輝く想い、光となり闇となり
月島瑞希は恋人に突然振られ、傷心のなか親友である相田萌恵にすがるように電話で愚痴をこぼす。萌恵の優しさに癒され、次第に友情を超えた恋心を抱くようになる。寂しさを埋めるように週に一度以上会い、食事や飲み会を重ねる中で想いは募る。半年後、ムードあるレストランで告白するが、萌恵に「失恋直後の寂しさからくるもの」と拒絶され、瑞希は逃げ出す。
以後連絡が途絶え、自然消滅。それからほどなくして、新しい恋人と付き合うが、心に棘が残ったまま。
五年後、偶然再会した萌恵は結婚し、子持ちになっていた。二人でカフェで話し合う。その中で萌恵から「あの時本気になりかけていたが、傷の舐め合いを恐れた」と告白される。瑞希は複雑な思いを抱きつつ、別れる。もう二度と会えないと悟りながら。
「ごめんなさい、もう終わりにしたいの。だから、さよなら」
耳にあてたスマホが熱を持つ間も無く、私の恋は終わった。
私は強がって、せめて最後の瞬間まで良い女を演じようとこれまでの感謝を述べようとしたけれど、その前に通話が切られてしまった。喉まで出かかった言葉が小さな「あ」として漏れただけで、私は力なく腕を下ろしスマホを見詰める。
愛した女の人の名前がやがて暗くなり、消えた。
それが私の恋の終わりだった。
真っ暗になったスマホをしばらく見詰めていたけど、やがて私は枕元に投げ捨てて溢れる涙を枕に押し付けた。
真っ暗な視界に虹が明滅する。眼球が圧迫された痛みが私の罰のようで痛くも、どこか受け入れる心地良さがあった。もう何もかも捨ててしまいたい、消え去りたい、終わりにしたい。
でもそんなものはフッたアイツが私を理解してないだけだ、ワガママなだけだという他責にシフトすればするほど、胸の痛みが軽くなる。
我ながら都合がいいとも思う。でも、そうしないと辛い。全部受け止められるほど、余裕なんか無い。おまけに相手は私に一方的に別れを告げた礼儀知らずであり、恩知らず。面と向かってならともかく、心の中で罵声を浴びせるだけの私を見習ってほしいくらいだ。
それでもフラれたという事実には変わりなく、胸の奥が悲鳴を上げている。自分がどうしても無価値で下らない人間だと突きつけられたみたいで、涙が止まらない。怒りと悔しさ、そして悲しみで心の中がもうグチャグチャ。自分でも上手く整理できない。
時折足をばたつかせ、ベッドを叩き、枕を握り潰しながら顔を押し付けて叫ぶ。そんな子供じみた事しかできなかった。
しばらくして少し落ち着くと、私は涙を拭いながらこの一人ぼっちの空気に耐えられずスマホを手繰り寄せた。そうして数ある登録者の中から『相田 萌恵』の名前を見つけるとすぐに通話ボタンをタップした。
コール音一つが長く、不安が増していく。今は夜の十時、まだ彼女なら大丈夫な時間のはずだ。それでも二コール、三コールと続くとただでさえ脆くなった心が今にも割れてしまいそう。
「もしもし、どうかした?」
六コール目でややおっとり目の可愛らしい声が耳に届いた途端、私はもう我慢できずにまた泣き出してしまった。
「え、どうしたの? 何があったの、瑞希? 大丈夫?」
「あんま大丈夫じゃない。今、いい?」
鼻をすすり上げ、ティッシュで濡れている部分を拭う。この情けない姿にまた惨めになり、心が痛む。
「いいよ。それでどうしたの?」
「フラれたの。彼女から。もう終わりにしたいって」
自分の口から事実を述べると、またわっと顔を濡らしてしまう。情けない。
「そうなんだ……それは辛いよね。瑞希、良い子なのにね。わかってもらえなかったのかな?」
寄り添う気持ちが私の心を慰める。萌恵はいつだってそう、優しく包み込んでくれる。
「どうなんだろ、わかんない。でも一年付き合ってたんだよ。私も駄目なとこがあっただろうけど、舞だってあったんだよ。ずっと我慢してた部分もあったのにさ」
「我慢してたのは偉いよ。一年一緒に居ても瑞希の事を理解できなかったんだね、その子」
「そうだよね? うん、きっとそう。萌恵はこんなにもわかってくれるんだから、舞の理解しようって気持ちが足りなかったんだよね」
