9はじまり
「次、春野菜定食三つ。ご飯おかわり二つとお味噌汁四つです」
「はいよ!佑、おかわりは私が出すヨ!新規の先に作ってネ!」
「ハイ」
環さんとシャオメイはスーツのジャケットを脱いで、シャツの上にエプロンを着て、頭には三角巾をつけて完璧に看板娘姿だ。
俺も上はワイシャツ、下は動きやすいスラックスで腰から下に履くロングエプロンを巻いていた。
こう言う制服は白いと漂白できるがらだんだん色褪せるのが嫌で黒にしてる。まぁ、意外に値が張るからじいちゃんのお下がりなんだが。
シャオメイは小皿に惣菜を補充したり、ご飯と味噌汁のおかわりやお冷やを用意したり、お茶を入れたりしてくれる。全体をよく見てくれてるから指揮官そのものだな。
……正直、二人が居てくれて助かった。
約束の朝飯は軽くでいいと言われ、おにぎりをすでに食べた。でもそれだけじゃあんまりだし、二人に用意した味見セット……全部の惣菜を少しずつ食べられるように避けておいたんだ。
プラス料金で食べれる惣菜のほとんどがすでに売り切れてる。初めにとっておいて良かったよ。こんなに忙しいのは初めてだった。
原因はわかってる。店内を見渡すと、スーツ姿の頭の毛がカラフルなお客さんばかり。そう、獄卒が大量に来店したのでこんななんだ。
普段来てた常連さんを優先して環さんが通してくれたからいいものの、これは微妙な所だ。毎日来てくれたお客さんが食いっぱぐれるのは良くない。
しかも、どうしてこんなにたくさん来たのかは何となくわかるぞ。軽快に店内を動き回る環さんを、男どもは夢中で見つめている。
それからシャオメイは……おそらくわざわざ集客してくれたんだろう。来店する人の中に知り合いがいて『来たよ』と声をかける人がかなり居た。
俺は、二人に助けられっぱなしだ。どうやって恩返しすればいいのか悩みつつ、春野菜の味噌肉炒めを仕上げて皿に盛る。
……これでもらってきた野菜は全て使い切ってしまった。味噌汁より先に出していたコンソメスープは早々になくなって、豆腐屋さんに材料を届けてもらっちまったからな。初日の準備が足りていなかったんだ。まだまだ力不足の初心者だな、俺は。
「そんな顔するのは良くないアル。営業スマイル忘れちゃだめヨ」
「はぁ……そうだな」
シャオメイに皿を手渡し、脇腹を突かれる。彼女の足元にはビール瓶のケースが置いてあって、その上を歩いているから……余計に申し訳ない気持ちになった。キッチンの高さが背丈が合ってないから疲れちまうだろう。
この子もまた、環さんと同じく半休で手伝ってくれている。この後二人とも仕事があるのに……。
「シャオメイ……ごめんな、お前までタダ働きさせて」
「んふ、佑に恩を売るのはいいことネ!環!最後のお客さんのセットできたヨ!」
「はい」
忙しなく動いているからか、やや頰が紅潮した環さんがトレーを受け取る。一瞬俺と目が合って、ふんわりと眦が下がり笑顔が浮かぶ。
彼女が動くことによって生まれた風が頬を撫でて、俺もつられて口端が上がる。
「よし!じゃあ皿洗いやって、あとは片付けだけだ」
「おう!お疲れ様ネ。明日からは遠出しなくて済むヨ」
「あぁ……ありがとう、シャオメイ」
「ウン!」
シャオメイの満面の笑顔を受け取り、俺はたまりに溜まった皿たちの山に手を突っ込んだ。
━━━━━━
最後のお客さんを見送り、営業終了のため店先の暖簾をしまう。環さんの目線を感じつつ、ドアにしっかり鍵をかけた。まだ昼時を過ぎたばかりだというのに閉店になっちまったな。
「さて、とりあえず飯にしようか。腹減っただろ」
「完売御礼は気分がいいアル!ご飯食べてすぐ仕事行くから、白飯山盛りがいいナ」
「はいよ。環さんは?」
「私も多めで……」
「山盛りな、了解」
カウンターに座った二人に温かいほうじ茶と、最初に二人分取っておいたおかずのトレーを置く。コンソメスープをチンしてトレーの脇に置き、茶碗に白飯を持って差し出した。
