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ガランサス

 何となくリリィが主導する形で、三人の氷魔少女レジスタンスが殺害されていたアジトの現場検証が始まった。先に確認したとおり、外部から侵入者が現れた様子はない。ひとつしかない入口のドアが施錠されていたのは、リリィ達がその目で確認していたのだ。

「確かに、あの悲鳴は明らかに、何かを見て、追い詰められたような叫び方でした」

 いくらか冷静さを取り戻したルテニカは、倒れる三人の切迫した表情を見て言った。リリィも同意する。

「つまり、この室内に何かが現れたという事ね」

「これまでの状況から見て、それが何だったのかは明らかなようにも思えます」

 プミラは、リリィに頷きつつ立ち上がって振り向いた。

「おそらく、私達が二度も目にして、一度は交戦した、あの少女たちの霊団。あれと同一か、あるいは同じような存在が、このアジトに壁をすり抜けて現れた。現状では、そう考えるほかないように思えます」

「では、この子たちはその霊に殺されたという事?」

 リリィの問いに、ルテニカとプミラは頷き合った。ルテニカが、リリィに向き合ってひとつの問いかけをする。

「リリィ、そもそも死とはどういう事か、わかりますか」

「え?それは…生命活動が終わるっていう事じゃないの」

「では、生命活動が終わるとは、どういう事か説明ができますか」

 そう問われると、リリィは答えに窮した。何となく、漠然としか考えた事がない。死は死である、としか言えない。首を傾げるリリィに助け船を出すように、プミラが説明した。

「死とは、魂が身体を捨て去る事です。もっと正確に言うと、捨てられるのは仮の身体です」

「仮の身体?」

 リリィはますます混乱する。

「仮のって…じゃあ、この倒れてる子たちの遺体は、仮の身体だっていうの」

「その通り。そして、今こうしてこの部屋を調べている私達の身体もまた、仮の身体です」

「仮なわけないでしょう。こうして実在しているものを」

 リリィは、左腕を持ち上げて見せた。白く、なめらかな指を動かしてみせる。

「これのどこが仮だっていうの」

「私達氷魔の身体は…いえ、地上の全ての生命もそうですが、突き詰めると原子、分子の集合体に過ぎません。特に私達の場合、地上の生命とは異なり、基本的には凝固した水の分子だけで構成されています。この柔軟な制服でさえ、ミクロの視点で見れば、魔力の介在によって線維化された水、氷です」

 いきなり氷魔の物理学講義を展開され、リリィは若干面食らったものの、なんとか話を理解してプミラに問い返した。

「…言わんとする所はわかった。けど、それがさっきの『死』の話とどう繋がるわけ?」

「リリィ。私達のこの仮の身体、なぜこのような形なのか、考えた事はありませんか」

「え?」

 またしても、予想外の方向から質問が飛んできた。リリィは今度こそ答えに窮し、一言も返す事ができない。すると、今度はルテニカが解説に回った。

「単純な話です。私達氷魔のデザインは、氷巌城が顕現する前の、精神体の段階ですでに決まっている、ということです」

 その簡潔な説明で、リリィもようやく理解できたようにポンと手を打った。

「なるほど」

「そうです。私達の基本的な身体のデザインは、生まれる前にほぼ決まっているのです。その情報は、魂に記憶されています。これが、真の"身体"です。物理的な外殻としての、仮の身体の大元となる要素です」

 ルテニカの解説に、プミラの同じ声が続いた。双方向からの、同じ声による講義である。

「そして、仮の身体から魂が抜け出すと、身体からそれを構成している情報が失われ、活動も停止します。つまり、氷魔を『死なせる』には二通りの方法がある、ということです」

「そう。ひとつは単純に身体を破壊、あるいは生命力を使い果たさせて、物理的に活動不可能にする方法。そしてもうひとつは、魂に直接干渉して、身体との繋がりを断つ方法です」

