第5話 「残酷な選択」
明らかに目覚めた頃より、白い部屋が狭くなっている。
天井の高さが変化している感じはしないし、センサーから脱出口までの距離も変わっていないと思う。
つまり、両サイドの壁が迫ってきているのか……?
一体いつから……?
ここで目覚めたときにはもう縮小は始まっていたのか……?
いや、だとしたらもっと早くに違和感に気付くだろう。
ということは何かがトリガーになったに違いない。
最初に違和感を覚えたのは……そうだ、赤い部屋に初めて行って戻ってきたあたりか。
ということは、あの部屋に踏み入れること、もしくは脱出口を通り抜けること、このあたりがトリガーになったのか……?
壁が迫ってくる速度はじっと見ていても動いているのがわからないほどゆっくりだ。
この両サイドの壁が最終的に完全に閉じ切るのだとしても、まだしばらく時間の猶予はあるだろうが、さてどうしたもんか……。
「み、御守さん……これ、このままだとわたしたち、潰されちゃうんじゃ……?」
「うん、そういうことだと思う。都合よく途中で止まってくれるなんてこともないよな……」
「何か止める方法があるんでしょうか……」
「うーん……」
俺は少し考え込む。
もしこの迫りくる壁を止められたとしても、結局赤い部屋に行けるのが一人である事実は変わらない。
一人がセンサーに触れ、もう一人が向こうの部屋に脱出する。
センサー担当の人間は犠牲になり、壁に押しつぶされて死ぬ。
これがこの部屋を作った元凶の筋書きってことだろう。
だとすれば、やはり壁を止める方法はないと考えるのが自然か……。
あるいは、そもそも"どちらかが助かる"という道自体を捨てて、二人仲良く潰されるという選択肢もあるにはあるが……。
いずれにせよこの部屋に来て初めて、明確なタイムリミットが現れた。
壁の速度がいくらゆっくりとは言っても、悠長にしてたら潰されてハムになってしまう。
しかしそういうことか。ずっと謎だったものの正体がわかった。
「一つだけわかったのは、床に小さい穴が空いていた理由だ。つまりこの穴は空気を逃がすための穴だったんだよ」
「……そっか、密閉空間だと空気が逃げ場を失っちゃうから……」
「うん、この穴は換気やトイレのために空いていたわけじゃない。部屋を縮小するために必要だったってことじゃないかな」
これで両サイドの壁が閉じ切るのはほぼ確定、この部屋は近いうちに消滅することになる。
小春ちゃんももう気付いているだろう。
俺たちは今、残酷な選択を余儀なくされている。
「小春ちゃん、俺たちは選ばなきゃいけない。どちらかが助かるのか、もしくは二人でここで押し潰されるのかを……」
「でも……だって……」
彼女はうろたえている。
正直に言えば、脱出口を通れるのが一人だけというシステムに気付いた時点で、二人で助かる確率のほうが低いかもしれないと思っていたところはある。
だから、赤い部屋を調査している時も、こういう事態になったときのことをずっと考えていた。
選択を迫られているなんて言ったが、こんなもの俺の中では最初から一択でしかない。
彼女を赤い部屋に送り込み、俺がここに残る。
そもそも俺が生き延びて、仮に元の世界に戻ったところで居場所なんてどこにもないんだ。
ここで前途有望な自分より若い人間を助けて、この生涯の幕を閉じる。
ここまで30年、くだらない人生だったが、これ以上ない幕引きじゃないか。
一人が助かる道があるのに、わざわざ二人で死ぬこともない。
小春ちゃんは生きるべきだ。
問題は、彼女が素直にそれに応じるとは思えないことか……。
ここで彼女が口を開いた。
「御守さん、なんで……なんでそんなに冷静なんですか? このままだと確実にどちらかは死んじゃうんですよ……? なのになんで……」
冷静か……個人的には、冷静ってのとはちょっと違うんだよな……。
「……小春ちゃん。俺はね、なんというか……もう人生がどうでもいいんだよ。ここに来るずっと前からね。元の世界で何もかも失って、周りから誰もいなくなって、いつ死んだっていいってずっと思ってたんだ。」
