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黒い風

「そうか」

 氷魔皇帝ラハヴェは、淡いプリズムがかすかにゆらめく王の間から、眼下の凍てつく大地を見下ろして言った。

「陛下のご期待に添えず、申し開きもございません」

 ひざまずく側近ヒムロデが頭を下げると、ラハヴェは掌を見せてそれを赦した。

「いや、ある程度予測はできた事だ。地球の持つエネルギーが、フォース・ディストリビューターによって吸い上げられた時、どのような挙動を示すか。それはまだ未知の領域だったからな」

「はっ」

「地球の制圧に限って言うのなら、絶対にフォース・ディストリビューターに頼る必要がある、というわけでもあるまい。現状で、すでに人類に出来る事は何もない」

 ラハヴェが何もない空間に手をかざすと、そこに一瞬で、地球表面を方形に平面化した地図が出現した。人間たちが『Japan』と呼ぶ、氷巌城がそびえる弓型の列島を中心に、青紫に光る円が地表を侵食していく様子がわかる。この円が、氷巌城の魔力によって凍結した地表だ。

「現状で、地表が完全に凍結するまでの予想期間は?」

「はっ。人類側からの有効な反撃がない限り、彼らの暦で2か月以内には、全人類が魔力によって凍結する、との試算です」

 ヒムロデが淡々と説明すると、ラハヴェは頷いた。

「その過程で死滅する人類の数は?」

 それは、重要な質問だった。地表の凍結が進行するのは一瞬ではない。魔力の影響下で、生きながらにして凍結すれば、人間も動物も死なずして氷巌城の魔力の源となる。だが、氷巌城が引き起こす寒冷化そのものによって死亡する人間も当然出て来る。ヒムロデは言った。

「あくまで試算ですが、現在出ている死者数から予想すると、全人類の20パーセントから25パーセントは死亡すると見られています」

「なるほど、わかった。そういえば人類側もすでに、この氷巌城の存在に気付き始めたようだな」

 ラハヴェの手もとのテーブル表面に、地球各地に派遣している偵察隊からの情報が表示されては、切り替わっていった。そこには映像も届けられており、氷巌城のある列島に向けて出発した軍艦の群れが、ある海域まで進むと極低温でその機能を停止し、凍結した巨大な棺桶となる様子が映されていた。大陸間弾道ミサイル、と呼ばれる兵器の発射も試みられたようだったが、発射する事は叶わなかった。

「いま映っているこの艦隊を見ろ。これらは、ほんの数か月前、他国への侵略のために運用されていたのだ。今度は彼ら自身が、敵なのか自然災害なのか、その正体もわからぬ我らに侵略される側になった、ということだな」

「人間社会には、『因果応報』なる慣用句があるようですが」

 ヒムロデの冗談ともつかない皮肉に、ラハヴェは笑いもせず答えた。

「なるほど。我々は因果の法則の体現者ということか」

「少なくとも脅威という観点からは、人類の軍事力は問題にもなりません。我々の懸念は、城内のレジスタンスが活発化している事です」

 ヒムロデは、窓に大まかな氷巌城の全体図を示した。基底部を含めた4層構造に変化はないが、その規模が少しずつ拡大している。

「氷巌城が広大に進化しており、もはや城というより城塞都市の規模になっているため、厄介な事ですが、レジスタンスどもが潜伏するのにも都合のいい状況にもなっている事は否めません。いずれ”来たる日”のための城塞、という意味では安泰ですが」

「城の拡大に応じて、レジスタンスも増える可能性があると?」

「御意」

 ヒムロデは頭を下げ、ラハヴェの返答を待った。皇帝はこの問題に、いかに対処するか。だが返ってきた答えは意外でもあり、また以前にも聞いた事があるとも思えるものだった。

「面白いではないか」

「はっ!?」

 思わず聞き返したヒムロデの声が、王の間に響いた。その残響が消えると、ラハヴェは微かに笑い、窓の向こうに広がるオーロラを見た。

「正直に言おう。私は人類の、もう少し骨のある反撃を期待していた。そのほうが征服のしがいがある。だが今の人類の軍事力とは、少しばかり動力源を不能にしてやるだけで、沈黙を余儀なくされる低度のものでしかない。彼らはそれなりには複雑化した文明を発達させたが、それは脆弱な砂上に築かれた楼閣なのだ」

