12 食い逃げ強盗
「つまり……」
シャオメイと環さんは二人で手を取り合い、ゴクリと生唾を飲み込む。
「人の魂ってのは、輪廻転生を繰り返すうちに洗練されて、その末に〝無〟になるってのがお決まりだと」
「そうです!」
「やっとわかってくれたアル!」
二人はほっとして椅子に座り、立ったまま長い説明を聞いていた俺はズキズキする額を抑えた。
現世でも聞かなかった、坊さんがするような説法を地獄で聞くとはな……まさかそれが事実とは知らなかったし、知りたくなかった。
「現世でも仏教ではそう教えていて〝無〟は消えると言うよりも、相対的に全てのものになるって感じなのか」
「そうそう!そう言う事ネ」
「……最悪だ。俺は現実を受け止められない。悲喜交々の生き死にを繰り返して、その先が『無』ってなんだよ。舐めてんのか」
「私も正直、同感です」
「そうよネ、アホくさいアル」
絶望とはこのことだ。この世の命の全ては……生死を繰り返すことが修行で、その最果てが無になるってのが最終目的らしい。
現実がそうだとして、俺がそこに辿り着くまでにあと何百回何千回と輪廻転生し、その先が自分じゃなくなるって何なんだよ。
これが哲学思想だとしても、こうして聞いてしまった以上がっかり感は否めない。修行が足りれば納得できる結末なのだろうか。
詳しく言えば、ただ存在がなくなる、魂がなくなるわけじゃなく、無我の境地と言うらしい。
一切の苦しみや悲しみから解き放たれるが、逆に喜びや幸せとも距離を置くという事だ。
地獄に来てから三代欲求の一つである食欲を商売にしているというのに、それがなくなるのが命の行き着く先なのかと思うと微妙な気持ちになる。
苦しみや悲しみがあるから、幸せと感じられるって言うだろ。
全部がなくなったら味気ない気がするし、喜びまで感じなくなるんじゃないのか?自分が自分で無くなるのは嫌だ。今すぐそうならないとしても、俺はその教えには抗いたいと思ってしまう。
「ま、ワタシだってそこに行き着くのは無理アル。嫌だと思ううちはそうなれないしネ。
ただ、成仏して輪廻転生を断り続けている傑物も地獄にはたくさんいる。歴史上の人物を見かけたことあるでしョ?」
「成仏を断り続け、『無我に達する』と言うのが最終到着地点。現在の贖罪中にそこへ辿り着くのを目標とする人達がいます」
「環さんやシャオメイの上司とか、地獄管理庁の人たちってことか?」
「ううん、それとは別ヨ、500年成仏を断り続けると獄卒としてじゃなくて独立するアル。
それ以上の年数をここで過ごす人は地獄からの仕事を『依頼』として受けて、『報酬』としてお金を受け取って生活しているネ」
「ふむ。とにかくシャオメイは成仏を断っても、何か不利益があるわけじゃないってことだよな」
「そうネ、独立への一歩を踏み出しているとも言えるアル。地獄は思っているほど地獄じゃないでショ。……佑に限ってはそうも言えないけど」
「そうだな、俺は返済額が多いもんな。獄卒になれもせず、多額の借金で善行は覆されて贖罪を強要されてるわけだし。今まで生きてきた時間を全否定されて、流石にヘコんでた時期もあった」
「「…………」」
環さんもシャオメイもしょんぼりしてしまったが、地獄の仕組みを知ってしまった今、俺もダメージがでかい。当分先の話とはいえ『ご褒美』が『無』ってなんだ?舐めてんのか?謹んでお断り申し上げたい。
だが、まぁそういう理由でシャオメイが成仏したくないなら、仕方ないのかもしれん。この件については口出しをやめたほうがよさそうだ。
「それでね、あのー……佑に言っておかなきゃいけない事があるんだけど。成仏通知書を受け取った人は、地獄内の新聞で告知されるアル」
「ほう?そういえば見たことあるな。お悔やみじゃなくて『寿ぎ欄』ってやつだろ?」
「それそれ。誰が成仏したか、断ったか……獄卒の場合『誰が成仏を願い、その相手がなぜ断ったのか』まだ記載されるノ」
「それが、何か問題なのか?俺は結構な有名人なはずだろ。今更……」
「ワタシは腐っても獄卒アル。獄卒は、生前の罪を犯した分を帳消しになるくらいの悲惨な目にあって、死んだ」
「……」
「ワタシたち獄卒は記憶を持ったまま、好条件で生まれ変われる。でもこの仕事をしている以上、人様から『成仏してほしい』なんて純粋な気持ちを受け取ることは、まずないアル」
「えぇ、普通一人では足りません」
「そう……ワタシと環はたった一人の願いでは成仏できる過去を持ってないアル。死に方が酷いランキングNo.1、2だから」
