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氷巌城の謎

 エレクトラは眼の前のおのれの複製と、横で剣を肩にかけて悠然と観察する百合香の、双方に対して苛立ちを覚えていた。積極的に襲ってはこないくせに、斬りかかれば互角の能力で剣を返される相手を、百合香はいとも容易く打ち破ってみせたのだ。

 しかし百合香――エレクトラにとってのリリィは、エレクトラの言葉がヒントになった、と言った。その意味がわかりかねるエレクトラは、他にどうする事もできず、湾曲した剣を水平に構えて、黒いエレクトラににじり寄る。

(くそっ)

 エレクトラは心で悪態をついた。複製はやはり、同じようにエレクトラに対して接近した。寸分違わぬというわけではないが、こちらの攻撃を弾き返す事が目的なのだ。

 リリィが言った3分のリミットまで、たぶんもう間がない。敵のリリィの助言で危機を乗り越えるなど、エレクトラにとっては許しがたい屈辱だった。リリィは余裕しゃくしゃくといった風に、左手を腰に当てて、エレクトラの戦いを見ている。やはり、まず先にこの銀髪の氷魔を叩き斬ってやろうか、と半ば本気で考えた、その時だった。

(ん?)

 エレクトラが気付いたのは、まさかと思えるような、馬鹿馬鹿しいほどに単純な、ある可能性だった。だが、さきほどのリリィの戦い方が、それを裏付けている、とエレクトラには思えた。

(――だとすれば)

 エレクトラは、左手でおもむろに腰の鞘を取り外す。しかし、黒い複製は何の反応も見せない。

 考えても仕方ない、とエレクトラは、その鞘を思い切り、黒い複製のエレクトラに向けて投てきした。すると、鞘は複製の右手首を直撃し、その手は黒い湾曲した剣をあっさりと取り落としてしまう。

「そういう事か!」

 エレクトラは今度は右手の剣を、だいぶ乱雑に投げつけた。ぶざまに回転しながら空を飛んだ剣はしかし、黒い複製の頭部を直撃し、その上体が大きくバランスを崩した。その隙を逃すまいとエレクトラは猛スピードで接近し、懐に飛び込むと、敵の腰椎に強烈な絞め技をくらわせた。

 嫌な音がして、漆黒のエレクトラはその場に仰向けに倒れる。エレクトラは敵の剣を拾い上げると、間髪入れずその喉元に切っ先を突き立てた。その黒い首がごろりと胴体から切り離されると、わずかに全身が痙れんしたのち、ぴくりとも動かなくなってしまった。

「お見事」

 百合香の拍手に、エレクトラは渋い顔を返した。

「ふん」

「やっぱりね。こいつらは多分、この空間に取り込まれた時点での私達の、複製体だったんだ」

「私のその推測から、対応策を編み出したということか、リリィ」

 自分の剣と鞘を拾い上げると、エレクトラは腰に収めた。百合香は先程のわざとらしい自信ありげな表情から一転、やや深刻な顔をしていた。

「まあね」

「それまでに使った事のない技で攻撃する。気付いた時は、あまりの馬鹿馬鹿しさに訝ったほどだが」

 さすがのエレクトラも失笑する。百合香の対応策とは要するに、ある時点の自分達をコピーしたというのなら、その時点で使ったことのない攻撃パターンに、複製体は対処できないのではないか、という大雑把な推測だった。百合香はゆっくりと剣を収める。

「まあ、私もここまで容易く通じるとは思わなかった」

「しかし、単純とはいえ気付かなければ、我々は負けていただろう」

 エレクトラは、百合香に向かって右手を差し出してみせた。その予想外の行為に面食らい、出しかけた手を怪訝そうに少し引っ込める。

「どういうつもり」

「私は敵であろうと、実力を認めた相手には敬意を払う。それだけだ。お前が敵である事に変わりはない、安心しろ。ここを脱出できたら、即座にその首はもらう」

「なにが安心なのよ!」

 破れかぶれ気味に、百合香はエレクトラの手を握り返す。そのとき、とてつもなく奇妙な感覚が百合香を支配した。そのとき思い出していたのは、この氷巌城に侵入してほどなく遭遇した、あの奇妙な戦斧の闘士のことだった。

 エレクトラの、ある意味ではあまりにも真っ直ぐな在りように、百合香は敵意は覚えても、たとえば第一層で遭遇した拳法使いの紫玉のような、反吐が出るような悪意を感じなかった。

「どうした」

「えっ?」

 ほんの一瞬だが我を忘れていたらしい百合香が、エレクトラの眼を見た。稲妻を思わせる、琥珀色の瞳の鋭い眼だった。手を離すと、百合香から不意に笑みがこぼれる。

「不思議ね」

「何がだ」

 剣を腰に収め、エレクトラは訝るように眉をひそめた。笑みを浮かべる百合香にそっぽを向けると、どこへともなく歩き出す。

「ちょっと、どこに行くつもり。この空間がどうなってるかもわからないのに」

「立ち止まっていても仕方ないだろう」

 エレクトラが立ち止まる様子を見せないので、百合香も仕方なく横に並んで進む事になった。


 どれくらい歩いただろうか。相変わらず広がる景色は茫漠としている。ここは一体何なのかと、疑問も振り出しに戻ってしまった。百合香は、何の気なしにひとつ気付いた事があった。

