こちら側へ全て引っ張り出す儀式
壁にかける古ぼけた時計の長針がカシャンと音を立ててまた、一分が経つのを知らせる夜。
二つ開いた窓からやってきた夜中の風が、ベッドを仕切るカーテンを揺らす夜。
薬品の匂いがその風に乗って神奈の鼻に届く夜。
そんな夜に、それは行われようとしていた。
「それでは、本格転生を始めます」
齢四十を超えた初老の女が出すとは到底思えないほど若く凛々しく、美しい声を響かせるのは、宮下 法子である。
緊急にして急を要するため、保健室なんて設備の整っていない場所での転生になるが、法子にその程度のことは響かない。
「彼はこの世界に来てから、魔法の瘴気を浴びすぎました。危篤状態です。急を要しますが、それ以上に正確さを求められます。もし、失敗すれば彼は死亡です。分かってますね」
黒装束の男四人がそれぞれ野太い声で返事をする。
それを保健室の外から見守る笹木 神奈は、実はこの状況を全く理解していない。
(この世界じゃないもう一つの世界。魔法の瘴気……私でも全く分からないことがあるなんて)
自他ともに認める優等生である神奈にとって、知らないことがあるというのは実に不愉快なことだった。
無論、神奈はひと段落ついたところで宮下理事長に全てを問いただすつもりである。
法子はふにゃふにゃと呪文を唱える。それに次いで、ハモるような、輪唱するような声で黒装束が唱え出す。
黒装束と法子の五人に囲まれた少年の体は輝き出す。
まるで呪文に反応しているかの様にふわふわと揺れ動く光は、こんな呪文と一緒じゃなかったら綺麗なのに、と神奈は思う。
いくら冷淡で人を蔑んだような目をしていても、神奈だって人並みには何かに感動したりできるのだ。
というより、したいのだ。綺麗な物を、好きな人と見たいのだ。ただ、こんな性格では……と神奈自身が諦めてしまっているだけで。
幹兎の体が光に持ち上げられるようにして浮き、その光に包まれる。
数秒もしない内に、それは生まれるときのヒヨコを包む卵の殻のように、ピキピキと割れ始める。
瞬間、幹兎を包む光の殻が、幹兎の重さに耐えられなくなったのか、乱暴に幹兎を生み落とす。
その音に驚いたのは、神奈だけだった。
「無事に終わりました。では」
法子のその合図でスウっと黒装束が消える、音も立てずに。
つかさず神奈は声をあげる。
「説明して欲しいです」
「嫌だと言えば?」
法子はこういう人間だ。さらに言えば、神奈も似た気の強さを持っている。
「説明してもらいます」
「極秘事項だ。分かってくれ」
「なら、その極秘事項の断片しか知りませんが、それでも私の言うことをですから皆、信じてくれるでしょう。言いふらします」
人間、知識欲の塊と言っても過言ではないが、神奈は人並み以上にそれが強い。
「ならば記憶を消すまで」
「私にそれが効かないのも知っているでしょう?」
法子は腰に右手をやり、左手で眉間を押さえて溜息一つつき
「全く……お前には手が焼かされる」
神奈の口角が上がる夜。この夜があけるのには、まだ時間がかかる。