第4話 「赤い部屋」
俺は壁に開いた穴、通称「脱出口」の前まで来た。
壁の厚さは10センチくらいか……ここから一歩踏み出すだけで隣の部屋には入れる。
俺は一度後ろを振り返り、小春ちゃんと目を合わせる。
彼女は壁のセンサーに触れながら、じっと俺のことを見つめている。
俺が少し頷くと、彼女も返事をするように軽く頷いてくれた。相棒感があってなんかうれしい。
さて、まずはこの穴を通り抜けることで、”何かが起こるのかどうか”だ。
そこですべてが終わってしまう可能性も十分にある。
だが恐る恐る入っても結果が変わるわけではないだろうしな、ここは思い切っていこう。
俺は一度深呼吸をして、一気にぴょんっと穴を通って隣の部屋に入った。
どうだ……どうなる……?
……何も起こらないな。
いや、小春ちゃんのほうはどうなった?
俺は後ろを振り返って、元いた白い部屋を確認する。
彼女は先程と変わらず、センサーに触れながらこちらを見ている。
これが外の世界で味わえなかった女子の視線というやつか。とりあえずあちらも無事でよかった。
「小春ちゃん! そっちは大丈夫?」
「大丈夫です! 特に変化ありません!」
危機が訪れないとなれば早速赤い部屋を調べ始めたいところだが、その前に一つ確認したいことがある。
俺はもう一度壁の穴を通り抜けて、白い部屋に戻ってみた。
「よし、戻れる。」
白い部屋と赤い部屋は自由に行き来して問題ないようだ。
つまり、センサーに触れる役割も交代できるということか。
「小春ちゃん、それじゃ隣の部屋を少し見てくるね」
「はい、お願いします!」
俺は赤い部屋に戻ると、部屋の真ん中あたりに立って全体を見回した。
部屋の大きさは白い部屋に比べると一回り小さいようだ。
だが、やはりこの部屋も一見すると何もない。
赤い以外は白い部屋となにも変わらないと言える。
しかし、白い部屋でも見た目だけでは気付けないセンサーが埋め込まれていたことを考えれば、こちらにセンサーがあったとしても同じく見えないだけという可能性は高そうだ。
問題は、センサーの有無を確認するためには、一度小春ちゃんに白い部屋のセンサーから手を放してもらわなければいけないということか……。
脱出口が閉まっている状態でなければ、こちらから開くかどうかを確認できない。
しかし小春ちゃんがセンサーから手を離せば、その瞬間、俺たちは初めて完全に分断されることにもなる。
もし仮にその分断がゴールで、分断された瞬間にどちらかが殺されるとしたら……?
初めて壁の穴を通るときと同じ状況の再来ってわけか……。
俺は一旦白い部屋に戻り、小春ちゃんの近くまで走った。
「小春ちゃん、もし向こうの部屋にここと同じセンサーがあるとしたら……」
「はい、わたしが一旦壁から手を離さないと確認できない、ですね」
察しがよろしい。
俺の事を評価してくれていたけどこの子もなかなか頭がいいのでは?
「でも他に手がかりがない以上、やるしかないと思います」
つ、強い。
怯えた子犬だった小春ちゃんはどこへ……?
「よし、じゃあ、俺が向こうの部屋に戻ったら、一旦手を離して。そして穴が完全に塞がったら、数秒後にもう一度センサーに触れてほしい。これで穴が再び開けば、分断自体は特に問題ないってことになると思う」
「はい、承知しました」
俺は振り返って赤い部屋に戻ろうとするが、一旦動きを止めた。
この白い部屋に何か違和感のようなものを覚えたからだ。
「……?」
見回しても特に変化はない……気がするな。
おかしな部屋に閉じ込められて普段より早く頭も疲弊しているのかもしれない。
とにかく早く向こうの部屋を調査しなければな。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
俺は再び壁の穴を通り抜けると、小春ちゃんのほうへ振り返って軽く頷いた。
彼女はこちらに頷き返して、センサーに触れていないほうの手を胸に当てて目を閉じ、深呼吸している。
そして目を開け、センサーから手を離した。
壁の穴がニューンと塞がっていき、彼女の姿が見えなくなる……
白い部屋で目覚めてからずっと一緒だった彼女と、初めて完全に分断された。
ここからだな……
こちらには特に異常はない。
あとは彼女がもう一度センサーに触れ、穴が開くかどうか……
思わず息を止める。
たった数秒が随分長く感じる……
…………
ニューン
開いた!!