 なるほど、とリリィは頷いた。

「さっき現れた幽霊は、私達をそうやって殺そうとしてたわけね」

「そうです。そして、おそらくこの状況から見て、このエレナ達も似たような霊に襲われた可能性が高い…いえ、間違いないとみていいでしょう」

 ルテニカの推理はおおむね納得できるものだった。だがそこでリリィはひとつの疑問を投げかけた。

「それは、誰の意図による攻撃だったのかしら」

 それは、当然の疑問だった。その攻撃方法が特殊なのは確かだが、どのような手段であれ、状況からみてレジスタンスを排除する目的の攻撃である事に、疑いの余地はない。

「あなた達がさっき、あの霊たちを消し去った攻撃も、要するにそういう攻撃なの?」

 リリィの問いに、プミラは数珠を取り出して解説した。

「厳密には異なる部分もありますが、霊魂への直接的な攻撃、という意味では、基本は同じですね」

「つまり、これを仕掛けてきた敵がいるとしたら、そいつもあなた達と同じような、霊能力の持ち主という事になるわよね」

 その当然の推測に、ルテニカとプミラは顔を見合わせると、突然黙り込んだ。語り口は穏やかであっても、それなりに饒舌な二人が何も言わなくなったため、リリィは怪訝そうに二人の顔を見た。

「…どうしたの」

 すると、ルテニカは真っ直ぐにリリィを見た。

「リリィ。ことによると、私達は大変な相手と戦う事になるかも知れません」




 時を同じくして氷巌城第二層、氷騎士ディジットが支配していたエリアからやや離れた所に、他とはだいぶ趣きが異なるエリアがあった。

 通廊を含めてほぼ全てがアーチ構造の天井で造られ、無数の柱の上には子供や女性の天使が彫られている。

 壁のそこかしこには絵が掛けられており、そこにはカンテラを手に陰鬱な森を進む隠者や、崩れ落ちた塔といったモチーフが描かれていた。


 その奥に、ひときわ広く高い天井の空間があった。それはまるで、キリスト教会の礼拝堂のような空間であり、現に奥側の壁には大きな十字架が掛けられていた。

 しかし、その下にあるのは聖母マリアの像でも、磔にされたイエスの像でもなかった。そこにあるのは、ただ女性であろうという事しかわからない、ゆったりとしたローブをまとう、首のない像であった。


 その礼拝堂には何者もおらず、ただ窓から差し込む青白い光だけが、荘厳な静寂を生み出していた。




「大変な相手って、いったい何者なの」

 リリィは、テーブルに行儀悪く腰掛けて足を組んだ。ルテニカは、少し考え込む様子を見せたのち語り始めた。

「ガランサス、という名を聞き及んだ事は」

「…ちょっとわからないわ」

「まあ、そうだろうとは思います」

 それはどういう意味だろう、とリリィは思った。すると、プミラが説明した。

「ガランサス。かつて、この氷巌城に存在したとされる、伝説の氷騎士です。…いえ、氷騎士という括りからも逸脱した存在だったそうです」

「存在したとされる、って曖昧ね」

「まだこの氷巌城が顕現する前の、想念、精神体の段階で、私達が古老から聞いた話です。ごく一部の間で伝わる、伝聞である事は断っておきます」


 ルテニカとプミラによると、はるか過去の氷巌城に、現在の人間の言葉を借りるなら「ガランサス」と呼ばれた、ひとつの不気味さをもって伝えられている氷魔がいた。その氷魔は顔を見た者がおらず、いつ、どこに現れるのかもわからなかったと言われる。


 だが、ひとつだけはっきりしている内容がある。ガランサスは魂を操る女氷魔だった、と伝説には語られており、氷巌城に乗り込んできた人間達の魂を、いとも容易く抜き取っては自らに従わせた、というのだ。