「さぁ、腹一杯召し上がれ」
「「いただきます」」
「白飯はまだあるから遠慮なくおかわりしてくれ」
「ここの白飯は侮れないアル。おかわりせざるを得ないネ」
「そうですね。……それにしてもおかずが沢山ありますね。これは何と言う野菜ですか?先端がつぶつぶしてますが……緑の太い茎に見えます」
「それはザーサイの花芽を茹でたやつだ。タレは辛子酢味噌、ハニーマスタードマヨ、鰹節醤油があるから好きに食べてくれ。天ぷらも同じ物をつければいい。塩もあるぞ」
「うんまっ!本当にアスパラみたいだネ!甘いし歯ごたえがぽりぽりしてる。青菜の茎に似てるけどそれより柔らかいかナ」
「ぽりぽり、しゃくしゃく……甘いですね、緑なのに」
「そりゃそーヨ、摘みたてで茹でないと長くなるけどネ。花を咲かせるために養分が詰まってるから甘いヨ。
こっちは大根の葉っぱに鰹節と胡麻……これ、ふりかけアル?」
「そそ。茹でて炒めるんだ。ごま油が効いてるだろ?」
「シャキシャキしてて旨みがすごいです。米泥棒ですね」
「コメに合う食い物だナ、……これは何アル?天ぷらなのはわかるけど食材が……」
「流石のシャオメイもにんじんの葉っぱは知らんか?天ぷらにしただけだが、珍しいものばかりだぞ。人参の実と葉っぱのかき揚げ、いちじくの葉っぱとランダムで山菜が入るんだ」
「もしかして、この網みたいな緑がにんじんの葉っぱなのカ!?」
「そうだよ。あんまりデカくなると硬いが、揚げちまえばサクサクして軽い食感になる。匂いも味もシソ方面の独特な清涼感があるんだ」
「というか、いちじくの葉って食べれるんですね」
「シャオメイは知ってるヨ、漢方でよく使われるカラ。揚げるとカリカリしてるノ」
「しゃくしゃく、カリカリ……本当ですね。サラダに入っているクルクルしたのは何ですか?」
「スナップエンドウの新芽!ワタシ大好きアル……♡」
「これも新芽……新芽は春の食べ物なんですね」
「春というよりは旬野菜の成長中に出る産物だ。新芽が出過ぎると養分が足りなくて身があまりならなくなるから、必要以外のものはこうして摘み取る。
クルクルはスナップエンドウみたいに甘くて美味いぞ。フレンチ料理でも可愛い形してるからよく使われる」
「高級食材アル」
「だからシャオメイは好きなんですか?いや、でもこれはまた美味しいです。わずかな苦味も粉チーズがよく合いますね、芽がこんなに美味しいなんて……」
「新芽はトマト、きゅうりのも入ってるぞ。スナップエンドウは生でいけるが、トマトときゅうりは茹でてあく抜きしてるんだ。苦味が強いからシーザードレッシングがよく合うだろ」
「んまいナ〜!待って、この漬物ナニ?丸いけど何かの実?こんなのあったカ?」
「それはプチトマトとメロンとスイカの摘果だ。他の実を育てるために、さっきの新芽と同じく青い内に採っちまうんだよ。たまり醤油漬けにしてある」
「塾してないのに美味しいノ?」
「あぁ、皮ごといけるから歯ごたえがいい。酢と唐辛子も入ってるから、しょっぱい・酸っぱい・辛い・甘いって感じかな」
「パリポリ……これ、和風ピクルスみたいな味ですね。中からジュワッと染み出してくるのがいいです」
「あぁ、ピクルスにしてもいいが摘果は青臭いから。醤油の方が合うんだ」
「アッ、環!これ私が採ったサワワサビ!」
「サワ……ワサビ???茎と葉っぱに見えますが」
「わさびは柔らかい土でしか根っこが太くならないノ!それでね、山の中に水が湧いてて……」
説明役をシャオメイが代わってくれて、二人がニコニコしながらご飯を食べている。お代わりをよそったり、洗い物をしながら会話を聞いていると俺も満足感が湧き上がってくる。
やがて食事を終えて、超VIPなお客様たちは満足そうにため息を落とした。
「腹一杯になったか?」