いつしか涙が止まっていた。そうなると私の心に芽生えるのは怒りや憎しみ。それはもう言葉となって溢れ出す、まるで堰を切ったように。
「大体さ、付き合いたての頃から今思えば違和感あったんだよね。初デートの時だってさ、私が決めたお店にそんなに満足してない感じがあったもん。だったら自分であそこ行きたい、これしたいとか言ってくれればいいのにさ」
気付けば一時間近く愚痴っていた。それでも萌恵は呆れる事無く、その間ずっと親身に寄り添って共感し続けてくれていたのだった。
「あ、ごめん。もうこんな時間になって」
我に返った私はすっかり熱くなったスマホの熱に気付くと、胸が苦しくなった。慌てふためき、申し訳無さで血の気が引く。
「いいよ、気にしないで。失恋した時って辛くて苦しいもんね、全部吐き出す方がいいよ」
けれど萌恵の言葉の調子は変わらず、優しい。それに刺激され、また涙が滲む。けれどもうこれは別の感情のもので、体が熱くなる。
「ありがとう萌恵、そう言ってくれるのは萌恵だけだよ」
「そうかな? でもそう言ってくれてありがと」
可愛らしい言葉のリズム。私はそんな萌恵と友達でいられるのが嬉しいし、今日ほど嬉しい時もなかったかもしれない。
「ほんと、ありがとう。おかげで気持ちが楽になったよ。それじゃ、私も明日会社があるし、萌恵もだよね。今日は付き合ってくれてありがとう」
「ううんいいよ、また何かあったら連絡してね」
通話を終えたスマホを私はじっと見る。相田萌恵、その名前が消えるのを名残惜しく最後まで見詰めていた。
萌恵は私が高校二年生の時からの付き合いで、かれこれもう九年になる。
当時からそこそこ仲が良かったものの、二人きりで遊びに行くという事は無かった。誰かと一緒に、というのが多かったと記憶している。つまりは友達の中でも三番手、四番手くらいの立ち位置。これはお互いそうだったみたいだ。
けれどその時一番手、二番手だった友達も進学や就職などによって地元を離れる事になり、気付けば萌恵が一番近い友達となっていた。今では親友と言っても差し支えないだろう。
レズの私と違い、萌恵はノンケだ。けれど妙に理解があり、私が高校三年の時にレズだとバレた時だって何ら気にせず接してくれた。
それがどれだけ私を救っただろうか。隠さないと社会的な死だと恐れていた私の魂に、どれだけ光を与えてくれただろうか。
思えばその頃から私達の関係は深まったのかもしれない。
萌恵の前では隠す事も飾る事も無く、自然体でいられた。彼女ができたとか付き合っているとか報告しても、純粋に自分の事のように、他の誰かが異性との恋愛に成功したみたいに喜んでくれた。
萌恵自身は顔も可愛らしく、スタイルも良い。男受けも女受けもしそうな感じで、実際相当告白されたと本人から言われている。けれどそれを嫌味だとは思わない。実際に萌恵と接していれば、誰しも恋愛感情を抱くに違いないからだ。
高校の時の清楚な黒髪姿も良かったけど、今のゆるふわロングも凄く似合っている。つまりは何をしても可愛い。
けれど私は今まで萌恵に恋をした事が無い。
それは萌恵に魅力を感じた事が無いとか、性的に見た事が無いというのとは違う。レズの私から見ても萌恵は非常に魅力的だし、修学旅行の時に見てしまった裸体を一生忘れる事は無いだろう。
じゃあ何故そういう気持ちにならないかと言えば答えは単純、失いたくないから。
恋愛と言うものは感情の最高峰のぶつかり合いであり、一瞬で勝負が決まる事もある。逆に言えば、親友はそうではない。長い時間をかけ、信頼と実績を嘘偽りなく育てた果てにあるもの。
恋愛による代わりはいる、けれど親友である萌恵の代わりはできるかわからない。
だから私はフラットな気持ちで会える。他にも私をレズだと知ってる人はいるし、魅力的な身体をしている人だって他にもいる。
でもそうじゃない。萌恵の性格や立ち居振る舞いその全てが可愛らしい。それを一時の感情で失いたくないのだ。
そうは思ってるのに……。