「そんな……」
「この変な部屋に来た時はそりゃ驚いたし、色々と疑問だったよ。元凶を知りたかったし、脱出しようと思った。でも……冷静に元の世界に戻った後のこととか考えるとさ……ここで死ねるんだったらそれも悪くないと徐々に思い始めたんだ……。だから冷静というより……諦めかなぁ……」
小春ちゃんは俯いて少し黙った後、再び口を開いた。
「……ここでわたしだけ助かったとして、その後はどうするんですか? 元の世界に戻れる保証もないんですよ? わたし、御守さんがいたからここまで気持ちを保ってこられたんです……。こんな場所に一人で残されたらわたし……耐えられない……」
彼女の言い分も一理ある。
生き残った人間がここから出られるなんてことは誰も約束してくれてはいない。
生き残ったとしても、また次の仕掛けのようなものが現れてクリアしていかなければいけないのかもしれない。
最終的には、誰一人としてここから生きて帰すつもりはないなんて可能性もある。
でもそれは先のこと、今考えたところでどうしようもないんだよ。
今はただ、この差し迫った危機的状況を彼女に乗り切らせること。
俺がやるべきことはそれだけだ。
しかしこのまま話していても平行線だ。
俺が生き残ることを拒めば、彼女は一緒に潰される未来を選ぶだろう。そういう子だ。
とすれば、俺が今とるべき選択は……。
「……そうだね、ちょっと焦ってたかも。二人で生き残れる可能性をまだ探すべきかもしれない。小春ちゃん、俺がさっき向こうの部屋を調べたとき、何もなかったって言ったけど……」
「……?」
「もしかしたら小春ちゃんにしか反応しないセンサーみたいなものもあるのかもしれないと思って」
もちろん今考えた適当な出まかせだ。少し無理があるか……。
「でもそんなの...ここのセンサーは二人共反応しましたよね……?」
「うん。でもこんな謎テクノロジーだらけの部屋だし、そういうものがある可能性もゼロじゃないんじゃないかな。現状二人で生き残れる可能性があるとしたら、もうそれくらいしかないんだよ。それに、俺の見落としもあるかもしれないし、いずれにしろもう一度向こうの部屋の調査はするべきだと思う」
彼女は下を向いて考え込んでいる。
自分が赤い部屋へ行き、もし脱出穴を開くセンサーがなかった場合、この白い部屋へはもう自分の意思で戻ってくることはできない。
それがわかっているんだろう。
「……わたしが叫んだら、脱出口を開けてくれるんですよね?」
「あぁ、ここまで来たら死ぬときは一緒だ」
「……わかりました」
当然すべて嘘だ。彼女を向こうの部屋から戻らせるつもりはない。
彼女にだけ反応するセンサーなんて都合のいいものもないだろうし、俺の見落としもないはず。
小春ちゃんが脱出口を通り抜けたら、俺はセンサーから手を離してその後はもう脱出口は開けない。
そしてそのままここで脱落だ……。
「さあ、壁もかなり迫ってきてる。急がないと間に合わなくなっちゃうよ!」
「……はい」
返事の歯切れが悪い。
俺の発言を100パーセントは信用しきれていないんだろうな。
それでも行くことを決意してくれたのは、俺がここまで積み上げてきた信頼とやらのおかげかな……。
ここに来てからの紳士的な行いが、今実を結んだということか。いいことはするもんだ。
「待っててください、必ず見つけてきます」
「うん、急ぎ目で頼むよ」
彼女は小走りで脱出口に向かうと、手前で一度立ち止まり、こちらを振り返った。
そして今回は頷くこともなく、向こうへ向きなおして壁の穴を通り抜けていった。
「じゃあ閉めるよ!」
「……はい!」
彼女の姿もこれで見納めか。
人生で最後に出会った人間、人生で最後に言葉を交わした人間、人生で最後に見る人間が小春ちゃん。
ハハ、なかなか贅沢じゃないか俺も。
俺は彼女の姿を目に焼き付けながら、そっとセンサーから手を離した。
ニューン
壁の脱出口は完全に閉じ、俺はだいぶ狭くなってしまった白い部屋で一人きりになった。
さよなら、小春ちゃん……。