「さっきの黒い奴ら、私達をそっくりコピーしてたよね」

「ああ」

「それって、何となくだけど氷巌城のシステムに似てない?」

「なに?」

 興味深げに、エレクトラは横目に百合香を見た。

「うん。私達氷魔は、人間や人間達の文明を模倣することで、今みたいな姿を構成してるでしょ。さっきのあいつらも、私達をコピーして現れた。氷魔には見えなかったけど」

「ふむ。お前たちレジスタンスからの情報を信じるのなら、件の聖母だか天使だかの像が、この空間に関係しているのは間違いないのだろう」

「そう。結局、あの聖母像って何だったのかしら」

 百合香は改めて、不気味に鳴動する聖母像を思い出してみた。あの像は確かに、その場にいる氷魔、そしてエレクトラには伏せてはいるが、人間である百合香からも、エネルギーを奪い取っていたのだ。

「リリィ、その聖母像とやらは、つまり氷魔なのか?」

「え?」

 その、今まで思い至らなかったエレクトラの疑問に、百合香は今さら気付かされて首をひねった。エレクトラが続ける。

「これほどの事を仕掛けてくる氷魔、第3層の氷騎士、あるいは水晶騎士でさえ数えるほどしかおるまい。いや、実力の問題というより、こいつの行動は明らかに異質だ。そんな奴が、第2層の誰も近寄らんエリアにいたというのが信じられん」

「それもそうなんだけど、この敵っていったい、何のために私達を攻撃してきたのかしら」

「なに?」

 それはエレクトラの興味を引いたらしく、顔を百合香に向けて訊ねる。

「どういう意味だ」

「うん。あの聖母像には、そもそも意志らしいものが感じられなかったの。それどころか、アルタネイトとかいう氷騎士崩れみたいな奴に、一時は利用されていた。完全に再生しないように、エネルギー量をコントロールされてね」

 額縁の絵に宿った氷魔アルタネイトは、聖母像が吸い上げたエネルギーを利用していた。外部からのコントロールに抗えない時点で、そもそも意志とか、主体性を持っていないように見える、と百合香が説明すると、ふいにエレクトラは立ち止まった。

「リリィ。私たちはひょっとすると、何かとてつもない相手に接触しているのやも知れん」

「とてつもないって、どうとてつもないの」

 なんだか頭の悪そうな返しになったが、エレクトラは腕組みして、延々と続く空間を睨んだ。

「お前にこれ以上話す義理はないのだが、先ほどの件とこれで貸し借りは無しにする。一度しか言わんからな」

「何よ、勿体つけて」

「ある方から言われた話だ。この氷巌城には、未知の部分があると」



 氷巌城第3層の図書館。もはや管理者の氷騎士トロンペを差し置いて、ほとんど主のような趣さえ漂わせはじめた、水晶騎士カンデラが、今日も氷の机に座って古い書物を紐解いていた。今読んでいるのは、以前読もうと思って、見出しに不穏なものを感じて棚に戻した、精霊に関する書物である。


“太陽と惑星に棲む精霊”


 いま開いているページの真ん中に、章の題が記されていた。その題に、なぜかカンデラは不穏なものを感じるのだ。

 だが、読まずにいるのもそれはそれで落ち着かない。カンデラは思い切ってページをめくった。すると、最初に現れたのは天体図のような、何重もの同心円に大小さまざまな球体が描かれた図だった。中央には、放射状の線があしわられた巨大な球体がある。氷巌城の天敵、太陽だ。

「これは太陽系か…?」

 以前、同じ水晶騎士であり錬金術師のヌルダから、この地球を含む太陽系についての説明は受けた。太陽を軸として、10の惑星が描かれている。ひとつだけ、奇妙な楕円を描いて他の軌道と交差している巨大な惑星以外は、ほぼ真円を描いていた。

「この、三日月が加えられているのが、氷巌城がある地球か」

 第3番惑星、人類は地球とか、アースといった名前で呼んでいる。曲がりなりにも人類は地球の外に飛び出し、地球を外部か、視覚情報として観察しているらしい。それなりに凄い技術ではある。

 だが、次のページをめくって、そこに鮮明な水星の写真がある事に、カンデラは驚いた。これは絵ではない。人間が言うところの写真だ。しかも至近距離からの撮影で、恐ろしく高精度だ。

 さらにページをめくると、金星、地球、月、火星と、それぞれ鮮明な写真が載せられていた。火星に太古存在した、人類とは異なる文明の廃墟の写真もある。楕円軌道の巨大な天体は、火星のように何やらひどく荒廃していた。

