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空行く月の末の花橘  作者: アサミズ
埋れ木之章
9/25

 御維新の後に組織された警察の主要建物は、当時の流行りか洋館の趣を強く押し出している。この街の警察署も御多分に漏れず、赤煉瓦の堂々たる建物だ。

 そんな署内で葉髞(しょうぞう)が自由に出入りを許されている場所が、奥まった場所にある資料室だ。そこには、あやかしものに関する事件のあれこれが保管されている。とは言え、勝手にうろつくのも心証は良くないだろうと、一応顔見知りの署員に声をかけることにしていた。

 つまらないことで仕事に差し支えるのも面白くないし、長老どもへ付け入る隙を作るのも嫌だ。そう言う葉髞に、先代は好き勝手に徘徊していたぞと、みんなは声を揃えて笑うのだけど。

円谷(つぶらや)さーん、松山くんが来ましたよ」

 署員が連立する棚の奥へ声をかけると、がたん、とひとつ固い音がした。

「おう、わざわざ悪いな」

 立ち去る署員へ会釈をした葉髞は、さり気なく扉へ貼られた符を確認して、室内を一望する。扱う物が物なので、ここには常に結界が張られていて、これらの保持も仕事の一つなのだ。今の所は綻びも見当たらず、問題なく機能しているように見える。

 それらを確認して棚の奥へ向かうと、窮屈そうに机に向かう円谷の背中が見えた。

「おはようございます」

「おはようさん。あれから、そっちはどうだ?」

 泊まったんだろう、と振り返った円谷に、葉髞は肩を竦めてみせる。

「恙無く。静かなものでしたよ」

 夜も更けて警察が引き上げてしまうと、下宿は一気に閑散としてしまった。羽依子(ういこ)が被害者の部屋の鍵をかけて立ち去り、それぞれ朝まで部屋を出なかったようだ。夜中に二階の住人が戻った様子もなく、窓の外に記者らしき人影が見えたことから、彼らの取材を警戒して帰らなかったらしい。一応警戒し有事に備えていたが、常識のない記者に踏み込まれることもなく、例の訪問者も現われることなく夜が明けた。

