第3話 3人の野球少女
【今治中央小学校グラウンド】
ここでは、ある少年野球チームが練習に励んでいた。
そのチームの名は、『今治リトル』。
毎年全国大会に顔を出す名門で、昨年は全国ベスト8。
新人戦では全国準優勝もしていた。
その準優勝の原動力となっていたのは、当時小学4年生の5人の選手。
長身で細見のピッチャーの松尾、チームで1番体格が良くパワーがあるキャッチャーの青木。
そして、男勝りで勝ち気な性格のショートの風谷玲奈、関西弁が特徴のサードの森里奈、頭の回転が速いセンターの中山奈々(なかやまなな)の3人の女の子だった。
だが、このチームでは松尾・青木vs風谷・中山・森の男女の派閥抗争が起きていた。
派閥抗争の発端となったのは、松尾と青木が原因だった。
2人は、前からチームに女子がいることが気に喰わないと思っていた。
だが今治リトルは実力主義のチーム。
そのため実力が同等だった女子3人に今まで何も言うことはできなかった。
しかし今年に入って急成長して女子3人よりも実力が上になった松尾と青木は、今までの鬱憤を晴らすように3人に対して嫌がらせをするようになった。
青木は体格が良いだけでなく空手も習っていることもあり、チーム内では上級生であっても彼の行動や言動に注意するような者はいなかった。
そのため他の選手たちは松尾と青木の嫌がらせに対しても、見て見ぬふりをしていた。
そして現在今治リトルは、フリーバッティングを行っている。
バッターは青木、ピッチャーは松尾だった。
松尾はスローボールを青木に投じると青木は、ピッチャー前にゴロを打つ。
打球はコロコロと力なく転がり松尾の手前で止まる。
ここで、青木たちのいつもの嫌がらせが始まる。
青木「お~い、ボール行ったぞ。早く取りにいけよ、風谷」
松尾「ちゃんと全力疾走で取りに行けよな」
この時風谷は、ショートを守っていたので理不尽なことを言っているのは明らか。
だが周りは何も言わず、ただ黙っているだけだった。
青木たちの言葉に当然、風谷は反論する。
風谷「どう見たって、松尾が処理するボールだろ!!松尾が取りに行けないなら青木が自分で取りに行けよ!!」
青木「打ったボールを守備のヤツが取りに行くのは当たり前のことだろ?ピッチャーの松尾に言うならともかくバッターのオレに取りに行かせるのは、お門違いってもんだぜ」
風谷「な、なにぃ!!」
青木「それにオレは名門今治リトルの4番打者だぜ?将来はプロで活躍する選手だ。そのオレの打った打球を取りに行けるだけでも、ありがたいと思ってもらいたいもんだぜ」
風谷「自惚れるんじゃねぇよ!!何が名門今治リトルの4番打者だ!!お前、頭おかしいんじゃねぇのか!!」
松尾「おかしいのは、お前の方だぜ。ウチのチームは今治リトルシニアの育成チームだ。その今治リトルシニアは男子野球チーム。女子のお前がこのチームに入っている方がずっとおかしいぜ」
風谷「そ、それは・・・」
青木「そういう訳だからよ。このチームに女子はお呼びじゃねぇんだ。わかったらさっさと辞めて他で野球やれや」
風谷「な、なんだとこの野郎!!」
青木「なんだ?オレとやろうってのか?」
風谷「くっ!!」
青木「できるわけねぇよな?空手やってるオレを相手によ。あははは」
その時、青木の腹にボールが当たる。
青木「ぐっ!!痛ってぇ~・・・・だ、誰だ!!」
森「将来プロ野球選手になるヤツがこんな球も避けられへんのかいな」
青木「てめぇの仕業か!!」
森「そうや、ウチの仕業や」
青木「オレにボールをぶつけてくるとは、いい度胸だな」
森「そんな怒らんといてな。ウチは青木ほどの実力者なら、あの程度のボールは瞬時に打ち返してくれると思ってやったことなんや」
青木「それでボールを投げた言い訳にしたつもりか!!そんなもん、言い訳になってねぇぞ!!」
青木が怒鳴りながら森に詰め寄った時、監督がグラウンドへやってきた。
さすがの青木も監督の前では引き下がるしかなく、森を睨んだ後、監督の方へ走って行った。
風谷「くそ~、アイツら好き放題いいやがって」
森「玲奈、あんなヤツらの言うことにいちいち反応してたらキリがないで」
風谷「わ、わかってるけどさ・・・」
その時、2人のもとに用事で遅れていた中山がやってくる。
中山「どうしたの?また喧嘩?」
風谷「まぁな」
中山「あの2人、野球は上手いんだけどね・・・」
風谷「悔しいけど、今じゃアイツらの実力は全国トップクラスだもんな」
森「それでも去年全国大会の決勝で対戦したあの女の子のピッチャーには、まだ歯が立たんやろ」
風谷「埼玉県大宮リトルの稲森優希か・・・」
森「あの長身から繰り出される左腕の剛速球にウチら手も足も出ぇへんかったからな」
風谷「青木なんて1球もボールに当てることができなかったぞ」
中山「それより、さっき監督の話を盗み聞きしちゃったんだけどさ」
森「なんや?」
中山「明日の試合は実力のある者をスタメン起用するんだって」
森「ホンマかいな!!」
風谷「去年の新人戦以降、今治リトルシニアの監督のせいで全然試合に出してもらえなかったからな」
今治リトルは、松尾が言ったように今治リトルシニアの育成チーム。
