久遠ノ月(1)
端的に言えば、僕たちはこの世界が大好きだった。
結論だけ言えば、僕たちはかみ合わない光と影だった。
感傷だけ言えば、僕たちは救われないものだった。
もしもこの世界に神様というものが居るとしたら、
それは太陽ではなく、月によく似ている。
⇒久遠ノ月(1)
僕は、正義の味方になりたかった。
でもそんなのが無理だってことは、やっぱり中学に入る頃にはわかっていたんだ。
でも、だって、そんなのいやだ。そんなの納得したくない。
僕は正義の味方になりたい。僕は、俺は。
誰かと同じ人生なんていやだ。そうして誰かの記憶に埋もれていくのはいやだ。
正義の味方ってなんだ?俺にはそんなのわからない。
昔、よく見よう見まねでなりきったブラウン管のヒーローたち。
そんなものがもう居ないってことはよくわかってる。
人は架空や空想を糧にして生きていける強い生き物だ。
俺たちは夢を見る。
けれど実際はどうだろう?
実際の自分は、助けを求めている人のうちどれだけを助けられるだろう。
実際は、助けを求めることすら出来ず泣いている人の方が何倍も何倍も多いのに。
俺は、人の心を読めるエスパーならよかった。
それか、優しい心を理解出来ないロボットならよかった。
何故正しい事に憧れ他人を求めたいと思うような人間に生まれてしまったのか。
俺は何も救えない。何も守れない。何も助けられない。
どれだけ、どれだけ、どれだけのものを守れなかったのだろう。
途方もない数の物事を見てきた。まだこれから先何倍ものそれを見ていく。
汚れた心、痛みを知らない心、涙を流せない心。
そうしたものを見つめていくことに次第に疲れていったのかもしれない。
人はそういった痛みと向き合えば向き合うほどその身を引き裂かれる。
いつしか自分もまた、多くの人々のように人の痛みから目をそらしていたんだ。
そうして正義の味方や誰かにあこがれる俺は死んだ。
だって、考えても見てほしい。正義の味方に本気であこがれてるやつがいたら、どう?
ぶっちゃけ引くっしょ?ぶっちゃけ笑うっしょ?
ああ、だってそりゃ、そりゃあ、俺だってそうだ。
だからそれを悪いとは思わない。誰かに理解してほしいとも思わない。
でも・・・・・人は一人じゃいられない。
いや、厳密には居られる。でもそこまでの強さも意志も俺は持ち合わせて居なかった。
他人に合わせていく事で流れに乗って生きていくことで痛みから目をそらしたかった。
俺は。僕は。
でもだめなんだ。僕には見えるし聞こえるんだ。
本当は悲しくて泣きたいのに我慢している人の声も。
他人のことなんかお構いなしに踏みにじっていく人の声も。
当たり前だ。ずっとそんなことばかり考えていた過去。
いまさら自分というものの根本的な部分は変えようがないんだから。
だから誰にも馴染めない。
だったら僕は誰も否定せず、誰も受け入れず、ただ誰かの隣に在ればそれでいいと思った。
それがリュウジで、それがカナタだったはずだった。
そのはずだったのに、いつからだろうか。
僕が特定の人物をほしいと思ってしまったのは。
他人を求めることのつらさも、与えることの痛みも、僕は知っていたはずなのに。
それが、誰かを悲しませる事になるかもしれなくて。
誰かを裏切ることになるかもしれないって。
そんなことわかってたはずなのに。
わかってる。わかってるよ。わかってるさ。
だけど、だから、目をそらしたくなる。
人と繋がりたいという自分の気持ちも。
それによって他人を踏みつけにしてもいいという、自分の醜さも。
僕は目をつぶって耳をふさいでしまいたかった。
僕は、この世界から消えてしまいたかったんだ。
だからって、こんな終わり方、望んだわけじゃないのに。
「ったぁ・・・・!」
ツバキちゃんのうめき声。
一体何が起こったのかさっぱりわからなかった。
僕は思わず身を乗り出してツバキちゃんを突き飛ばしていた。
その勢いが全く加減できなかったので彼女を壁に叩きつける形になってしまった。
突き飛ばすために伸ばした右手はざっくりカッターナイフで切り裂かれて血が流れ出している。
痛みよりもまず理解出来ない混乱した頭のほうに意識が集中する。
今何が起きた?何の理由で?