「その晩にもう一度来るってことも、そうないだろうがな。何事もないなら良かったよ」

「そちらはどうですか。捜査に進展は?」

「昨日の今日だ、大して進んじゃいないさ。取り敢えず、調書は浚ってみたがな」

 机に置かれた黒表紙の綴じ物をちらりと見遣る。

「やっぱり、あの盃と準じる物はねェな。少なくとも、俺らは見つけちゃいねェ」

 そうですか、と頷く葉髞を見上げて、円谷は僅かに目を細めた。

「おまえ、見つかるとは思っちゃいねェだろ」

「あったらいいな、とは思ってますよ」

 軽く肩を竦めてみせて、葉髞は調書へ手を伸ばす。

 なんとなく受けた印象を言えば、あれは呪具だ。誰が何のために使用した物か解れば、事件の真相に近づける気がする。他にも、見落としていることはないだろうか。

 ぱらりと捲る調書には、北村の几帳面な文字が綴られている。読み難くはないのだけど、円谷の堂々たる達筆を覚えている身としては違和感を拭えない。

「今日から、一応実家中心に探りに行かせるけどな。あまり期待するなよ、俺も見つかる気はしねェ」

「彼らの持ち物だったのか、わかるだけでも有難いです」

「意地でも見つけろって無茶言わねェだけ、おまえの方が優しいな」

 からから笑う円谷へ視線を向け、仄かに苦笑する。確かに、あの叔父ならば当然という顔をして言うだろう。

「ところで、あの作家先生とは長いのか?」

「年数だけ見れば、長いですよ。疎遠だった時期も長いですけど」

 答え、ふと口を噤んで眉根を寄せる。

「なんだ? どうした」

「いえ……」

 今更だが、なんだか妙な感じがしたのだ。叔父が亡くなってからこちら、忙しかったというよりも、毎日の生活に追われていた。

 そんな中で学生時代の友人を思い出すことなどあるはずもなく、それ以前も常に忙しく駆けずり回っていて連絡を怠っていた所為もあり、すっかり疎遠になっていたのだ。

 そんな生活が何年も続いたのに、何故かあの日は、恭成(たかなり)の顔が見たくなった。

「偶然というには……、あまにりも間が良かったな、と思って」

「精々、きちんと張り付いててやるんだな。呼ばれたからには意味があるぜ」

 そんな言い方をした彼を意外そうに見て、葉髞はその表情を隠しもせずに口を開いた。

「円谷さんが、そういう迷信じみたモノを信じてるとは思いませんでした」

「おまえなぁ、今更だろう」

 苦笑を浮かべて振り仰ぎ、円谷は背もたれに身体を預ける。ぎしり、と軋んだ音をさせた椅子は、きしきしとか細い悲鳴をあげている。

「何年、こんな事件扱ってると思ってンだ。桃真(とうま)は悪運だとか野生の勘なんて言い方しやがるけどな、それが俺の特性なんだろうさ」

 にやり、と笑った彼は、次の瞬間には真剣な面持ちで言葉を次ぐ。

「これで生き延びてきた。だからこいつは忠告だ、一人にするな。可能なら、暫くおまえンとこで匿ってやれ」

「それも、野生の勘ですか?」

「馬鹿にするかい?」

 いいえ、とかぶりを振って、調書を閉じた。

「有難く拝聴します」

「さて、押収物の確認をしてくれ。こっちにしまい込まなきゃならねぇ物も、あるかもしれねぇし」

 移動しよう、と円谷が席を立った。がたんと音を立てた椅子の背を掴んで机に収め、踵を返す。調書を机の上へ戻した葉髞は、彼に続いて資料室を後にした。


  ◇◆◇

 

 朝食の後、昼過ぎには戻ると言い残して葉髞が出掛けてしまうと、妙に重苦しい静寂に包まれた。嫌な気配はしないものの、とてつもなく居心地は悪い。

 昨晩の騒ぎに躊躇ったのか二階の住人は誰も帰ってきていないし、椿(つばき)の姿もあれから見ていない。ぱたぱたと生活音が足下に響いているから、階下の住人たちはいつものように活動しているようだ。

 暫くぼんやり書籍を捲って過ごしてしていた恭成は、深々とため息をついた後、気を取り直したように立ち上がった。内容なんかちっとも頭に入ってこないし、何よりこのまま引き蘢っていては気が滅入ってしまう。少し散歩でもしてこよう。

 火の始末をして、外套を手に部屋を出る。階段を下りたところで、玄関に立つ来客に気がついた。

「あ、天野さん!」

 諸岡(もろおか)の声に、応対していた羽依子が「あら」と振り返る。

「今、呼びに行こうと思っていたんです」

 おっとりと微笑んだ彼女は、諸岡と恭成それぞれに会釈をしてその場を離れた。

「どうしたんですか? 珍しいですね」

「びっくりして飛んで来たんですよ!」

 あぁ、と僅かに苦笑を浮かべて、困ったように小首を傾げる。昨夜の情報が既に入っているのだろう。昨夜から下宿を出ていないので気づかなかったが、取材の記者も野次馬の中にいたのかもしれない。葉髞が朝早く出掛けていったのも、記者を警戒していたのだろうか。恭成としても、カストリ誌の取材だけは御免被る。

九重(ここのえ)先輩が、そわそわしてるくらいなら行ってきなさいって、送り出してくれまして!」

 この一言に顛末が容易に想像できて、思わず吹き出した。記者室紅一点の九重嬢は少々気が強く、彼女の下についている諸岡とは、なかなか面白いやり取りを見せてくれるのだ。

「わざわざ、有難うございます」

 堪えられずにくつくつ笑いながら礼を言うと、察せられていることに勘付いた諸岡は、へらへらと笑みを浮かべる。そうして、心配そうに小首を傾げた。

「あの、お出かけするところだったんなら、今日は引き取りますけど」

「ちょっと気詰まりだから、外に出ようと思ってたんです」

 よかったら付き合ってください、と促すと、彼はこくこくと頷いた。

 諸岡を連れて訪れたのは、たまに顔を出すカフェーだ。和菓子屋が併設している店で、訪れる客層も幅広い。いつものカウンターではなく奥の席へ落ち着くと、馴染みの女給へ手短に珈琲を注文する。

