想いと過去は掌の上で廻る
最初の印象はまさに「不思議な人」だった。
彼は仮にも武装した騎士である自分に対し初対面であるにも関わらず、敵意すら向けなかった。むしろ誰に対しても興味など無いと言うように人に対しては専ら無関心なようで、敵に襲われることも厭わないのか「図書館がある」という理由で魔導師であるのに敵方であるこちらの陣営にすらよく顔を見せた。そして顔を合わせる度に色々なところで寝ているのだ。ふらふらと何処かへ行ったかと思えば不意に戻ってくる。気がついたら煙が消えるかのようにどこか遠くへいってしまいそうな印象が何処かにあった。
いつも眠そうな表情でどうでもいいとでも言いたげな緑の目から察せるものは、正直に言うと余程注意していないと気付くことができない。そのくせ彼は変な所で見え見えの感情を曝け出すのだ。最初のうちは困惑することが多く、対応に困ったこともあったがこの世界に召喚された日から数週間経ち、両陣営の戦いに決着がついた今では少し慣れてきたようで彼の言動も少なからず把握できるようになっていた。しかし相手に対し、慣れてきたのは彼も同じなようだった。
「君なら私を攻撃する心配も無いし…他から襲われる心配も無い。」
と、先刻彼が寝る間際に言われた。寝ている時に傍にいたとしても前までは少し離れて寝ていたのに最近は自分に身体を預けて寝るようになっていた。信頼されている証、なのかもしれないがいくらそうでも会って数週間しか経っていないのにもう少しくらいは相手を疑っていてもいいだろう、と逆にこっちが心配してしまうほどに無防備だった。
外見はそう見えるだけで、もしかしたら頭の中で自分を警戒しているか試しているのかもしれないな。とぼんやり考える。
正直な話。自分は彼に魅かれ始めていた。
今も自分の肩にもたれかかり規則正しい寝息を立てている男を見て軽く溜息を吐いた。彼も自分もいい年ではあるし彼にその気があるとは思えなかった、そもそも自分自身は元々そんな性癖は持っていないのだ。その気持ちを誰に対し抱くかだけの違いだけで、この気持ちは若い頃の自分とあまり大差はないのではないか。と個人的結論を出した。
まだ若い頃に彼女と出会い、亡くしたあの時に「もう大切な人は作らない、自分の血も此処で絶やす」と思い30年は経ったのだが。やはり若気の至りから思ったことだったからか、人生で大切な人を作らないのは難しいことだった。それは、あの聖騎士と彼女に出会ってから無理なことなのだともう頭の中では悟っていたのかもしれない。事実、大切な人を作らないということは無理だったのだ。自分の性格を考えれば容易に出せた答えなはずだったが、あの頃はただ逃げたかったのだろうと思う。
「何も怖くない、何も失うことなどない」と自分の力を過信し突き進み、何よりも失いたくないものを失った少年は「もう失うのは嫌だ、大切なものなど作らない」と絶望した。それがただの我が儘でエゴであると気付いたのはいつだったか。
過去に意識を飛ばしていたからか、いつしか隣で寝ていた男が不思議そうに顔を覗き込んでいたことに気付かなかった。びっくりして思わず顔を反らすと背もたれ代わりにしていた木に頭をぶつける。
「…大丈夫か?」
「……いや、ちょっと驚いただけです。大丈夫、」
「頭じゃない。」
てっきりぶつけた頭の心配をしているのかと思ったのでそれじゃあ何を心配することがあるんだ、と軽く首を傾げると隣で見つめる彼は微かに眉を顰めた。
「怖い顔をしていたぞ。…嫌な夢でも見たのか?」
どうやらさっき考えていたことが顔に出ていたようだった。「ほら、皺」と言われ眉間を突かれる。自分で眉間を押さえてみてううんと唸る、再び見た彼の表情が若干和らいだように見えた。
「…ちょっと昔を思い出してただけです、大丈夫ですよ。」
と呟くと、彼は余計な詮索をする気は無いようで「そうか」と呟いたまま空を仰いで欠伸をする。それを見ながら、彼は今度何処へ行くのだろうと少し気になった。自分は元の世界にいずれ帰らねばならない。しかし彼は、彼が帰るところはあるのだろうか。彼を待つ者はいるのだろうか。と思った。
「貴方はこの後どうするんですか?」
そう問いかけると彼は「んー」と興味が無さそうに相槌を打ち、少し考える動作をした後答えた。
「私は元の世界に急いで帰る必要はないし、まだ此処の図書館にある書物も読みたい。どうするかはまだ…決まってはいないな。」
逆に君はどうするんだ、と言われた。そう言われて考える。帰る手段があるのなら急いで帰る必要は多分無い。それに今はまだ何となく、彼の傍に居たい。彼の助けになりたいと思った。
「私は、時間が許す限り貴方の傍にいますよ。…私が帰ったら貴方が寝てる時に用心棒をするのは誰になるんですか。」
と呟くと「それもそうだ」と納得したように彼が呟いた。無防備な状況下で寝ていることの自覚はあるんだな、と思わず笑みが零れる。彼がもたれかかっていた場所は鎧の部分ではあったが、もはや鎧の上からでもほんのりと暖かさを感じる程になっていた。
それほど長い時間彼は自分に身体を預けてくれていたのかと気付いた黒の鎧を纏う騎士の感じた想いは、その男以外誰が知ることもなかった。