たった数秒ぶりの彼女との再会が、こんなにも嬉しいものか……。
いや再会にしみじみしている場合でもないな。
「小春ちゃーん! もう一度穴を閉じて、閉じ切ったら何か叫んでみてほしい! そしたらすぐにもう一度穴を開けて!」
「わかりました!」
分断された状態で声が届くかどうかの確認だ。
「いきます!」
穴が閉じた。
数秒後、うっすらと何か叫んでいるような声が聞こえてきた。
そして再び穴が開いた。
「どうですかー? 聞こえましたかー!?」
「うっすらと声は聞こえた! でも何を言ってるかはわからなかった!」
すると脱出口がまた閉じて、小春ちゃんの叫ぶ声が聞こえてきた。
そして再度穴が開いた。
「今のはどうでしたー? なに言ったか聞こえましたかー?」
なんか楽しそうな顔してるけどとんでもない悪口とか言ったんじゃないでしょうねあの子。
本当は結構いたずらっ子みたいなとこあるのかな。
しかし叫び声が認識できるというのは良い収穫だ。
こちらが叫ぶのを合図として脱出口を開けてもらうことができる。
「小春ちゃん! それじゃあこっちで急いでセンサーを探すから! 俺が叫んだら穴を開けてほしい! 緊急時も穴を開けて伝えて! まぁそっちでゆっくりくつろいでてよ!」
「わかりました! お茶飲んで待ってますね!」
冗談まで言えるとは余裕があるなぁ。
いや、こちらに心配をかけまいと余裕のあるふりをしているのかもしれないな。
可愛くて頭が良くて気まで利くのかい……本当になんで仕事見つからないんだろ。
脱出口が閉じ、再び俺たちは分断された。
しかし任意のタイミングで開けられるとわかっているので、もうそこまでの不安はない。
俺は赤い部屋の壁を、端から漏れなくペタペタと触っていく。
すると、探し始めてからまだ20秒も経たないだろうというところで、こちらが壁に手を触れていないタイミングで脱出口が開いた。
小春ちゃんが開けたということだ。
「どうしたー!? 緊急事態!?」
「いえ! ……寂しくて不安になっちゃったので開けてしまいました……!」
な、なんだこのかわいい生き物は……!?
今すぐ駆け寄って抱きしめてあげたい!
……いや落ち着け、それはキモいな。
今日会ったばかりのおじさんに抱きしめられるのがこの世で一番キモい。ここがこの世なのかはさておきだ。
冷静になろう。
「気持ちはわかるけど! あんまり頻繁に開けちゃうとこっちのセンサーで開いたと勘違いしちゃうから!」
「ごめんなさい!」
いやいいんだよ。
俺だって気持ちとしては5秒に一回こんにちはしてほしいよ。
でも一刻も早く脱出しなきゃいけないだろう……?
やっぱり一人きりが怖いんだろうな。当然か。あんまり長時間1人にさせてはおけないな。
早くセンサーを見つけなきゃな……この部屋にセンサーが本当にあれば、の話ではあるけど……。
数分が経過した。
白い部屋より小さいということもあって、手の届く範囲は壁から床に至るまですべて触れたはずだが……。
ない。
脱出口が開くセンサーは、この赤い部屋には、ない……?
他に手がかりになるようなものもなかった。
最後に脱出口を閉じてから数分経っている。
一旦小春ちゃんと合流して情報を共有したほうがいいだろうな。
彼女は大丈夫だろうか?
「おーい! 開けてくれー!」
…………
……開かない。
おい、嘘だよな? 向こうでなにかあったのか……?
こちらから穴を開ける手段はないぞ。
マズいな、マズすぎる状況だ……
「小春ちゃん! 聞こえてない!? おーい!」
俺は引き続き叫んだ。
壁をドンドンと叩きながら……と言いたいところだが、この謎物質でできた壁は、俺の拳で思い切り叩いてもほとんど音が鳴らない。
いや待てよ…。
俺たちは向こうからの叫び声が微かに聞こえることは確認したが、逆のパターンは検証していない……。
迂闊だったな。
こんな謎の技術が使われている部屋だぞ。
声が一方通行である可能性まで考慮すべきだったか……。
そんな反省をして自分の過ちを悔やんでいると、ふいに壁に脱出口が開いた。
「小春ちゃん!」
俺は穴を通り抜け、一目散に彼女の元へ駆け寄った。
「大丈夫? なにかあった?」
「す、すみません……、一人きりの状態で目を開けてると不安だったので、目を瞑ってたんです。そしたら少しウトウトしてきちゃって……。お互いの命がかかってる状況なのに……わたし……すみません……」
なんだ……よかった……。
なにかあったわけではなかったみたいだ。
こんな状況だしな、精神だって相当すり減ってるだろうし仕方ない。
「いや、無事ならそれでいいんだけどね。それで、向こうの部屋のことなんだけど……」
俺は向こうの部屋にセンサーらしきものも、それ以外の目ぼしい手掛かりも見つからなかったことを彼女に伝えた。
「というわけだ、改めて色々と考え直さないといけないよ。この部屋も含めて────」
と言いながら、白い部屋を見回そうとした瞬間、俺は動きが止まった。
「み、御守さん、これって……」
彼女も気付いたようだ。
そうか、さっきこの部屋で感じた違和感はこれだったのか。
さっきの段階では変化が小さすぎて気付けなかったが、今ならもうハッキリとわかる。
「部屋が、縮小している……!」