今日は仕事に身が入らなかった。無理も無い、失恋したばかりなのだ。それでも何事も無く仕事をしている人だっているだろう。でも私はそんな強い人にはなれない。昨日の事がずっと頭に、心に残って嫌な残響を発している。
いや、自分の嘘をつくのはやめよう。
正直、失恋の傷なんてものはほとんどもう残っていない。費やしたお金がもったいなかったな程度の認識くらいしかもうしていない。
それよりも萌恵だ。何だか昨日の優しさが妙に染み入り、寄り添ってくれた事が忘れられない。
でも今までだって萌恵は私が辛い時、悲しい時に共感して寄り添ってくれた。別にこれが初めてってわけじゃない。失恋した話だって、過去何度もしている。その度にこうして寄り添ってくれた。
だから今更なんでこんなにも心に残るのかがわからない……。
仕事を終えて帰宅すると、私はバッグを放り投げてパソコン前の椅子に座った。ここが私の定位置。スーツとシャツのボタンを緩め、パソコンのスイッチを入れる。コーヒー飲んでネットの巡回をしたいけど、お腹が空いた。仕方なく立ち上がり服を脱ぎ捨てながら私はシャワーを浴びに行く。
一人暮らしなんてこんなものだ。会社の男性陣の会話で女の人って部屋を綺麗にして良い匂いするんだろうなとかって聞こえたけど、そんな事は無い。ゴミは虫が湧くからこまめに捨てるけど、衣服は散乱しっぱなし。干すのが面倒になった洗濯物がソファの上で山になっているのを見る度、よくないなとは思う。でも直せない。
身体を綺麗にしてから晩ご飯にと買って来た割引の親子丼を温め、食べる。これと言った趣味も無ければ、普段の食にも大して気を遣っていない。だから彼女ができた時はその分どんどん使うけど、それが重いのだろうか?
なんて考えたって仕方ない。ささっと食べ終えると軽く容器を洗い、水を切る。そうして冷蔵庫から缶チューハイを取り出すと、定位置に座ってネット巡回を始めた。
それだって時間潰しでしかない。それを見て意欲を刺激されてとか、本当に楽しみたいからと望んで見ているわけじゃないのはわかってる。ただ、空虚な時間を持て余すのが嫌なのだ。
一人でいると、余計な事を考えてしまう。二十六歳だけど年相応の落ち着きは無いし、貯金だってそこまで無い。ニュースを見れば将来が不安になり、SNSを見れば他人の成功が妬ましい。
そして行きつく果ては『生まれてきてすみません』、だ。
何をしたいのかがわからなく、でも何者にもなれない自分に嫌気がさす。漫画も映画も成功する話ばかりで、我に返ると自分が惨めになる。でも暗い話は観たくない。何を求め、どうしたいのかがわからない。
だから逃げる。ほんのちょっぴり興味のある事をダラダラと垂れ流し、少しでも自分と意見の合うSNSの声に密かに賛同して自分が多数派だと思い込み、悪い意見はミュートかブロック。
彼女を作る目的だって年相応の欲求を発散したいがため。
男性と違い、女性はそういうお店が少ない。ましてやレズならばなおさらだ。大きな都市ならばそういうのも幾つかあるのかもしれないけど、私のいるところじゃちょっと無理だ。大金をかけて行くほどでもない。そこまでするのも面倒臭い。
そう、現実に目を向けたくない。だって辛いから。
だけどどうして、さっきから萌恵の顔が浮かぶんだろうか。
優しくしてもらったから、友達だから、そう自分に理由付けしようとすればするほど虚しくなる。目を逸らそうとすればするほど、意識してしまう。だからスマホを手にして電話帳からその名前を探す時もずうっと、言い訳している。
昨日の愚痴を謝ろう、友達だから気軽に話してもいい、気が向いただけ、暇なだけ……。
「はいもしもし」
四コール目で萌恵の声が聞こえると、思わず目に涙が浮かびそうになった。度々聞いていた当たり前の声が、当たり前じゃない響きを胸の奥に染み渡らせる。
「あー、もしもし。昨日はごめん、長々と愚痴っちゃって」
「そんなのいいのに」
たったそれだけの言葉に胸が熱くなる。でもこれはきっと、優しさに対して。人から優しくされれば誰しも胸が疼き、熱くなるだろう。少なくとも私はそう。
「いやでも、ごめん。一晩経ったら反省して、遅くまで悪かったなって思っちゃって」
