闇を貫く光
氷巌城第2層、不気味な鳴動が響く通路を進む、巨大な影があった。その体躯には、雑に切り出された通路はいかにも窮屈そうで、張り出した鎧の尖端が壁を擦るたび、影は悪態をついた。
「ちっ」
剥がれ落ちた壁の破片を踏みつけて、影は鳴動の中を進んでいった。
◇
改めて百合香とエレクトラが対峙するところへ、闇の空間を駆けてくる、複数の影があった。
「リリィ!」
凛とした声が闇を貫いて届く。その声は、百合香には闇に差した光のように思えた。だが、次の瞬間にその声は緊張の声に変わった。
「あっ、あなたは!」
集団の先頭をきって走って来たのは、髪がほどけてストレートになった、レジスタンスの少女リベルタだった。リベルタはすかさず弓を構え、エレクトラに向けて威嚇する。
「あなたもここに来てたのね!」
「生きていたか。褒めてやる」
その超然とした態度に、リベルタは憤りを隠さない。だが、エレクトラは全く恐れも悪びれもしなかった。
「撃つがいい!私はいま、極度に消耗している。どのみち、この人数と戦える余力はない」
そう言うとエレクトラは握っていた曲刀を無造作に放り投げ、両手を広げてリベルタの前に胴体をさらけ出した。リベルタの後方にいた、右腕のないヒオウギが訝る。
「どうせ何か企んでいるんだろう。皇帝側近の直属の部下が、黙って殺されるとでもいうのか」
「どうとでも言うがいい。だが私の言葉に偽りはない。だが、そうだな。リベルタ、お前のような相手に引導を渡されるのも悪くはない」
その態度に、ヒオウギの後ろにいたルテニカとプミラは理解しがたいといった表情を浮かべ、フリージアとダリアは武器を構えて首を傾げた。百合香を加えれば7対1、いかに手練れといえども、助かる見込みはなさそうだった。すると、やり取りを見守っていた百合香が吹き出した。
「ほんとに面白いわね、あなた」
言われたエレクトラは、わずかに振り向いて横目で百合香をにらむ。
「黙れ。お前が気色悪い事を言い出すからだ」
「ずいぶんね」
「ふざけるな!なぜお前が、私に友情などを語る!私とお前たちは敵どうしだ!」
突然、エレクトラは激昂してリベルタに詰め寄ると、わざわざ弓の正面に胴体をさらけ出してみせた。
「さあ、撃て!間違いなく撃ち抜けよ。失敗したら、死ぬ前にその首だけでももらうからな」
「たったいま剣を捨てておいて、その言いぐさは何よ」
今度こそ呆れたように、リベルタは弓を下げる。他の面々も、どうしたものかと困り果てたように互いを見た。フリージアが、ナイフだけは一応握ったまま進み出る。
「隠密って聞いたけど、こんな暑苦しい隠密いるの?」
「なっ…」
エレクトラは怒りをたたえているが、ダリアを除くそれ以外の面々は、笑いをこらえる事ができなかった。闇の空間に少女たちの笑い声が響くなか、いよいよエレクトラはその空気に耐えきれなくなったのか、鮮やかな手業でダリアのナイフを奪い取る。エレクトラは迷う事なく、その切っ先を自らの首に向けた。
あっ、と全員が驚いたが、その行動は別な何かによって阻まれた。エレクトラの腕は、鈍く光る魔力の網によって、一瞬で絡め取られてしまったのだ。
「なに!」
「あーあ。前にもこんなシーンあったよね」
エレクトラの背後から聞こえたのは、百合香とはわずかに違う声色だった。その声の主は、百合香の身体を借りて姿を現した魔女、瑠魅香だった。
「きっ、きさま!」
「ねえ百合香、この子どうすんの?この調子じゃ、助けても自分で首はねちゃう勢いだよ」
巨大な杖を突き出しながら、瑠魅香はヒオウギに目で合図した。ヒオウギは、エレクトラが握るナイフを力まかせに奪い取るとフリージアに返した。瑠魅香の内側から、精神体の百合香の声が響く。
『とりあえず、この空間からは連れ出す。それから考える』
「ふーん。けど、ここから脱出する手筈はあるの?」
すると、黙っていたルテニカとプミラが進み出た。
「方法はあります」
『ほんとに?プミラ』
「ルテニカです」
プミラとほぼ同じ外見で、左の耳が髪に隠れていない方のルテニカは、やんわりと訂正しつつ、その場の全員に向けて説明を始めた。
霊能力者であるルテニカによると、この空間は強力な思念によって形成された亜空間、ということらしかった。
「亜空間?」
なんだそれは、とヒオウギが訊ねると、同じく霊能力者であるダリアが補足した。
