序
日は陰り、誰そ彼が迫る薄暗い室内。けれども彼女は、夕映えが建物の中に取り残されているのかと思ったほどだった。
目の前に広がる、赤い色。
酷い臭気だった。血の生臭さと、汚物と。様々な物が混ざりあった嫌な臭いが立ちこめる薄闇の中、気が触れたとしか思えない人々の姿が蠢いているのが見て取れる。
一体、何があったのか。
そんな疑問は、不気味に膨れ上がった奇妙な気配に比べれば、些細なことだった。警戒しながら、気配の主を探すように視線を滑らせる。そして、その最も暗い闇の奥に、愛し子の姿を見い出した。点々と、どす黒い物が飛び散った藍の長着。床に散らばるように広がった長い黒髪。まだ伸び切らぬ細い手足。白くて細い頚。
その手は、大切そうに妹の御首を抱えて。
顔を俯かせて壊れたようにけらけらと笑う子供は、頓着無く真っ赤に濡れた床に、ぺたりと座り込んでいる。
その惨状に、雪乃の意気地が挫けた。
咽ぶその声を聞きながら、彼女は両手を伸ばして子供の頬を包み込む。笑い声がぴたりと止んで、子供は虚ろな眼差しを上げた。血の気の失せた白い頬は壊れ物のようで、そっと覗き込んだ瞳の奥に、ちろちろと燃え立つような狂気が見える。そちらへ行くなと囁いて、彼女は仄かな笑みを浮かべた。
思い出すのは他愛のないことばかり。真っ白な新雪が積もる中、妹が生まれたと大喜びで報告に来てくれた時のことが、昨日のことのように思い出される。
──きら、っていうんだ
──きらってね、ゆきのけっしょうのことなんだって、おとうさんがいってた
──ゆきのけっしょうのきらはね
「わらわに名を」
僅かに子供の表情が揺らぐ。紡がれる言葉は予想がついた。
──『雪花』って、かくんだって




