14天下人の願い
「では、まずこちらをお納めくだされ。レジのお金と、飲食代、それから……これは気持ち故、黙って受け取ってくれ」
「ありがとう。なんか悪いな、こんなにもらっちまっていいのか?」
「何ともまぁ……ワシは礼を言われる立場ではありますまい。妻はあなたの稼ぎを奪ったのですよ。
人がいいと聞いておりましたが、ここまでとは」
呆れたように笑う秀吉さんは、強盗さん……改め奥さんになった彼女と目を合わせる。
こないだ見た時よりも、髪の毛の金色は鮮やかでとっても綺麗だ。心なしか目の色もそう見える。ほおはふっくらして血色もいいし、見つめ合う2人の間には温かいものがあるように思う。
彼女は徐に席を立ち、地面に膝をつこうとする。慌てて腕を掴んで阻止した。
「俺は、人の土下座を喜んで見る趣味はないぞ」
「でも、私がお店のお金を盗んだのは確かです。事情があったとしても本来怨獄行きは免れませんでした。
あなたの温情のおかげで、こうして旦那様に拾っていただいたのです。元旦那から逃げおおせました」
怨獄……というのは地獄でも罪を犯した人が行く牢獄だ。罪に罪を重ねていることになるから、本来の地獄の罰を何年か受けるらしいと聞いた。釜茹でとか火の上歩いたりとかするらしい。……ゾッとするんだが。そんなところに行かせなくてよかった。
しかも、やっぱDV旦那から逃げてるところだったんだな。通報していたらその人に見つかって連れ戻されていた可能性がある。今回の俺の判断は間違ってなかったようだ。
「店をやっていればこう言うことも起きる。先代が居た時もそうだったし、本当に支払いを忘れる人だっているんだ。
『いつか払いに来てくれる』って信じている自分が好きだから、そうした。自己中なんだよ俺は」
「そんなことを言われると立つ瀬がなくなってしまいますぞ」
「ふふ、それは俺の知らんことだ。いいことに結びついた、現実がありさえすれば俺は満足だよ」
「罪人をそんな簡単に許してしまうのですか?私は、子供を抱くこの手で……」
「ん?何だその罪人って。よくわからんけど、お前さんには関係ない」
「…………」
「うっかりなんてよくある事だ。思い出してもらえて助かったよ。この話はこれで終わり。蒸し返したら怒るぞ」
「……はい」
『強盗さん』の称号をなくした彼女は呆然とした顔で席につく。その様子を見守り、秀吉さんが真剣な表情になった。
おー……すごいな、歴戦の武士は身にまとう気迫が違う。背中に背負った何かが見えるような気がするぞ。ゴゴゴ……的な奴だ。
「土井殿。あなたは一体、どういうおつもりで妻にこのような情けをくださったのか……お聞きしてもよろしいか」
「別に情けをかけたつもりはない。ただ、様子を見たいと思っただけだ。自分のためにね」
「しかし、どう考えても納得できぬ。妻が捕縛されなかったのはワシにとってはいい事です。
あなたが妻目的ならば逆に納得できた。しかしこの店は床も、壁も、台所も調理器具も丁寧に掃除されている。
このような店の店主はいい加減な仕事をしませんから、先刻の話は嘘ではないでしょうな」
「あー……、奥さん目的ではないとだけ言っておくよ。店は、ただの綺麗好きだ」
「はぁ……そうですか。ならば改めて教えていただきたい。何故自分の大切なものを害されて、それを訴え出なかったのですか?たった1日分の売り上げとは言えぬ金額でしたぞ、大借金持ちのあなたからすれば」
「うーん……うーん……理由は特にないんだけど」
「ぬ……では、他の質問を一つ。ワシはこれをあなたにずっと聞きたかったのです。
地獄に来て、善行を成したはずが多額の借金を負わされておりますな。……何故納得できたのですか」
「あぁ、そりゃ納得するだけの理由があったからだ」
俺の一言にびっくりしたのは環さんを除いた全員だった。環さんは長い時間をかけて俺と一緒に話をして、一緒に考えてくれた。だから、俺はこうして前を向けたんだ。
「善行ってのは、誰がそう決めると思う?俺は生きてる中で、いい事をしていた自覚がある。
もしかしたら自分の中で『やってやった』と言う気持ちがあったのかもしれない。地獄に来てからそう思うようになったよ、そうとも限らないのにな」
「……いや、しかし。事実として助かった者がいるでしょう」
「佑は他人を助けた代わりに自分の利益を求めてないアル。そんな言い方しなくても、」
「シャオメイ、心配しなくていい。ヤケになったわけじゃないから。
助けるって言うのは本当の意味で〝正しいか、正しくないか〟なんて助けられた人の事をその後どこまで見られるかだ。
手を差し伸べた後まで考えられないなら、そうするべきじゃない時もある」
「……うむ、ううむ……」
「…………ウン」
気色ばんだ秀吉さんとシャオメイは、しょんぼりしちまったな。でも……嘘を言っても仕方ないし。秀吉さんにも当てはまる事はあるだろう。
何かの糧になれるなら、嬉しいことだ。
「例えば、俺は電車に轢かれて死んじまっただろ?確かに女の子は助かったが、結果だけ見たら電車に轢かれてしまうのが俺か彼女かの違いだったな」
「……そうネ」
「ほいでさ、俺は何にも考えないで彼女を引っ張って生き残らせた。だが、代わりに俺が死んじまったんだ。
それって……その後の人生において、俺が彼女を支配しねない。よくない事態だ」