カナタが僕を殺そうとしている。
それはよくわかる。でもなんで?わけがわからない。意味不明。理解不能。
ツバキちゃんは何でもいいから守らなきゃ。関係ないもん。守らなきゃ。
すぐにコタツから飛び出す。それに続いてカナタがコタツを飛び越えてナイフを振り下ろす。
どこかでこんな感覚を味わった事がある。そんなのはわかってる。わかってるさ。
「っかやろっ・・・・っざけんなあ!!!」
あの派手女が置いていった・・・なんだこりゃ。やたらでかいはさみのような工具でナイフをはじく。
思いっきり打ったはずなのに、カナタはナイフを手放さなかった。
折れた刃がくるくるくるくる、スローモーションのように空を舞う。
ちきちき、かちん。
新しい刃が補充される。僕はそれを見届ける前に玄関に向けて駆け出した。
靴を履いているヒマなんてない。振り返る。カナタは足が速い。そんなのは知っている。
カナタは相変わらず涙を流したまま僕だけをその瞳に映している。
ツバキちゃんのことは一切気にも掛けていないようだった。
軽くそれに安堵しつつ、外に飛び出す。
カッターナイフを振り回しながら追いかけてくる。
そのひとつひとつが心臓や首筋を狙ってきているのがいやってほどわかる。
最初からこいつは僕を痛めつける気もなにもない。ただ即刻、殺すつもりなんだ。
一つ一つが即死の一線。僕はよけたり巨大なはさみで受けようとする。
一発ずつが全力だ。僕は受けることと彼女を傷つけないことに気をとられてうまく立ち回れない。
まずあの刃物を何とかしなきゃいけない。右手から出血が酷くなっていく。
けれど僕の利き手は右手だ。こっちじゃなかったらナイフなんか跳ね返せない。
喉がからからだ。さっきから自分が何をしているのか理解できていない。
理解できていないのに体は正直だ。死にたくないからよく動く。
でも頭は熱に浮かされてフラフラしている。自分がどうやって生き延びているのかわからない。
次の瞬間には鮮血ぶちまけて死んでてもおかしくはない状況。
後何分こんなことが続くんだろう?僕はあと何分彼女と殺しあえばいい?
いや、僕は彼女を殺さない。殺さない。殺さないから、殺されるだけだ。
どうすればいい。本当にわからない。こんなの初めてだ。こんなの、わからない。
だれか。だれか。だれかたすけて。
「・・・・・・・・・・」
無言で金属同士を打ち合わせる。
カッターナイフの刃がまた折れた。
ちきちき、かちん。
また打ち合いが始まる。逃げる事もできない。逃げたりなんか、しない。
そうだ、これは僕が選んだ結末なんだ。だったら逃げたりしない。逃げちゃだめだ。
刃を打ち合わせる。腕や体にかすって徐々に出血が増していく。
カナタは無傷。僕は傷だらけ。時々思いっきり腕や胴体に突き刺さる。
肩にナイフが突き刺さり、僕は慌てて飛びのく。
ばきん。
ちきちき、かちん。
熱に浮かされた頭じゃぜんぜんわからない。
何で女の子に殺されそうになってんだ、僕。
意味わかんねえ。
ちきちき、かちん。
つーか、こいつなんで僕を殺そうとしてんだろう。
あーまじわけわかんねえ。やめてえ。
つか、意味わかんねえ。まじで。
ちきちき。
「・・・・・・・あ・・・・」
先ほどから何度も折れていたカッターの刃は底をつき、それは凶器ではなくなっていた。
僕も手にしていた工具を放してカナタを見据える。
「片瀬ぇ・・・・・!」
「・・・・・・・・・・っ」
カナタは悲痛な表情を浮かべ、車に飛び乗る。
僕は慌ててそれを追いかける・・・・けど、ふらふらする。
「か・・・片瀬!!!おい、てめえっ!!!」
車が遠ざかっていく。すさまじい勢いでホイールを開店させ、砂埃を巻き上げながら。
「か・・・・っ!片瀬!待て!待てよ!!!なんで・・・・・」
遠ざかっていくエンジン音。右手が熱い。頭も熱い。
その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「何なんだよ・・・・・なんでなんだよ・・・・・・僕は・・・・・・」
僕はただ、お前のことを助けてやりたかっただけなのに・・・・。
もう声も届かない。もうきっと、僕たちは交わる事もできない。
どうすればいい。どうすればいい。誰か助けてくれ。僕に答えを授けてくれ。
「・・・・・・あ」
リュウジの言葉が浮かぶ。
僕は自分で考えなければならない。
それが殺した人間が選んだ結論なら。
僕はその答えについて考える義務がある。
忘れてたわけじゃない。わかってたことだ。ちゃんと覚えてる。でも。
「でも・・・・・・・・うそだろ?」
信じられないくらい、胸が痛い・・・・。
悲しいわけでも苦しいわけでもない。
