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空行く月の末の花橘  作者: アサミズ
埋れ木之章
12/25

 嘗ての主家が隣国の浦辺家に破れたのも、記憶に新しい。国主は斬首となったものの、国一番の美女と謳われた北の方は生かされた。今や浦辺の側室となっている北の方は、浦辺の戦利品であり、残党に対する人質だ。小国の直系が北の方であったため、それは有効に機能している。北の方には落ち延びたと噂の子供が一人いたが、ついぞ狩り出されることはなかった。居場所が知られていたことと、それが姫であったからだ。

 しかし、一体どれほどの者が知るのだろう。姫だと伝えられるその子供が、嫡男であるという事実を。

 戦の末期に乳母が子供を連れて出家したのは、先を読んだ北の方の指示だったようだ。尼寺へ身を寄せる彼の元へは、時折ご機嫌取りが訪れる。時が来たら尼になるつもりだと笑う姫君をなだめすかし、すごすごと帰ってゆくのだ。

「ご苦労なことだな」

 縁側に腰を下ろした彼女に気がついて、彼はふと苦笑を浮かべる。

「今日は娘姿だな」

「尼寺に、あの姿で入るわけには参りませんでしょう?」

 おっとりとそう返して、くつりと笑う。風聞が悪うございます、と数日前に乳母に窘められたのを知っている彼も、軽く声を立てて笑った。

 母に似た麗しい面に、細い肢体。長く背に垂らした髪も美しく、これで男だと言われても俄には信じ難いだろう。その証拠に、垣間見をした浦辺の嫡男が周りの苦言なぞ聞く耳を待たず、彼に熱を入れ揚げているらしい。頻繁に訪れるご機嫌取りも、そういうことなのだ。

「尼になるのか? それとも、輿入れか」

「まさか。時が来たら逃げ出すとするよ。嫁になぞ、なれるわけないだろう」

「女子でなくとも、可愛がってもらえるだろうに」

 にやり、と唇の端を持ち上げた彼女を、信じられないといった面持ちで見た彼は、ぷいと顔を背けた。

「それこそ御免被る。男色を嗜む趣味はない」

 ころころと笑い声を零した彼女は、どうだ、と彼の顔を覗き込む。

「それなら、わたしと共に来るか? 追っ手のつかぬ土地まで連れ出してやろう」

 それもいいな、と目許を笑み緩ませて、しかし彼はふと憂い顔を浮かべた。

「しかし、そうはなるまいよ」

 きな臭い噂は絶えない。残党狩りもまだ続いているし、彼を亡き者としてしまえと声高に叫ぶ者もある。未だ各地へ散らばる残党たちは、姫を救出する気でいるのだ。お家再興のための旗頭としては最適なのだろう。囚われた哀れな姫君を救出するという大儀を掲げれば、民意も得られると考えているのかもしれない。

 これでもし、男児であるのだと知られてしまったら。

「もし戦となったら、民はどうなるだろう?」

「さて。戦となる前に潰されるオチだと思うがな。まず、戦力が違い過ぎる」

 大儀を、民意をと考える辺りで、既に背水の陣なのだ。だから彼らは必要以上に吹聴し、民も話半分ながらそれらを聞いて心を揺らしている。

 囚われた我が君、お可哀想な姫。汚らわしい浦辺の手込めになどされて、黙っていられるものか。

 町を歩けばそんな話があちこちで囁かれ、けれどこの戦によって齎された貧困を思う民は賛同もしない。彼らは、この戦で亡くしたかもしれない生命を救われたという恩義を常に抱えているのだ。そしてそれに、二度目はないかもしれないと理解している。

「だからこそ、そうなった時。とばっちりを受けることもあろうな」

 そうか、と呟いて。彼は真剣な眼差しを彼女へ向けた。

「姫よ、頼みを聞いてくれるか」

「出来ぬこともあるぞ」

「母上を守ってくれ。代わりに、私の魂をくれてやる」

 おまえはどうするつもりだ、と軽く眉をひそめると、彼は仄かな笑みを浮かべた。

「あやつらの道具になぞ、なってたまるか。己の意思が通らぬならば、それまでだ。この身一つで、どれだけのモノが購えるか試すまで」

 その表情をじっと見つめた彼女は、僅かに視線を逸らす。

 真直ぐで、眩しいくらいに鮮烈な魂の持ち主だ。これを欲するモノなど、幾らでもいるだろう。それをあっさり「くれてやる」と言うのだ。その価値など知らぬという顔で、とんでもないことを言う子供だと呆れてしまう。

「うつけ。魂を賭けるなら、もっと大きなことを願わぬか」

「大きいではないか。私が死ぬ時は、おそらく国中が混乱に沈む時だ。真っ先に殺されるのは私。次に、母上だろう。手駒にするには私は育ち過ぎているし、なにより男児だ」

 見透かすような目が自嘲気味に笑み緩み、どのみち生きられんと諦めたように呟く。

「……そうなった時は、母君の意思を尊重するぞ」

 構わない、と頷いた表情は何処までも晴れやかで、彼女は不機嫌そうに眉をひそめた。

「たかだか数年生きた子供が、生き急いでなんとする。母君も乳母殿も、皆を騙した甲斐がないではないか」

「そうだな、せめて元服の歳までは生きていたかったのだが」

 たった三年が、彼には難しいのだろう。そういう世の中で、そういう難しい立場に生まれてしまったのだ。

 それを誰よりも的確に理解し、身の振り方を考えているこの子供は、こんな尼寺で潰えてしまうような器ではないのだろうに。

「世が世なら、立派な跡継ぎとなっていたやもな」

 そう言えば、彼はとんでもないと顔をしかめて大真面目に言い放ったのだ。

 そうしたら、姫と友達になれなかったじゃないか、と。

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