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結局、彼は自ら生命を絶った。救出と称して軍勢を率いてきた者どもは、さぞや驚いたことだろう。国主の軍勢に蹴散らされ敗走を喫した者共は、再び地下へ潜っていった。それらを全て見届けてから、彼の母堂を訪ねるべく国主の城へと出向いた。初めて目にする母堂は、彼と良く似た面の、噂に違わぬ大層美しいヒトだった。末期の言葉を伝えたところ、かの人は気丈に微笑んだ。
咎められたとして、それがどうだと言うのです。母が子を守ろうとするのは当然のことでしょう。
届けた遺髪と遺品を大切そうに抱き締めたかの人が、その後どうなったのかは伝え聞いていない。しかし、彼女にはまだ人質の価値がある。無事であることには違いないだろう。
彼の御首が晒されたのは、それから間もなくのことだった。
尤もらしく死者の尊厳を謳っているはずの人間たちは、彼の尊厳を守ってやる気などなかったのだろう。
『彼女』は、ざんばらになった髪もそのままに、晒されていた。
血の気の失せたその御首は、白く儚く人々の目に映り、可憐な姫君の痛ましい末期に涙を零す者も多かった。
国主が掲げた謀反の首謀者などと言う謳い文句は、ついに民には通用しなかったようだ。彼らは哀れな姫君の話を語り種にして、日々募っていく国主への不満を吐き出していた。
奇妙な噂が流れ始めたのは、半月もしないうちだった。
最初は、彼の御首だった。切り落され、晒されてから何日も経つというのに、腐臭はおろか、全く腐り落ちる様子がないというのだ。
同じくして、国府に仕える武士たちの変死が相次いだ。姿の見えぬ何者かに切り裂かれたかのように、彼らは闇の中で次々と絶命していったのだと真しやかに語られて、威光を笠に着た無法者はすっかり形を潜めているという。
空には厚い雲が立ち込めて日は翳り、日照不足による不作が懸念された矢先に降り続いた長雨は、川の堤を押し流した。水に沈んだ土地では疫病が流行り、国中に溢れる怨嗟は日に日に色濃くなってゆく。噂話は不気味に変化し続け、際限なく広がって。とうとう、誰かが言ったのだ。
これはきっと、姫の祟りだろうさ。
それは爆発的に広まって、国中その噂で持ち切りになった。それらを横目に日々を過ごしていた彼女は、真新しい彼の首塚へ参る男に出会ったのだ。
「お待ちしていましたよ。ククリ姫。いや、キクリ姫だったかな」
「おや、異なることを仰る」
袖で口許を隠し、僅かに目を細めた彼女へ、男は笑った。
「実は、姫の御霊を退治せよと、国主様より命じられまして」
「まぁ。それでは、わたくしを退治なさるの?」
まさか、と笑った男は。笑みを湛えたまま、まるで世間話をする風情で言葉を重ねる。
「あなた、アレを喰えませんか」
「食べる、とは?」
「恍けないでくださいよ。姫の魂を喰ったのは、あなたでしょうに」
彼らを取り巻く空気が凍り付いた。無言のまま目を細めた彼女を前に、男は飄々と言葉を紡ぐ。
「別に、あなたをどうこうする気はないんです。そもそも、私にそんな伎倆ありませんし。ただ、御霊には困ってしまいまして。無茶を言い過ぎですよねぇ、あれを退治ろだなんて」
へらへらと笑って見えた彼の目が少しも笑っていないのだと気づいた彼女は、警戒したように身構えた。
「おまえ、狩り人ではないのか」
ぞんざいな口調で尋ねると、果たして彼はかぶりを振った。
「ただの拝み屋ですよ。狩り人の伝手もありませんでね。そちらに心当たりは?」
「ないな。この戦乱だ、何処ぞに姿を隠しているのだろう」
「ですよねぇ」
弱ったなぁ、と呟いて、男は首筋を掻く。
こちらの正体を見破っているくせに、おかしな男だ。あやかしものと狩り人が、宜しく手を組んでいるはずがないだろうに。
僅かに眉根を寄せて、彼女は胡乱に男を眺めた。そもそも、奴らは権力に囲われることが多い。国主共に飼われていないのならば、この地には端からいないということだ。
「それで、あなたは喰えませんか」
「おまえの仕事だろう」
「それはそうなんですが。ついでに」
無理だな、と素っ気無く突き放し、彼女はため息混じりに付け加える。
「わたしは国津神だ。自ら神号を返上したため姿までは奪われなかったが、おまえたちが土蜘蛛と呼ぶモノに属しているに過ぎない。御霊なぞ怨嗟の塊だ。あんなモノ喰えるのは、天津くらいだろう。奴等は浄化するからな」
「天津神様にお知り合い……」
「いるわけないだろう、愚か者」
ぴしゃりと遮り、半眼を向ける。脳裏に一柱過りはしたが、かのカミは行方知れずになって久しい。あれもそういえば鮮烈な御魂だったなと、朧に思い出した。
ですよねぇ、と再び相槌を打った男は、呑気な声で「仕方ないな」と呟いた。
「それじゃぁ、最後の手段を使おうと思うんですが。ちょっと、ご協力願えませんか」
にんまりと笑うその顔に、彼女はふと目を細める。
「……そちらが本題か。おまえ、何者だ」
「だから拝み屋ですって」
いかがです、と再び尋ねられて、彼女は小さくため息をついた。
どんな些細なものでも、縁からは逃れられぬのだ。彼を介して繋がった数多の縁は、彼女を絡めて離すことはないだろう。それがかの鮮烈な魂を持つ者の業なのだから。