試合になると将来有望の選手を見つけるために今治リトルシニアの監督がちょくちょく様子を見に来るのだ。
そのため女子である3人は今治リトルシニアの監督が見に来る試合は出してもらえない。
最近は松尾と青木の急成長に相まって選手を見に来る頻度が多くなっていた。
中山「明日は久しぶりの試合だし、張り切って行こう!!」
明日の試合に備えて3人は、気合を入れて練習に励んだ。
しかし、次の日・・・
風谷「え?」
森「嘘や・・・」
中山「なんで?」
3人ともスタメンには入っていなかった。
試合は今治リトルが11対0の完勝だったが3人は最後まで試合に出ることはなかった。
さすがに変に思った3人は試合が終了すると監督に抗議に行った。
風谷「監督!!どうしてアタシたちを最後まで試合に出してくれなかったんですか!!」
森「そうや!!試合の途中で出たヤツなんかウチより下手なヤツばっかですやん!!」
中山「実力重視でメンバーを決めるって昨日言ってたじゃないですか!!」
今まで試合に出られなかった分も含めた怒りが一気に爆発した3人。
すると監督から思わぬ返事が返って来た。
監督「昨日のうちに話すべきだったが今後の試合の起用方針について、お前たちに話しておくことがある」
風谷・森・中山「な、なんですか?」
監督「青木たちと衝突している間は、お前たちを試合に出すつもりはない」
風谷・森・中山「えぇっ!?」
監督「チームワークを乱す選手を試合に出すわけにはいかんからな」
風谷「ち、チームワークって、青木たちがアタシたちに挑発してきてるんですよ!!」
森「そうや!!ウチらは、なんにも悪ぅないです!!」
中山「チームワークを乱しているのは青木たちの方ですよ!!」
監督「たとえ青木たちに非があったとしてもアイツらを試合に出さないわけにはいかない。アイツらは、このチームの主力の上に今治リトルシニアからも一目置かれている」
中山「そ、そんな・・・」
風谷「で、でも悪いのはアイツらなのに、何でアタシたちが」
監督「ウチの育成方針と野球の実力を考えるとアイツらを特別扱いせざるを得ないんだ。だから青木たちと衝突する限りお前たちを試合に出すことはできない」
風谷・森・中山「・・・・・・」
監督「一応、青木たちには私から注意をしておく。それでも青木たちが変わらない場合は、お前たちに折れてもらうしかないな」
風谷・森・中山「そんな・・・」
監督「話はこれで終わりだ」
監督は3人に背を向け、グラウンドを後にしようとした。
その時、風谷が監督を呼び止めた。
風谷「監督!!」
監督「どうした?」
風谷「青木たちは、私たちを辞めさせたがっています。だからアイツらが変わることは絶対にありえません」
監督「そうか・・・」
風谷「アタシは、青木たちに媚びを売ってまで試合に出たいとは思いません。だから・・・」
監督「だからなんだ?」
風谷「だからアタシは今日で今治リトルを辞めます!!」
監督「!?」
森「玲奈、本気なんか!?」
中山「考え直した方がいいよ!!」
監督「2人の言う通りだ。もしここで辞めたら青木たちの思う通りになるだけだぞ?」
風谷「正直言って、もう限界なんです。青木たちに毎日のように嫌がらせをされる日々が」
森・中山「玲奈・・・」
風谷「それに味方になってくれると思ってた監督も青木たちには軽い注意で済ませるだけで、アタシたちの力になってくれない」
監督「・・・・・・」
風谷「このまま、自分の意思を貫いて試合に出れなくなる上に青木たちの嫌がらせに耐える毎日を過ごすくらいなら、アタシはこのチームを辞めた方がマシです。たとえ青木たちの思う通りになるとしても・・・」
監督「わかった・・・私の本意としてはお前たちが仲良くやってくれたらよかったんだが、できないなら仕方がない」
森・中山「か、監督!?」
風谷「お世話になりました」
風谷は頭を下げてグラウンドを去ろうとする。
その時、監督から一言言われた。
監督「風谷、これからの人生において理不尽なことはいくらでもある。この先、今日のように辞めて逃げ出しても済まない場面が多くなってくる。それを覚えておけよ」
風谷「・・・はい」
監督「それじゃあ、私はもう帰るぞ」
森「か、監督!!」
監督「今度は、なんだ?」
森「ウチも・・・ウチも辞めます」
中山「私も」
監督「な、何だと!?」
森「さっきの監督の言葉が響いたんですわ」
監督「何の言葉だ?」
森「監督の言った『この先、逃げ出しても済まない場面が多くなる』って言葉。あれが響いたんです」
監督「その言葉が辞めるのと一体何の関係があるんだ?」
森「逃げ出して済むうちは、今の内にたくさん逃げておいた方がええとウチは思ったんです」
監督「い、一体どう聞いたらそういう解釈になるんだ」
中山「それに玲奈のいないチームで、私たちは野球をしたいとは思いません」
風谷「里奈、奈々・・・」
森「監督、2年間、お世話になりました」
中山「お世話になりました」
監督はポカンと口を開けて森と中山を見るだけだった。
森「ほな、すっきりしたところで・・・玲奈、帰るで」
中山「明日からまた3人で野球やろうよ」
風谷「そ、そうだな」
こうして彼女たちは、今治リトルを辞めて新たなスタートを切ることになった。