 道中ずっと、うずうずした様子を見せていた諸岡は、女給が傍を離れた途端、勢いよく頭を下げた。

「すみませんッ。この間、ものすごく不謹慎なこと、言っちゃいましたね」

「いいえ、お互い様ですよ。まさか、こんなことになるとは思いませんでしたよね」

「あのー、大丈夫……ですか? その、容疑者になってたりとか」

 大丈夫でしたよ、と苦笑を浮かべた恭成は、内心嘆息を付け加える。そもそも、ヒトの起こした事件ではないと結論付けられているのだ。今更容疑者扱いされないだろう。

「高田さんに聞いたんですけど、なんか今までのと少し様子が違ってたって」

「あぁ、そうですね。でも、同一犯じゃないだろうかってことらしいですよ。実は、惨劇直後に遭遇しちゃったんですけど」

「うひゃぁッ。まさか一人で?」

「いえ、昨夜は友人が遊びに来ることになってて」

「うう、その人も災難だなぁ。でも、そうすると暫くごたごたしそうですねぇ」

「やっぱり、そう思いますよねぇ。まぁ、厄介事の心配はしてないんですけど」

 一緒にいた友人が、件の探偵事務所員なんですけどね。

 そう言った途端、諸岡が目を丸くした。

「へぇ、そうだったんですか!」

 素直に感心している諸岡の様子に、自然と笑みが零れる。

 彼はあまりにもいつもと変わらなくて、逆にほっとした。彼が向けてくれる感情はいつも純粋だ。今日だって興味本位だったり、同情的だったりするわけでなく、ひたすら心配して今後を気にかけてくれている。普段と変わらないということが、これほど有難い物だとは思わなかった。

 そうして、どうやら九重も恭成を心配してくれていて、実に彼女らしい気遣いをしてくれたのだと気がついた。

雅鐘(あかね)さんにも、感謝しなくちゃいけませんね」

 そう言うと、諸岡はきょとんと目を瞬かせた。

「九重先輩が、どうしたんですか?」

「改めてお礼に伺いますって、伝えてくださいね」

 はぁ、と疑問符をちりばめた様子で頷く。その様子にくすりと笑みを零した恭成は、ふと思いついたことを口にした。

「諸岡さんの説が有力になってきましたね。あの、円を描いてるのかもっていう」

「うう、僕やっぱり探偵とか無理ですー」

 気弱な表情でそう言った所に、女給が注文の品を運んでくる。にこやかに彼女が立ち去ると、恭成は不思議そうに首を傾げた。

「どうして? 読みが当たってるじゃないですか」

「だって、全然嬉しくないですッ。当たってたって、僕じゃどうにも出来ないし!」

「素人なんだから、仕方ないですよ。でも、どうして円だったんですか? あの段階でそう発想したということは、なにか理由があるんでしょう?」

 気になっていたことを指摘すると、諸岡は小さくため息をついた。

「あの円の中心、何があるか知ってます?」

 質問を返されて小首を傾げる。あの辺りは確か、姫塚だったはずだ。名門藤陸女学校のお膝元として有名な土地である。ハイソでインテリの女学生たちの寄宿舎があるため、街の雰囲気も浮ついたところのない場所だと記憶していた。しかしまさか、それを指しての言葉ではないだろう。

「……いえ、なにかありました?」

「地名の由来です。ほら、憶えてますか? 僕が書いてた昔話」

「あぁ、ええと。ククリ姫、でしたよね」

「そのククリ姫の首塚がある場所なんですよ。数十年前には、神社もあったらしいです」

 僕もばぁちゃんから聞いた話なんですけど、と言いながら、手荷物の中から雑記帳を取り出して恭成へ差し出した。

「明日載る回の草案ですけど。先に読んでもらった方が話が早いンで」

 はぁ、と曖昧に頷いて受け取ると、ぱらぱらと頁を捲る。見つけた項目には草案らしく朱入れがされていたが、内容は凡そこうだった。

 

 【ククリ姫】

 それは遠い遠い昔のことです。その頃の日本には小さな国がいくつもあって、小競合いを繰り返していました。この地には小さな小さな国があったのですが、治めておられた国主様が討ち死にをされ、滅ぼされてしまいました。

