ドゥルギーナ
「来ませんね」
オブラが壁にもたれてボソリと呟く。オブラとグレーヌは既に40分近く、瑠魅香がゲートから戻ってくるのを待っていた。すると、そこにノシノシと歩いてくる影があった。
「ゲートには入れたのか」
それは、だいぶ装甲の回復が進んだサーベラスであった。慌ててオブラが立ち上がる。
「サーベラス様、もういいんですか」
「じっとしてたら逆になまっちまう。リベルタのやつが、お前達だけの所に敵が現れたらヤバいってんでな」
「まあ、僕らも瑠魅香さまは、すぐ戻ってくると思ってましたからね」
そう言われて、サーベラスはひとつ疑問を抱いた。
「なあ、話を聞く限りだと、瑠魅香はそもそも肉体を持っていないんだよな」
「…まあ、そうでしょうね。人間の魂に波長を切り替えた関係上、今さら氷魔の身体にも戻れないでしょうし」
そうサーベラスに返したグレーヌも、何か気付いたように「ん?」と首をひねった。
「…身体がないのに、どうやってゲートから戻ってくるんだろう」
「な?」
サーベラスがそうだろう、といった風にグレーヌを指差す。グレーヌは眉間にシワを寄せて訝しんだ。
「まさか、戻ってくる方法がわからなくて時間がかかってるとか…」
「そうなると、しばらく戻らねえ可能性も出て来るんじゃねえのか」
それは困る。というか、まずいのではないか。そう3人が目を合わせた時であった。
『わ―――!!』
突然ゲートが眩く光ったかと思うと、瑠魅香の絶叫とともに、炎の塊が飛び出してきた。
「うわあ!!」
炎の真正面にいた3人は、慌てて散開する。炎の塊は鳥のような姿になり、一直線に飛んで壁面に激突した。
激しい打音とともに、炎の鳥は一瞬で聖剣アグニシオンの姿になり、サーベラスめがけて飛んでくる。
「うおお!!」
すんでの所でかわすと、アグニシオンはそのまま壁にグサリと突き刺さった。熱で煙を上げる壁面を見て、サーベラスはゾッとした。
『いたたた…』
「てめえ、俺を殺す気か!」
いきり立つサーベラスに、アグニシオンの中から声がする。
『まだ慣れてないのよ!ちょっと、抜いてくれる?』
「…大丈夫なのか、触って」
サーベラスは、ギラギラと光をたたえるアグニシオンの刃を見て身を震わせた。かつて、サーベラス自身がその肩を破壊された恐ろしい剣である。握ったら手が溶けるのではないか。
『もうたぶん大丈夫』
「お前の言う大丈夫、は何となく不安だ」
『失礼ね!』
なりはアグニシオンだが、中身は完璧に瑠魅香であった。サーベラスは恐る恐る、指で柄をつついてみるが、指が溶ける様子はない。
「…大丈夫そうだな」
グリップを太い手でガッシリ握ると、片手で一気に引き抜く。結構深く刺さっていたらしく、壁面の破片がバラバラと落ちた。
「それで、どうだったの?」
グレーヌが、サーベラスに掴まれたアグニシオン=瑠魅香に事の結果をたずねる。すると、柄の赤い宝石がチカチカと点滅しながら、瑠魅香の声が返ってきた。
『保証はないけど、ひょっとしたら百合香を元に戻せるかも知れない』
「どうやって?」
グレーヌが問いかけると、他の2人も興味津々で耳を傾けた。瑠魅香の答えは、何とも返事のしようがないものだった。
『あたしがさっきの炎の鳥になって、百合香の中に無理やり入る』
その頃、ロードライトが守護するエリアに近付く、制服氷魔の一団があった。
「あなた達、このエリアは現在崩落の危険があるわ。近寄らないようにと、連絡は行ってなかったの?」
通路に立つロードライト配下の少女二人が、訪れた四人の少女にそう告げた。すると、四人を代表する一人が進み出て言った。
「アルマンド様や亡くなられた方々に、氷騎士ディジット様より弔文を預かって参りました。"このたびの不幸に、ディジット以下全ての兵士は弔意を示します。また、その勇敢さに深く敬意を表するものであります。氷騎士ディジット"…以上です」
そう告げられた門番の兵士二人は、わざわざ使者まで遣わしてきた事に多少の驚きを見せていた。なぜかというと、ディジットという氷騎士は、ことのほか他者との関わりがぞんざいな事で知られているためである。しかし、来てくれたものに非礼もできないので、門番は形式的ながらも謝意を述べることにした。
