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第08話_忌まわしい過去


 石造りの家屋が並ぶ細い路地は、家財道具をもって逃げる人々で埋め尽くされていた。


 露店や老舗の商店がある大通りも似たようなもので、都市の人々は皆、先を争ってなにかから逃れようとしている。


 大気の鳴動が徐々に大きく、重くなっていく。


 人々は口々になにかを叫び、罵っているが、その悲痛な声は、降ってくる音によってかき消されてしまっていた。


 都市の上空にある巨大で荘厳な浮遊城が落下を始めているのだった。


 山裾の都市に黒い影が覆い被さり、黒い染みは拡大していく。


 人々が避難してゆく中、大質量のそれは地上に激突した----



**********



 町の一面が炎に包まれ、立ちのぼる黒い煙が空を覆い隠す。


 焼け落ちる寸前の家のそばで、一○歳ほどの少年が力を振り絞っていた。くすんだ赤毛の、身なりの良い服を着た少年だ。


 老人が柱の下敷きとなっている。少年は長い瓦礫を柱の下に差し入れ、顔を真っ赤にして力を振り絞った。わずかにできた隙間から老人が這い出た直後、家は完全に崩れ落ちた。


 礼を述べた老人を見送ると、少年----カレンは周囲を見渡した。


「この辺にはもう、逃げ遅れた人はいないみたいだな」


 煤で黒っぽい顔をカレンは袖で拭った。たちこめる熱気で、じっとしているだけで大粒の汗が噴き出してくる。軽い火傷か、二の腕がひりひりと痛んだ。


 街の中心にある巨大な塊をカレンは睨みつけた。今朝までは地上と空中の二か所に荘厳華麗な城をかまえた場所だったのだが、今では瓦礫の山と化し、透き通った炎が揺らめいている。


「秘法で城を浮かべるなんて、始めから無理だったんだよ」


 浮遊城を完成させるために数年の歳月と多くの人々の努力が必要だった。それが二日と保たず、街そのものを壊滅状態にしてしまったことを思うと、怒りよりも悲しさのほうが強くなる。カレンの両目から涙があふれていた。


「泣いている場合じゃないな……まだ脱出できていない人がいるかもしれない」


 城の跡地へ向かっていると、城を呑みこんでいた火柱と黒煙の中からいくつかの光が飛び出した。流星はカレンの頭上を越え、家屋の陰へと消えていった。


「広場のあたりへおりたみたいだ」


 胸騒ぎがする。正体を確かめる必要があると思った。広場へ急いだカレンの見たものは五つの人影だった。


 そのうちの四人は奇妙な紋様の施された仮面で顔を隠しており、纏っている長衣は真っ赤に染まっていた。所々には元の色である白い生地がのぞいているが、彼らの服を染めた赤いものはなおも滴り、地面に水たまりを作っていた。残る一人は褐色の肌をもつ、黒髪で痩身の青年だった。こちらは長衣ではなく、襟と袖に銀糸で刺繍された簡素な服を着ている。


 彼らの様子に不吉なものを感じ、カレンは物陰に隠れた。掌に冷たい汗がにじんでいた。


「フィデル様。御顔に傷が」


 仮面の一人が告げる。整った面立ちの青年の頬に赤く、細い線が描いてある。


「騎士団を相手にした時のものだろうな」、青年は掌で線を拭った。


「愚かなことです。我々に刃向かわなければ短い命を捨てずにすんだでしょうに」


 フィデルと呼ばれた青年は、裾にからまっていた鎖の破片を捨てた。それについていた小さな飾りにカレンは見覚えがあった。父親が騎士団長になった時に王から賜った物で、紋章である二匹の鷲が彫り込まれている。


「奴等も必死だ。いくぞ。ここでの目的は達した」


「----待て!」


 カレンは五人組の前に姿を見せていた。が、踏ん張ろうとしても膝に力が入らない。短剣を握りしめた手の震えも止めることができなかった。


「あなたたちか……あなたたちが王都をこんな目にあわせたのか!」


 カレンの叫びに、数瞬、反応はなかった。


 仮面の一人が動きかけ、青年に手で制される。カレンを見据える青年の深い緑色の瞳は、冷ややかな光を放っていた。神秘的な美しさのあまり、カレンはその中に吸いこまれてしまいそうな気さえした。


「だとしたらどうする、少年?」


 話しかけられ、カレンは正気に返った。そう尋ねる青年の表情に愁いを見たように思ったが、すぐにその考えを捨てた。


「みんなと騎士団の誇りのため、僕は命に代えてもあなた達を討たなければならない」

「怯えているわりには勇ましいが、君ごときにやられはしないよ。まして儀礼用か装飾か知らないが、刃のない得物では」


 青年が肩にかかった黒髪を払う。周囲の仮面も耳障りな笑いでカレンを馬鹿にした。恥ずかしさと怒りでカレンは頭の中が熱くなり、

「僕は本気だ!」

 足元の瓦礫を青年めがけて蹴りつけた。そのいくつかの欠片は青年の鼻先で静止し、粉々に砕け散った。


「力の壁? 第一秘法が使えるのか」


 第一秘法、それは限られた人々だけが行使できる神秘の力だ。使い方次第では巨大な城を空中に浮かべることもできる。とはいえ、カレンが父親から聞いた限りでは一般人が想像するほど万能ではなく、行使できる人間も数えるほどしか存在しないらしい。


「身の程をわきまえぬ奴め。フィデル様、ご命令を」


 四人の仮面がカレンと青年の間に割り込む。カレンの背中を、悪寒が走り抜けた。


「構うな。たかが子供の座興だ。行くぞ。次の目的地も決めてある」

「に、逃げるのか?」


 カレンが絞り出した言葉をぶつけると、青年は軽く手をかざした。仮面たちが左右に退く。


「威勢はいいが、今の君に何ができる。本当に仲間の仇を討ちたいのであれば、死ぬ気で来たほうがいい」


 青年は冷たい視線を投げてきた。人を力で支配することに慣れた、威圧的な態度だ。反発を覚えたカレンは、開きかけた口をつぐんだ。脇にいる仮面たちがすぐにでもカレンを片づけるつもりでいることははっきりとわかった。


 ここで意地をはっても犬死になるだけだ。そう考えると涙がにじんできた。自分の惨めな顔を見られまいと、カレンはきつく目を閉じ、横を向いた。


 突風が立て続けに起こり、カレンは恐る恐る瞼を上げた。五人組の姿はもうなかった。


 見上げると、街の上に立ちこめた黒煙の中へと五つの流星が消えていくところだった。


 カレンは拳を固め、歯を食いしばった。


「フィデル……僕はこの名とあの顔を一生忘れない」


 どこか遠くで子供の泣き声がする。近づいてくるその泣き声に引かれるようにして、カレンは歩き始めた。


 夕暮れ時の太陽と燃えさかる炎とが、世界を真紅に染め抜いていた。



(つづく)

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