 国主様にはお姫様が一人ありましたが、戦の最中に仏門に入った乳母とともに尼寺に住まわれていたので、一人生き残ったのでした。

 お姫さまは名を、ククリと言いました。

 やがて美しく成長したククリ姫は、新たに国主となった浦辺の殿様に見初められて妻問いをされたのですが、これを断ってしまいました。それに腹を立てた殿様は、お姫様を殺してしまわれたのです。

 それから暫くして、浦辺の武将が次々と謎の死を遂げるという怪異が続くようになりました。同じ頃、浦辺の殿様の夢枕に乱れた髪の、けれど大層美しい娘が立ち、首を断ち落としてやると呪詛を吐いてゆくようになりました。それが、あのククリ姫の変わり果てた姿だったのです。

 日に日に衰えていく殿様を心配された御母堂様は、とうとう祈祷師を呼び寄せて、この怪異を引き起こしている物の怪を退治するように申し付けられたのです。

 けれど、物の怪となったお姫様を退治することは、容易ではありませんでした。向き合うこと三日目の朝、漸く姫を封じ込めた祈祷師でしたが、間もなく死んでしまったのです。

 姫の恐ろしい呪詛を知った浦辺家は、その場所に社を建て、代々祀ることにしました。こうして姫の怒りは鎮められ、怪異は起ることがなくなったそうです。

 

「首塚というと、ククリ姫は斬首になったんですか?」

「はい。ちゃんと郷土史に記録も残ってましたよ」

「それにしても、姫が斬首というのは珍しいような?」

「ですよねぇ。でも、お手討ちの理由とかが見当たらなくて。姫がお家復興を企むというのもなさそうですし」

「んん。もしかしたら、残党に担ぎ上げられたのかもしれませんね?」

 古くは殯の宮が築かれていたように、死は穢れの最たるモノとされて、見ることを憚る。しかし、それに反して古くから梟首は存在するのだ。ヒトの視線に敢えて晒すという行為には、見せしめによる抑止の他にも、見ることによる侵犯性の意味があるらしい。ヒトの中に根差す恐怖や、後に続く者を生み出す可能性の芽といった不可解な力を、晒すことによって無効化しようとしたのだ。

 とはいえ、晒された御首が怪異を起こす話はよく聞くし、それを畏れて塚を築くことは、ままあることだ。それだけ強大で恐ろしいモノなのだと、世に知らしめたい某かがいる所為だろう。

 この昔話の場合は、姫の御首が晒された後に、何かしら天変地異でもあったと思われる。それを大きく歪曲して伝える者がいたのだとしたら、それは残党の可能性が高い。

「あぁ、そうか。そうですね、その可能性もあったなぁ」

 頷いて、諸岡は珈琲を一口飲む。

「話を戻しますけどね。その後に続いた怪異って奴が、やっぱり首切りなんですよ」

 この猟奇事件が起こり始めて彼が最初に思ったのは、なんとなく何処かで聞いたような惨殺体だなぁ、だったらしい。

 間もなく連載の下準備で民話を調べ直していて、それがククリ姫の話だったと気が付いたのだ。そう思って地図を見てみると、それぞれの事件現場は首塚のある場所からの直線距離が同じ事に気が付いた。

「本当に、思いついただけなんです。これだけ離れてるんだから、もしかしたら円周を何等分かにしてるんじゃないかなぁって」

 思いついた時は軽く言ったものの、何となく気になってきちんと割り出したらしい。この辺りは、流石に飛び級を駆使して駆け上がった秀才だ。

「本当にもう、青褪めましたよ! 天野さんの下宿もばっちり重なっちゃってるし、おまけに事件まで起きちゃって」

「あんまり気に病まないでくださいね?」

 窘めると、はぁ、と情けない表情で肩を落とす。昨夜、同じ沈み方をした身だ、諸岡の気持ちは勿論わかる。けれど、こうして客観的に目の当たりにすると、葉髞の弁の正当さも良くわかった。起きてしまった出来事は、もしもを仮定した誰かの所為ではないのだ。思っただけでそれが現実になってしまうというのなら、そんな楽なことはない。