「…わざわざの訪問ありがとうございます。ロードライト様および配下一同、ご厚情に深く感謝申し上げる、とディジット様へお伝え下さい」
「確かにお伝えいたします。…ところで、そのロードライト様はご壮健でいらっしゃいますか」
そう問われ、門番二人はぎくりと背筋を伸ばした。ロードライトはマグショットとの戦闘、さらにその後の魔晶天使との戦闘で、大きなダメージを負って今は動ける状態ではないのだ。ただ、手足が折れたりだとかの状態でない事は僅かな救いではあった。
「ロードライト様は、暴走した魔晶天使との戦闘でわずかに負傷されましたが、深刻なものではありません。どうぞご安心ください」
とりあえず門番はそう取り繕ったが、まるきり嘘を言っているわけでもない。ディジットの使者は、頷いてみせた。
「そうでしたか。軽傷ということであれば、ディジット様もご安心されるかと思います。快癒をお祈り申し上げます。それでは」
四人は一礼すると、振り返って通路を戻って行った。門番二人は目を合わせると、一人が報告のためにロードライトのもとへ向かった。
「弔問、ですか」
報告を受けたロードライトは、傷だらけの姿で椅子に座り込んでいた。
「珍しい事もあるものです。アイスフォンで形ばかりの弔文でも届けば、上等だろうと思っていました」
弔文を届けてくれた相手にずいぶんな言いようではある。しかし、それについて誰も諫める様子はなかった。
「わかりました。私の名前でお返事はしたのですね」
「はい」
「それで良いでしょう。私も回復しだい、直接赴いて謝意を伝えます」
ロードライトは、下がってよいと身振りで示す。少女兵士は頷くと、ついていた片膝を上げた。
「では、私はまた門の警備に戻ります」
そこまで言って、ふと少女はロードライトに問いかけた。
「ロードライト様、このような物言いは礼を失しているかと思うのですが」
突然改まって言われたので、ロードライトは何の事かと思いながらも言った。
「何でしょう。続けなさい」
「はい。その…ディジット様が、なぜわざわざロードライト様のお加減を気にされているのか、と」
「あのディジットが、という事ですね」
ロードライトは笑う。
「…出過ぎた事を申しました」
「かまいません。ディジットは、誰が死のうと意に介さない女です。そう思うのも無理はありません」
そう言うと、ロードライトは椅子を降りて手足の調子を見た。まだ戦える状態ではないが、歩ける程度には回復している。
「また彼女は、他者との関わりを嫌う一方で、蔑んだり、罵ったりする事に積極的な御仁でもあります。おおかた、私が傷付いている事に嫌味を言ったつもりなのでしょう」
それこそ軽蔑するように、ロードライトは溜め息混じりに言った。
「私は気にしておりません。下がってよろしい」
「はい。それでは、失礼いたします」
深く礼をすると、少女兵士はロードライトの前を辞した。ロードライトは、脇に控えていた別の兵士に訊ねる。
「フロアの修復の状況は?」
「はい。ひとまずナロー・ドールズを使用しての、瓦礫の撤去は順調に進んでおります。床と柱は最優先で復元する予定です」
「わかりました。…それで、例の件は」
ロードライトが、わざとぼかして言った意味を兵士は理解していた。
「急場しのぎですが、瓦礫を積み上げて隠しています。その旨、リベルタ様のアイスフォンに連絡は入れてあります」
「あの事についても書き添えましたね」
「はい。ロードライト様が言われたとおり」
「よろしい。では、修復を引き続きお願いします」
そう言うとロードライトは、再び椅子に座って目を閉じた。
リベルタは右腕がないのを恨めしそうに思いながら、壁にもたれてアイスフォンの画面を開いた。
「ロードライトの所の子からメールきてるよ」
開いた画面を、リベルタはティージュ達に示した。ティージュとレジスタンス少女二人はそれを覗き込むが、マグショットは我関せず、棚の上で仰向けに脚を組んで寝ていた。氷魔の回復に睡眠は基本的に必要ないが、眠る事がないわけではない。リベルタは届いたメールを読み上げた。
