遭遇
癒しの間で目覚めた瑠魅香は、空を漂う百合香の精神体を、ぼんやりと見つめた。眠りに入る前よりも、エネルギーが回復しているらしいことが、瑠魅香にはわかった。しかし、まだその意識は深い眠りの中にあるようだった。
「よし」
自らを奮い立たせるようにベッドから飛び起きると、瑠魅香は冷蔵庫を開けた。よくわからない、青と銀色に光る金属の缶が並んでいる。栓がついていたので開けてみると、ハーブとも何とも言えない香りが鼻についた。
「うえっ、なにこれ」
これも百合香の記憶から再現された、人間世界の飲み物らしい。耳を立てると、何か細かな泡が弾ける音がする。瑠魅香は思い切って、中身を一気に喉に流し込んだ。後に百合香から、体力を回復するという触れ込みの、エナジードリンクというものだと説明されるその風味に、瑠魅香はまたひとつ人間の理解しがたい側面を知った。
「行ってくるね」
『お気をつけ下さい』
暫定女神ガドリエルの気遣いを背に、浮遊する百合香を身体に『回収』すると、瑠魅香は再び氷巌城内に向かうゲートに飛び込んだ。
だがその時瑠魅香は、それまでになかった現象によって、自分が大きく移動させられるのを感じた。いつもならまっすぐ、入ってきたゲートに瞬間的に移動する。だが今回は、まるで時空が捻れるような、エネルギーの濁流に押し流されてしまった。
「うわっ!」
瑠魅香は投げ出されるような形で、ゲートの外に出た。あやうく転びそうになる寸前、とっさに杖を突き出して姿勢を保つ。
「どっ……どこ!?」
慌てて周囲を見回す。なんだか見覚えはあるが、オブラが見つけてくれたゲートとはまったく違う通路である。それがマグショット達のいるエリアに近い通路だと気付くまで、十数秒を要した。
「ゲートの位置がズレたんだ……」
だが、むしろこれはラッキーだと瑠魅香は解釈した。マグショット達も少しは回復しているだろうし、もう合流してもいい頃だ。記憶を辿って、アジトがある方向に駆け出した。
すると、曲がり角の向こうから、複数の足音が聴こえてきた。もしやティージュ達か、と期待しつつ
瑠魅香は角を曲がった。
そこで瑠魅香は、それまでのどんな場面よりも戦慄を覚える事態に直面し、自らの油断を激しく悔いた。
「あっ!?」
全身が強張り、すくみ上がる。その眼に映ったものに、瑠魅香は一瞬で、過去に起きたことがフラッシュバックした。
通路を進んでくる、兵士の集団。先頭の数名は、エレクトラに良く似た隠密のような姿をしていた。だが、その後ろに控えるように立つ、プリズムが輝く鋭角的な鎧の騎士。
「かっ、カンデラ!?」
驚愕の声をあげる瑠魅香だったが、それは相手も同じだった。アメジスト色のゴーグルの奥に覗く鋭い瞳が、瑠魅香に向けられた。
「黒髪の魔女!」
間髪入れず、水晶騎士カンデラは剣を抜き放ち、フローライト達の前に進み出た。このとき、渋々ながら同行していたヌルダは、単調な行進に飽きていたところへ突然現れた瑠魅香に、明らかに興に入った様子で後方から事態を眺めていた。
「きさま、生きていたのか!?」
「おあいにくさまね」
精一杯の虚勢を張ってみせるものの、瑠魅香の思考はたった一つの事に向けられていた。――どうやって逃げるか。
出会って来た中でも、おそらく最強レベルの実力を持つカンデラにくわえ、多数の兵士を相手に一人で対抗するのは、多勢に無勢どころか、単なる自殺行為だ。しかも今は、百合香が動けない状況である。
だが、カンデラは自分の側が圧倒的優位にある事もあってか、瑠魅香に質問を投げかける余裕があった。
「お前はあの、レジスタンスや裏切り者のサーベラスどもと通じていたようだな。奴らはどこだ」
「さあ。知らないわね」
「とぼけるな。いま、この第二層で起きている出来事は、お前達の仕業か。無関係とは言わさん」
