17.放課後の化学室
放課後の化学室は化学部の部室が化学実験室なので放課後の喧騒とは隔絶されている。俺はただ黄昏れるためだけに先生に許可をもらってこの部屋の中でただ座ってボーっとしていた。
なにもない、なんの動きもない平穏。学校で唯一心が安らぐ場所。
「先輩、ここにいたんですねっ」
平穏は跡形もなく崩れ去った。サイドテールの悪魔はずかずかと俺のパーソナルスペースに侵入してくる。
葉森蒼夏、俺の体内に何かしらの方法で盗聴器を埋め込めんだ奴。空気を読むような情緒などあるわけがなかった。
「隠れてたんだけどな……」
「盗聴器がありますから!」
あまりにもあっけからんと答えるので困惑の声すら出ない。なぜそれで胸を張れるのか、理解をしたら思考が取り込まれそうだ。
「前から思ってたけどどれぐらいの距離まで聞こえんだよ」
「学校の端から端ぐらいが限界ですけど……そんなこと知ってどうするんですか?」
「……盗聴器って何円するんだ」
「特注なので一つ40万円ぐらいですけど……」
「えっ、ひとつ? 複数あんの?」
「そうですけど?」
葉森はずっと不思議そうな顔をしているが理解不能な行為をしているのはそっちだ。何円かかってるんだよ、このストーキングのためだけに。
「人体に影響がないようにしているのでその点は大丈夫ですよ」
「俺の心の健康に多大なる悪影響を及ぼしてるんだけどな」
「うーん……じゃあ一つ減らしますか?」
「何個あるか言ってから提案しろよ」
そう言うと葉森は両手を出そうとしたので手で制する。5個以上は確定か。というか人体のどこにそんな埋め込めるスペースがあるのだろうか。
発信機でもなく盗聴器だぞ、サイズ的にそんな詰め込めるものじゃないだろ。
「どこに仕込んだかは気になるけどな」
「さっきから質問ばかりですね。少しは自分で考えてみるのもいいかもしれませんよ」
「喧嘩売ってる?」
「ひっ! う、売ってませぇん!」
ビビられてるけどこっちがそういう振る舞いするほうが自然なはずなんだが。
「い、言いますから……嫌いにならないでくださぁい……!」
「嫌いにはもうなってるよ。出来ることなら関わりたくないんだよ」
「じゃあなんで私と話してるんですか!」
「お前から来たんだろ、俺がたそがれてる時によぉ!」
もしかして記憶を都合のいいところだけ記憶を局所的に失える能力でも持ってる?
「うぅ……わかりました、教えますよ。両腕と両足の薬指、あとは両胸です」
「は? そんな小せぇの?」
「だから特注って言ったじゃないですか……」
「えっ、怖」
今まで散々埋め込んだと表現してきたが、内心では食べ物にでも混入させたものだと思っていた。
寝てる合間にでも手術されて入れられたのか。だとしてもいつ、どこでだよ。
「えー……本当に関わりたくない奴じゃんお前」
「酷い……あの日はあんなに優しかったのに……」
「いつのどの日だよ。面識ないだろ」
「あ、ありますよ! 思い出してください!」
そんな事言われても思い出せないものは思い出せない、こいつの顔をいくら見ても記憶にとっかかりがない。
ていうか照れんな、赤くなんな。そんなつもりで見つめてねぇんだよ。流れでなんとなくわかるだろ。
「……去年の6月か?」
「お、惜しいですね……8月です」
「じゃあ……21日?」
「24日ですぅ……」
「じゃあ知らないわ」
「えぇー!?」
その日ってたしかオープンキャンパスだったか。なら関係ないな、夏休みはほぼ毎日悠衣來の膝枕だけで終わったし。
改めて考えるとたしかに終わってるな俺たち兄妹。
「本当に覚えてないですか……その、駅で……」
「いや俺は家で……あぁ、いや違うその日はそうだ」
駅って言葉で思い出してきた。悠衣來と一緒にデート……出かけてた帰りになんかあった気がする。
「……なんか、迷子だったか?」
「……! そ、そうです!」
「完璧に思い出した。お前家出してたな」
「はい!」
いやそんな元気よく返事するような話題でもないんだけど。ずっと駅の前でオロオロしていた奴をとりあえずで一日家に泊めたぐらいの記憶しか残っていないが、そうかコイツがそうだったのか。
「……それだけだよな」
「そ、そんな言い方しないでください! 私にとっては超重要事項なんですよ!」
「俺にとっては取るに足らないことなんだよ。正直もうほとんどおぼろげな記憶だし」
「そんなぁ……あの時に先輩のこと、好きになったんですよ……?」
「見捨てりゃよかった」
「ヒドイ!」
盗聴器を埋め込んでくる奴でもない限りめったに言わねぇよこんな事。こんなこと、該当する方がおかしいんだから。
だが涙目で震えられるとさすがに哀れに見えてきた。
「……じゃあ盗聴器体ん中から出したら撤回してやるよ」
「えっ、本当ですか……」
「嘘つく理由があるか?」
本当に撤回するだけなのだが葉森はぱぁっと笑顔になった。こちらに非があるわけでもないが、こういう表情をされると罪悪感が湧いてくるな。
「でもごめんなさい、取り出す手術をすると命に関わるので……」
「え? ちょっと待って、一生取れないの?」
「胸のヤツが心臓とちょっと……」
「ちょっとって何」
「体の中にあるぶんには問題がないので大丈夫かなって」
「は?」
不思議なことにこの時湧き上がっていた感情に怒りはまったくなく、困惑一色だった。
次の更新まで少し空きます。