「しょうがないよ、失恋なんてそんなものだろうし。それだけ恋にちゃんと向き合ってたから辛かったんでしょ。瑞希、真面目だからね」
明るく話す萌恵に対し、私の唇が重く閉ざされる。そればかりは過大評価だ。
確かに私は恋していたし、愛してもいたはずだ。けれどそれは身体の割合が大きかったのも事実。女の人しか愛せない私だからこそ、そういう機会があると激しく求めてしまう。だからきっと、真面目なんかじゃない。
「とにかく、昨日はごめんって話。そのお詫びってことでさ、今度ご飯食べに行こうよ。おごるからさ」
「おごるとかはいいから、食べに行こう。そう言えば前に会ったのって三ヶ月くらい前だったよね?」
「確か……そのくらい」
学生の時と違い、社会人になって数年すれば年月の捉え方も変わってくる。高校の頃だと三日も離れれば久し振り、二十六にもなれば三ヶ月前くらいなんて割と最近レベルだ。
「じゃあさ、お店決めて欲しいな。お酒アリでもいいよ。詳しい日時決まったら教えてよ。楽しみに待ってるからさ」
「うん、わかった。ありがとう、今日はもう切るね」
「え……あ、うん。わかった、おやすみー」
通話を終えると、終わり間際に少し動揺していた萌恵の事が気になった。
でも今は深い意味を考えない事にする。きっと昨日が長話だったのに、今日はもうすぐに終わったから肩透かししただけだろう。
ただそれだけ……期待するだけ苦しくなるだろうから、もうやめておく……。
約束の日の待ち合わせ場所は繁華街の駅の改札口近くにある大きな柱。先に着いた私は人波が押し寄せる度にスマホから顔を上げて周囲を確認する。ここは利用客が多くハブみたいな役割の駅なので人の流れも大きい。けれど不思議なもので、萌恵が前から歩いてくるのが少し遠くからでもわかった。
「お待たせー」
薄いピンクのブラウスにラベンダー色のスカート、上にはデニムジャケットを羽織った萌恵が満面の笑顔でそう挨拶すると、私の胸が甘く締め付けられた。萌恵、こんなにも可愛かっただろうか?
格好自体はいつもの萌恵のコーディネート。髪型だって社会人になってからずっと同じ、ゆるふわのロング。化粧も変わった様子は無いし、私より細いのに胸はずっと大きいのも変わらない。
けれど私はまるで初めて好きな人と外出するかのように心乱れていた。
「ん、どうしたの?」
「あ、いや、久々に会えて嬉しいなって思って」
誤魔化すように視線を外し、愛想笑いで動揺する気持ちを隠す。
「だよねー、私も。もうさ、この話決まってからずっと楽しみだったんだ。お店もオイスターバーでしょ。すっごい楽しみ」
けれど萌恵は昔からの距離感の近さで私に顔を寄せ、満面笑みで身体を揺らしている。ふわりと香る萌恵の匂い、私の好きになった香水の匂い。今じゃすっかりそういうお店で同じ匂いを嗅げば、思い出してしまうほどには紐づけられている。
「いつだったか前にも行った『オイスターズヘブン』ってお店だよ」
高鳴る胸をひた隠しにしつつ私がにまりと笑うと、萌恵もはしゃぐように口角を上げた。
「わぁ、あそこ美味しかった思い出しかない。えー、楽しみ。すっごい嬉しい」
「そんなに喜んでもらえると、決めた甲斐があったよ」
確かに私も萌恵も牡蠣が好きだ。でも飛び跳ねるほどかとも思ってしまう。
「だってさー、私の周りで牡蠣好きな人が瑞希しかいないんだもん。おまけに生が好きなんて、ほんといない。前に別の友達と海鮮食べれるとこに行って私が生牡蠣頼んだら、言われはしなかったけど結構引かれたんだよね」
あぁ、それはわかる。私の好きが万人の好きではないのだと。そういうのがあると人前で自分の好きを言えなくなってしまう。否定されるのではないかと。
「だから今日は楽しみなんだ。食べるぞー」
両手を小さく胸の前で握りしめる萌恵に私は二重の意味で付き合いたくなってしまっていた。
予約していたため、オイスターバーにはすんなり入れた。駅から徒歩五分の所にあり、一本路地に入った所なので目立たない立地なのだが、店内は盛況だ。ここは牡蠣料理の他にもパスタやピザなど色々あるので、牡蠣が食べられなくても満足できる。