その推測は、まったく的外れでもない。あの、謎の異空間や層を揺るがした波動そのものは瑠魅香達の仕業ではないが、それを結果的に誘発した原因のいくらかは、瑠魅香達にあるのだ。
瑠魅香はこの状況を切り抜ける算段を練る、時間稼ぎのために会話を引き延ばす努力をした。
「こっちが訊きたいわ。あの闇が迫ってくる現象は、あなた達の仕業ではないの?」
「闇が?」
いいぞ、と瑠魅香は内心でほくそ笑み、さらに情報を与える事にした。
「そうよ。あの、城を揺るがすような鳴動とともに、迫って来る闇。私達は得体の知れない異空間に飛ばされて、真っ黒な氷魔達と戦ったの」
「異空間? 黒い氷魔だと?」
カンデラや他の氷魔たちの反応からして、あの現象はどうやら、彼らも正確には知らないようだと瑠魅香は判断した。それは百合香達の、氷魔皇帝軍とは別の勢力の存在、という推測を裏付けるものでもあった。
「私達にしてみれば、あんた達だろうと、あの奇怪な黒い氷魔達だろうと、敵である事に代わりはないわ!」
瑠魅香は、身の丈ほどもある銀色の杖を突き出し、通路を埋め尽くすほどのエネルギーの奔流を放った。
「コア・クラッシャー!」
それは、かつてカンデラを倒すまでは至らなくとも、鎧にひびを入れる事には成功した、瑠魅香の無属性攻撃魔法だった。そのときの記憶が蘇ったのか、カンデラは剣を地面に突き立て、攻撃を左右に受け流すような鋭角の防御壁を展開した。
「ぬうっ!」
瑠魅香の魔力が、以前の満身創痍の状態とは段違いであることをカンデラは感じた。そして、その奔流を耐えしのいだ時、すでに瑠魅香の姿がない事に、カンデラは舌打ちした。この攻撃は、逃げるための目眩ましだったのだ。
「小癪な! 捜せ!」
すでにフローライトの指揮という建て前は忘れて、カンデラは命令を下した。正規兵たちまでが右往左往する中、ヌルダだけがいかにも面映ゆい様子で、ケラケラと笑っていた。
「ヌルダ、きさまも笑っていないで捜せ!」
「ほっ、捜せじゃと? これだから、お主のような武官は」
「なにい!?」
「たわけが。正規兵の頭数が、ひとつ増えた事に気付かなんだか」
その指摘に、全員が立ち止まった。
「なっ、なんだと」
「わしを担いできた正規兵は六人おった筈だ。数えてみい」
一瞬で、カンデラと隠密たちの視線は屈強な正規兵たちに集中した。そして、その人数が七人である事に気付き、カンデラは猛然と歩み寄った。
「この中の一人が、あの魔女が化けたものだとでもいうのか!? 貴様か!」
一人の兵の襟を、カンデラは掴んだ。
「ちっ、違います!」
「では、どいつだ!」
すると、ヌルダはゲラゲラと、今度は上半身を震わせて笑い出した。カンデラは、もう憤るのも疲れた、といった様子でヌルダに迫った。
「では、どいつだと言うのだ」
「仕方ないのう、貸しにしておくぞ」
ヌルダは骸骨そのものの手で懐から、ひとつの透明な筒を取り出した。その細い外見からは想像もつかない俊敏な動作で、その筒を背後の空間に向かって投擲すると、筒は壁面に当たって割れ、中から青紫に光る液体が弾けた。
すると、液体は一瞬で気体に変わり、発生した極小の竜巻が、見えない何かを捉えた。
「うあっ!」
何も無かった空間から、突然紫のローブをまとった瑠魅香が現れ、竜巻に足をとられて床面にしたたかに背中を打った。ヌルダはまたしても高らかに笑った。
「なるほど、わしを連れてきて正解だったの!」
「どういうことだ!?」
「小賢しい娘じゃ。幻覚魔法で正規兵の数を増やし、化けて紛れ込んだと疑わせておいて、その実は魔法で姿を消し、この場を逃げ出そうという算段じゃろう」
「おのれ!」
瑠魅香に出し抜かれたことと、ヌルダにそれを指摘されたことに憮然としつつ、カンデラは立ち上がりかけた瑠魅香に、剣の切っ先を向けた。
「鬼ごっこは終わりだ。貴様には色々と訊きたい事があるのでな。殺しはせん、来てもらうぞ」