 いつも、尤もなことを冷静に指摘してくれるのはいいけれど、どうにも葉髞は言葉が足りないのが玉に瑕だ。

「とても不幸なことですけど、僕たちが防ぐことが出来たはずだとか、そう思うのも失礼ですよね。自分の所為だと嘆くことと、同じくらいに」

 悼むことをしても、それ以上を考えては駄目なのだ。それでは勝手な独り善がりになってしまう。そう言うと、諸岡は気を取り直したように背筋を伸ばしてぱちんと頬を叩いた。

「そうですよね、すみません。僕も気を付けますから、天野さんも気にしちゃ駄目ですよ」

 さり気なく付け加えられた一言に、参ったな、と内心苦笑する。彼はいつでも無自覚に、いろいろと気づいてしまうのだ。気づいていることに、本人も気づかないけれど。

「神社もあったという話ですけど、今はないんですか?」

 気を取り直して気になったことを確認すると、諸岡は「そうです」と頷く。

「随分昔に、焼失したそうですよ。今は御社もなくて、野晒しなんですけど。名残の防風林と、鳥居と、首塚と……、ぐねぐねした石畳くらいかな。あれ、なんでしょうねぇ?」

「参道の跡じゃないですか?」

 何気なくそう返すと、諸岡は途端に目を丸くする。

「まさか! 参道って、真直ぐじゃないですか。もう有り得ないほどぐねぐね蛇行してるんですよ」

「怨霊を祀った神社には、よく見られるんですよ」

 古来から、怨霊は真直ぐ歩くことしか出来ないとされている。だから彼らを祀る神社は参道を曲げるのだ。この場合の神社は、彼らを封じ込めるための装置に他ならない。神として祀り、その強大な力を搾り取るための装置だ。時の権力者というのは、なんと傲慢で利己主義なのだろう。

「蛇行してるとなると、随分畏れられていたんでしょうね。それなのに、再建しなかったんですか?」

 そもそも、焼失したというのが腑に落ちない。火の不始末なのか、不審火なのか。落雷ということも有りうるが、再建しない理由はなんだったのだろうか。そのくせ、土地は手付かずというのも気になる。そして何故、首塚を中心に円を描く必要があるのか。