「時空の隙間に創り上げた、擬似的な空間という感じでしょうか」
「ざっくりと言うなら、そういうことです」
今度はプミラが解説に回る。
「我々氷魔にとってわかりやすく言うなら、精霊体から物理的なかたちに顕現する前の、思念と物質の関係が曖昧な状態の氷巌城に近いと言えます」
「じゃあ、あの黒い奴らは氷魔なのか?」
「おそらくは違います。言うなれば、私達氷魔の魂をもとに創り上げた複製です。…状況的に見て、あの謎の聖母像が原因と見るのが当然でしょう」
プミラの説明に、ほぼ全員が首をひねった。そもそも、その氷魔が本来は、少なくとも物理的な形を取るために、人間やその文明を模倣、複製して現れる存在だからだ。
「つまり、複製の複製ってこと?」
リベルタの問いに、ルテニカもプミラも即答はできなかった。そこで瑠魅香が挙手して訊ねる。
「ねえ、私この空間に入った瞬間、いきなり百合香の中から引きずり出されて、他の魂の集合体に引き込まれたんだけど。なんで私だけそんな事になるわけ?」
「そんな事になってたんですか!?」
ルテニカとプミラは一様に驚く。瑠魅香は、他の魂と同じように黒い姿になって百合香に襲いかかったらしいことと、再び百合香のもとに戻った事を説明した。ルテニカは、なるほどと頷いた。
「瑠魅香、あなたはそもそもイレギュラーな存在です。魂のまま百合香という人間に憑依しているという、極めて特殊な。それが、この魂の摂理の影響が強い空間に入ったことで、本来の在り方に強制的に戻されてしまったのでしょう」
「もうちょい簡単に言うと?」
「魂を留めておく身体を持たない不安定な存在のあなたは、この世界にとって取り込みやすかった、ということです。私達だってあの複製体たちに倒されていれば、今頃あなたと同じく、この空間に取り込まれていたのでしょう」
淡々とした説明に、リベルタたちは身震いした。百合香が訊ねる。
『つまりこの世界は、魂を引きずり込んで、複製体を創るための世界っていうこと?』
「そこまで具体的な目的があるのか、それはわかりません。ただし」
ルテニカは、縛られて仏頂面をしたエレクトラを指差した。
「これで完全にハッキリした事があります。この空間の主は、氷巌城に敵対する存在である、ということです」
『そうね。でなければ、皇帝側近の隠密であるエレクトラまで取り込むはずがない』
いきおい、視線がエレクトラに集中する。エレクトラは不愉快の権化といった表情で黙りこくっていた。
『やれやれ』
百合香は瑠魅香と身体を交替すると、呆れたようにため息をついた。
「それでルテニカ、脱出する方法っていうのは?」
「何をすればいいかは簡単です」
「おお」
頼もしい、と百合香たちは声をあげた。が、ルテニカは僅かに渋い顔をした。
「が、言うは易く、というやつです。つまり、実行するには困難が伴う」
「何をすればいいわけ?」
「さきほども言ったとおり、この空間は思念と物質の中間的なものです。そして今、私達の魂は、取り込まれてはいないものの、いわば”繋がれた”状態なのです。見てください」
ルテニカとプミラが数珠を握って何やら奇怪な文言を唱えると、全員があっと声をあげた。自分たちの胸の中心あたりから、紫色に鈍く光るコードのようなものが地面に向かって伸びているのだ。
「何なの、これ」
百合香が訝しむ。ルテニカは説明した。
「私たちの力で可視化させました。これは、霊的な意味の”コード”です。私達はいま、取り込まれてはいないものの、束縛された状態ではある、ということです」
「つっ、つまり…」
「そうです。このコードを断ち切ってしまえばいいのです」
えらくあっさりとルテニカは説明したが、ヒオウギは難しい顔をしていた。
「どうやって切るんだ」
ヒオウギが氷の扇を開いて、コードを断ち切ろうと試みるが、それは素通りするだけで、触れることすらできなかった。ルテニカとプミラは揃って頷く。
「霊的な意味で断ち切る、ということです。そして、既に私とプミラはそれを試みました」
「なに?」
「ですが、このコードは恐ろしく強大な存在に繋がっているようです。私達の力では、断ち切る事はできませんでした」
「じゃあ、どうすりゃいいんだ!」
すると、百合香が進み出て、聖剣アグニシオンが胸から真っ白な光とともに出現した。百合香は剣を両手でしっかりと握る。