「いいのかしら? そんな悠長な事をしていると、足もとをすくわれるわよ」
「ふん。この状況で、それだけ強がれる根性だけは大したものだ」
カンデラは正規兵達に、瑠魅香を拘束するよう号令を出しかけて、瑠魅香のへたり込む床面に、何かが光っているのに気が付いた。
それは青白く光る、猫のマークだった。その中央には、人間界の文字が書かれている。
「何をした? また何か小細工を弄したか」
「そこのドクロさんが言ったとおりね。これだから武官は」
「なっ……」
激昂しかけてカンデラが踏みとどまった、その時だった。瑠魅香は間髪入れず、跳ね起きると逃げるようにダッシュした。カンデラも、逃すまいと踏み出す。
「そんな鈍足でこの私から――」
次の瞬間だった。奥の曲がり角に逃げ込むかと見えた瑠魅香は、壁面を背後に振り向いた。すると、その足もとにひとつの影が現れて、カンデラに向かって両腕を交差させるように振り下ろした。
「狼爪断空衝!」
圧縮された空気の刃が、カンデラの喉元を狙う。カンデラは冷静に剣を薙ぎ払うものの、わずかに態勢を整えるのが間に合わず、両脚を踏ん張って耐え凌いだ。
「ぬっ! この技は」
「狼影脚!」
死角から放たれた蹴りが、その右手首をしたたかに打って、カンデラは剣を取り落とした。カンデラの横に正規兵が立ちはだかるものの、突然の乱入者はその常軌を逸した速度と正確さで、無数の蹴りをその全身に浴びせた。まるで、千もの槍に突かれたように、兵士の全身は一瞬で打ち砕かれ、床に塵芥となって散乱した。
「きさまは……!」
「久しぶりだな。俺にへし折られかけた首は治ったか」
その堂々とした声の主は、他に誰あろう、「一匹狼」の拳士マグショットだった。ちらりと後方の瑠魅香を見やると、その鋭い眼光をカンデラに向けながら言い放つ。
「瑠魅香、無事だったようだな」
「おかげさまでね」
「あの探偵猫に感謝することだ」
カンデラとマグショットが対峙するところへ、曲がり角の右奥から、複数の足音が聞こえてきた。その三つの影は、瑠魅香の周囲を守るように、剣を構えて取り囲んだ。それはレジスタンス「ジャルダン」の、ティージュ、グレーヌ、ラシーヌの三人だった。
「瑠魅香! 大丈夫!?」
大剣を構えたティージュは、瑠魅香の全面を護りながらも、マグショットと対峙するその相手に驚愕した。
「かっ……カンデラ!?」
「とんでもない大物が現れたものね」
グレーヌは、ラシーヌとともに剣を構え、ティージュの左右に展開した。その後ろには、ベレー帽を被った探偵猫、オブラがこそこそと控えている。
「むっ、貴様……覚えているぞ、あの金髪の剣士と通じていたレジスタンスだな」
「げっ!」
カンデラにその姿を認知されていた事に気付くと、オブラは迷うことなく壁の陰に隠れ、瑠魅香たちにすがるように視線を向けた。瑠魅香は思わず苦笑する。
「ありがとうオブラ、助かったわ。みんなを連れてきてくれて」
「あっ、あとはお願いします!」
「任せておいて」
改めてティージュ達とともに横一列に並ぶと、瑠魅香は小声で四人に伝えた。
「リベルタは無事。体力がゼロということを除けば」
「いつものことでしょ」
ラシーヌのぼやきに、四人は一緒に笑った。
「さあ、得体の知れない奴らを片付けるよ! オブラ、あんたは…」
「わかってます!」
もはや以心伝心で依頼内容を理解したオブラは、その場を逃げる意味もあって、一瞬で姿を消した。それは、カンデラですら追うことができない程の瞬速だった。
「さあカンデラ、今日こそあんたの年貢の納め時だよ!」
「いい度胸だ!」
カンデラは剣を拾おうとしたものの、即座にマグショットがその剣をグレーヌに向けて蹴り飛ばした。グレーヌは一瞬怯んだが、すぐにそれを拾い上げて、しっかりと構える。
「水晶騎士の剣ならば、それ相応の切れ味も保証されていよう。全員、覚悟はいいな! 行くぞ!」
