染まる。波留くんは目を見開いて、ただ私を見る。
「あ……お腹、空きましたよね。あたたかいもの。……おかゆ。やっぱり、こういう時はおかゆがいいですね。すぐ……作ってきます」
波留くんはわざとらしくそう言うと、私を見ずに部屋を出て行った。