ただ私達は揃って牡蠣が好き。なので最初はお腹が空いていた事もあって、会話よりも食を優先していたためちょっとした近況報告をしながら夢中で食べていた。
「いやー、美味しいね。やっぱりこの牡蠣は安くて美味しいし、何より他のフードもお酒も美味しい」
満足そうに笑いながらカシスオレンジを傾ける萌恵は少し顔を赤くしていた。その様子に私は思わず微笑む。胸に渦巻く感情が単なる喜びなのか、それとも特別な意味を持つのかわからない。
「そうだね。そういえば萌恵って最近はどうなの?」
「どうなのって、何が?」
キョトンとした顔で顔を寄せる萌恵に私は意味深に口角を上げる。
「恋愛だよ。こんなに可愛いのに恋人いないとか言ってたけど、三ヶ月経ったからどうなのかなぁって」
すると萌恵が笑い出す。その屈託の無い笑顔と裏腹に、私にだけ見せる気遣わない笑い方が特別さを感じさせるのに十分過ぎる。
「いないよー、マジで。だって出会いがないもん。職場と家の往復くらいしかしてないよ」
「でもジムに通ってるって言ってたよね」
「あれは出会いを求める場じゃないよ。ちゃんと真面目に鍛えてるんだから」
そうは言うけど、萌恵を放っておく男の気が知れないのだが……。
「あ、もしかして萌恵が可愛すぎるから、自分じゃ不釣り合いかなって声かからないんじゃないのかな。高嶺の花みたいな感じで」
「いやいや、それはさすがに」
苦笑しながら手を横に振る萌恵に私は更に距離を詰める。
「でも萌恵、職場とかで彼氏いるとかいないとかって話してるの?」
すると萌恵がゆっくりと首を横に振り、グラスを傾ける。
「しないよ、職場でなんて。職場でそういう関係になると面倒臭いじゃない。まぁ、そんな事ばかり言ってるから、出会い無いんだろうけどさ」
「萌恵可愛いのに、もったいない」
すると萌恵が一瞬私の眼を鋭く見たような気がした。私が確認のため良く見返してみたが、その時にはもういつもの柔和な笑みに変わっていた。
「別にいいの、私は。こうして瑞希と好きなとこ行ってお酒飲んだりご飯食べたりする方が楽しいし」
「なにさ、そんな嬉しい事言ってくれて。惚れちゃうよ」
「あはは、サービスし過ぎちゃったかな。失恋したからって親友に手を出すなんて早いよ、さすがに」
冗談に混じり攻める私の言葉に、意図せずか切れ味鋭い返し。笑って誤魔化すけど、胸が痛い。そしてそんな笑い声すら辛くなったので、お酒に逃げる。顔を隠すようグラスを傾け、マリブコークを喉に流していった。
「でもさ、結構本気で今はいいかなって思ってるんだ」
萌恵もお酒を傾けてから、どこか落ち着いたトーンでそう語りかける。私は酔いもあってかすぐに切り替え、真顔で見詰めていた。
「そうなんだ」
「うん。何か今は、萌恵とたくさん遊びたい感じなんだ。友達とかも気軽に会える人って少なくなっちゃったし、会社の人は友達じゃないからさ。男の人と付き合うとさ、どうしても色々あるじゃない。あれが今、ちょっといらないかなって感じ」
親友としての私が求められている。そこに軽い失恋を感じつつ、それでも求められている事が嬉しくて思わずにやけてしまう。
「そっか。じゃあまた美味しいお店探さないとね」
「わー、嬉しい。私と瑞希って食の好みが合うからもうそれだけで楽しいんだよね」
目を細め小さく手を握りながら振る萌恵に私の心はもう完全に恋を感じていた。そしてその勢いで手を握られてぶんぶんと振られると、ほのかに暖かくしっとりとした感触に胸が苦しく鋭い痛みで止まりそうだった。
きっと、今までどこか蓋をしていたのかもしれない。親友であり、私の良き理解者であるから。萌恵を失えば私は一人になってしまうという孤独への恐れが、こんなにも可愛らしい萌恵なのに恋愛には歩み出せなかったのだろう。
ただ、この前の失恋がきっかけで私の心はもう動き出してしまっていた。
萌恵と付き合えるのならば、数多のリスクを冒してでもかまわないと……。
それから私は週に一度ないし、二周に一度は萌恵と会うようになった。
