雷の矢
「リベルタ。今のお前の力では、皇帝陛下に立ち向かうどころか、上層の氷騎士ひとり倒す事も叶わない」
ストラトスは、冷徹に断言した。
「それならば、私の手でこの場でお前を葬り去る」
すっと伸ばした左手に、巨大な弓が音もなく現れた。優雅な曲線と、華麗な装飾がほどこされている。そしてストラトスの両肩から、白い翼が広がった。それは、悪魔とも天使とも名状しがたい姿であった。
「ストラトス、ひとつだけ教えて。エラ達を殺したのは、あなたなの」
リベルタは、一歩進み出て詰問する。ストラトスは無表情で答えた。
「そうだ」
「…わかった」
リベルタもまた、左手に弓を持ち、迷うことなくその弦をストラトスに向けて引く。
「もう迷いはない。あなたから授かった全てを、あなたにぶつけてここを通る」
「よかろう」
ストラトスもまた、弦を引いた弓をリベルタに向ける。言い知れぬ緊張が、その空間に張り詰めた。
二人の弓に、同時に青白い光の矢が現れる。そして、寸分の時間差もなく、同時に弦が弾かれた。
「「フリージングトルネード!!!」」
まるで示し合わせたかのように、二人は同じ技を同時に放つ。水平方向に放たれた氷の竜巻が、広大な空間の中央で激突した。
「うおっ!!」
「きゃああ!!」
さしものサーベラスも、その巨体が揺らぐほどの暴風が空間全体に吹き荒れ、百合香たちは剣を突き立てて踏み止まった。
暴風が収まったとき、すでにリベルタは移動していた。ストラトスと距離を置いたまま、さらに第ニの技を放つ。
「ストレート・アイシクル!!」
リベルタの身の丈を超える巨大な氷の矢が生成され、ストラトスの心臓部めがけて飛ぶ。しかしストラトスは、それを容易く腕のひと払いで打ち砕いてしまった。
リベルタは怯まずに、次の攻撃態勢に移る。しかし、ストラトスはその僅かな隙を突いてきた。
「ヘイル・ストラム!!」
ストラトスの弓から放たれたエネルギーは無数の氷の弾丸となり、リベルタを打ち付けた。
「ぐあああ―――っ!!!」
全身にダメージを負ったリベルタは、床に打ち付けられ弾け飛び、壁面に叩き付けられてそのまま倒れ込んでしまった。
「リベルタ!!」
百合香たちは慌てて加勢に入ろうと駆け出す。しかし、ストラトスは百合香たち目掛けてエネルギーを放った。
「うああっ!!」
強烈な波動に弾かれ、百合香たちは弾き飛ばされてしまう。サーベラスが3人をかろうじて受け止めた。
「邪魔立て無用!」
ストラトスの声とともに、百合香たちの周囲に無数の氷魔少女たちが現れる。そしてその背後に、百合香には見覚えがある、巨大な氷の戦闘人形が2体控えていた。
「魔晶兵!」
それは、合香が基底部から第一層に上がる際に戦った、巨体の怪物だった。それが2体も現れ、氷魔少女たちを従えるように接近してくる。
「サーベラス!」
百合香は剣を構える。サーベラスは、待ってましたと言わんばかりに大剣を振り回した。
「肩慣らしにゃ丁度いい」
どう見ても高さだけで倍以上ある相手に、サーベラスは意気込んだ。
だが、百合香にとって真の脅威は、ガドリエル学園の制服を着た氷魔少女たちだった。姿が違うだけで他の氷魔たちと変わらないのは、そう言われればそのとおりである。
「くっ!」
打ち付けてくる剣を弾き、その身をアグニシオンで刺し貫くごとに、百合香は底知れぬ虚しさを覚えていた。
自分は本来、自分の平穏な生活を取り戻したいだけだった。そのために、この城に乗り込んできた。それなのに、気が付いてみれば、倒すべき相手と仲間になり、敵の命を断つことに苦悩している。
「わああ―――っ!!」
そんな気持ちを振り払うように、百合香はアグニシオンを振るった。自我を操られた氷の少女たちの身体が、自分の剣から発される炎のエネルギーに焼かれ、無惨に朽ち果ててゆく。もはや、泣くことにさえ嫌気が差していた。
もう、氷魔も人間も関係なかった。戦うということは、命を奪い合う事なのだ。そこに意味などない。ただ、その結果を受け止め、意味を決め付ける自分たちがいるだけだ。