「支配?……どのような?」
「俺が彼女の立場なら、こう考える。『自分のせいでこの人が死んだ』『俺が殺したんだ』と。
きっと人生をゆく先で幸せが訪れるたびにその考えが浮かぶだろう。
あの人が得られるはずだったものを、自分が奪ったんじゃないか。なのに幸せになる権利があるのだろうかと」
「………………」
「例えば俺が結婚してたとする。奥さんがいて、子供がいる仮定だ。
他人を助けて死んだ後、夫であり父親であった俺はもう、家族を守ってやることはできない。実際はいないけどな。
家族は居たよ……両親も、妹も俺が死んで悲しんだだろう。
『土井佑が人を助けて死んだ』って事実は結果だけ見たら残酷な未来を作っちまう」
「でも、でも!!じゃあ、どうすれば良かったの?佑が助けて、生き残った人がどう思ったって『助けた事』は変わらないでしょ?そんな考え方はおかしいアル」
「おかしくはないさ。悲しみを生んだのは確かだ。怪我するくらいで済み、助かった子にお礼を言われて。身の回りの人たちに『無茶なことして!』って怒られるのが一番最善だった。だが、そううまくは行かなかったな。――地獄で借金を負ったのは、俺のせいだ」
「……そんな……だって……」
泣きそうな顔になったシャオメイの頭を撫でて、俺が死んで泣いてくれただろう人たちのことを思う。
俺は……借金を背負ったことに対しても、死んだことに対しても納得している。そんな顔すんな。
「俺がやった事は、色んな人の心を通って色んな色がつけられるだろうな。それは綺麗な色じゃないかもしれない。
その色は家族や大切な人、助けた相手も傷つけるかもしれない」
「その後の事は、考えないのではないのですか?妻の事のように」
「この場合は別だろ?まだ結論は出てないけどさ。
でも……俺は、真っ白な気持ちでただ助けたかった。あの日あの時に戻れたとしても全く同じことする。
何度でもきっとそうするだろう。何色にも染まっていない、俺だけの心の色が体を動かしたんだ」
「…………」
「奥さんが俺の店から何をどうしたって、他の人が何をしたって俺自身は何も変わらない。揺らがない。
やられた本人がそう思うなら罪人は罪人にならずやり直すチャンスが生まれるかもしれない」
「…………地獄にいるのは、全て罪人ですぞ」
「そうだな。俺も罪人だし、秀吉さんもそうだ。
あんたがどんな気持ちで世の中を治めたかなんて誰にもわからん。後世では色んな語り種にされてる」
ハッとした彼は目線を逸さぬまま頷き、口をつぐんだ。彼は何かを俺から貰いたくて聞いたんだろう。
俺が借金ランキング一位っての、実は知ってるんだ。秀吉さんはもう五百年前くらいに亡くなってるはずで、彼の名前はランキングにない。
成仏のその先にある『無』を目指しながら、こうして奥さんを迎えた。何かを迷っているのかもしれないな。
「俺は歴史に関して深い知識はない。学校では習うが、そこまで興味はなかったよ。
だが、秀吉さんが海外にまで戦を仕掛けたのは日本の尊厳を守るためだったし、負け戦だけだったとは思わない。今日本があるのはそう言うものの積み重ねだろ」
「…………は、」
「刀を振う武士なのに、情け深く愛嬌がある。そうやって、今の奥さんを迎えたように女性を守っちゃうような人なんじゃなかったのかな、と思うよ。
女性好きもあるだろうけどな。歴史の人物を悪様に言ったって、自分のためにはならないだろ。俺はあなたが守った日本が好きだから」
肩を震わせた秀吉さんは数回頷き、顔を伏せた。彼の真意や、やろうとしていた事、やった事、全部がいい事だったとは思わないよ。
それでも……国をどうにかしようなんて、利己的なだけの人なら手出ししないだろ。
心のどこかに『誰かを守りたい』って気持ちは確かにあったはずだ、と俺は勝手に思っている。
誰かを殺し、害し、騙したこともあるだろうな。だからここ……地獄にいる。
でも、それを責められる人なんていやしないんだよ。
「ワシは、無の境地を目指していました。じゃが、手癖の悪い猿じゃからのう……美人を見て、囲わずには居られませなんだ。
土井殿、ワシはここで長生きするのではなく次の百年目までに成仏を決めようと思っております」
「そうか……奥さんもその頃にはきっと成仏できそうだな」
「はい。そこで、お願いがあります。そのためにその封筒に含みを持たせました」
「おっふ……罠だったのか。このオマケは」
してやられた……。秀吉さんはこんな感じの人なんだな。自分の目的は達する強欲さと、それを知っても恨めない茶目っ気がある。
仕方ない、受け取っちまったから聞いてやろう。
「何が願いだ?俺には飯しか作れんぞ」
「はい。ワシはこの地獄で五百年生きた。死んでいても、生きたのです。
その……証が欲しい。現代の人がワシの人生を思う飯を作っていただきたい」
ぺこり、と頭を下げられて俺は眉間を摘む。なるほど、飯なら作れるけどさ。それってなかなか難しい依頼だな。
……まぁ、やってみるか。
「いいよ、わかった。ただし、時間はくれ。一週間後の夕飯時にまた来てくれるか?」
「……ありがとう存じます。楽しみに待ちましょう」
彼は奥さんと手を取り合って微笑み、もう一度ぺこりと頭を下げる。
俺はなんとも言えない気持ちで頷いた。