「ウン!ごちそーさま!珍しいものばかりで反応に忙しかったアル。でもんまかった!」
「私はほとんど知らないものばかりでした……大変おいしかったです。ごちそうさまでした」
「ん、本日はお手伝いありがとうございました。それでさ、今日イノシシ肉が夜届くんだ。仕事帰りに寄ってくれんか」
「忘れてた!イノシシ!!」
「あぁ、シャオメイが電気警棒で倒したと言う……」
「そうそう。あっという間にのしてくれたからな、かっこよかったぜ」
「ふふん!夕ご飯も食べれるの楽しみだネ」
「私もご一緒していいんでしょうか?何も貢献してませんが」
「いいに決まってるだろ、配膳任せっきりだったし。本当はお給料渡したいけど、禁忌に触れるもんな」
「そうね、獄卒は公的機関以外から給与やお金を受け取れないアル」
「えぇ、と言うよりも要りません」
「ふふ、ワタシも。こんなに美味しくて楽しい食事が毎朝楽しめるなら、またタダ働きしてやっても良いナ」
「そうしましょうか」
洗った皿を布巾で磨き、食器棚に戻していく。俺は二人の話に眉を顰め、低い声でつぶやいた。
「ダメだ、もう手伝いはさせない」
「どうして?何かヘマしたアル?」
「…………」
二人は湯呑みを持ったまましょんぼり眉を下げた。環さんは早朝から手伝い始めて、1日分くらいは働いているんだ。いくら体力があって、強い獄卒でもこのあとは疲れが出るだろう。
少し大袈裟にもう一度ため息を落とし、手を止めて二人を順番に見つめた。
「あのな、仕事は仕事で生活のためにやらなきゃならないことだ。その上で、一番大切なのが休みだろ。
それを削ってまで俺の手伝いをしても、飯が食えるだけで疲れは癒えないぞ」
「あなたの定食は、それだけの価値があります」
「世の中回してる『獄卒さんのタダ働き』の価値はない。今日は一人で店を回せるか、本来は試さなきゃいけなかったんだ。俺は明日どうなるかわからんから、仕入れに悩んでる」
「あー、そうか。本来ワンオペ初めての日だったもんネ。明日もこんなに来るかわからないし、……ごめん、佑」
「謝って欲しいわけじゃないんだ。本当に助かったのは事実だし感謝してる。シャオメイが知り合いを呼んでくれたのは、仕入れの金を稼ぐためだったんだろ?」
「ウン……。明日は環がいないから、獄卒は減るかナ。知り合いもあまり来ないだろうし、通常運転になると思うけど、行列見てた人が興味持つかもだから多めにしておくべきかもネ」
「そうしよう。ご助言助かります」
「ウン」
ニコニコしてるシャオメイを眺め、まだ不満そうな環さんはやや頰が膨らんだ。もしかして拗ねてるのか……?
「またお手伝いするのは、落ち着いてからならいいのでしょう。断られる理由が明確になっていません」
「ええぇ……。……えーと、お前さんたちをタダ働きさせた後悔で心を病んで、働けなくなるかもしれんぞ?」
「やや苦しいアルナ」
「はい、同感です」
「ぐっ……とにかく!二人は今日のお手伝いが最後だ。これは俺も譲らん。
午後の仕事で荒事があって……疲れさせたせいで怪我なんかしたらどうする」
「例えそうなったとして、あなたは心の病とは対極にいらっしゃいます」
「まぁ、確かにメンタルは強い方だ」
「はい」
環さんの目線が緩まず、俺は仕方なく弱音を吐き出すことにした。カッコ悪いが仕方ない。
「今日は……すごく楽しかった。二人は何も言わなくても阿吽の呼吸になってくれてさ。
でも、俺は明日から一人だぞ?仕事中寂しくなっちまうだろ。…………だからダメなの。わかってくれよ」
「「…………」」
ぬるい気温と柔らかい午後の光に包まれた店内は、優しい沈黙が満ちる。
俺が甘ったれたことを言って、休み返上をまた計画していた二人は、ほのかに笑みを浮かべた。ようやくタダ働き希望を引っ込めてくれたようだ。
