第1話 死んだ。……と、思った
過去に作ったお話を長編にしたものです。よろしくお願いします。
死んだ。
……と、思った。
俺――鈴木誠一、三十四歳、独身。
入社十二年目、営業部主任。
月の残業時間は平均百二十時間。休日出勤は当たり前。
最後に有給休暇を取ったのは、三年前の親族の葬式だった。
そんな俺が、ある日の深夜二時、会社のデスクで倒れた。
胸が締め付けられるような痛み。息ができない。視界が暗くなる。
ああ、これが過労死か。
ニュースで見たことはあったが、まさか自分がなるとは。
意識が遠のく中、俺は妙に冷静だった。
――走馬灯というやつだろうか。
薄れていく意識の中で、何かが見えた。
深夜のオフィス。誰もいない。いつもの光景。
でも、何か違う。
デスクの上に、花が一輪。
誰かが置いた白い花。
俺の葬式用か。笑えない冗談だ。
次の瞬間、視界が歪んだ。
懐かしい風景が浮かんでは消える。
実家の庭。母の笑顔。父の背中。
学生時代の教室。同期の顔。上司の怒声。
終電の車内。コンビニの弁当。カップ麺の湯気。
そして――
銀色の光。
紫色の瞳。
誰かが、俺を見つめている。
誰だ。お前は誰だ。
……綺麗だ。
死ぬ直前に見る幻覚にしては、妙に鮮明で、妙に――美しかった。
遺書は書いていない。部屋は散らかったまま。冷蔵庫には賞味期限切れのカップ麺しかない。
……情けない人生だったな。
そう思った瞬間、目の前が真っ白になった。
---
気がつくと、真っ白な空間にいた。
何もない。天井も床も壁も、全てが白い。
そして、目の前に一人の少女が立っていた。
黒いローブを纏った、銀髪の美少女。
年齢は十代後半くらいに見える。肌は透けるように白く、瞳は深い紫色。
手には、身長よりも大きな鎌を持っている。
俺は呆然と、その姿を見つめた。
銀色の髪は腰まで届く長さで、まるで月光を織り込んだような輝きを放っている。
透き通るような白い肌は、陶器のように滑らかで。
紫色の瞳は神秘的で、吸い込まれそうなほど深い。
顔立ちは整っていて、人形のように完璧だ。
小さな鼻、薄い桜色の唇、長いまつ毛。
無表情だが、それがかえって人間離れした美しさを際立たせている。
そして――
ローブの下から覗く体つきは、華奢で繊細。
細い首筋、なめらかな鎖骨のライン。
ローブは体にぴったりしているわけではないが、歩くたびに、その下にある華奢な体のラインがほのかに見える。
細い腰、すらりと伸びた足。
そして、控えめながらも確かに存在する胸の膨らみ。
――って、俺は何を見てるんだ。
死んだ直後なのに、目の前の少女の体をまじまじと観察してしまった。
人間として終わってないか、俺。
「……え?」
俺は呆然と呟いた。
これは何だ。コスプレか。いや、ここはどこだ。
「鈴木誠一、三十四歳」
少女が、抑揚のない声で言った。
声は高くもなく低くもない、澄んだ声だ。
耳に心地よい響き。
「死因、過労による急性心不全。享年三十四歳。……ふむ」
彼女は手元の書類に目を落とし、眉をひそめた。
その仕草が、なんだか可愛らしく見えた。
――いや、死んだ直後なのに「可愛い」とか思ってる場合か。
「待て。これはおかしい」
「え、何が……」
「お前の寿命、まだ残っている」
「……は?」
少女は書類をペラペラとめくりながら、独り言のように続けた。
その横顔がまた美しくて、俺は思わず見とれてしまう。
長い睫毛が書類に影を落としている。
銀髪がサラサラと頬にかかっている。
時々、細い指で髪を耳にかける仕草をする。
――だから、見とれてる場合じゃないだろ。
「本来の寿命は八十二歳。誤差を考慮しても、あと四十八年は生きるはずだ。なぜここにいる?」
俺に聞かれても困る。
「えーと、過労死したから……?」