「むー、そうですよねぇ。なんでだろう?」

 首を傾げた諸岡は、懐を探って手帳を取り出した。ぱらぱらと頁を捲っていたが、すぐにぱたんと閉じてしまう。

「書いてないや。あぁあ、何か聞いたんだけどなぁあ」

 もどかしそうに呟いて、彼は髪に指を差し入れて掻き回した。そして、きっぱりと宣言する。

「聞いてきます!」

「え、そこまでしなくても……」

「いや、気になるんで! どうせ、次の話のネタを拾ってこなくちゃならないし。今日出てきた名目も、一応取材ですから。ええと、次に来られるのは、三十日ですよね?」

 それまでに何か拾っておきますよ、と笑う。

「すみません、なんだか余計なこと言っちゃいましたよね」

「そんなことないですよ。また何か面白い話に発展するかもしれないですもん。そこから新しいネタが拾えるかもだし」

 再び手帳を広げて何かを書き付けると、諸岡はそれをしまい込んだ。

「これで本当に首塚が関わってて、犯人が捕まったりしたらいいんですけどねー」

「そうですね。次の被害者が出る前に」

「ぁああ、そうだ! そうですよね、本当に首塚説だったら、まだ続くんですよね!」

 それは嫌だなぁ、と眉尻を下げる。彼の百面相にくつくつと笑っていた恭成は、ふと思い出したように笑みを引っ込めた。

「そうだ、諸岡さん。現場は特定してあるんでしょう? 残りの場所って憶えてます?」

「細かい番地までは、ちょっと自信ないですけど」

「じゃぁ、そちらも三十日に教えてくださいね」

 わかりました、と諸岡が頷いて、その話はそこで途切れる。それから少し雑談をして、これから取材へ向かうと言う諸岡と、店の前で別れた。

 彼の元気な後ろ姿を見送った恭成は、その足で最寄の路面電車の停留所へと向かう。

「帰らぬのか」

 ぽつりと雪花(きら)の声が聞こえて、恭成は「ん、ちょっと」と声をひそめた。

「首塚が見てみたいなぁ、て」

 現地に行けば、何かわかるかもしれない。情報の収穫はなくても、その首塚にも興味はあるし、どんな場所かは見ておきたいと思うのだ。おそらく、無駄にはなるまい。

「余計なことに首を突っ込むでないぞ」

「昨日の事件が僕と関係あるなら、知っておく必要もあるんじゃないかな」

 路面電車に乗り込んで数箇所、下車した姫塚は閑静な場所だった。この辺りも開発が進んでいるようで、洋館造りの建物がちらほら見える。駅前のような賑やかさはないけれど、上品な佇まいの落ち着いた街並だ。昨夜の雪はこの辺りにも降り積もったようで、道の中央は大型馬車の轍が幾筋も刻まれて、馬の蹄に荒らされていた。それに対して道の端に刻まれた足跡が少ない所をみるに、住んでいる人間の経済状況も見えるような気がする。道を尋ねながら雪を踏みしめ進んでゆくと、程なく目的地へ辿り着いた。

 ひっそりと残る石造りの鳥居が、この空地が神社だったと告げる唯一の名残のように見える。ぐるりと敷地を囲む防風林は、この街並の中で異質に見えた。

 昔に焼失して再建する気がないのなら、ここも再開発してしまいそうなものだ。それをしなかったのは、何故だろう? その場所に立ってみると、ますます疑問が頭をもたげる。

 鳥居の向こうは、ふわりと積もった雪にすっかり覆い隠されてしまっていて、蛇行していると言う石畳を見られなかった。ぐるりと見回してみるが、特に立入りを禁じている様子はない。一歩足を踏み入れると、思いの外深い雪に足が取られそうになる。下駄履きでなければ袴の裾まで届いてしまいそうな深さだ。これは爪革でも持ってくるんだったな、と後悔したが、今更だ。構わず雪を踏み締める。取り敢えず、後で歯の間に詰まった雪を取らねばならないだろう。

「再開発しないのは、祟りを恐れて……かな。でも、再建しないのは、どうしてだろう?」

 雪花はどう思う、と尋ねると、彼女は仄かに苦笑したようだった。

「ヒトの考えなど、わらわには解らぬよ」

「じゃぁ、ここに祀られているモノなら、どうかな?」

「さて。ここには、御霊が祀られていたのだったな。ならば、鎮まっておらぬのだろ」

「赦されていないってこと?」

 恭成、と。静かな声に名を呼ばれて、足が止まる。

「我らに、赦すという概念はない」

「ヒトは鎮まるよう、祈るのみ?」

「天津の怒りは、大概にして天災だ。元よりヒトに成す術はないよ。国津は祟る。祟り神などと言う輩もいるが、そんな名の神は存在しない」

「雪花も、祟るの?」

 そうだの、と。彼女はあっさりと肯定する。

「今のわらわは、国津だからの。それに、本来の姿を失うておる。天災は起こせぬよ」

 安心したか、と。笑みを含んだ声を聞いて、失笑する。

 全てが真っ白に埋め尽くされている中、雪化粧を施された古びた手水舎を見つけて歩み寄る。少し雪を払ってやるとそれは苔むして、すっかり水も涸れてしまっている。更に奥には社の土台らしき物が雪の下に埋もれており、その向こうに小さな石造りの塔が見えた。

 あれが首塚だろうか。

 小首を傾げ、さくさくと雪を踏みしめ奥へ向かう。

 そこは大きな椎の木陰になっていたようで、あまり雪を被ってはいなかった。間近に見たそれは苔むしていたものの、誰かに手入れされているのが一目でわかる。期待したような由来を書いた物はなく、ぽつんとそれだけが建っているのだ。

「……静かだね、ここ」

 敷地の中には、不自然なくらいの静寂が漂っている。ここに立つだけで、モノたちの声は勿論のこと、生活音ですら間遠になるのだ。

「妙な気配はあるな。これの所為で寄り付かぬのだろう」

「首塚があるから?」

「さて」

 どうだろうな、と。雪花は首を傾げたようだった。神域の気配とは違うが、何かがあるのはわかる。しかし、その正体についてはまるで見当がつかないのだ。

「どちらにせよ、あまり長居はせぬ方がいいだろう」

「ん、そうだね。そろそろ帰らないと」

 懐中時計を取り出して確認すると、葉髞が戻ってくる前に帰れるか微妙な時間だ。昼食は摂ってくると言っていたから、途中何処かで食べて帰ってもいいだろう。

 首塚へ手を合わせてから、踵を返す。来た道を逆に辿って敷地を出た恭成は、我知らず小さな吐息を零した。

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