獣の血4
ひたすらに物を口に詰め込むような音が続いている。
遥香だ。テーブルの上に並べられた食事を猛烈な勢いで口に運び、咀嚼し、嚥下していく。
ヒイロは愕然とした表情でそれを眺めていた。
(流石に・・・適合が早すぎないか!?)
遥香は獣のような形相でサンドイッチを口にねじ込み、そのままフィッシュアンドチップスを素手でつかみ、貪る。
その腕には先程までしていた鎖は無い。食事の前にヒイロが外したのである。
ヒイロは外した鎖を指が白くなる程握りしめた。
(・・・あの馬鹿・・・!計算が全く違うじゃないか・・・!!)
***
穏やかな寝息とは裏腹に、張り詰めた雰囲気がその部屋を満たしていた。
「おそらくだが・・・感染してしまっているのだろう・・・。」
あの事件から生き延びたことや、アサギの魔の力が急激に低下したこともあるが、最たる証拠はそこからの異常な回復であった。あの時は体の6割の血液が流失し、心臓を除いた内臓がほぼ失われていたのだが、2日経った今では内臓の5割が回復し、血液ははぼ回復している。
シルバーは眉間にしわを寄せながら言った。
「どうするんだ・・・!?」
ヒイロは遥香が横たわるベッドを見下ろしながら問う。
「・・・これを使う。」
じゃら、と音をさせてシルバーは懐から何かを取り出した。
「何だそれ?」
「ミスリル、って言えばわかるか?」
「!!」
「力が完全に適合する前に、これを使う。」
「馬鹿!んなモン使ったら・・・!」
ヒイロは血相を変えた。
ミスリルはかなり危険な物質だ。ある時から存在が知られるようになったそれは、生命力ともいうべき“内の力”を強制的に体外に放出する、という性質を持つ。
「わかってる。ミスリルは全ての生物にとっての猛毒だ。だが・・・こいつは違う。よく見てみろ。」
ヒイロは目の前に突き出された鎖をまじまじと見た。所々が錆付き、さらに鎖の端には・・・。
「・・・ケルト十字?」
「そうだ。倉庫の奥から引っ張り出してきた。かなり昔の物だが・・・まだ使えるみたいだ。異端審問官が使っていたらしい。」
「最後のでかなり不安になったんだが・・・本当に大丈夫なんだろうな?」
「ここで苦痛を与えてもしょうがないだろう。体の自由を奪った上でさらにじっくり拷問するわけだからな・・・。」
ヒイロは露骨に顔をしかめ、鎖から体をのけぞらせた。
「いいかヒイロ、よく聞け。感染によって異常な回復を見せているが、彼女はまだ危険な状態だ。そこでだ。彼女が完全に回復し、目を覚ましたらすぐにこれを使え。感染したことも教えていい。だが、こちらのことはあまり話すな。」
「わかってる。これ以上こっちの問題に巻き込むわけにはいかない。」
「よし。俺はここからアサギの治療に専念する。ほらっ。」
「うぎゃっ!」
ヒイロは悲鳴をあげながら危なげなく鎖を受け取った。
***
もうだめだ。
終わった。全部。
アサギは思った。長い金髪をぐしゃぐしゃにしながら。
(もう帰れない・・・向こうに・・・)
幼少の頃から押さえ続けた獣欲も。
数少ない友人も。
忘れる努力も。
「うああっ・・・!」
遥香に似た服の、しかし彼女からは遠く離れた残酷な笑みの、あの少女。
見つかった。
あの狂ったような哄笑が、頭の中で何度も響く。
響く度、アサギは頭皮を引っ掻き、髪をつかみ、握り占める。
だが。
それでも。
あの記憶が浮上する。
悲鳴と哄笑。血と肉の焼ける臭い。ひたすらに耳を塞いでいた、5年前のあの時。
あの哄笑は聞き間違いはしない。
だが、間違いであってほしい。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
聞き間違い・・・だったんじゃないか?
「うああああっ!!」
そんな糞のような希望なぞ、私は欲してはいない。
私は知っている。
隠れ続けたこの5年も。
隠れて生きていけると感じた、微かな希望も。
やっとできた、友人も。
その全てが。
無駄だった。
頭を掻き続けるアサギのベッドに、長い白髪が、はらりと落ちた。