「そ、そうなのか??」
「はい、だから私が土井さんの担当なんですよ。これは能力値でもあります。死に方がひどかったものほど有能になりますし、力が強いので担当する罪人の借金額も大きくなります」
「…………マジか」
「予測では、ワタシは百人前後に願われなければ成仏出来ないはずだった。それが、たった一人……土井佑が願っただけで叶えてしまったアル」
「獄卒の中には私達のような事情を抱えている者は多数います。そして、皆成仏を望んでいる。
今回の事で、あなたに『成仏を願われたい』と言う人が増えるでしょう」
三人分の沈黙が帷を下ろし、換気扇の回る音がやけに大きく聞こえる。
俺の目の前には、寸胴に入った猪肉カレーが湯気を立てていた。
「色々突っ込みたいが、とりあえず聞こう。明日のランチ、これで足りると思うか?」
「足りないアル」
「私もそう思います」
「わーお……」
絶望に打ちひしがれる俺を見て、二人は同情の眼差しをよこした。
━━━━━━
「死ぬかと思った」
俺は独り言を呟いて、震える足を叱咤して暖簾をおろし、ドアの鍵を閉めた。
昨晩環さんとシャオメイが危惧した通りカレーは瞬く間に売り切れた。夜鍋して作った普通のカレーも寸胴ひとつあったのに。またうちの飯を食べれない人が出てしまった……。
混雑対策として、事前に『一気に押し寄せるな、ピーク時間を避けろ、行列禁止』と地獄管理庁から通達してもらったが、常連さんの来店が一区切りついたあとはもう……。
「思い出したくない、眩暈がする」
「……トントン」
「あっ、しまったぼーっとしてる場合じゃない!」
慌ててドアを開けると、いつも閉店後にやってくるばあちゃんではなく……年若い女性が立っている。スーツ姿の金髪碧眼お姉さんだ。
「あの、閉店後にすみません……カレーはまだありますか?」
「すまん、売り切れちまったんだ。明日またカレーが食えなかった人のために少し作る予定なんだが、まだ出来てなくてな」
「あぁ……そうですか。買い物帰りに寄ったのですが、どうにもいい匂いがしていてつい来てしまいました」
「そんなに腹減ってるのか?」
「私ではなく、この子が……」
女性のコートの中から赤ん坊が顔を覗かせる。……マジかよ。赤ちゃんも地獄に来るのか??
いや、そんな詮索は必要ない。
「おかゆくらいなら作れるよ、入って。寒いだろ?腹っ減らしは見逃せない」
「でも……」
「いいから。カレー粉はあるけど、今何ヶ月だ?もう食えるのか?」
女性はコクリ、と頷いて眉毛をしょんぼり垂らした。
「この子の分だけでも作っていただけますか?もう、自宅で作る離乳食を全然食べてくれなくて。私もどうしたらいいのかわからないんです」
「そうか、わかったよ。とりあえず入りな。あぁ、ばあちゃんも来たか。どうぞ」
「うん」
ばあちゃんはいつものように店内に入り、躊躇っていた女性もようやく決心したのか入店してくれた。
ドアを閉め、慌ててキッチンに入る。
「好きなとこ座って!卓に置いてあるのはあったかいほうじ茶だ。自由にどうぞ」
「ありがとうございます」
「ばぁちゃんごめんな、今から作るんだが待っててくれるか?」
「うん」
いつものように席に座ったばあちゃんは、女性が抱いた赤ちゃんを見ていつものタバコをポケットにしまいなおす。
俺は暖かい気持ちになって、それを眺めた。
赤ちゃんは確か十二ヶ月からカレーは食えるはずだがそうは見えないし、味を薄めに作らねばならない。いつも来てくれるばあちゃんもあんまり塩分を多く摂るのは良くないし、似たようなものでいいだろう。
お母さんには少し出汁を足してあげればいいかな。卵はアレルギーがわからんから避けておこう。
在庫の野菜たちを全部賽の目に切り、雪平鍋に湯を沸かして残りのご飯を同時に入れた。
鍋が沸き立つのを待つ間にばあちゃんとお母さん用にザーサイを冷蔵庫から取り出す。塩水に浸かった一株をギュッと絞って小皿に盛り、付け合わせはこれでいいだろう。
よし、湯が沸いた。ちょびっとだけ塩を入れ、カレー粉の赤い缶から小匙一杯け入れてかき混ぜる。
やがて柔らかめに炊き上がった分を味噌汁椀に取り分けた。
そこからさらに出汁の顆粒を入れて……よし、カレー雑炊の出来上がりだ。
トレーを二つ持ち、ばあちゃんに差し出す。
「お待たせ、熱いから気をつけてな」
「うん……ありゃあんたの子か?」