「百合香はひとまず、瓦礫を周囲に積み上げて隠したって」
「力業ね」
ティージュは若干呆れながらも、まあそれ以外ないだろうなとも思った。
「あとは瑠魅香たちね。そろそろ戻る頃じゃないかしら」
リベルタがそう言ってドアを見た、まさにその時だった。ガチャリとノブが回って、グレーヌが現れたのだ。
「ただいまー」
「すごいタイミングね」
「なにが?」
「何でもない。それより、どうだったの」
リベルタ達の視線が、グレーヌに続いて入ってきたサーベラスの、太い手に握られたアグニシオン=瑠魅香に集中する。
『そんな一斉に見ないでくれるかな』
「上手くいきそうなの?」
リベルタは瑠魅香の抗議を無視して、話を進めさせた。
『上手くいくかわかんないけど、やってみる。ガドリエルから、新しい魔法を教わってきた』
「なにそれ」
『今の私なら発動できるかも知れない、って。善は急げだよ、早く百合香のところに行こう』
「よし」
そう言うと、リベルタが立ち上がる。
「ちょっと、あなたはここにいなさいよ」
グレーヌがリベルタを止めるものの、リベルタはアイスフォンに届いたメールの文面を示して言った。
「ロードライトが、私に渡したい物があるから来てくれ、だって」
「リベルタに?名指しで?」
「ええ。だから私が行かないと」
それならやむを得ない、とグレーヌはしぶしぶ了解する。そこで、編成をどうするべきかという話になった。
「とりあえず、サーベラス様は来てもらいます」
なんとなくその場を仕切る事になった、リベルタが言った。一応敬称つきではあるが、すでに単なる仲間扱いである。
「何かあった時、今この状況でまともに戦えるメンバーが他にいない。いいですか」
「いいも何もねえ」
そう胸を張るサーベラスに頷くと、リベルタはグレーヌとラシーヌを見た。
「グレーヌ、ラシーヌ、あなた達はここの二人と一緒に待機して、マグショットを護って。ティージュとオブラを連れて行く」
「その人数で、何かあった時大丈夫なの?」
「あまり人数が多いと悪目立ちするからね。その時のために、連絡役としてオブラを連れていく。ほら」
そう言うと、リベルタはオブラにアイスフォンを手渡した。
「あなたにも渡しておくわ。使い方は、道々教えてあげる」
「あ、ありがとうございます!」
アイスフォンを手にしてはしゃぐ様は、玩具を買ってもらって喜ぶ子供のそれと同じである。リベルタは笑いながら、サーベラス達を向いた。
「それじゃ、行くよ。百合香を元に戻すために」
全員が力強く頷いて、アジトを後にした。
第三層のさらに上に、天守閣を含む塔がある。そこに氷魔皇帝側近、ヒムロデの執務室はあった。
「お呼びでしょうか、ヒムロデ様」
何となくヒムロデの秘書じみてきた感もある、水晶騎士カンデラがヒムロデの前に跪いていた。ヒムロデは椅子に腰掛けたまま訊ねる。
「カンデラ、ひとつ訊きたい事がある。お前はあの、死んだ侵入者の少女と戦った際に、彼女が持っていた剣を当然、目にしているな」
「はっ!?」
カンデラの驚きように、ヒムロデが逆に反応した。
「なんだ。何をそんなに驚く」
「い、いえ…は、はい。確かに。目にしたどころか、実際に剣を打ち合いました」
「ふむ。その剣、いずこに消えたかお前はわかるまいな」
最初から期待していないような口調で、ヒムロデは訊ねた。
「理由があって、私の手の者に行方を探させている。しかし、見つかる気配はない。お前なら何か知っているのではないかと思った次第だ」
カンデラは一瞬、どう答えるか迷ったものの、ひとつを除いてあるがままを正直に伝える事にした。
「恐れながら、打ち倒した後は例の裏切者どもの邪魔が入り、その後は私には…」
「うむ。いや、私も報告には目を通しているからな。お前がその場を去ったのち、例の怪物に鎧ごと喰われた際に、まとめて粉にされたと見るのが妥当であろうな」
何か残念そうにヒムロデが言うので、気になったカンデラは思い切って訊ねた。
「ヒムロデ様、あの剣は一体何だったのでございますか」
「気になるか」
「…はい」
「さては、お前が足繁く図書館に通っている事と関係ありか」