百合香たちをよそに、ストラトスとリベルタの戦いは続いていた。
「脚がふらついている。覚悟が定まっていない証拠だな。そんなことで、このストラトスを超える事はできない!」
ストラトスの放った氷の矢が、リベルタを狙う。それを回避しながら、リベルタは矢を撃ち返した。ストラトスはそれをかわすでもなく、発散したエネルギーだけで容易く弾いてみせた。
強い。リベルタは改めて思った。やはり格が違う。
「ここまでだな、リベルタ。引導を渡してやる」
満身創痍で立つリベルタに、ストラトスは冷酷に弓を引いた。百合香たちは、魔晶兵と戦っていて加勢は期待できない。
リベルタは、覚悟を決めて弓を引いた。
「まだ抗うつもりか」
「私は抗ってるんじゃない」
「なに?」
「私は、私の道をゆく。誰かが用意してくれた座に甘んじているのは、戦士じゃない。奴隷よ!!」
リベルタの全身に満ちた気で、ひび割れた鎧や眼鏡が割れて飛んだ。
その時だった。リベルタは、視界に何か異変が起きたのを感じた。何か、空間が歪んだように思えた。それは、既視感がある現象だった。
「よかろう。ならばその誇りに、奥義をもって応えてやる」
ストラトスが構えた弓に、雷のようなエネルギーが弾ける。それは、リベルタも見たことがない現象だった。
リベルタもまた、弓にエネルギーを込める。そして、リベルタが取った行動は、ストラトスの予想を超えたものだった。
「なに!?」
なんとリベルタは、弓を構えたままストラトスに向かって、全力疾走を始めたのだ。それは、常軌を逸した戦法だった。
ストラトスは構わずリベルタに向かって、弓に込めた雷のエネルギーを放つ。
「インドラストラ・エピュラシオン!!!」
それは、視認不可能な速度で直進する、雷の矢だった。矢はリベルタの胸を貫くかに見えた。
しかし、こちらに向かって疾走してくるリベルタに対しては、いかに弓の名手といえども正確に狙いを定める事は難しく、雷の矢はリベルタの顔の数ミリ横を突き抜けた。
「!!」
ストラトスは驚愕した。雷の矢はそのまま、あろうことか魔晶兵の胴体を貫く。
「しまった!」
矢は魔晶兵を貫通し、そのまま壁面へと到達する。
「まずい、伏せろ!!!」
サーベラスが叫び、百合香やグレーヌたちを強引に引き寄せると、庇うように覆い被さった。
次の瞬間、雷の矢が直撃した壁を中心として眩い閃光が走り、城を揺るがさんばかりの轟音と振動と衝撃波が空間全体を襲った。
「ぬうおおおお!!!」
百合香たちを庇うサーベラスの周りで、氷魔の少女たちの身体はその衝撃波に耐えられず、バラバラに砕かれ、木の葉のように舞い飛んで消滅していった。身体を穿かれた魔晶兵はその構造を維持できず、塵芥となってその場に崩れ落ちる。
壁面はおろか、床や高い天井にまで破壊は及び、崩れ落ちた氷のブロックがサーベラスの身体を容赦なく打ち付ける。
「ぐおおっ!」
「サーベラス!!」
百合香が叫ぶ。
「出てくるな!これしきの事!」
事態がようやく収まり、立ち込めていた煙が収まった時、残っていたのはストラトスとボロボロで動けない魔晶兵一騎、そして装甲がズタズタにされたサーベラスと、それに護られた百合香たちだった。もはや、氷魔の少女たちはただの塵芥と成り果て、存在していた事実さえ消え去ったかのようだった。
百合香は、その光景に何重もの意味で戦慄した。これまで戦ってきた、どんな敵よりも凄まじい実力である。こんな攻撃を正面から受けたのなら、百合香の肉体など一瞬で消え去ってしまうだろう。
その時、百合香はリベルタの姿がない事に気付いた。
「…リベルタ」
その名を呼びかける。しかし、返事はない。
「リベルタ!!」
グレーヌ、ラシーヌ、ティージュもまた呼びかける。だが、返ってくるのは自分たちの声だけだった。
百合香は、がくりと膝をついた。
「…会ったばかりじゃない」
涙がぽろぽろと落ちる。ようやく気持ちが通じたと思った矢先に、リベルタはいなくなってしまった。
