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空行く月の末の花橘  作者: アサミズ
形見草之章
20/25

 辺りを見回すと真っ暗だった。何処まで拡がってるのかわからない、伸ばした指の先すらも見えないほどに深い深い闇の中。ぴんと糸を張ったような静寂が満ちていて、動くものの気配なぞ感じられない。

 それは、何度か迷い込んだあの夢のようで。

 思わず身震いしたその時、真後ろにぱっと光が点った。振り返ると、うっすらと青白い光をまつわりつかせた妹が、こちらへ歩いてくるところだった。亡くなった年頃そのままの、幼い面立ち。彼女は小さい手を、精一杯こちらへ差し伸べて笑う。その手を取ろうとした瞬間、後ろから何かが不躾に彼の腕を引いた。

 よろめいた目の前に「ばんッ」と板戸が落ちる。ぺたんと腰を落としたそこには、床板の感触。視界の端に映り込むのは藍の着物だ。

 見下ろす手足は細く頼りなく、長く伸びた髪が床に広がっている。辺りを見回してみると、そこは板壁に囲まれた小さな部屋だった。僅かに開いた板戸の向こうから赤い光が漏れている。

 なんだろう、と首を傾げる自分と、見ては駄目だ、と取り乱す自分がせめぎあうのを感じた。ふらり立ち上がり、板戸に手をかけて、恭成(たかなり)はぎくりと背筋を強張らせる。

 ここで、不吉なモノを見たんだ。

 怖くて板戸の向こうが覗けない。躊躇う恭成の裸足の爪先が、生暖かいぬるりとしたものに気がついた。見下ろすと戸の隙間から、てらてらと光を反射させて赤い色が止めどなく押し寄せてくる。後退りした目の前で「がたん」と板戸が鳴って、白い手がするりと隙間から伸びた。縋るように板戸にかけられた手は、そのまま戸を押し開けようとしているようだ。音もなく、すぅっと開かれる戸を、身じろぎ一つ出来ずに見守る。

 板戸の隙間から半身を覗かせたのは、虚ろな目をした妹だった。名を紡ぐようにぎこちなく動く唇は音を紡ぐことはなく。ゆっくりと首が傾いで行く。そして。

 落ちた。

 ひくりと喉が震えた瞬間、悲鳴を抑え込むように誰かが背後から身体を抱き締めた。そのまま大きな手に目を覆われて、再び闇が訪れる。上手く呼吸が出来ないでいる彼を宥めるように、耳元に囁くような柔らかい声が落ちてきた。

──気を落ち着けなさい。

 また奪われるよ、と諭す声に、ぎくりと鼓動が跳ね上がる。

──おまえはもう、小さな子供ではないだろう?

 目を覆っていた手が外されて、優しく頭を撫でた。何も見えない闇の中、自然と離れていく気配に慌てて振り向く。

 そこに見えたのは、こちらへ背を向ける白い日傘の女。

 彼女の背で、傘がくるくると回っていた。鶸色の棒縞の長着は、淡く淡く闇の中に浮かび上がっている。彼女はゆっくりと振り返って、白いほっそりとした手をこちらへ差し伸べて微笑んだ。


  ◇◆◇

 

──心配してるから、起きなくちゃ。

 耳の奥に鈴を振るような声が響いて、ふと目を覚ました。薄闇の中に沈んだ天井をぼんやり眺め、視線を巡らせる。清しい畳の香と、見慣れぬ調度品。彼自身は見覚えのない、さらりとした手触りの寝巻きを纏って、柔らかな布団に寝かせられている。

 室内には、他に人影はない。

「……きら?」

 身体を起こしかけて呟いた途端、すぱんと襖が開いた。びくりと首を竦めた恭成は、猛然と駆け込んできた雪花(きら)に問答無用に飛びつかれて、再び布団に身を沈める羽目になる。

「わ、ッた」

 痛、ちょっと雪花痛いお願い退いていたたた本気で痛いッてば退ーいーてぇえええ!