行くのはたまにランチ、ほとんどがお酒込みのお店だった。決めるのは大抵私で、そうしたサイトを見て気になった所に行くという形だ。
大抵は美味しいけど、たまに値段と見合わない店もある。そういう時は次回、行った事のある間違いなく美味しいお店に行く事にした。それでも私も萌恵も失敗含めて楽しんでいるのがわかっていたから、険悪になる事は無かった。
むしろそのおかげで、話に花が咲くから共通のネタを得たと思えば悪くない。
失敗も笑い話にしてくれる、それがどれだけ私の心を救ったのだろうか。
他の人なら全員ではないが大半が不機嫌になり、責め、別の店を提案しても文句を言ってくる。また予約を忘れた時だって他の人なら入れなかったと文句や不満をあらわにするけど、萌恵は次に行こうといって別の店を探そうとしてくれた。
そんな萌恵に恋をするなというのがそもそも無理な話で、私の恋心はどんどんと大きくなる一方だった……。
萌恵とよく飲みに行くようになって半年が経った。
寂しい休日の暇潰しという名目だったけど、お互いに美味しいものを食べて飲んで笑っている間は幸せだった。萌恵は基本愚痴を言わないし、いつもニコニコ笑ってくれている。私が食べたいものを遠慮なく注文しても嫌な顔一つしないどころか、萌恵もそうしてくれるから居心地が良い。
だから単純に楽しかったし、その上で勝手にデートしている気分にもなれた。
昔から仲が良かったけど、この半年で思いっきり距離が縮まっている気がする。それはきっと社会人になり自立しているからこそ、こうして誘う事に戸惑いが無くなったからかもしれない。学生の頃はとにかく、お金がネックになっていたから。
いつも他愛の無い話をしては笑い合い、会の終盤には次に行くお店について軽く触れる。それが次に繋がっているんだと嬉しくなり、いつだって私の胸を満たす。
ただ、私の想いを伝えるとその幸せすら壊れるかもしれないとは自覚している。けれどそれを天秤に乗せてなお、私は私の恋を成就させたいと考えるようになってきていた。
きっともう、この気持ちを隠してなんて生きていけないから……。
「今日は随分オシャレなお店だねー」
いつもよりも少し高めのイタリア料理店、私達は個室の中にいた。間接照明に彩られたほの暗い室内はムードに溢れ、いかにもカップル専用みたいな感じだ。
「まぁ、たまにはね。感じ変えたくて」
飾られてある絵画や小物に目を移しながら、私は萌恵の目を見れないでいた。気を抜けば早くなりそうな呼吸を抑え、息苦しさなのか胸のトキメキなのかわからないまま場の雰囲気を壊さないように笑みを絶やさない。
「そうだね、そういうの大事だよね。でもちょっとここ、私達にはムードあり過ぎだよ」
ドキリとして私が萌恵を見れば、どこか恥ずかしそうに笑っていた。それが間接照明の光に相まって、どこか妖艶さをまとわせている。浮かび上がるリップの鮮やかさ、細めた先の瞳はどこか私の心の奥底を見通しているかのよう。
それが私の最後の一押しとなった。
「うん、まぁ、そうかも。でも今日はここでいいんだ」
逃げ出したいほどの恥ずかしさと恐怖。でもどこかでそれを乗り越えなければ手に入らないものがある。それが萌恵。だから私は落ちかけた視線を元に戻し、じっと萌恵の目を見詰めた。
「あのね萌恵、大事な話があるの。私ね、萌恵の事が」
すると萌恵がすぐに私に向かって右掌を向けて遮る仕草をした。私はそれに戸惑い、思わず言葉を止めてしまう。
「瑞希、私を好きになったらだめだよ。そんな簡単に近くの女に手を出したら、誰も周りにいなくなるよ。私、ちゃんと瑞希が幸せになって欲しいからさ」
「あ……」
ハッキリとした口調で、しっかりと見詰めての拒絶。そこにいつもの微笑みは無く、真顔で。相変わらず可愛くて美しいからこそ、私はもう言葉も無く視線を落とす。
見ていられなかった。もう、再び見詰める事なんかできなかった。
ただ私はもう、必死に抑え込んでいた恥ずかしさや恐怖を堪える事ができず、どうすればいいのかわからなかった。顔が青くなっているのか、赤くなっているのかすらもわからない。全ての音が遠く、目の前に白いもやがかかっていく。
