第7話 お前の魂は、私の宝だ
一ヶ月が経った。
俺の生活は、見違えるほど健康的になっていた。
毎朝六時に起きて、ウォーキング。朝食はクロハが作った和食。
定時で退社して、夜は自炊。十一時には就寝。
体重は五キロ減り、肌の調子も良くなった。
何より、毎日が楽になった。
以前は常に疲れていて、頭がぼんやりしていたのに、今は頭がすっきりしている。
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ある朝のこと。
いつものように、クロハと一緒に朝食を食べていた。
俺が「いただきます」と手を合わせると、クロハも同じように手を合わせた。
「……いただきます」
俺は箸を止めた。
「……クロハ、今、何て言った?」
「いただきます。お前がいつも言っているから」
「いや、でも……お前、死神だろ? 食事の必要もないのに」
「必要はない。だが、お前と一緒に食べる時は、そう言いたくなる」
クロハは小さく首を傾げた。
「……おかしいか?」
「いや、おかしくない。ただ……」
俺は少し考えた。
三千年生きてきた死神が、たった一ヶ月の同居で「いただきます」を覚えた。
人間の作法を、自然と身につけている。
「……嬉しい」
「何がだ」
「お前が、人間らしくなってきてる気がして」
「……」
クロハは目を逸らした。
耳が少し赤くなっている。
「お前と一緒にいると、そうなるらしい」
「そうか」
「三千年生きてきたが、こんな感覚は初めてだ。人間と一緒に食事をして、同じ言葉を言って、同じものを食べる。……温かい」
クロハの声が、少し柔らかくなっていた。
「ありがとう、鈴木」
「何がだ」
「人間の温かさを、教えてくれて」
俺は、何も言えなかった。
ただ、クロハと一緒に「いただきます」と言える朝が、とても幸せだと思った。
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またある日の夜。
俺がソファでビールを飲んでいると、ふと自嘲的な気分になった。
「なあ、クロハ」
「何だ」
「俺みたいな平凡なサラリーマンの魂なんて、価値があるのか?」
クロハは首を傾げた。
「なぜそんなことを聞く」
「いや、お前、三千年も生きてきたんだろ? 英雄とか、偉人とか、すごい人の魂も見てきたんだろ?」
「見てきた」
「だろ? そういう人たちに比べたら、俺みたいな普通のサラリーマンなんて、大したことないじゃん」
俺は自嘲気味に笑った。
「毎日会社に行って、残業して、休日も仕事のことを考えて。結局過労死しかけるような、ダメな人生だ」
クロハは黙っていた。
そして、俺の前に来て、真っ直ぐ俺を見つめた。
「鈴木」
「何だ」
「お前の魂は、私が三千年で見た中で、一番輝いている」
俺は目を見開いた。
「……は?」
「嘘ではない。事実だ」
「いや、でも……」
「お前は仕事を頑張った。死にかけた。生き返った。そしてまた頑張っている。その強さは、どんな英雄の魂より眩しい」
クロハの紫色の瞳が、真剣に俺を見つめている。
「英雄は、特別な力を持っている。偉人は、特別な才能を持っている。だが、お前は何も持っていない」
「……ますます落ち込むんだけど」
「聞け。お前は何も持っていないのに、毎日を必死に生きている。それが、どれだけ尊いか分かるか?」
クロハは俺の手を取った。
「特別な力がなくても、毎日を生きる。それだけで、魂は輝く。お前は、普通に生きることの尊さを、私に教えてくれた」
「……」
「だから、自分を卑下するな。お前の魂は、私の宝だ」
俺は言葉を失った。
死神に、こんなことを言われるとは思わなかった。
「……ありがとう、クロハ」
「礼は要らない。事実を言っただけだ」
クロハはそう言って、ソファの隣に座った。
そして、俺の肩に頭を乗せた。
「……眠くなってきた」
「おい、急に甘えるな」
「黙れ。眠いのだ」
俺は溜息をついて、クロハの頭を撫でた。
銀髪がサラサラと指の間を滑る。
……俺の魂が、一番輝いている。
そんなこと言われたら、もっと頑張らないといけないな。
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「……悪くないだろう」
クロハが、珍しく満足そうに言った。
「ああ、確かに。前より調子がいい」
「当然だ。人間の体は、適切なケアをすれば応えてくれる」
「おかげさまで」
「お前の魂も、少しずつ良くなってきている」
「……分かるのか?」
「分かる。経験が増えると、魂に深みが出る。お前は今、人生を楽しみ始めている」
クロハは小さく微笑んだ。
「私の育成計画は順調だ」
「だから養殖の話やめろって」
俺はクロハを見た。
最初は怖かった死神だが、一緒に暮らしているうちに、印象が変わってきた。
彼女は無表情だが、根は真面目で、俺の健康を本気で心配してくれている。
料理を作ってくれるし、掃除も手伝ってくれる。
朝起こしてくれるのも、乱暴だが確実に起きられる。
そして……正直に言うと、かわいい。
無表情なのに、時々見せる照れた表情がかわいい。
俺の大きな服を着ている姿がかわいい。
料理を褒めると、耳が赤くなるのがかわいい。
……いかん。
俺は三十四歳で、彼女は見た目十代後半。
どう考えても犯罪臭がする。
年齢差を考えろ、鈴木誠一。
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【次回予告】
季節は夏。同居生活も二ヶ月目。
ショートパンツ。へそ出しタンクトップ。
そして——水着。
「日焼け止めを塗ってくれ」
俺の理性は、完全に崩壊する。
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