12.休日の自宅
あの列車での気絶から一日。命からがら逃げてきたがあの時に列車が着くまでの間にずっと汗の匂いを嗅いでいたせいか、体がとても重くだるい。
一応朝食を食べこそしたがソファに寝っ転がるともう起き上がる気力はなかった。
「……」
安息の休日を無駄にしている気が……いや間違いなく無駄にしてる。このままじゃダメだ、外に出て何かをしなくては。
だけど立ち上がるのはだるいし玄関まで這って行こう。赤ちゃん以来の行動だが俺ならあの頃みたいに上手くできるはずだ。
とりあえず仰向けの体をうつ伏せにしないとな。全身をねじらせて……あぁ、それも怠い。
「……何してんだよ、お兄ちゃん」
「見たらわかるだろ悠衣來、外に行くんだよ」
「外でその醜態晒すつもり? 具合悪いんなら大人しく寝てろよ」
「……かわいい妹がそこまで言うなら仕方ねーな」
「……きっしょ」
今年で高校1年生になった妹はまだ1時だというのにアイスを食べながら登場してきた。ていうかアレいつも親父が買ってきてるやつだけど勝手に食べてよかったっけ。
「それ親父の……」
「は?」
「いや、だから親父の……」
「聞こえねー。てか誰のものだって別にいいでしょ」
ちなみにこの暴君っぷりは俺の背中をずっと見ていたからであって、けして思春期というわけではない。
それがむしろもっと深刻であることに俺はずっと目を逸らしてきた、これからもそうするけど。
「つーかお兄ちゃんの分も持ってきたのに、そんなんじゃ食えなさそーだな。これはもうオレ一人で食うしかねーなぁ」
「お腹壊すぞ」
「アイス2つ食った程度で壊れるほどやわじゃねー」
右手に持っているアイスをかじり始めた。いつの間にかさっきのアイスは棒だけになっている。
アイスが溶けるものとはいえいくら何でも異常なスピードだ。なんなら俺がそれを観察しているうちにもう一本も食べ終わった。
悠衣來は残った棒を遠くのゴミ箱に投げ入れるとソファに座る。そわそわと落ち着かない様子だったが話しかける気力はないので黙っていると、あちらから話しかけてきた。
「……ちょっと話したいことあるんだけど。今って話せる?」
「膝枕してくれたらマシになる気がする……」
「いつも思うけどマジでキモいよコレ……オレはいいけどさ」
悠衣來は膝をトントンと指で叩く。俺はその音に引き寄せられるように頭を膝の上に置いた。
休みの日はいつもしてもらっているが筆舌に尽くしがたい温かみ、人肌でしか感じられないこの温かみは何物にも代えがたい。
「高2にもなって妹にこんなことしてもらってんのお兄ちゃんぐらいだろうな」
「……じゃあこの事言ったらモテなくなるかな」
「それオレまで被害食らうだろ。絶対にやめろよ」
「だよなー、ごめんなーゆえらぁ……」
「あーマジでこんなめんどくせーキモ男がモテんだよ……」
外では超絶陰キャだから本性を隠せてるなんて言ってしまったら、兄としての威厳が跡形もなく消え去りかねない。ただ黙っているのもそれはそれでよくない気がする。
「んでどんな奴らにモテてんだよ、どーせロクでもないと思うけど」
「気になんのか?」
「そりゃあ見るたびやつれてんだもん。気になるだろ」
「心配してくれてんのか?」
「……興味あるだけ」
嘘だ。こいつは昔と比べてちょっと言葉づかいは悪くなったが、性格は優しいまま変わっていない。
ずっとそばに居てきたから悠衣來のことは手に取るようにわかる。
「会話のキャッチボールができねーのとか、屋上に監禁してくるやつとか色々いる」
「はぁ? 屋上に監禁?」
「そう。雨の日に呼び出されたあと中から鍵閉められて閉め出し食らった。あー……あと盗聴器仕込んできたやつもいたな」
「……ふざけてる」
明らかに怒っている。そりゃそうだろう、もしコイツが同じ目に合わされていたら俺は冷静でいられる自信がない。
ただ自分のエゴとしてはこういう顔をしてほしくはない。
「終わってる、人間として終わってる……」
「それは、言いすぎだろ……」
「……そうじゃねぇ」
「え?」
「……んっ」
悠衣來は何も言わず顔を近づけてくる。案外体柔らかいんだな……ていうかなんでこんな近くなってきてんだ。
このままだとぶつかるのに悠衣來は構わず接近してきて、吐息が顔にかかってきた。生温かい風が顔を撫でてきて……。
口と口が重なった。たった一瞬だったが、その一瞬は俺の脳に深く刻み込まれた。
間違いなくその理由はファーストキスだからとかじゃない。
「あはっ……そんなゴミクズ共よりオレのほうが恋人にふさわしいって思うの、ホント終わってる……」
悠衣來は笑っていた。その表情からは自嘲の色しか見えなくて、どうにかその感情を否定してやりたかったか。
でも今の思考が働かない俺にはかけてやれる言葉も見つからず、ただその顔を見つめる事しか出来なかった。