「魂を操る氷魔…」

 リリィが、ひととおりの話を聞いて考え込んだ、その時だった。


『それ、あたしも聞いた事ある』

 

 突然どこからか聞こえたその声に、三人は慄然とした。

「なっ、なに!?」

「今の声は…」

「わたくしも聞きました」

 ルテニカとプミラは、数珠を握って周囲を調べた。しかし、彼女たちの霊感にも、その声の主はキャッチできなかった。リリィは、胸を押さえて震えている。

「落ち着いて、リリィ。何もいません」

 プミラはそう言うものの、何もいないのになぜ声がしたのか、という謎は残る。リリィは、呼吸を整えて咳払いした。

「わっ、わかった。それで、そのガラガラ何とかっていうのが、今回現れたかも知れないっていうこと?かいつまんで言うと」

「ガランサスです」

 冷静にツッコミを入れるルテニカが説明を続けた。

「あくまで推測だ、という事は忘れないでください。ただし伝説といっても、実在したのは間違いない氷魔に関する伝説です」

「そんなハッキリ存在がわかってるのに、どうして伝説とか、あやふやな話になるわけ?」

「その疑問はもっともです。しかし、伝説によればガランサスは、そもそも何が目的なのかわからない存在だった、というのです」

 ルテニカの説明も、よくわからないとリリィは思う。例によって、プミラが説明を引き継いだ。

「氷騎士という扱いではありますが、そもそも明確に城に対する忠誠心を持っていたかどうかが、疑わしかったそうです。人間たちを殺していたのは、一説にはそれが単に彼女の愉しみだったのではないか、とさえ伝えられています」

「趣味で人殺ししてたってこと!?」

「人殺しどころか、時には味方であるはずの氷魔さえも、その対象となったとか」

 リリィは若干呆れたように肩をすくめた。敵味方お構いなしなど、もう一種のサイコパスではないのか。

「なるほど。でも、どうしてそいつが現れたかも知れないって思うの?例えばあなた達みたいな、単に霊能力に長けた敵がいる、っていう可能性もあるんじゃない?」

「もちろん、その可能性もあります。しかし、先ほどのように複数の霊体を、あそこまで整然と使役するような真似は、私とプミラが力を合わせても難しい仕事です」

 プミラもそれに同意した。二人によれば、そもそも霊を自在に使役する事自体、並みの霊能者にはできない事であるという。つまり、いま問題にしているのは「霊能力が使える」という程度の氷魔ではなく、はるかに格上の「霊能力のエキスパート」の可能性が高い、ということだ。

「言い方を変えましょう。それがガランサスであれ、あるいは別の何者かであれ、おそらく敵は私達以上の力を持った相手に違いないということです」

 要するに、相手は強い、ということだ。リリィは途端に不安になり、剣を強く握りしめた。


 それ以上調べても何もわからないので、ひとまず三人は倒れていたレジスタンスメンバーを寝かせて祈りを捧げると、ドアを封印してアジトを後にした。隠し通路を抜け出ると、ルテニカは片肘に手を当てて思案した。

「ここからどう動くべきでしょうか」

「そうですね」

 ルテニカもプミラも、やや判断に迷っているようだった。すると、リリィは立ち止まって懐をまさぐり始めた。

「ちょっと待って」

 リリィが取り出したのは、小さなペンのような物体だった。何を始めるのかと見守るルテニカ達の前で、リリィは壁面に猫のマークを描いてみせる。

「何をなさってるんですか」

「まあ見てて」


 リリィが猫マークを壁に描いて、3分ほど経っただろうか。突然、通路の向こうから小さな影が猛ダッシュで接近してきたので、ルテニカとプミラは咄嗟に身構えた。

「大丈夫、大丈夫」

 そう語るリリィの手前で、その影は急停止して直立した。それは、ニッカポッカにベスト、ハンチング帽という出で立ちの猫であった。

「ゆ」

 そう言って突然口を押さえると、咳払いして改めて猫は語った。心なしか、猫を見るリリィの目がきつい。

「リリィ様、何用でしょうか」

「急に呼んでごめんなさい、オブラ。ちょっと、みんなに伝えて欲しい事がある」

「はい」


 リリィはオブラと呼ばれた猫に、どうやら霊能力を持った敵がこの第二層に現れたらしいので、最大限警戒するように各所の仲間に伝えるよう命じた。オブラは、若干不安そうな表情で答える。