ストラトスは、足元に散乱する氷魔少女たちの亡骸に一瞥をくれると、百合香たちに向き直った。
「裏切り者リベルタは死んだ。さて、残りの愚か者どもを始末してくれよう」
あれだけの技を放ってなお、ストラトスはいささかの疲労も見せなかった。もはや神にも等しい存在なのではないか、と百合香たちは思い始めていた。
だが、百合香は涙を振り切って、聖剣アグニシオンを構える。
「サーベラス。3人をお願い」
百合香は、武器も折れて満身創痍のグレーヌたちをサーベラスに任せ、ストラトスに向かって立ち上がる。サーベラスは、立ち上がる事もままならない身体を恨みながら言った。
「ばかやろう、一人で何ができる」
「…一人なんかじゃない」
そう言うと、百合香は全身にその気力を漲らせる。
「ほう。まだそんな力が残っていたとはな」
感心するようにストラトスは言った。その足元に、バラバラにされた少女たちの腕や脚や武器が、哀れに折り重なっているのが見える。
「いいだろう。リベルタもあの世で寂しかろう、お前達も共に旅立つがよい」
「何を勘違いしているの?」
「なに?」
「いま言ったのが聞こえなかった?私は一人じゃない」
百合香の言葉を理解しかねたのか、ストラトスの意識が百合香に集中している、その瞬間だった。
ストラトスの足元の、氷魔少女たちの亡骸が、突然ガラガラと崩れた。そしてその奥底から、ストラトスを見据える眼光と、ギリリと引かれた弓が現れる。
「!!!」
ストラトスが驚愕したその時、すでに弓の弦は弾かれていた。放たれた矢は、ストラトスの頭部を狙うかのように飛翔する。だが、それは顔を掠めて後方に飛び去ってしまった。
『ギャアアア!!!』
突然だった。ストラトスの背後の空間に放たれた矢が突き刺さり、あたかも空間がひび割れているかのような光景が現れた。
「えっ!?」
ティージュが、何事かと立ち上がる。グレーヌとラシーヌ、サーベラスも呆然とその光景を見ていた。
だが、さらに予想外の事態が起こった。
「うああああっ…!!」
突然、ストラトスが胸を押さえて苦しみ始めたのだ。
「なっ、なに!?」
「ねえ、あれ…」
「え?」
ラシーヌが指差した先を、グレーヌは見た。氷魔たちの残骸の中から、立ち上がる人影があった。それは、弓を携えたリベルタの姿であった。
「リベルタ!!」
グレーヌたちは駆け寄ると、そのボロボロの身体を抱きしめた。
「良かった、生きてた…」
「ごめん、心配かけて」
「でっ、でも、これどういう事!?」
グレーヌが見上げる空間では、ひび割れが拡大し始めていた。それにつれて、ストラトスの苦しみも増大する。
「うっ…ぐおおおお!!」
「いまだよ、止めを撃とう!」
容赦なくラシーヌが、リベルタと百合香に叫ぶ。しかし、リベルタは首を横に振った。
「私達の知らない何かが起こっていたらしい」
「どっ…どういう事?」
「思い出して。エラの最後の言葉を」
「…あっ!」
ラシーヌは、エラが事切れる寸前に通話で言いかけていた言葉を思い出していた。
「ストラトスの後ろに、って言ってたあれ!?」
「そう。さっき、ストラトスの背後の空間が一瞬、歪んだのに気付いたの。まるで、ここに来る前の通路で襲ってきた、あの透明氷魔たちのようにね。あの透明な氷魔たちは一体、どこに行ったのか?さっきから疑問だったのよ」
「じゃっ、じゃあ…」
「そう。この空間には、何者かは知らないけど、もう一体の氷魔がいたのよ」
リベルタは立ち上がり、ストラトスの背後に潜む謎の敵を指差した。
「姿を現しなさい!」
『ぬぅおおおお』
それは、ストラトスによく似た女性の声だった。
『おのれ…このイオノスの存在に気付くとは』
イオノスと名乗ったその声の主は、空間に現れた裂け目から、ガラスが割れるような音とともに姿を現した。だが、その姿はどこかおぼろげで、実体がないようにも見える。百合香は、まるで癒しの間で見る瑠魅香のようだと思った。