意地悪くヒムロデは笑ってみせたが、カンデラはまたも飛び上がりかけるほどだった。
「ごっ、ご存知で」
「噂にならぬわけがなかろう。最上級幹部のお前が図書館に通い詰めておればな」
「そ、それはその通りですが…」
カンデラは焦った。別に良からぬ事をしているわけではないが、禁書などという穏やかではない書物に手を触れている事もあり、もし全て明かせばヒムロデや皇帝の不興を買うのでは、と考えてしまうのだ。
「何を調べておる?差し障りなければ申してみよ。私も調べるのは嫌いではない」
珍しく見せるヒムロデの愛嬌が、今はカンデラには逆にこたえる。どう答えるべきか。そこで、カンデラは「多少隠し事はするが嘘は言わない」という方法を採ることにした。
「は、はい。実はその…いまヒムロデ様より問われた内容と関連しておりまして」
「なに?」
ヒムロデの表情が少しだけ鋭くなる。カンデラは構わず続けた。
「この際と言っては失礼ですが、ヒムロデ様にお訊ね申し上げます。ヒムロデ様は、はるか過去にこの氷巌城に乗り込んできたという、黄金の女剣士の存在について、ご存知でございますか」
その問いに、ヒムロデはガタンと椅子を立った。
「…カンデラ、いったい何を調べておる」
その表情には何か、焦燥のようなものが見て取れた。カンデラはまずい事を言ったかと思ったが、もとより武人の彼は、いざという時は肚を決める剣士である。
「正直に申し上げます。私は、武人としてその剣士に興味を抱きました。そして、此度この氷巌城に乗り込んで来た、あの金髪の女剣士が、その伝説の女剣士と酷似しているという事実にも」
カンデラの言葉に偽りはないとみたヒムロデは、再び椅子に腰をおろして語った。
「ふむ、そういう事であったか」
「もし、この行為が何らかの咎につながるものであれば、私は全てを忘れます」
「いや、構わん。そのような事を思っているのではない」
ヒムロデはしばし考えを整理したのち、再び語った。
「カンデラ。その女剣士の名、知りたいか」
「は?…ご存知なのですか!?」
驚いてカンデラは訊ねた。ヒムロデは、先ほどとは違う笑みを浮かべて言った。
「かつて氷巌城に現れ、氷魔皇帝と互角の戦いを繰り広げた女剣士。その名は、本当の名かどうかは不明だが、彼女に同行していた者たちから”ドゥルギーナ”と呼ばれていた、という記録があるという」
その名を、カンデラは復唱した。
「ドゥルギーナ…」
「さよう。そして、彼女が携えていた、炎を吐く黄金の魔剣。これを”アグニシオン”という」
「魔剣…アグニシオン?」
その響きに、カンデラは何とも不吉なものを感じた。
「まさか、ヒムロデ様が侵入者の剣を探させていた理由とは…」
「うむ。よもやその伝説に聞く魔剣、アグニシオンだったのではないか、と思ったのだ。考えてもみろ。今の人類の科学力とやらで、あんな代物を造れると思うか」
それはその通りだ、とカンデラは思った。人類の科学力では、氷魔を倒す事はできない。現に、世界中にばらまいた魔氷胚によって、あらゆる兵器は無力と化したのだ。錬金術師ヌルダの計算によると、人間が持つ”核兵器”と呼ばれる原始的な原理の爆弾は、地上にある全てを使い切っても、絶大な魔力で固められたこの氷巌城の外壁はおろか、窓を割る事さえできないという。
ところが、侵入者の剣は今まで、城の各所を何度も破壊してみせている。すでにその時点で、人類の科学力を超越した存在である。
「その、アグニシオンとは一体、何なのですか」
「うむ。正直に言うと、我々にもわかっている事は少ない。だが、あらゆる記録を私なりに総合してみたうえ辿り着いた推論は、我々氷魔と相反するエネルギーを持った、いわば”太陽の剣”ではないか、という事だ」
「太陽の剣…?」
いったい何なのだそれは、とカンデラは思った。太陽のエネルギーは、この氷巌城にとって最も脅威となる。そのエネルギーを持った剣を、なぜその女剣士は持っていたのか。そして、あの侵入者・百合香が振るっていた黄金の剣は、果たしてそのアグニシオンだったのか。
その問いが大いなる転換点に自分自身を誘っている事など、その時のカンデラには知りようもなかった。