 雪花に潰され悶えていると、上から失笑が降ってきた。そして、いとも簡単に雪花の身体が引き剥がされる。

「落ち着きなよ、まったくもう。相手は怪我人なんだからさ」

「ぬ、離さんか無礼なッ」

「怪我した腹をわざわざ潰さなくてもいいでしょうに」

 大丈夫? と様子を伺うようにこちらを見下ろしているのがわかったが、正直それどころではない。

「あんまり大丈夫じゃないです……」

 身体を丸めて呻くように答えると、相手は笑ったようだった。

「あら、正直ね。大変結構」

 その言い方に引っ掛かりを覚えて、首だけ伸ばして声の主を振り返る。

 電燈の黄色い光の中、雪花を抱えているのは、すらりと高い長身で細面の女性だ。纏う藍の長着には模様もなく、凛とした彼女の風情によく似合っている。落ち着いたその声には聞き覚えはないが、同じように受け答える人間は知っていた。やや切れ長の目許は涼しげで、どこか近寄り難い雰囲気があるけれど。

 奇麗な人だな、と。単純に思う。

 なんとか痛みを宥めて、恭成は布団の上に畏まって座った。

 目眩がするのは、失血による貧血の所為だろうか。傷が痛むので怪我をしていることは受け入れられるけれど、そこに至るまでの経緯がさっぱりわからない。

「あの、僕はどうしたんでしょう?」

 我ながら間の抜けた質問だなと思いながら尋ねると、彼女は雪花を腕に抱えたまま、長着の裾を払って膝をついた。ちらりと見えた八掛けが白と黒の細い棒縞で、彼女が粋好みなのだと窺える。膝の上の雪花が不機嫌そうに頬を膨らませているが、あからさまに無視をしているようだ。思慮深い鳶色の瞳がじっと恭成を見て、穏やかに紡がれた声が柔らかく促す。

「何処までなら憶えてる?」

「影…? の、ようなものに襲われた辺りまでは」

 なんとか憶えている。しかし、それからのことが曖昧だ。果たして、あの突風の中で明里(あけさと)は無事だっただろうか。そして何より、いつの間に怪我なんかしたんだろう。