顔がくしゃくしゃになっていく……。
「ごめん……ほんとにごめん。今日はもう……」
こぼれるものを堪え切れず、私は脇に置いていたバッグを手繰り寄せると逃げた。ドアを開け足早に店を出て、滲む視界のまま。萌恵も、不審がる店員さんも何もかもを置き去りにして。
外に出れば夜のネオンが輝きだし、きっと平時ならば幻想的な光景。でも今の私には全てぼやけ、溶け合わさり、歪む。気色悪いだけ。
人前で涙を流し歩く私をみんなどう見ているんだろうか。気にしていないのかな。それともヤバい奴だと思われてるのかな。あぁもう、どうだっていい。すれ違う名前もわからない人になんかどう思われたってもいい。
萌恵に想われなかった、拒絶された。世界はもうこの一点だけなのだから。
叫びたい、うずくまりたい、そこら中にあるものを投げてメチャクチャにしたい。
だけど私の中に残る一片の倫理、社会性、常識ががんじがらめにしている。格好つけて知らない人目をも気にして、心を自由にさせてくれない。
だから私は静かに泣きながら歩く。家へ。そこでならもうきっと、私の心を自由にできるから……。
あれから萌恵と連絡を取る事ができなかった。萌恵からも、だった。
自然消滅と言えば格好良いが、結局は私が暴走して関係性をぶち壊してしまっただけ。元々レズでもないノンケの萌恵からすれば、親友だと思っていた相手にそういう目で見られていたのだから気持ち悪いし恐怖だっただろう。
フラれて時間が経った今、申し訳なく思う。冷静になればそういう相手の気持ちだって考えられるけど、恋をしている最中はあれこれ考えているつもりでも結局は自己中になってしまう。
萌恵にフラれてから三ヶ月後、私は新しい女の子と付き合う事になった。
結局私は独り身の淋しさを自分で埋められない。心も身体も、誰かに埋めてもらわないと我慢できない人間なのだ。そろそろ遊ぶのはやめにしよう。そう思って付き合う事にしたけれど、やはり退廃的で刹那的な快楽からは抜け出せない。
そしてその子と付き合っている最中もずっと、私の心の奥には決して抜けない棘がじんじんとした痛みを伴って刺さり続けていた。
それから五年が経ったある日、偶然萌恵と再会した。
そこは地元の大型ショッピングモール。ふらりと足を向けて枕カバーでも買おうかなと物色していたら、不意に背後から声をかけられた。
「瑞希? 瑞希でしょ」
聞き覚えのある声に驚いて顔を向ければ、そこには萌恵がいた。そしてその隣には小さな男の子、傍には大柄な男の人が寄り添っていた。ふわふわなロングは肩くらいまでのミドルヘアに変わり、服だってあの頃と違って落ち着いて体型を隠すようなだぼっとした感じになっている。やや疲れ気味だけど、どこか幸せそうな感じ。
「あ……萌恵? 萌恵なの?」
「そうだよ、久し振り。こんなとこで会うなんて偶然だね」
嬉しそうに笑う萌恵に小さな男の子が萌恵のスカートの端をつかんで不思議そうに私を見ている。大柄な男の人は柔和な笑みを浮かべて、ぺこりと会釈。言われなくてもわかる関係性を目の当たりにし、私はつい戸惑って何の反応もできずにいた。
「彼女、親友なんだ。だからごめん、ちょっと翔太連れてフードコートで待っててもらってもいいかな? 翔太、パパとジュース飲んでて待ってて」
すると旦那と子供らしい二人は笑顔でうなずき、離れていった。私はもう呆然とするばかりで、その去って行く姿を見詰めるばかり。するとそんな私の肩がぽんと軽やかに叩かれた。
「私達もちょっとお話しよ」
フードコートとは別のモール内のカフェに移動した私達は空いてる席に腰を落ち着けると、カフェラテを二つ頼んだ。その間、懐かしいとか今どうしてるのとか色々訊かれたけど、私は曖昧に答えるばかり。
当たり前だ。あんな風に別れたのだから、今更どんな顔をして接すれば良いのだろうか。
けれど萌恵はあの当時のままのテンションで接してきている。もしかしてあの時の事は彼女にとってそんなに重大な事じゃなかったのだろうか。私だけがずっと引きずっていたのだろうか?