忙しくてハイテンションになってたのもあるが、二人が生き生きと動いているのが一番心に残った。あんな風に一緒に働いてくれる人がいたら、毎日が楽しいだろうな。
それを知ってしまったら一人でやるのはかなり寂しいぞ。明日を想像してしんみりしてしまう。
洗い物が一段落して、俺はもう一つとっておいた摘果の漬物と大根葉のふりかけを出し、トレーに乗せる。小さな雪平鍋に水を入れ、白飯を少々足し火にかけた。後で少しコンソメを入れる予定だ。
「佑……おかずそれだけなノ?分ければ良かったのに!」
「いや、これは最後のお客さんの分だ。そろそろ来ると思うんだけど」
「……え?」
環さんとシャオメイが揃って首を傾げると、ドアがノックされる。環さんが俺を目線で抑えて鍵を開けると……白髪を頭のてっぺんでお団子にした、腰の曲がったばあちゃんが現れた。
「いらっしゃい」
「うん」
「ごめんな、いつもより待たせちまって」
「うん」
「今日の新聞は席に置いてあるからな」
「うん」
ばあちゃんは杖をつきながら歩き、タンスに入れる虫除け剤の匂いを漂わせている。ゆっくり奥の席に座り……新聞を広げた。
しわしわの左手にタバコをつかみ、震える手で火をつけて煙を吐きだす。
「………ただならぬ雰囲気の方ですね」
「知り合いカ?」
「そんなもんだな。いつもおかゆと漬物だけ食べに来る。休む前に何食か届けておいたから、来店自体は久しぶりなんだ」
「「えっ??」」
「じいちゃんの忘形見ってやつなんじゃないか。ばあちゃんについては何も聞いてないが、俺はこの店を継いだから面倒見るって決めてるんだ」
「「…………」」
鍋が沸き、そこへコンソメスープを注ぐ。ひとつまみの塩と少しだけ胡椒とチーズを入れて、お椀にたっぷり注ぐ。
お粥を冷ましている間にふりかけを細かく刻み、漬物も硬い部分を取り除いて賽の目に刻んだ。
トレーを持った俺が近づくと、新聞を畳んだばあちゃんは背筋を正して手を合わせた。
「お待たせ。熱いからゆっくりな」
「うん」
「少し前に咳してたけど、大丈夫だったか?」
「うん……ふぅ、ふぅ……」
「ん、そりゃよかった。後ではちみつで漬けた大根届けるから。あれは喉に効くだろ?」
「うん」
お粥を冷ましてゆっくりと口に入れ、うんうん、と頷いたばあちゃん。俺は白湯を入れたコップをテーブルに置いて、新聞紙を片付ける。
俺はキッチンに戻り、メモを片手に明日の献立を考え始めた。目の前の二人は優しい眼差しでばあちゃんを見ている。
「新聞を続けると仰ったのはあの方のためでしたか」
「あぁ、すぐそばに住んでるんだが、飯を作るのは足が悪いから難しい。
本当は三食出してやりたいけど、『構いすぎるな』と本人に言われてるらしくてな。いつも店に人がいなくなってから来てくれるんだ」
「佑の個人的な知り合いってわけじゃ、なさそうアルね」
「そうだな、常連さんだ。静かに新聞を読んで、飯を食って帰っていく。
来ない日があると心配になるけど、来ればホッとする」
「……そうですか」
「うん、これでやっと本当に〝俺の店〟になったんだなって実感したぜ。ばあちゃんのためにも頑張らんとな」
「相変わらずお人好しアルねぇ」
「そうですね」
2人に呟かれて、俺は苦笑いするしかない。こう言うのが性分だからさ。何を言われても変わらないんだ。
あのばあちゃんも、地獄にいるんだから罪人の一人だ。あの足で働くのは厳しいけれど、自宅で内職を細々とやっている。成仏には時間がかかるから長い付き合いになるだろう。
内情も知らない、素性も知らない人だが……俺は、あの人が静かに飯を食う時間があると落ち着くんだ。
「ワタシ、元気出た。やる気も出たアル」
「私もです」
「何でだよ」
ふ、と笑った二人はビジネス鞄を引っ提げて『また夜に』と店を出ていく。
俺はばあちゃんが食事をとる音をBGMに、メモ帳と睨めっこすることにした。