「りょっ、了解しました」

「ひょっとしてビビッてる?」

 リリィの指摘に、オブラは首を激しく横に振った。

「そそそんな事ありませんよ!」

 どこからどう見ても怖がっているオブラに、ルテニカとプミラは笑った。

「そうですか、あなたが噂の猫レジスタンスですね」

「初めて見ました。リベルタがお世話になってます」

 リリィより当たりが優しい二人にそう言われて、悪い気はしないオブラだった。とたんに表情を緩め、頭をかく。

「いえ、僕らの方こそ助けてもらう一方で」

 そこまで言って、オブラは再び緊張の面持ちで二人に訊ねた。

「あのう。お二人は霊能力者という事ですけど、僕らがその…幽霊に遭遇したら、どう対処すればいいんでしょう」

「逃げてください」

 ルテニカの回答は至って単純だった。横で聞いていたリリィが呆気に取られるほどである。

「逃げる、って…どう逃げるんですか」

「言った通りです。走るなり隠れるなりして、現れた霊から逃げることです」

「そんなんでいいんですか!?」

「姿を見せている霊は、ある程度物理的な法則にも支配される存在です。その霊が現れた場所から遠ざかるだけでも、一定の効果はあるはずです」

 リリィもオブラも半信半疑ではあったが、霊能力の専門家である二人がそう言うのだから、そうなのだろうと思う事にした。すると、ルテニカは懐から何かを取り出し、オブラに手渡した。

「何ですか」

 受け取ったオブラは、そのペラペラした物体を確認した。それは、何やら不思議な文字がうねるように書かれた、四枚の縦長の札だった。

「??」

「私たちの武器のひとつでもあるのですが、お渡ししておきます。これを、あなた達が隠れているアジトの四隅に貼りなさい。悪霊に感知される事も、侵入される事もなくなります」

「いいんですか?」

 オブラは、申し訳なさそうにルテニカ達を見る。二人は笑った。

「ご安心を。わたくし達は、そんなものに頼らずとも戦えます」

「さあ、お行きなさい、オブラ」

 その寛大さに感激したのか、オブラは深々とお辞儀をした。

「ありがとうございます!それでは!」

 そう言って駆け出そうとするオブラに、リリィが念押しで声をかける。

「リベルタ達にも伝えてよ!どっかにいるはずだから」

「わかりました!お任せください」

 リリィの指示で背筋をピンと伸ばしたオブラは、来た時と同じように猛ダッシュでその場から消え去った。こうして見ると、猫のレジスタンスというのも妙に頼もしいなと思う三人であった。

「凄いですわね」

 感心するプミラに、リリィはなぜか自慢げに胸を張った。

「ええ。あの子たち、ああ見えてなかなかやるのよ」

「いえ、私が言っているのはリリィ、あなたの事です」

 その予想外の回答に、リリィは面食らった。いまのやり取りの中に、何か凄いと思わせるような要素があっただろうか。プミラは笑って答えた。

「あなたは、どうやら指導者の器があるようです。ご自分でお気付きではないかも知れませんが」

「なにそれ。サーベラスにも言われたわね」

 またしても元氷騎士を呼び捨てにするリリィに、ルテニカは吹き出した。

「ふふふ。一体どういう存在なのでしょうか」

「私、そろそろその答えがわかるような気がしてますわ」

 両サイドから、同じ顔と同じ声の笑みに挟まれて、何やら不気味に思うリリィだった。

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