 首を傾げながら答えて、まだじくじくと痛む脇腹を押さえる。そういえば、左腕にも違和感があるようだ。袖を捲り上げると、そこにも包帯が見えた。

 それらを他人事のような心持ちで眺めた恭成は、ふと思いついたように頭を下げる。

「手当てしてくださったみたいで、有難うございます」

「手当ては医者の仕事だよ。気にすることじゃないわね」

 微笑むと、端整な面立ちが華やぐ。正確に年齢は計れないが、落ち着いた様子から、恭成よりもいくらか年上のように思えた。

「あたしも、詳しい話は聞いてないけどね。御霊(ごりょう)を取り逃がしたらしいわ」

「松……、葉髞(しょうぞう)くんは?」

 姿が見えないのを確認して尋ねると、彼女は愉快そうに目を細めた。

「血縁だって、わかった?」

「なんとなく雰囲気とか言い方が似てるから、そうかな、と思ったんですけど」

「そうねぇ! 姉さんより、あたしに似てるかもね」

 くつくつと笑った彼女は、ちらりと後ろを振り返る。その視線の先を辿ると、隣室の壁に振り子時計が見えた。針は八時を少し過ぎたところを指している。

「あの子なりに、やらなければならないことが山積してるんでしょう。恭成くんのことは、随分と心配していたよ」

「これ、真琴! 好い加減に離さぬかッ」

 業を煮やしたように雪花が甲高い声をあげて、漸く彼女は手を離した。雪花はすぐさま立ち上がり、恭成に抱き着いてぎゅっと首に両腕を回す。

「心配掛けてごめんね?」

 うむ、と頷いた彼女は、そのままへなへな座り込んだ。首から外れた腕が背中に回り、胸に頬を寄せる。

「もう限界じゃ、戻らせてたも」

 疲れた、と吐息混じりに零れた言葉に「どうぞ」と促すと、その姿がふわりと融けた。それを見届けて、改めて女性へ向き直る。

「えぇと、まこと、さん?」

「松山真琴。葉髞の叔母よ」

 宜しくね、と笑う彼女へ「こちらこそ」と頭を下げかけた恭成は、ふと動きを止めた。

「……え?」

 確かに、葉髞の母も若々しい人だった。それにしたって、これは年齢不祥過ぎないか。いやしかし、桃真(とうま)の例がある。歳の離れた姉妹なら充分にありえる。

「なぁに? 何か言いたそうね」

 思案に沈んでしまった恭成へ、真琴は意地の悪い笑みを浮かべた。そんな表情が、驚くほど葉髞に似ている。

「……おきれいですね」

 己の失態に気がついたものの、下手に言葉を重ねると墓穴を掘りそうだ。刹那のうちに結論を出してそれだけ言うと、真琴はぷっと吹き出して声を立てて笑う。

「ごめんごめん。噂通りの子ねぇ、恭成くん」

 一体どんな噂だ、と訝しむ恭成に、彼女は心配無用とばかりにひらひら手を振った。そして、奇麗な所作で立ち上がる。

「変な噂じゃないから、安心なさいな。お腹は空いてない? 食べられそうなら用意してあげるよ」

 尋ねられて、きちんと空腹になっていることに気がついた。食欲があるなら大丈夫かな、と判断して頷く。

 彼女に続いて鴨居を潜った先は、一変してモダンな洋室だった。元々和室だったものを改装したようで、白い漆喰の壁と、時を経て黒くくすんだ柱の対比が美しい。床は暗い色の板を敷き直したようで、足下が映るくらい磨かれていた。室内に置かれた家具や、簡易暖炉のようなストーブも程度のよい古い物ばかりのようで、住んでいる者の感性の良さが伺える。

 視線を上げた先、正面の凝った障子は開かれて、月明かりに照らされた坪庭が見えた。葉を落とした桜の木が、すっきりとした佇まいで庭へ影を落としている。おそらく花の時期になれば、庭を埋め尽くす花の雨が降りそうな見事な枝ぶりだ。

 視線を奪われていた恭成へ、座ってなさいと猫足の椅子を備えたテーブルセットを指して促す。真琴が部屋を出ていくと、途端に室内は静寂の中に沈み込んだ。品の良い敷物の上に据えられたそれらも時代を経てきた物のようで、木目の美しい甲板は飴色に磨かれている。椅子を引いて腰を下ろすと、恭成はもう一度室内を見回した。

 かちこちと、時計の針が時を刻む音が響くだけの空間。しかし事務所とは違い、姿は見えないものの、何かがいる気配はある。テーブルの上には先程まで真琴が使っていたらしい奇麗な湯呑茶碗が置かれたままになっていたけれど、不思議と生活のにおいが稀薄に思えた。その不自然さは、探偵事務所で感じた桃真の痕跡に、酷く似ている気がする。

 間もなく真琴が膳を手に戻ってきて、恭成は夕食にありつくことができた。一汁三菜の膳立ては質素だったが、味付けは恭成の嗜好に合っていて、どこか懐かしい気がする。美味しいと告げれば彼女は嬉しそうに笑って、まだたくさんあるからね、と付け加えた。

