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第16話 残りの人生、全部やる

 ある夜のこと。


 俺とクロハは、ベランダで星を見ていた。

 澄んだ夜空には、たくさんの星が輝いている。


「……なあ、クロハ」

「何だ」

「俺って、なんで生きたいと思うようになったんだろうな」


 クロハは俺を見た。


「以前は、生きることにあまり執着がなかった。毎日仕事して、疲れて、寝て、また仕事して。その繰り返しで、気づいたら過労死しかけてた」

「……」

「でも今は違う。生きたいって、強く思う」


 クロハは少し考えてから聞いた。


「なぜ、生きたいと思うようになった?」


 俺は、少し恥ずかしくなった。

 でも、正直に答えることにした。


「……お前と一緒の朝を迎えたいから」


 クロハの動きが止まった。


「お前と一緒に朝飯を食べて、お前と一緒に『いただきます』を言って、お前と一緒に笑いたい。それが、俺の生きる理由になった」


 クロハは何も言わなかった。

 俺は続けた。


「前は、働くことが生きる理由だった。でも、それは間違ってた。働くことは手段であって、目的じゃない」

「……」

「今は分かる。誰かと一緒にいること。誰かと一緒に笑うこと。それが、生きる意味なんだ」


 俺はクロハを見た。


「お前がいなかったら、俺は今も分かってなかった。ありがとう、クロハ」


 クロハの耳が、真っ赤になっていた。

 頬も、赤くなっている。

 そして、俺から目を逸らした。


 ……初めてだ。

 クロハが、俺から目を逸らすのは。


「……馬鹿」

「え?」

「そんなこと言われたら……私は……」


 クロハの声が震えていた。


「私も……お前と一緒にいたいと思ってしまう……」


 俺は、クロハの手を取った。

 白くて、細い手。

 ひんやりしているけど、温かい。


「一緒にいよう」

「……うん」


 クロハは小さく頷いた。

 夜空の星が、二人を見守っていた。


---


 同居生活も五ヶ月が過ぎた頃。


 その日は、特別な日ではなかった。

 いつも通りの朝。いつも通りの朝食。いつも通りの「いただきます」。


 でも、クロハが突然言った。


「……ありがとう」


 俺は箸を止めた。


「何がだ?」

「いや、特に何かがあったわけではない。ただ……」


 クロハは俺を見つめた。

 紫色の瞳が、いつもより柔らかく見えた。


「お前のおかげで、人間の温かさを知った」

「……」

「三千年生きてきた。多くの人間を見てきた。多くの魂を見送ってきた。でも……」


 クロハの声が、少し震えていた。


「こんなに幸せだったことは、ない」


 俺は言葉を失った。


 死神が、「幸せ」という言葉を使った。

 三千年生きてきた存在が、「こんなに幸せだったことはない」と言った。


「お前と一緒に朝食を食べる。お前と一緒に笑う。お前と一緒に眠る。その全てが、私にとって初めての経験だ」

「……」

「人間は短命だ。でも、その短い時間の中に、こんなにも温かいものがあるとは知らなかった」


 クロハは、俺の手を取った。


「ありがとう、鈴木。お前に出会えて、よかった」


 俺は、クロハの手を握り返した。


「……俺も、お前に出会えてよかった」

「そうか」

「過労死しかけて、死神に会って、監視されて。普通なら最悪の状況だろうけど……」


 俺は笑った。


「俺にとっては、人生で一番幸せな半年だった」


 クロハの目が、少し潤んでいた。

 でも、今度は泣かなかった。

 ただ、小さく微笑んだ。


「……馬鹿」

「よく言われる」

「褒めてない」

「分かってる」


 俺たちは、笑い合った。

 いつもの朝食が、いつもより美味しく感じた。


---


【次回予告】

半年が経ち、俺の体は完全に健康を取り戻した。

「これで、任務は完了だな」

「私は、戻る」——

クロハとの別れの時が、迫る。

俺は——告白する。


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