 その声色にはほとんど、怒りか失望さえ感じられた。ヒムロデはようやく、この氷魔皇帝ラハヴェの性向が理解できたような気がした。

「城の総てを事実上取り仕切るお前に対して、このような物言いは身勝手であろうな、ヒムロデ」

「滅相もございません。陛下の御心のままに」

「うむ。下がってよい」

 ヒムロデは恭しく礼をすると、冷たい煌めきに満ちた王の間を辞した。


 氷の通廊を自らの執務室に向かって歩きながら、ヒムロデは考える。皇帝ラハヴェは、なぜ人類側の抵抗を望むのか。以前、人間の侵入者が現れた際も、あえて上級幹部の介入をさせず、どこまで戦えるのか試そうとしていた。沈着冷静な御仁に思えて、実は戦いにこそ実存を覚える方なのか。

 そんなことを考えていると、前方からスリムな鎧をまとった、長髪の氷魔が歩いてきた。

「これは、ヒムロデ様」

 膝をつこうとする氷魔を、ヒムロデは手で制した。

「よい。今日の訓練は終わりか、カプリコーン」

 そう呼ばれた氷魔は、立ちながらも礼の姿勢は崩さず答えた。

「慢心と受け取っていただいて構いませんが、私の配下に訓練など必要ありません。強いて言うなら”形式的な”訓練、といったところでしょうか」

「ぬけぬけと言うやつよ」

 カプリコーンの尊大な態度にも、ヒムロデは苦笑混じりに応えただけだった。カプリコーンは大袈裟な手振りで、自らをことさらに示してみせる。

「”来たる日”にはどうか、我が部隊に先陣の誉れを」

「出過ぎた事を言うな。ほかの水晶騎士に聞かれたらどうする」

「おっと、これは思慮が足りませんでした」

 さして恐れるふうもなく、水晶騎士・ヘマタイトのカプリコーンはわざとらしい礼をしてみせた。

「しかしヒムロデ様、この状況で人類側からの反撃など、あり得るのでしょうか」

 鋭いところをカプリコーンは突いた。つい先刻、皇帝ラハヴェとの謁見で指摘されたことだった。はるか過去、人類に強力な魔術師が存在した時代ならいざ知らず、現代の人類はあらゆる兵器を無力化されている。ヒムロデは言った。

「そうだな。だが、何が起こるかはわからぬ。現に少なくとも一度は、強力な人間の剣士の侵入を許しているだろう」

「仰るとおりです。あのカンデラほどの者の剣を受け止める実力、死したとはいえ、私も戦ってみたかったところです」

「ふっ、お前らしいな。ところで、そのカンデラめは相変わらず本の虫か」

「水晶騎士の間でも話題になっておりますよ。いざ出陣の日に、図書館に籠もって出て来ないのではないか、と」

 けらけらと笑って、カプリコーンは立ち去った。堅苦しいカンデラと仲がいいにしては、だいぶくだけた性格である。

「来たる日、か」

 ヒムロデは、王の間のある塔にいたる空中通廊から、オーロラが差す鈍色の空を睨んだ。直属の隠密、エレクトラからの報告が遅い事は、少しばかり気がかりだった。



 エレクトラは、相変わらず茫漠とした混沌の空間を、リリィとともに歩き続けていた。その間、ほかにする事がないため、謎の存在ガランサスについての考察を掘り下げることになった。