「ここって、どの辺りなんですか? 重原(しげはら)なのかな」

 人心地ついて、漸く頭も働くようになったらしい。ふと思いついて質問すると、彼女は小さく肩を竦めた。

篠目(しのめ)町。あんたたちが居た所から、うちが一番近かったみたいね。あの子らしくもない、物凄い剣幕で駆け込んできたのには驚かされたけど」

「悪い事しちゃったなぁ、後で謝らなきゃ」

「あの子の判断が甘かったのよ。その程度で済んで良かったわ」

 辛辣な声音で甥を批判して、真琴はふと口を噤んだ。そうして、恭成を真直ぐ見据える。

「葉髞のこと、どう思う? 友達付き合いし辛くない?」

「そんなことありませんよ。いい奴だし」

 確かに、御世辞にも愛想が良いとは言えないけれど、基本的に人が良い。言われることも手厳しいが尤もなことが多いので、恭成などは有難く意見を拝聴しているつもりだ。

「あぁでも。そういえば昔は、近寄り難いとか言われてましたね。どうしてだろう?」

 心底不思議そうに首を傾げる恭成に、真琴はふと苦笑を浮かべた。

「……そう。うん、あんたがどういう人間なのか、よくわかったわ」

 ますます首を傾げる恭成に、真琴は可笑しそうに笑う。そして、ふと視線を外して振り向いた。

「あぁ、帰ってきた」

 彼女の言葉通り、玄関引戸が開く音と「ただいま」と言う声が聞こえてくる。間もなく姿を見せた葉髞は昼間とは衣装を取り替えていて、手には大きな風呂敷包みを下げていた。

「お帰り。随分と時間がかかったじゃないの。夕飯は?」

菊羽(きくは)が用意してたから、向こうで食ってきた。もう起きてても平気なのか、天野?」

 振り返って尋ねる声に、心配そうな響きが伺える。

「ん、痛いことは痛いけど、大丈夫」

 椅子の上で身体の向きを変えて振り仰いだ恭成に「そうか」と頷き返した彼は、手にした風呂敷包みを差し出した。

「え、これ?」

「着替え」

 短く答えて、無遠慮に恭成の膝へ乗せる。落ちないようにそれを抱えた恭成は、あちこち怪我をしてる自身を見下ろして何となく了解してしまった。着ていたものは、さぞや血みどろになっていることだろう。一体どれだけ出血したのかと考えると、今更だが怖くなる。

「ええと、有難う。ごめんなさい」

 あぁ、と素っ気無く返ってくる声が、先程から朧に感じ取っていた彼の感情を雄弁に語っている。これは後できちんと謝罪した方が良さそうだ。

 内心嘆息を零した恭成の向かいで頬杖をついていた真琴は、テーブルの端に置いていた煎茶道具を引き寄せた。席を立つと、ストーブに乗せていた薬缶を取り上げる。

「御苦労様。他には、何かあった?」

「別に。菊羽にこっぴどく怒られたくらいで」

 ため息を零す葉髞に、真琴は軽く声を立てて笑った。

「自業自得でしょう。それで、あの子は事務所に置いてきたの?」

「あぁ。まだ事後処理が残ってるし、俺も少ししたら戻る」

「そう。じゃぁ、恭成くんはあたしが預かるわ。お茶飲みたいなら、台所から湯呑持っておいで」

「ついでに荷物放り込んでくる。客間でいいんだろう?」

 恭成の手から風呂敷包みを取り上げて踵を返す。部屋を突っ切った彼が障子を閉ざすのを他所に、真琴は恭成に食後の茶を淹れて勧めた。

「今日は、このまま家に泊まっていきなさいな」

「お世話になります。でも、僕もお手伝い……」

「怪我人なんだから、遠慮なく使えばいいの」

 そう言って笑う。その明るさにつられた恭成は、わかりました、と笑って頷いた。


  ◇◆◇


 恭成が早々に客間へ引き上げると、手早く洗い物を片付けた真琴は、酒肴を用意して葉髞を相手に呑み始めた。初めは近況を含めた他愛もない会話だったが、内容は次第に今日の出来事へと移っていく。

 菊羽や雪花から話を聞いて、恭成が事務所を出た経緯はわかったものの、それがどうしてああいう事態になったのかがさっぱりわからないのだ、と。

 渋い表情を浮かべる葉髞を眺めて、真琴は手許へ視線を落とした。ほわりと酒の匂いが立ち上ってくる酒杯の揺れる水面を眺めて、くいっと呷る。そして、こん、と酒杯を卓の上に置いた。

「桃真も姉さんも妙に気に入ってる様子だったから、どんな子だろうって思ってたけど」

 ああいう子だったとはね、と頬杖をつく。そうして手酌で酒杯を満たすと、酒器を葉髞へ差し向けた。いらない、と手で示した彼は、肴に用意されていた白菜の浅漬けを摘んで口に放り込む。

「付き合い悪いわね」

「酒豪に合わせて飲んだら、帰れなくなるだろ」

 これで帰らなかったら、また菊羽が煩い。

 そう軽く眉をひそめる甥っ子に、真琴は失笑して頬杖を外した。

「こんな可愛げの欠片もない子が懐いた時点で、疑うべきだったのかもね」

 どういう意味だ、と半眼を向ける葉髞に、真琴はにやりと唇の端を釣り上げた。

「あんたも最初、違うって言ってたじゃない。気配はするけど、あいつは()(びと)じゃないって。そういうことよ」

 葉髞の出生に関する事柄を承知しているのは、彼の母である真葉(まよう)と、それを打ち明けられた真琴だけだろう。勿論、本人にも告げていない。

 曰く、特別な魂を譲られた子供。

 そんな特殊な事情からか、彼は幼い頃から全てにおいて執着を見せなかった。そのくせ卒なく日々を過ごしていく子供は、傍目には大人しく賢い子供に見えたことだろう。その彼が初めて関心を示した家族以外の人間が、恭成だったのだ。