「これはいったい、誰が記録した写真なのだ?」

 声を出してはいけない図書館で、つい呟いてしまったカンデラは慌てて周囲を見回した。棚に遮られて館内全ては見えないが、どうやら今いるのはカンデラだけらしい。

 これは謎だった。人類は原始的ではあっても、それなりの機械を宇宙に飛ばして、地道に情報を収集している。だがカンデラが知る限り、氷巌城にそんな技術や設備はない。

 いや待てよ、とカンデラは思った。ヌルダは口癖のように、人類の技術を「原始的」と嘲り笑う。それがもし単なる征服者の傲慢ではなく、明確な根拠があったとしたら?考えてみれば、この氷巌城じたいが恐ろしい技術の産物だ。先日、失敗に終わったフォース・ディストリビューターの試験のために城外に出てわかったが、この城は人間たちの都市を覆わんばかりに巨大だ。しかしそれを支える脚は、中心にある、全体からみれば小さな氷柱なのだ。あんな細い脚で、都市のような城を支えられるものなのか。実はこの城は、空に浮かんでいるのではないのか。

 氷巌城というか氷魔は、実は恐ろしく高度な技術を保有しているのではないか。そんなことを思いつつページをめくると、ようやく本文が記されていた。小見出しにはこうある。


“星の大精霊”


 大精霊?何のことだ。精霊に大も小もあるのか。その説明を読み進めて行ったカンデラは、あるページに記された内容に、思わず立ち上がって椅子を倒してしまった。そこにはこうある。


“惑星にも太陽にも、その星全体を司る大精霊、とでもいうべき存在が宿っている”


“精霊とはすなわち、生命そのものである。それは大精霊に近くなるほど、個別化された人格から離れてゆく”


“だが稀に、巨大な天体の大精霊のかけらが、恐るべき力を備えたままで、個別化された人格を保有する事がある。極端な可能性を挙げるならば…”


 ここでカンデラは、またしても読み進めるのが怖くなり、勢いよく分厚い本を閉じてしまった。棚に本を戻すと、カウンターで怪訝そうにしているトロンペを見るでもなく、足早に図書館を提出した。



「未知の部分?」

 今度は百合香が関心を示した。エレクトラは、「まあ厳密には伝聞だが」とことわった上で語った。

「我々氷魔は、言うまでもなくこの氷巌城の顕現とともに具現化する。私はこの事については詳しくはないが、まず最初に全ての氷魔の魂が眠った状態があり、次いで魂の覚醒が訪れる。この段階になり、新たなる氷巌城が”計画段階”に入る」

「その段階で、全ての氷魔が自らの姿と記憶を思い出す…」

「そうだ。数百年前、あるいは数千年、もっと前からの記憶を引き継ぐ者もいる。過去の戦いで魂に傷を負った者は、記憶も姿も失ってしまうがな」

 その内容は百合香にとって、サーベラスやディウルナから受けた説明と合致するものだった。だが、とエレクトラは言った。

「リリィ、お前ほどの実力者なら聞き及んだ事はないか?”ガランサス”と呼ばれた、伝説の氷魔だ」

「ガランサス?」

 それは記憶が正しければ、たしか巫女氷魔のルテニカとプミラが語った名前ではなかったか、と百合香は記憶をたどった。

「恐ろしい霊能力を持ってたっていうやつ?」

「そうだ。そして、真偽のほどは私には確認しようもないが、ガランサスは太古の戦いで、水晶騎士によって第2層に封印されたというのだ」

「つまり、ガランサスは城に反逆していたということ?」

 それを、レジスタンスの立場から訊ねるのは奇妙だったのか、エレクトラは苦笑した。

「反逆なのかどうかは知らんが、まあ敵対していたのは確かだ。そして肝心なところだがな」

 エレクトラは、百合香の目を見て言った。

「そもそもガランサスは、氷魔ではない謎の存在だった可能性がある、というのだ」

「氷魔ではない?」

 それは百合香にとって予想外の話だった。この氷巌城にいま存在しているのは氷魔と、単身乗り込んで来て死んだ事になっている、今ここにいる人間の百合香だけのはずだ。それ以外に何があるというのか。そこへ、エレクトラが指摘した。

「論より証拠だ。ついさっき私たちが戦った、あの漆黒の複製人形。あんなもの、私は見たことがない。あれが我々と同じ氷魔だと思うか?」

「そっ…それは」

「氷巌城に存在するのは、どうやら氷魔だけではないらしい。城側も明確に把握できていない、謎の存在が間違いなくいる。現に今、城側の私とレジスタンスのお前が、立場に関係なく等しく攻撃を受けている」

 確かにそうだ、と百合香も思った。あの黒曜石のような不気味な相手は、どう考えても氷魔とは異なる。まるで暗黒の意志をそのまま形にしたような、異質な姿だった。

「…ちょっと待って。じゃあまさか、いま私たちが戦っている相手というのは」

 百合香は、この無限に広がるかと思える空間を見渡した。エレクトラが頷く。

「確証はない。だが、いま手元にある情報と照らし合わせれば、出る結論はひとつだ」

 エレクトラは、人差し指を真っすぐに立てて断言した。

「この空間も、私たちが戦った相手も、謎の存在ガランサスが生み出したものなんだ」

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