ただ何かを思いっきり奪い去られたような虚無感。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
空を見上げる。空は夜の闇に染め上げられている。
何も考えられずぼんやりとその場に座り込んでいると、
「おや、なにやら死に掛けの人間が倒れているではないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐々木、さん・・・・?」
佐々木さんだった。相変わらずスーツでバッチシ決めている。
つかもうあんたの出番は終わってる。いまさら出てきてなんだっていうんだ。
もうほっといてくれよ。
「どれ、見てやろう。私は多少医術の心得もあるのでね」
「・・・・・・・・・へ?」
肩を貸して僕を連れて歩き出す。
思わず僕はずっと気になっていた疑問を口にしていた。
「何者なんですか、佐々木さん」
「俺かい?俺は、そうだな・・・・」
少しだけいたずらっぽく、子供のように笑って答えた。
「しがないただの探偵さ」
「そうだな・・・・探偵かな」
三年前、まだリュウジが生きていた頃。
冬。クリスマスを前にしたシーズン。
僕らは珍しく一緒に下校していた。
話題は丁度『将来の夢』についてで、僕は『正義の味方になりたかった』と語ったところだった。
リュウジはそんなことを言ってにやりと笑った。
「なんだよそれ・・・・お互いどうしようもない夢だな。現実離れしてる」
「夢は夢、現実は現実だ。ぶっちゃけ現実離れしているくらいのほうがいいんだよ」
こうして僕らが共に下校することは正直言って珍しい状況だった。
だからそれがこうして発生したのも低確率で、
さらにそこで、片瀬カナタという少女と遭遇したのも低確率のことだった。
僕ら三人はそれぞれ交わる事もなかったはずなのに、突然そこで出会ってしまった。
街中の何気ない交差点。反対側の歩道を歩いていた彼女。
横断歩道の前、赤信号のストライプ、僕らは車たちを挟んで向かい合った。
僕ら三人はそれぞれ直接的に関わることはなかったけれど、僕らは知り合いだった。
お互いにきっと自分たちのことは知っていたし、初めて見てもそれは理解できていただろう。
それ以前意僕らは同じクラスだったし、顔だけは知っていた。
だからそうなったのは当然の展開。
僕らは横断歩道を渡らず、彼女がこっちに来るのを待った。
それから彼女に手を軽く上げて声をかけた。
「やあ」
「久しぶり」
「よお」
「ええ」
僕らは端的に挨拶する。
ただそれだけのはずだった。
僕らはそれぞれそこで別れた。
それがたぶん、きっかけだった。
翌日、僕とリュウジは学校の屋上に居た。
寒い冬の季節だからもちろん人気なんかない。選んでここにはみんな来たくないだろう。
それは僕とリュウジにとっては都合のいいロケーションだった。
僕はいつものように穏やかな気持ちでリュウジの元に向かった。
いや正直に言おう。僕にとってリュウジはただ一人の友達だった。
だからぶっちゃけ足取りも軽く鼻歌だって歌いたいくらいだった。
丁度その頃僕はカナタと少しずつ親密になっていた時期。
なんとなく世界が自分の方に流れてきているような幸せな空気だった。
だからもちろん、これから先もしかしたら僕ら三人で一緒に過ごせるような。
そんな未来だって描いていたんだ。
「よお、アキヤ」
「うん、リュウジ」
僕らは何も言わず寒空の下フェンスの向こうに広がる世界を眺めていた。
首に巻いたマフラー。19歳になった今でも使っているそれをきつく巻きつけて。
リュウジの様子はその時から何かおかしかった。
酷く寂しそうというか、悲しい顔で世界を見ていた。
まるでこれが後生の別れだとでも言わんばかりに。
そして僕たちの終わりがゆっくりと近づいてくる。
「アキヤ、ちょとマジに聞くけどよ・・・・」
「なんだよ、いきなり」
「お前、カナタのこと好きなんだろ?」
それはいつだったか僕に向けられたあいつからの質問。
その時僕は曖昧に濁して答えをかわした。
リュウジは真剣な目で僕を見つめている。
「・・・・・・・・・・なんで?」
「理由はどうでもいいだろ。事実はどうなんだ?」
いつもへらへらしていてどんなことも真に受けなかったリュウジ。
それがこんなにも真剣な顔をしている事に何か不安を感じる。
だから僕は正直に答えることにした。
「・・・・・・・・たぶん、好きだ」
いや、人を好きになった経験もない僕が恋愛について語ることは難しい。
ただ僕は彼女の隣に座っていたいと思う。彼女を助けたいと思う。
彼女もまた、うまく人と付き合えず苦労している人だから。
僕たちは助け合っていける。リュウジだって本当はそうなんだろ?