 その時の葉髞の弁を借りるなら、何故か興味を引かれたらしい。

 それだけでも大した変化だというのに、彼と友人になって以降、葉髞の雰囲気が明らかに変わった。普通の子供のように良く笑うようになり、まるで仮面を被るようにして浮かべられていた表情には、きちんと意思が窺えるようになった。真琴から見れば、急速にヒトらしい感情を獲得していったような印象だった。

 多大なる影響を与えたその人物と真琴は、不思議と会う機会がなかったけれど。噂だけは耳にしていた。姉も弟も、口を揃えて良い子だと言う。それに付け加えて、弟は興味深いと笑っていたけど。

「納得したわ。確かに興味深いわね」

琴姉(ことねえ)はどう見る?」

 そうね、と呟いて。彼女は自嘲気味の笑みを浮かべた。

「同類。……でも、ちょっと違うわね。あんたは小さい頃、あたしたちを避けてた。でもあの子には、明らかな興味を持ったのよ。そこに差があるのかしら」

 天津神まで巻込むほどの何かが、と呟く。

 果たして、幼い彼の身に何が起こったのか。雪花から大まかにだが、聞くことが出来た。しかし、彼女も全てを見たわけではないらしい。

 一つだけ確かなことは、それが彼の妹の死に関係していること。

 それから、彼の記憶にいくつかの欠落が生じていること。雪花という名は妹と同じであることも、感情を抑さえたような声で教えてくれた。

「予想外に非凡な人生だったな」

 本人はああなのにね、と相槌を打って酒杯を空にする。酒器へ手を伸ばした葉髞が真琴の酒杯を満たすと、あんたも少しは呑みなさいよ、と半眼を向けた。

「それにしても、あれが輝夜火比売(かぐやびひめ)とはね…!」

「輝夜火比売尊って、あれだろう? 高天原の主の愛娘で、火ノ神最高神格だった」

「そうそう。高天原の男神がつまらない戦なんか仕掛けなきゃ、知将と名高い智羽耶大王(ちはやのおおきみ)と並び称される優れた神将だったとも言うわね。行方知れずって話だったけど、まさかねぇ」

 苦笑を浮かべ、誰もああなってるなんて思わないわよ、と肩を竦める。美姫と讃えられたカミが、姿を維持することも出来ずに子供の形に甘んじているのだ。当人にとっては屈辱だろうに。

「雪花が予測不可能だと言った以上、また起こるかもしれないな」

「さぁ、どうだろう。起こらないかもしれないよ」

 飄々と言って、真琴は酒杯を傾ける。そうして、口元を笑いの形に歪めた。

「完全なモノなんか存在しない。けれど、足りない分を補うように世の中は出来てるのよ。あんたたちだってそうでしょう? だから呼ばれたのよ」

「……円谷(つぶらや)さんにも、同じようなことを言われたな……」

「あら、あの男前?」

 気が合うわね、とくつりと笑った真琴は、口許へ笑みを乗せたまま言葉を次ぐ。

「結局、お互い様なの。昔のあんたには、あの子が必要だった。逆に今度は、あんたが必要だったから虫の知らせが働いた。そういうこと」

 よく出来てるよねぇ、と笑い、真琴はふと目を伏せた。

「心の闇なんて、誰にでもあるモノだからさ。どうにか出来るのは自分だけ。それは自覚させなきゃ」

「琴姉にもあるのか?」

「あんたにもね」

 にやりと笑い、付け加える。

「精々気をつけな。一度呑まれると、なかなか戻ってこられないよ」

 やけに重く響いたその言葉に、葉髞は眉をひそめる。口を開けかけた甥っ子に真琴は、自嘲気味の笑みを浮かべ「多分、ね」と付け加えた。

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