「結婚して、子供産まれたんだね」
やっとの事で私がそう絞り出すと、萌恵が満面の笑みでうなずいた。
「うん。瑞希と会わなくなってから少しして、会社の社員の人と付き合い始めたの。それでトントン拍子で進んで行って、すぐに産まれたんだ。毎日大変だよー、やっと喋れるようになって意思疎通できるようになったんだから」
「そっか。でも幸せそうな顔してるよ」
「そうかな? ありがと、そう言ってくれて」
落ち着いた笑みを見せる萌恵はどこか遠くに行ってしまったみたいだ。私とは何と言うか人生のステージを一つも二つも先に進んでいる。
「瑞希は今どうなの? 良い人いるの?」
私は運ばれてきたカフェラテを少し口付け、でもまだ熱かったからすぐに離してから小さくうなずいた。
「まぁ、一応ね。あれから付き合った人がいたけど、一昨年別れてさ。今は別の人と同棲してる。私もいい歳だから、そろそろ落ち着いた恋愛をしたいんだよね」
「そうかー、瑞希も良い人いるんだね。安心したよ。あれから連絡取らなくなっちゃったからさ、どうしてるんだろうって時々思ってたんだ」
当時の事に萌恵から触れられると、やっぱり胸の奥がずきりと痛む。曖昧に噛みしめるようにうなずきながら、私はまたカフェラテへと手を伸ばす。ふうふうと冷ますようにして、自分の言葉を後回しにする。
「あの頃、すっごい楽しかったよね。週末になったら美味しいお店行って笑い合ってさ」
確かにそうだ。でも、それらの思い出も全部失恋によって黒く塗り潰されたのだ。あの時私が抱いていた恋心は本物だったのだから。
「そう思ってくれてよかったよ」
絞り出しつつも、視線が下がってしまう。こんな私を見せたくない、最後まで取り繕っていたい。けれど、どうしてもできない。
「……瑞希、やっぱりあの日の事」
「当たり前じゃない」
優しくそっと寄り添うような萌恵の言葉に私はもう我慢できず、キッと睨みつけた。
「忘れるわけないじゃない。本気だったんだから」
萌恵が憎かった。この余裕はやはり家庭を持って子供を持てたからこそのもの。上から見下され、憐れまれているこの感じに腹が立つ。自分はどんどん先に行ったから、あの時の事をうっすらとした思い出の一つにしているんだ。
私は違うのに!
「瑞希……」
ふうっと一つ息を吐き、萌恵が視線を下げた。一瞬、私の胸が罪悪感に刺されたけれど、すぐにまた怒りが支配する。こんな反省とか悲しんでいるふりなんて、いらない。謝罪もいらない。感謝なんてもっといらない。
「あのね、今だから話すけどあの時、私も本気になりかけていたんだよ」
ゆっくりと視線を戻しそう告白した萌恵の言葉は私を硬直させるのに十分だった。思いもしなかった言葉に私は耳を疑い、眉根を寄せる。
「でもね、あの時瑞希は失恋したばかりだったでしょう。そんな時に付き合ったら、お互いダメになる気がしたの。傷の舐め合いによる恋愛なんて、きっと悲惨な結末しか訪れないでしょ。瑞希はきっとあの時、寂しさだけで私に恋をしていたと思うんだ」
違う、私はちゃんと好きだった。私の理解者であり、可愛らしい萌恵を。
けれど言葉が出ない。それはもしかしたらそうだったかもしれないという本音があったから、とっさに否定できないのだろうか。私はただもう、苦い顔をしながら見詰める事しかできない。
「私は瑞希が好きだった。だからこそ、駄目にしたくなかったんだよ」
そんなの、言い訳だ。後付けだ。嘘つき、嘘つき、嘘つき!
「そう、ありがとう……」
けれど言葉にしたのは社交性の仮面。この期に及んでまだ、私は本音を言えないまま。格好つけて体裁取り繕って、もう何ら脈の無い相手にも良い風に見せたい私がいる。
「できればもっと話してたいけど、子供小さいから。今日はこの辺で」
そう言うと萌恵は半分も飲んでいないカフェラテを残し、バッグから千円札を取り出して私の方へ置いた。
「じゃあ、元気で」
にこりと笑い、足早に去って行く萌恵を私はただ情けない顔をして見送る事しかできなかった。萌恵がいなくなり、私の耳に周囲の雑音が痛いくらい響く。一人残された私はただ呆然と、萌恵が残したカフェラテを見詰めるばかり。
もう湯気も立たないそれはただ熱を逃していくだけ。私が席を立てば、すぐに店員によって廃棄されるだろう。私は未練らたしくそれを見詰めていたが、やがて席を立った。
きっともう、会わないだろう。最後の言葉にはそんな思いが詰まっていた気がした。