誰かに合わせたりして人気者でも、ほんとは疲れるから僕と一緒にいるんじゃないのか?
だから僕らはきっとわかりあえる。僕らは似たもの同士だ。仲良くなれる。
「そうか」
それっきりリュウジは黙り込んでしまった。
僕はわけがわからなくて首を傾げる。
そんな僕に彼は自分の携帯電話を投げてよこした。
意味がわからないままそれを開いて、僕はさらにわけがわからなかった。
それはよくわからない画像だった。
いやよくわからないというのは、何の意図があるのかわからないってことで。
それがどういうものなのかは理解できた。
けど、なんでリュウジがこんなものを僕に見せたがるのかわからな、
「は?」
もう一度画面を見る。
「え?」
何度も見る。信じたくないから。何度でも見る。信じるものか。
なんで、どうして、これは?なにが?は?
「・・・・・昨日さ、カナタとすれ違っただろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「その後、俺さ、つけたんだよね、後」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「で、捕まえて、連れ出して、ヤった」
「・・・・・・・・は?」
リュウジは淡々と事実だけ口にする。
僕はさっぱり理解出来ない。そんな結果だけ聞かされてもわけがわからない。
画面をもう一度見る。
それはつまり、ええと、十八禁画像で。
つまり、ああ、わかってる、そこに写ってるのは僕のよく知ってる子で。
それがどこかわけのわからない場所に捕まってて、
「今も犯されてんじゃねーかな、俺はしらねーけど」
淡々と事実だけ口にする。
僕はさっぱり理解出来ない。
「・・・・・・・・・・・なんで?」
「・・・・・・・・・・・・・・なんでだと思う?考えてみろよ、もっと自分の頭で」
「答えろよ」
「何度も同じ事を言わせるんじゃねえよ」
「答えろっ!!!なんでそんなことする必要がある!?」
自分でも信じられないくらい熱くなっていた。まあ、そりゃ当然なんだけど。
こいつはそんなことするやつじゃない。それもわかりきってたことだ。
だから信じられない。理解できない。どうして?何故?
「だから、自分で・・・・」
気づくと僕は思いっきりリュウジを殴りつけていた。
自分でも聞いた事のないような鈍い音が。
殴りつけた右手のほうが熱くて痛い。
携帯電話をコンクリの床にたたきつけた。
何度も何度もそれを踏みつける。まずディスプレイが壊れて何も見えなくなった。
次に開閉部分が折れて真っ二つになった、それも踏み砕くとバチッという音がした。
蹴っ飛ばしてフェンスの外に放り出す。
それでも飽き足らず僕は倒れたリュウジを引っ張りあげて殴った。
殴っても殴っても心は晴れない。自分でも何をしているのかわからない。
涙が溢れてきた。こいつはなんてことをしてくれたんだ。
倒れたリュウジを蹴り、踏みつけ、何度も何度も、何度も何度も。
まだ飽き足りず僕は持っていた鞄で何度もぶん殴る。
鈍い音が響く。
ぼろぼろになったそれをまた引っ張りあげてフェンスにたたきつけた。
「答えろッ!!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
リュウジは何も考えていないといった目で僕を見ている。
信じられなかった。何でこいつ、こんな、こんなことを、なんで、わけわからない。
頭の中がごちゃごちゃだ。信じられない。信じたくない。
こいつは親友だ。僕にとってかけがえのない友達だ。
リュウジだって僕の事そう思っててくれたんじゃないのか・・・・?