「試したい事がある。ルテニカ、この空間は物質と思念の中間なのよね」
「は、はい。ざっくり言うなら」
「つまり、物理的に揺るがす事もできるはずよね。違う?」
いったい何を言い出すのか、とルテニカ達は怪訝そうに違いを見た。すると、リベルタがハッとして百合香を見る。
「リリィ、あなたまさか、あの力を使うつもり?」
「やってみる。それ以外、ここを出る手段はない」
「大丈夫なの?」
そこへ、リベルタの不安が理解できないフリージアが訊ねた。
「何のこと?あの力、って」
「…説明すると長くなるけど」
リベルタが言っているのは、氷騎士ロードライト戦および氷騎士ディジット戦に際して、氷魔のような姿になった百合香が見せた、空間を歪ませるような異常なエネルギーについてだった。
「この空間じたいを揺るがせば、霊的な束縛を弱める事ができる。そう言いたいの?」
「わからない」
百合香は、あっさりと認めた。そう、可能かどうかは未知数なのだ。だが、ハッキリしている事がひとつだけあった。それを指摘したのはダリアだった。
「このままでは、いずれ全員この空間で朽ち果てる運命です」
一見控えめに見えるダリアがそう言ったことは、軽い驚きをもたらした。ヒオウギが笑う。
「そうだな。やれるなら何でもやるべきだ。それに、考えてる時間はないようだぜ」
突然、扇を構えたヒオウギの言葉に、まさかと全員が身構えた。そう、そのまさかだった。それは、地鳴りをともなって8人に迫ってきた。
「あれは!」
フリージアの瞳に映ったのは漆黒の巨人、魔晶兵の複製だった。それも、単騎ではない。最前面の1機のだいぶ後方に、複数の影が見える。全員を叩き潰すために現れた事は明らかだった。ヒオウギが不敵に笑う。
「こいつは面白い事になりやがった」
「笑ってる場合?」
「そういうリベルタ、お前も笑ってんじゃねえか」
突然笑い始めたヒオウギとリベルタに、黙っていたエレクトラが声をあげた。
「何がおかしい!粉々にされようという時に!」
「おかしいのはあんたね。さっき、私に撃ってくれって怒鳴ってたのは誰よ」
そう言われて返す言葉がないエレクトラの、上半身を縛っていたエネルギーのネットが唐突にほどけた。
「うっ!?」
『面倒くさいから解いてあげたわよ。そのかわり、あんたも戦ってよね。もう限界かも知れないけど』
百合香の中から聞こえた瑠魅香の声も、どこか上ずっていた。つられて百合香も笑い出す。
「ふふっ、どうしても私達の戦いは、こんなギリギリいっぱいの戦いになるらしいわね」
百合香はエレクトラが捨てた剣を拾い上げ、持ち主に差し出した。
「ほら。手伝ってよ、友達でしょ」
「とっ…」
およそ信じられないものを見るような目で、エレクトラは剣をふんだくると百合香の首筋に当ててきた。百合香はまったく動じない。
「勘違いするなよ!ここを脱出するために、一時的に力を貸してやるだけだ」
「なんか、漫画で聞いたようなセリフね」
「ごたくはいい!どういう算段だ!」
迫りくる魔晶兵を横目に、エレクトラが凄んだ。百合香は緊迫する状況下で、冷静に指示を飛ばす。
「ルテニカとプミラ、それにダリア!あなた達は、コードを切断する準備をして!」
突然の指令に一瞬驚いた3人だったが、ルテニカとプミラはすぐに数珠を握って身構えた。あたふたするダリアの前に、数珠が差し出される。それはプミラの左手だった。
「私の予備です。あなたも、これから教える文言を私達と一緒に唱えてください」
「ええっ!?はっ、はい!」
霊能力者チームが準備を進める中、百合香は残りの面々に向かって声を張り上げた。
「リベルタは後方に下がって弓を構える!残りのメンバーは最前面の魔晶兵を足止めして、リベルタが弓を撃つ隙を作って!」
百合香は聖剣アグニシオンを天高く掲げ、あたかも陣頭に立つ皇帝であるかのように声を張り上げた。
「私は言ったとおり、この空間を揺るがしてルテニカ達をサポートする!リベルタ、一撃で決めてよ!行動開始!」
百合香の号令は、強情なエレクトラをも動かすだけの威厳と迫力をもって、不毛な暗黒の空間に響き渡った。リベルタ、フリージア、ヒオウギ、そしてエレクトラの4人は、迫りくる魔晶兵に向かって駆け出した。