「リリィ、お前ほどの者ならば、水晶騎士にして錬金術師、ヌルダのことは知っていよう」

「ヌルダ?」

 一瞬考えて、すぐにリリィはぽんと手を打った。

「ああ。会ったことはないけど、奇人変人だっていう話は聞いてる」

「うむ。そのヌルダだがな、我が主ヒムロデ様から聞いた話だと、くだんのガランサスなる存在を、かつてこの城に封印した張本人なのだという」

「なんですって?」

 予想もしなかった情報に、リリィは面食らって訊き返す。エレクトラは頷いた。

「うむ。ただし、ヒムロデ様はその現場を目撃されたわけではないらしい。当然だ、ヌルダはおそらく、最古参の氷魔という話だからな」

「最古参って…」

 そう言われても、古参がどれくらいから古参なのか見当もつかないリリィだった。

「話によると、6万年前にはすでにいたらしいぞ」

「6万年!?」

 リリィの驚愕の声が、不毛な空間に響く。

「6万年前って、氷巌城ってそんな過去からあったの?まだ人間の文明も大して発達してない時代よね」

「さあな。私もしょせんは若い氷魔だ。あった、というならそうなのだろう」

「ちょっと待って。それなら、そのヌルダが何もかも知ってるんじゃないの?ガランサスの正体も、封印した場所も」

「もっともな疑問だ。私もそう訊ねた。だがヒムロデ様によると、ヌルダはその情報を忘れてしまっているらしい」

「トシでぼけちゃったの?」

 冗談ともつかないリリィの返しに、エレクトラはつい吹き出したあと、咳払いして表情を元にもどした。

「詳しい事は知らないが、はるか過去に氷巌城に攻め入ってきた人間どもとの戦いで、ヌルダは頭を割られてしまったのだそうだ。氷巌城がこうして復活したというのに、いまだその影響で、自身の姿さえも再生しきれていないらしい」

「つまり、魂にダメージを受けたの?水晶騎士にそこまでの傷を負わせる人間って、何者なのかしら」

「さあな。そこまでは私も聞いておらん」

 なんとなく、そこで会話は途切れた。訪れた沈黙のなかで、二人の間に奇妙な空気が流れる。

 互いに敵対し合う立場のはずだが、やむを得ないとはいえ、すでに何時間も行動を共にしている。最初は剣を交えた相手とである。しかし二人は、互いに敵意はあっても、心から憎むことができないと感じていた。

 ひょっとして、好敵手とはこういうものか。リリィがなにか言葉を発しようとした、その時だった。エレクトラはふいに立ち止まり、周囲を警戒し始めた。

「どうしたの」

 自らも立ち止まると、リリィは白銀の剣を構え、エレクトラと背中合わせに警戒態勢をとった。

「気をつけろ。何か聴こえた」

「聴こえたって、何が」

「わからん。声のような、風のような…」

 言い終わらないうちに、エレクトラが言ったとおり、低い口笛のような不気味なハミングとともに、一陣の黒い風が二人を通り過ぎていった。そのとき、背筋が痺れるような奇妙な感覚を二人は味わった。リリィには、覚えがある感覚だった。

「こっ、この感覚は…」

「何だ」

「あの、礼拝堂にいたアルタネイトとかいう、額縁氷魔から攻撃を受けた時の感覚だよ!」

 リリィ=百合香は、アルタネイトによって受けた霊的な攻撃を思い出していた。そもそも、いまここにいる事も厳密にいえば、アルタネイトがあの謎の聖母像の封印を解いた事に端を発しているのだ。

 だが同時にリリィは、なにか懐かしい感覚が、その黒い風に混じっていることに気付いた。とても親しみを感じる何かだ。しかし、それについて考える暇もなく、視界は一変した。

「なっ、なに?」

「気をつけろ!」

 意味があるかどうかわからないが、両者は剣を構える。そのとき、巨大な竜巻のように立ち上がる黒い風が見えた。近付くだけで、身体のエネルギーが削られるような感覚だ。

「こっ、これは…」

「エレクトラ、私から離れないで!」

 リリィは剣を高く水平に掲げ、切っ先にエネルギーを集中させた。エレクトラが驚きの目を向ける。

「お前、その技は…!」

「ラ・ヴェルダデーラ・シルクロ!」

 切っ先から弾けた輝く風圧のエネルギーは、ふたりの周囲に天へと向かって伸びる、風の障壁を作り上げた。荒れ狂う黒い風を、光の風が阻む。

「リリィ、お前この技は!」

 エレクトラが声を荒げた。

「なに?」

「なに、じゃない!もと第3層の氷騎士、バスタードの技じゃないか!」

 光の壁に囲まれた空間で、エレクトラは詰め寄った。

「…お前、本当に何者だ?バスタードは氷巌城でも指折りの実力者だ。私とて容易に盗める技ではない!それに」

 エレクトラはさらに一歩詰め寄ると、リリィの紅い眼を睨む。

「やつの技を盗んだということは、お前は奴と接触した事がある、ということだ。だが、少し前に奴はヒムロデ様の叱責を買い、第1層に飛ばされた。お前ほどの実力者がバスタードと同じ第3層にいたのなら、我々の目に留まらないはずはない」