ばあちゃんが『うん』以外喋った!!??俺は驚きつつ『違うよ』と言って苦笑いのまま親子の待つ卓へトレーを置く。
「こんな感じでいいか?お母さんは足りなければ塩持ってくるから」
「ありがとうございます」
「赤ちゃんにはスプーンで潰してやってくれな、加減がわからんからさ」
「はい」
湯呑みが空になっているからそこへほうじ茶を注ぎ、カウンターに戻って遠くから二人を見つめる。
「あ……食べた」
女性がスプーンで雑炊を潰してから差し出したスプーンに齧り付き、頬を赤らめた子はもっとよこせ!と蠢いている。
とりあえずよかった……。ほっとして、俺はランチタイムの後片付けを始めた。
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「それで、レジの中身もやられたアルか」
「ハイ」
「おばあちゃんが先に退店されたんですね……」
「ハイ、そうみたいです」
「無銭飲食、レジ強盗……赤ん坊もトラップの可能性が高いアル」
「……そうかぁ」
時計の針が20時を差した頃、混雑具合を心配して環さんとシャオメイがやって来た。
そう……あの金髪碧眼お母さんはなんと強盗さんだったらしい。
いつもの癖でゴミ出しをして、店に戻ったらばあちゃんも親子もおらず……レジが開いていた。中身は空っぽ、飯も綺麗に食って行ったようだ。
ばあちゃんがテーブルにいつもの通り置いてった500円玉はそのままだったから、実質今日の売り上げは500円になった。
「警察には届けましたよね?」
「いや、えーと……」
「は?いやいや、指紋とか取らなきゃ!今から電話すればいいアル!」
「……しなきゃダメか?」
気色ばんだ二人は流石に怒りを露わにしている。そうだよな、普通は警察を呼んで、指紋を取ったりゲソ痕と呼ばれる足跡を取ったりするんだよな。
「土井さん、流石にこれは『いい人』の範疇を超えています。犯罪を野放しにしてはいけません」
「仕入れの金はあるとして、売り上げ丸ごとは見逃せないネ」
「うん……でも、気になることがあってさ」
俺は、金髪碧眼お母さんの顔を思い出す。やけに濃い化粧は、僅かに汗で浮いていた。その下から見えた青いあざ。それは、首筋にも手首にもあった。
それを二人に伝えると、二人とも眉を顰める。
「……DVアルか?いや、でも……」
「…………」
「少し、様子を見たい。確かに他の店でもそれをやられたら良くないとは思うんだ。地獄に来てまで人のお金を盗むのは、とても宜しくはない」
「でも、大事にしたくはないと」
「…………ごめんな、イライラさせて。お母さんが言ってた『赤ちゃんが何も食べてくれなくて、どうしたらいいかわからない』ってのは嘘じゃないと思うんだ。
雑炊を一生懸命食わせて、自分はご飯食べずに泣いてたんだよ」
口をつぐんでしまった二人の目を見て、俺自身も迷いを孕んだままため息を落とす。人がいるのに、店から離れた無防備な俺も悪かったんだ。犯罪を犯せる状況を作り上げてしまった。
俺の目をじっと見ていた環さんが最初に目を逸らし、シャオメイの肩を叩く。
「土井さんがそうおっしゃるのなら、秘密裏に捜査しましょう。知人を呼びます」
「でも……」
「シャオメイ、これは土井さんのためです。彼が言いたいのはこの状況を作ったのは自分であり、警戒を怠った自分にも責任がある。
犯罪を犯した人は何か事情があったから、大っぴらにはしたくないと」
「…………本気なの?犯罪は、犯す側が100%悪アルよ」
「うん……そうだな」
「ちゃんと調べなきゃ、また来るかもしれないアル」
「うん、それもわかってる。明日には注文した食券機が届くし、レジ金が盗まれるなんてことも無くなる。ばあちゃんが来てても、お店から離れないようにするから」
「…………」
「シャオメイ。大袈裟にしたら良くない評判が立ちます。それこそ犯罪者グループを招き寄せるでしょう。
土井さん、張り紙を一枚させていただけますか?」
「え?うん、いいけど」
環さんが取り出した紙に綺麗な文字で書かれたのは、この一文だった。
『カレー雑炊はいつでも用意してあります。忘れ物をされた方はご来店の際、お声がけください。待ってます』
「環さん……」
「犯罪者を、犯罪者と決めるのは警察と被害者だけです。土井さんがそうしたくないのでしたら、待ちましょう」
「ありがとう、環さん。すげー、嬉しい」
思わず手を握ると、彼女は『仕方ありませんよ、私はあなたの担当ですから』と呟き、微笑みをくれた。