「なんで・・・・おまえ・・・・僕を裏切ったのか・・・・・僕を裏切ったのかよ!?」
「・・・・・・・・・・・・・お前が自分で言ったんだろ?」
リュウジはあざだらけの顔で僕を見て笑う。
「裏切らないなんていってるやつ、この世にいねーよ」
「ふっ・・・・・ざ、ける・・・・なああああああっ!!!!」
最後に思いっきり顔面を殴りぬいた。
既に僕の拳のほうが悲鳴を上げている。
呼吸が荒い。息が出来ない。あんなに寒かったはずなのに全身汗だくだ。
「はっ・・・・はぁっ・・・・あ・・・・っはっ・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
リュウジは死んだように動かない。本気で殺してやろうかと考えた。
もう位置を引っ張り起こして問いかける。
「もういい、おまえなんか友達じゃない、さっさとどこでも死んでくれてかまわない。でもカナタの居場所だけは教えていけ。お前はそれから死ね!死ね!!死ね!!!だが死んでしまうまえにやるべきことをやってから死ね!!!さあ言え、言えよッ!!!リュウジイイッ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
僕の住む町の隣の市に大小並んだ山がある。
そのうちの小山と呼ばれている方には、いくつかの廃墟があった。
昔は使われていた診療所や倉庫なんかの廃墟。
カナタはそこに捕まっているらしい。
僕は当時16歳。バイクの免許は取れる歳だけど、とることはしていなかった。
だから走るしかない。隣の市まで。
バスやら電車を使う方法もあったろうに、そこまで頭が回らなかった。
走っている間ずっとカナタのことよりリュウジのことを考えていた。
「ふ・・・・はは・・・・くそっ・・・・裏切った・・・・僕のこと・・・・・裏切って・・・・ははっ」
笑いと同時に涙がこぼれた。どうしようもないくらい悲しい。
この世界全ての悲しみが全部同時に降り注いできたんじゃないかとまで思った。
ずっと走り続ける。休まず走り続ける。
やがて夜になって、日が沈んで、山のふもとまでたどり着いた。
そこで既に一時間以上が経過している。僕は慌てて走り出す。
真っ暗な森の中、僕は駆け回った。
写真のことはよく思い出せない。だから廃墟を片っ端から駆け回る。
カナタの名前を叫びながら走り続ける。
どれくらいそんなことを繰り返したかわからない。
僕はひたすら走り回って、走って走って、泣きながら走った。
悲しくて悲しくて。
辛くて辛くて。
逃げたくて逃げたくて。
汗まみれ泥まみれになっても僕は走った。
そうすることで何も考えたくなかった。
「カナタ・・・・カナタカナタカナタカナタ・・・・カナタ・・・・・」
どこにいるんだ?
「カナタ・・・・」
返事をしてよ?
「カナターーーーっ!!!!」
もう一度僕の名前を呼んで?
「はあ・・・・はあっ・・・・」
僕たちはきっと分かり合えるよ?