 ヒムロデは左手で、リリィの鳩尾を指差してさらに迫る。

「つまり、お前がバスタードに接触したのは第1層だ。だが、我々のような少女型の氷魔は基本的に、第1層にはいない」

 エレクトラの追求は、この非常事態において不必要なまでに執拗だった。その推理には隙がない。リリィはわずかに表情を強張らせたが、その眼はエレクトラを見据えていた。そこでエレクトラは、ひとつの結論をくだした。

「なるほど。ようやく合点がいった。あのバスタードは貯水槽の怪物と戦って死んだと思われていたが、そうではない。やつを倒したのはリリィ、お前だな?」

 その推測に、リリィは沈黙で応えた。エレクトラは、やや怒気が混じった笑みを浮かべた。

「興味深い。この空間を出てから、とは言わん。私はお前の正体を今ここで、暴いてみたくなった。あのリベルタも強いが、お前の強さは何か異質なものがある」

「そんな暇があるの?」

「逃げようとしても無駄だ」

「逃げる?そんな気は毛頭ないわ。というより、逃げる事はもう無理そうよ」

「…なに?」

 そのときエレクトラは、リリィの視線が周囲に向けられていることを知った。リリィから一歩下がり、風の障壁の外側に目をやると、エレクトラは声をあげた。

「あっ!」

 それは驚愕の光景だった。壁の周囲には、無数の黒い少女氷魔が、剣を手にひしめいていたのだ。

「どっ、どこから出てきた!?」

「どこから、じゃない。見て」

 リリィは、黒い竜巻を指差した。エレクトラは、その光景に戦慄した。黒い竜巻の中から、虚ろな表情の黒い少女たちがぞろぞろと這い出てくる。その、一片の生命も感じさせない様子は、さながら幽霊が形を取ったかのようだった。

「この子たちは、ふつうに倒せるのかしら」

「知るか。それより、リリィ。このままだと、まずい事になるぞ」

「わかってる」

 リリィは、自らが生み出した風の障壁を睨んだ。迂闊に踏み入った漆黒の少女達が、風のミキサーブレードに砕かれては、塵となって吹き飛んでゆく。

「倒せる事はわかったけれど」

「そうだ。数が多過ぎる」

 リリィの障壁が、いつまでも持続できるはずはない。考えているうちに、さらに敵の数は増えて行った。どこまで増えるのか、見当もつかない。このままでは、壁が消えた時に逃げ場がなくなる。

「――やるわよ、エレクトラ。いいわね」

「考えている時間はない」

 エレクトラが剣を構えるのを確認すると、リリィは剣を閃かせた。風の障壁は周囲に向かって嵐となって弾け、多数の少女達を一瞬で骸にした。

 さらに、間髪入れずエレクトラが踏み出し、剣を横薙ぎに一閃した。

「シャドウ・パルサー!」

 闇黒のエネルギーの刃が、眼前の少女達に襲いかかる。無数の首が宙に舞い、事切れた身体は崩れ落ちると、一瞬で塵となって消えて行った。

 だが、息をつくひまもなく、さらに敵は竜巻の奥から這い出てくる。その中には少女氷魔だけではなく、城の正規兵や雑兵の姿もあった。

「何なんだ、こいつらは!」

「こんな奴らと戦うだけ無駄よ!」

 リリィは自らも剣を構えると、エレクトラと同じように剣を水平に払い、エネルギーを打ち出した。

「ホライゾンスラッシュ!」

 すさまじい圧力の波濤が、眼前の数十体の黒い氷魔たちに襲いかかり、砕かれた身体は暗黒の彼方に塵芥となって消し飛んだ。

「いくよ!」

「ああ!」

 リリィとエレクトラは、開けた空間を全速力で駆け抜けた。後方からは、さながらゾンビのような漆黒の群れが、押し寄せるように不気味に追ってきていた。

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