この中ではリーダー格のマグショットの号令で、全員が一斉に臨戦態勢に入った。戦端を開いたのは、マグショットだった。
「狼爪星断衝!」
先に放った技の上位版であるエネルギーの巨大な刃が、剣を持たないカンデラに襲いかかる。だが、カンデラは一歩も動くことなく、両腕をマグショットと同じように交差させて、真正面から受け止めた。
「アメジスト・ハンマー!」
まるで巨大な紫水晶の大鎚のようなエネルギーが、マグショットの技と激突し、通路内に凄まじい風圧を巻き起こした。エネルギーが打ち消し合うと、マグショットの前にカンデラは、まるで拳法家のような構えを取って対峙していた。
「貴様、拳法を使うのか!?」
「そんな上等な代物ではない。単なる我流だ」
カンデラは背後に控えるフローライトや正規兵たちに、左手を上げて命令した。
「フローライト、お前たちはあの魔女を捕らえろ。残りの者共は始末してかまわん!」
勢いよく左手が振り下ろされると、即座にフローライトたちは行動を開始した。それを封じようと動くマグショットだったが、カンデラはその前に立ちはだかった。
「拳法家も武器を用いるように、騎士の戦いが剣だけだなどと思わぬことだ」
「面白い!」
この状況下にあって、拳法家としての血が騒ぐ自分自身を、救いがたいな、とマグショットは自嘲した。
五体の正規兵が、一斉にティージュ達に大剣で襲いかかる。ティージュは真っ先に、剣を構えて突進した。
「でえああーっ!」
「ぬおおっ!」
兵の一体が、ティージュの剣撃に押されて後退するのを見て、他の兵士は驚きを隠せなかった。レジスタンス少女の平均的な戦闘能力では、正規兵に対抗できる筈はない、という油断を、彼らは即座に改めた。
「よーし、いくよ!」
瑠魅香は大杖をふるい、空中に無数の氷の矢を生成すると、左右から展開して取り囲んできた隠密たちに向かって一斉に放った。五人のうち一人が、その速さに対抗し切れず、首や胸を撃ち抜かれてしまう。他の四人もまた、氷の矢を防ぐのに精一杯だった。
「いったい、何者だ!?」
フローライトは瑠魅香の実力に戦慄した。ここまでの実力を持った氷魔が、無名であるはずがない。四人はいったん退いて、態勢を立て直すことにした。フローライト達が退くと、グレーヌとラシーヌが一気に前面に躍り出る。
「うりゃあーっ!」
プリズムが煌めく剣が、正規兵めがけて振り下ろされる。正規兵は盾で防ごうと試みたが、その盾は一撃で、粉々に打ち砕かれた。
「なんだと!」
そう叫んだのはカンデラだった。カンデラの持つ剣は、ただの剣ではない。持つ者の実力に呼応してその力が増大する、いわば百合香の持つ聖剣アグニシオンとよく似た剣である。むろんカンデラには遠く及ばないが、ただのレジスタンスと侮っていた少女が、わずかでも剣の力を引き出せる事に、驚愕を覚えていた。
「いいなぁ! あとで私にも貸して!」
ラシーヌは、グレーヌから借りた剣と併せて、即席の二刀流を披露した。敵の剣を一本で受け止め、もう一本で突き刺す。一撃とはいかないが、少なくとも戦えてはいる事に、カンデラは尚も驚いた。
だが、ここにいるメンバーはストラトスやイオノスのような強敵を相手にしてきた、いわば歴戦の強者である。戦うことで成長する、という概念を示してみせた、百合香という存在が彼女たちの心に常にあった。
カンデラを倒す。いま、瑠魅香はそのことを第一に考えていた。マグショットと連携すれば、それは不可能ではないかも知れない。これほどの強敵を今ここで倒しておけるなら、のちの戦いはひとつ有利になる。百合香が目覚めた時、眼の前にカンデラが倒れていたら、百合香はなんと言うだろう。自分の手でケリをつけたかった、と言うかも知れない。早く目が覚めないと、借りを返す機会がなくなるぞ、と瑠魅香は語りかけた。