そしてその姿に、リベルタたち全員が絶句した。それはストラトスと瓜二つの、天使の翼と悪魔の角を持った氷魔だったのだ。唯一にして最大の違いは、その腰まである長い髪だった。
「今わかったわ。あの異常なまでの力は、一体のものではない。あなた達二人の力が重なったものだったのよ」
『ふ…それがわかったところで、どうなると言うのだ』
イオノスは、ストラトスと同じく巨大な弓を手に、リベルタの前に立った。その後ろで、ストラトスが膝をついて苦しんでいる。
「あなたはストラトスに取り憑いていたの?」
『取り憑く?』
イオノスは、リベルタの問いに突然笑い始めた。
『ははは!取り憑いてなどおらぬ。我らはもともと一体の存在なのだ』
「何ですって?」
『冥途の土産に教えてやろう。お前にこのストラトスが手取り足取り教えていた時も、この私はストラトスの影にいたのだ』
「そんな…」
リベルタは、全く知らなかった事を知らされて愕然としていた。
『当然だ。あの頃、我らに今のような強い感情はなかったからな。だが、今こうして多くの氷魔が感情を持ったのと同じく、我らもまた感情に目覚めた。その時改めて知ったのだ。私はこのストラトスと一体であり、なおかつ個別の存在であると』
「そっ…それでは、なぜ今までストラトスの影に隠れていたの?」
『ふん。説明してやるがいい、ストラトス』
イオノスは、やれやれといった様子で背後で苦しむストラトスに言った。ストラトスは、よろめきながら立ち上がるとリベルタに向き直る。
「…愚かな師を笑うがいい、リベルタ」
「え?」
「私はな…お前と同じように、本心では皇帝ラハヴェに反逆の意志を固めていたのだ」
「なんですって?」
リベルタは訝しんだ。ここまで散々、仲間たちを倒して来た張本人に、今さらそんな事を言われても信用などできない。
「許せ、などと言うつもりはない…だが、今もその意志に変わりはない」
「ではなぜ、私達を!?」
「私の本質は、骸なのだ」
「…骸?」
その響きに、リベルタは薄ら寒い何かを感じた。
「そうだ…見ろ、今の私を。力を失った、この姿を」
「でっ、ではまさか、そのイオノスは」
リベルタはイオノスを見る。イオノスが答えた。
『さよう。私には実体がない。力だけの存在、それが私だ。だが、よもや私の魂に直接攻撃を加えられるとは思ってもいなかった。なるほど、ストラトスが目をかけるだけの事はある』
「つまり、今までのストラトスの力は…」
『そうだ。私がいなければ半分の力も出せぬ。だが、この私もまた、ストラトスの身体がなければ、全ての力を発揮することはできぬ』
その説明で、リベルタは理解した。
「ストラトス、あなたは…イオノスを制御する方法を探していたのね」
「…そうだ。イオノスの力がなければ、私もまた全ての力で戦う事ができない…イオノスの魂を御する機会を伺っていたのだ」
「そのために、イオノスに従うふりをしていたというの」
ストラトスは無言で頷いた。すると、イオノスが口を開く。
『馬鹿なやつよ。そんな事をしているうちに、この私に身体を乗っ取られつつあったのだからな』
「…なんですって」
『おっと、口が滑ったかな。当たり前だ、魂の世界に”ふりをする”などという誤魔化しは存在し得ない。私に従う”ふりをして”いれば、やがてそれが現実になる。機会を伺っていたのは、私の方だったという事だ。この骸を完全に乗っ取る機会をな』
そう言うと、イオノスはゆっくりとストラトスに近付いた。
『そして今、機会は訪れた』
「えっ!?」
驚くリベルタの前で、イオノスはストラトスの身体に向けて、その手から禍々しい波動を放った。
「うっ…ああああ!!!」
「ストラトス!」
リベルタが駆け寄る。ストラトスの身体はのけ反り、一瞬でその意識を失った。そこへ、イオノスが入り込む。
「あっ!」
『礼を言うぞ。予期せぬ形で、機会が訪れた。こやつの魂が、その罪悪感に苛まれて力を失う瞬間をな!!』
バーンと波動が弾け、現れたのは巨大な翼を持った、長髪の氷魔だった。
「今こそ、私はひとつになった。このイオノスが唯一の存在となったのだ!」