漆黒の魔晶兵は、基となった巨大兵器と同様に人格、知能は持たないようだった。だが、もしオリジナルと同じ力を持つのなら、城幹部の氷騎士にも劣らない。まして4人はここまで戦闘を繰り返してきたせいで、ほとんど気力だけで戦うような有様だった。
「接近戦で戦おうとしないで!とどめは私が引き受ける!倒せるのは1機が限界だから、そのあとは百合香のところまで退避!」
リベルタは、師である氷騎士・ストラトスが所持していた大弓を展開し、魔力を込めてエネルギーの弦を引く。弓の中心に、雷の矢が形成された。
「エレクトラ、任せたわよ!気に食わないけど!」
「うるさい!それはこっちも同じだ!」
互いに反目する、という価値観の一致は、奇妙な連帯を生み出した。みっともない戦いは見せられるか。リベルタもエレクトラも、互いにまったく同じ気持ちを相手に向けていたのだった。
魔晶兵はそんな少女たちの戦意を削ぐかのように、さっそく腕から衝撃波を放ってきた。すんでの所で回避するが、陣形は崩れてしまう。
「一撃くらったら終わりだよ!」
「わかってるよ!」
ヒオウギはフリージアに目で合図しつつ、自らは扇を開いて低く構えた。
「フェザー・ミストラル!」
ヒオウギが片手で扇を薙ぐと、強烈な突風が魔晶兵の全身を押し返した。巨体だけに風を受ける面積は大きく、意外なくらい効果があった。
「フリージア、脚をやれ!」
「オッケー!」
フリージアはその俊足と、ヒオウギの風の余波を利用して魔晶兵の右側面に躍り出ると、身体を一回転させ、魔晶兵の右脚の付け根にナイフの切っ先を突き立てた。
「ヴォーパル・ストライク!」
範囲は小さいが、そのぶん恐るべき貫通力を誇る一撃が、確実にその関節の一部を貫いた。一見すると何も効いていないように思えたが、すぐに軋む音を立てて、魔晶兵の右脚の動きは鈍化する。フリージアは即座にその場を離脱した。
「エレクトラ!」
「エレクトラ!」
ほぼ同時に、フリージアとヒオウギは叫んだ。エレクトラはもう破れかぶれに、剣を水平に構えて前面に出ると、残されたエネルギーをふり絞った。
「ダークネス・パルサー!」
禍々しいエネルギーの渦を生み出しながら、巨大な光球が魔晶兵の右脚を直撃する。フリージアによって穿たれたヒビを中心として、魔晶兵の右足首が完全に粉砕された。だが、エレクトラはその余波を避けるだけの余力が残っていなかった。
「ぐっ…!」
エレクトラが衝撃に耐えるために腕を交差させるも、そこへバランスを崩した魔晶兵が倒れ込んできた。
もういい、いっそこのまま潰されてしまえば、もうこんな面倒な連中に絡まれずに済む。そんなことを考えるエレクトラの腕を、強引に引く者がいた。
「!」
片腕だけでエレクトラを引き寄せるのは、ヒオウギだった。エレクトラは驚きながら、ヒオウギと絡まりあって地面に倒れ込んだ。魔晶兵は、轟音を立てて真横に倒れ込む。ヒオウギは叫んだ。
「さっさと避けろ!リベルタの邪魔すんな!」
「なっ、何を…私など、いっそ魔晶兵ごと撃ち抜けばよかっただろう!」
「てめえ…」
エレクトラの右頬を、ヒオウギの左手が強かに打った。エレクトラは一瞬、何が起きたのかわからず呆然としていた。
「あたし達は、自分達の存在を守るためにも必死で戦ってるんだ。お前たち城側の連中とな。城に縛り付けられるだけの存在から、脱却するためにだ」
ヒオウギの肩が、わなわなと震えていた。
「プライドのために死ぬのは勝手だよ。死にたいんなら死ねよ。けど、曲がりなりにも今こうして、共同戦線張った奴を見殺しにするなんてのは、あたし達のプライドが許さないんだ!お前だって、意志をもったひとりの氷魔だろうが!あたし達が必死で繋ごうとしてる命を、簡単に捨てるんじゃねえ、馬鹿野郎!」
その叫びは、エレクトラにとって決定的な何かをもたらした。エレクトラには、それが何なのかわからなかった。エレクトラの琥珀色の瞳が開かれ、ヒオウギの眼光とぶつかり合った。
「二人とも、こっち!」
猛然と駆け寄ってきたフリージアが、二人をどうにか立たせ、その場を退却する。リベルタが弓にエネルギーを漲らせている様子が、エレクトラの目に映った。フリージアが叫ぶ。
「リベルタ!」
「離れて!」
リベルタは、思い切り右手を引くと、全身の魔力をその弓に込めた。
「インドラストラ・エピュラシオン!」
輝く雷の矢が、闇を貫いて飛翔した。