「待て」
少女は鎌を床に突き立て、書類を睨みつけた。
その目つきが鋭くて、背筋がぞくっとした。
美しいが、怖い。
「書類ミスだ。上の部署が寿命計算を間違えている。お前はまだ死ぬべきではない」
「……つまり?」
「追い返す」
「え?」
少女は鎌を振り上げ、俺を指差した。
その指は細くて白くて、まるで芸術作品のようだった。
――また見とれてる。俺、本当に大丈夫か。
「鈴木誠一。お前は生者の世界に戻れ。まだ早い」
「いや、ちょっと待って! 俺、心臓止まったんですけど!?」
「問題ない。お前の肉体はまだ蘇生可能な状態だ。今なら間に合う」
少女は書類を丸めてローブの中にしまい、俺に向き直った。
その時、ローブの裾がふわりと揺れて、白い足首がちらりと見えた。
細い足首。
華奢で、折れそうなほど繊細。
――だから、足首を見てる場合じゃないだろ。
「ただし、条件がある」
「条件?」
「お前の死因は過労だ。つまり、不健康な生活が原因。このまま戻しても、また同じことを繰り返すだろう」
少女は冷たい目で俺を見下ろした。
身長差があるはずなのに、なぜか見下ろされている気がする。
……いや、実際に見下ろされている。俺、今、床に座り込んでいたらしい。
「よって、お前には監視役をつける」
「監視役?」
「私だ」
俺は絶句した。
「え、あなたが? 死神が?」
「そうだ。お前が健康的な生活を送るまで、私が監視する。もし不健康な生活を続けるなら……」
少女は鎌を軽く振った。
空気が切り裂かれる音がした。
ローブが風に煽られ、華奢な体のラインが一瞬だけ浮かび上がった。
細い腰。
すらりとした足。
そして、控えめな胸の膨らみ。
――俺は死神に殺されるより先に、煩悩で死ぬかもしれない。
「その時は、正式に迎えに来る」
俺は生唾を飲み込んだ。
ふと、疑問が浮かんだ。
「……待ってくれ。なんで死神がわざわざ俺を生き返らせて、監視までするんだ? 書類ミスなら、そのまま回収すればいいんじゃないのか?」
少女は一瞬、黙った。
そして、少し恥ずかしそうに目を逸らした。
その仕草が――
可愛い。
無表情だった顔に、ほんの少しだけ感情が浮かんでいる。
頬がうっすらと赤くなっている。
耳も、少しピンク色になっている。
――死神って、照れるんだな。
「……魂には、価値がある」
「価値?」
「長く生きて、色々な経験を積んだ魂ほど、価値が高い。喜びも、悲しみも、苦労も、幸福も。全ての経験が、魂を豊かにする」
少女は俺を見つめた。
紫色の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えている。
その視線に、思わず心臓が跳ねた。
「お前はまだ三十四歳だ。仕事ばかりで、人生を楽しむ余裕もなかった。そんな薄っぺらい魂を回収しても、つまらない」
「……つまらないって」
「健康的に生きて、色々な経験をして、豊かな魂になってから来い。そうすれば、回収しがいがある」
「……なんか、すごく自分勝手な理由だな」
「死神の仕事には、やりがいが必要だ」
少女は真面目な顔で言った。
「お前を長生きさせて、良い魂に育てる。それが私の任務だ」
「……俺は養殖魚か何かか?」
「似たようなものだ」
……なんだか釈然としないが、とにかく生き返れるらしい。
それなら、文句を言う筋合いはない。
「……選択肢は?」
「ない」
視界が再び白く染まった。
---
【次回予告】
目覚めた俺の前に、銀髪の死神が立っていた。
「予定通り、お前に戻ってきた。これから私が監視する」
美少女死神との同居生活が、始まる——
【作者からのお願い】
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