「カナッ・・・・うあっ!?」
転んだ。足元が見えない森の中。木の根にでも躓いたのだろう。
転んだのもこれで初めてではない。もう何度も転んでいる。
足がつかれきっていて棒のようだった。長距離マラソンやった直後のようなものだ。
全身疲れていてどうしようもないのに僕は走り続けた。
本当にきっと何時間か経っていたんだろう。
あせればあせるほどわけがわからなくなっていく。
真っ暗な森の中、僕は迷ってしまった旅人のように。
光を求めてさまよう。
「・・・・はあ・・・・・・・はあ・・・・・」
転んで空ろな目で見上げたそこには見た事のない廃墟があった。
僕はよろつく体に鞭を打って歩いていく。
「・・・・・・・・・・・」
そこは古い倉庫だった。たぶん現在も使われてはいるのだろう。
いくつかの木材が詰まれており、緑色のシートがかかっている。
いくつかの支柱が中央部に転々と続いており、窓からは月光が差し込んでいる。
その内のひとつに照らされて、片瀬カナタはそこにいた。
ゆっくり駆け寄っていく。
彼女は支柱に縄で縛り付けられていた。
ぼろぼろの制服姿、その下の下着まで引き裂かれている。
表情はうつむいているせいでよく伺えない。
目の前に屈んで、カナタの肩に触れる。
なんて声をかけてやればいいのかさっぱりわからない。
ここには他に誰もいない。けれどここには誰かがいたんだろう。
彼女は文字通り汚されていた。めちゃくちゃだった。なんて表現すればいいのかもわからない。
たぶん性的暴行だけじゃなくて、普通の暴行も受けたんだろう。
ところどころに青あざがついている。目をそらしたくなる。
「片瀬・・・・片瀬、僕だよ」
僕の声に反応してカナタが顔を上げる。
その表情と言ったらなかった。
何も見えていないような目で僕を見て、それから当たり前のように、
「久しぶり、アキヤ君」
そんな事を言った。
悲しくてたまらなくて彼女を抱き寄せた。
強く抱きしめて大声で泣いた。
可哀想で可哀想で、そして自分自身の馬鹿さ加減が悔しくて悔しくて。
なんであんなやつを友達だなんて思ってしまったんだろう。
なんでどうしてあんなあんな最悪の死んで当然の人間に・・・・僕は・・・・僕はっ・・・・。
「ごめん、ごめん・・・・ごめんごめん、ごめん・・・・・・」
人に関わるとろくなことがない・・・・誰も信じたくない・・・・僕は誰とも関わりたくない。
「ごめんごめんごめんごめん・・・・」
僕と関わらなかったらカナタだってこんなことにはならなかった。
あいつと関わらなければ、僕だって裏切られなかった。
ならどうして僕らは関わってしまったのだろう。
理解しあえると思ってしまったのだろう。
あの優しかった日々は全部偽りだったとでも言いたいのだろうか。
わけがわからなくなる。
ただ、謝ることしかできない・・・・。
しばらくして、僕は冷静さを取り戻した。
というより、疲れきって身動きが取れなくなっていた。
体も疲れていたし、もう正直、一歩も動きたくない気分だった。
全身を制服の上着でぬぐった彼女は敗れたスカートを片手で押さえながら立ち上がって、それから照れくさそうに笑うと僕と反対側、支柱に腰掛けた。
姿が見えなくなることにすこしだけ安堵した。
正直、今のカナタは見ていたくないから。
何もかける言葉が浮かばない。涙も流しつくしていい加減枯れたころだろう。
今自分は酷くみっともない顔をしているに違いない。
「ありがとね」
支柱を挟んだ背中から、声が聞こえた。
「助けてくれて、ありがとう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「うれしかったよ、本当に」
彼女は泣いていなかった。
叫ぶこともわめく事もしなかった。
ただ壊れてしまったように、涙を流す方法を忘れてしまったように、僕に微笑んでいた。
そんな彼女を見ていたくない。見ていたら僕は頭がおかしくなりそうだった。
それから僕らは長い事黙っていた。
僕はくすんだ窓の向こう、浮かんでいる満月を見つめていた。
それはゆっくりと、ひどくゆっくりと、窓から窓へと移動していた。
手を伸ばそうとして、自分の手が血まみれであることに気づいた。
リュウジを殴ったとき。転んだとき。僕は怪我だらけだった。
僕自身、何か感情がショートしてしまったというか、マヒしてしまったのかもしれない。
自分の気持ちがわからない。元々自分がどんなものだったか理解出来ない。
というか正直今までの自分なんて死んだのと同じだと思った。
僕の心にはいつも親友のあいつがいた。だから満たされていた。
裏切られた。そう考えるだけで僕はもう死んだようなものだった。
月を眺める。
僕は、月が好きだった。
ロマンチックだし、その光は太陽と違って優しい。
日の光は誰にでも平等ではないと思う。けれど月明かりは平等だ。
月というものは昼間は見えないようでも確かにそこにある。
太陽はそんな淡い優しささえかき消してしまうようで、無粋だと思っていた。
その月が、今はとんでもなく、恨めしい。
僕を見ているようで、憎たらしい。
僕を見るな。僕を見るな。僕を見るな・・・・。
気が狂っていたのかもしれない。きっと僕は何かぶつぶつ言っていた。
それがなんなのかもわからず、それを知覚できず、繰り返す。
ふと、背後から冷たい感触が手に触れた。
振り返らなくてもわかる。それは彼女の手だ。
僕らは支柱を背に、対照的にお互いの手と手を取り合っていた。
カナタは何も言わない。
僕も何も言わない。
手を取り合って、それからまた空を見上げる。
今までの人生ってなんだったんだろう?
信じてきた未来はなんだったんだろう?
みんなで、三人で仲良く、楽しく・・・・ああ、そうさ、夢見てたよ・・・。
「でも・・・・それが悪いことなのかよっ!!!」
こらえきれなくなって泣き出した。叫びだした。
「僕がっ!!僕らが!なかよ、く・・・・幸せになっちゃ、悪いのかよおっ・・・・」
カナタは何も言わない。
「信じちゃだめなのかよ!信じさせてくれよ!!信じたいんだよ!!!」
カナタは何も言わない。
「なんでえっ!どうしてえっ!リュウジ・・・リュウジいいい・・・・っ」
声にならない声。口にせずには居られない。
「なんで・・・こんな・・・・・・とりかえしのつかないことしちまうんだよ・・・・・」
あいつと一緒に居た半年ちょっと、僕は幸せだった。
正直楽しかった。これからもずっと一緒だと思っていた。
僕らはきっと受験生になる。三人で一緒に勉強して、同じ大学を目指すんだ。
僕らはきっと大学生になる。そこでいろんな楽しいこと、世界を学んでいくんだ。
僕らはきっと大人になる。それからは、幸せを他人に分けていきたい。
夢見ていた未来。信じていた未来。
なにもかも台無しだ。
繋いだ手の感覚だけが頼りだった。
僕を世界に繋ぎとめていた。
僕が手を強く握ると、彼女も同じ強さで握り返してくれた。
一人じゃない。それがどれだけ救いだったか。
振り返る覚悟も、これ以上関わる勇気も、僕にはない。
だから手を取り合って、泣くしかなかった。
どれだけそんなことを繰り返していけば僕たちは答えにたどり着けるのか。
わからない。わからない。わからない。
神様なんかいやしない。
僕は断言できる。
神様なんかいやしない。
それはあまりにも残酷で、優しい存在。
だとしたらそれは、太陽ではなく、きっと月だろう。
もしも神様がいるとしたら、それは太陽ではなく月に似ている。
一本の木の棒を背にして交わることが出来なくなった僕らは太陽と月のようだった。
思えば僕は、あいつにも、カナタにも、不用意に立ち入りすぎたのかもしれない。
僕たちは不器用でだめで寂しがりやで、でも人が怖くて仕方のない臆病者だった。
それがわかっていたから僕は理解したつもりになっていた。
でもそれがどれだけ無粋で、どれだけ多くのものを見えなくしていたのだろう。
それはきっと、無粋な太陽のようなものだった。
カナタは、月のようだった。
いつでも凛としてそこにある。
僕には手の届かない存在。
僕が手を伸ばしたら、僕は彼女自身を消し去ってしまうのだから。
最初からどうにもならなかったんだ。今はそう思う。
だからせめて、諦めさせて。
あとどれくらいの時間こうしていれば僕は諦められるだろう。
誰かと関わっていくことを、誰かを好きになることを。
誰かと関わることで痛みしか生み出せない僕は、
誰とも関わらない、一人になったほうがいい。
何よりも僕は、これ以上もう、誰かと関わる勇気がなかったから。
世界が終わる音がした。
指先のぬくもりを頼りに僕は眠りにつく。
世界にさよならを告げよう。
僕はあいつを殺さなくちゃいけない。
殺してやらなきゃ気がすまない。
こんなことをしたやつら全員、
絶対に殺してやる。
そう、心に誓ったのだった。
あとがきおまけまんが
〜こんなカナタは嫌だ〜
アキヤ「ごめん・・・ごめんごめんごめん・・・」
カナタ「いいのよ」
アキヤ「え?」
カナタ「お金もらったし」
本当にこういう話になるんじゃないかと俺は最初思っていたので正しくはNGでした。