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第07話_招かれざる客


 薄闇の中、二つの場所だけが明々と照らし出されている。

 

 明かりの中央にはそれぞれ、奇妙な形状の道具が置いてあった。硝子の囲いを備えた台座で、その下部には、第二秘法の産物であることを証明する機械的な装置が据えつけられている。向かって左側の台には女性の彫刻が載っていたが、もう一方の台座の上にはなにもない。

 

 集まった大勢の観衆は、正面舞台の道具に注目していた。

 

「暗いよ、なにが始まるの」

 

 カレンにしがみついているリーフォウが仰ぎみる。

 

「心配しなくても大丈夫だよ」、カレンはリーフォウの額に手をのせた。前もってウィズクスウェルからなされた説明を、リーフォウが理解することは難しいだろう。

 

 軽い振動音がそれぞれの硝子台から発せられた。その音は次第に大きくなっていき、細い稲妻が二つの台座を包みこむ。

 

 閃光がはじけ、部屋を染め抜く。カレンは反射的にリーフォウをかばい、目を覆った。

 

 瞼の裏を突き刺す光が徐々に弱まっていくにつれて、人々の間からどよめきとも歓声ともつかない声があがった。

 

 彫刻は、右手側の台へと移動していた。

 

 あの眩しさで一同の目がくらんでいた間に彫刻だけを移動させたのだろう。そんな陰口をたたく者もいた。その中の一人が彫刻を持ち上げようとしたが、びくともしなかった。ごまかしがないことを観衆が納得してから、ウィズクスウェルが語り始めた。

 

「これが、現在開発中の物質転移装置です。生物を使っての実験はまだですが、非生物ならば実用段階へと到達しています。この装置を介して世界中の国々が結びつけば、辺境国家の食糧不足は解消されるでしょう」

 

 ウィズクスウェルはあれこれと物質転移装置の利点を論じた。その中には、情報の速やかな伝達や、争いが起きた場合に即座に兵を派遣することがあげられていた。ウィズクスウェルの計画では、物質転移装置は単なる一手段にすぎず、世界のすべての地域を距離感なしに網の目のように結びつけることが最終目的となっていた。

 

 ウィズクスウェルの演説の後、観衆の拍手で物質転移装置のお披露目は終了し、宴へとうつった。

 

 装置は片づけられ、舞台では王室づけの楽団が演奏を開始した。重厚で迫力のある曲や、女性的な律動の温かい曲など、聴く者を飽きさせない演奏だ。椅子はなく、皆立ったままで飲み食いし、会話を楽しんでいた。

 

「ほら。立って」

 

 カレンはリーフォウの腕を引っ張った。リーフォウは「疲れた」と床に座りこんでおり、動こうとしない。ペルシュスの用意してくれた礼服は簡素ながらも、リーフォウを立派な貴婦人のように見せる物だった。ペルシュスが時間をかけて施してくれた化粧も一役買っている。が、それはリーフォウが黙って静かに立っている場合のことだ。どんなに綺麗に装っていても、化けの皮はすぐにはがれる。

 

 リーフォウの、外見の年齢に相応しくない幼児じみた振る舞いを見て、近くにいた婦人が声をあげずに笑った。カレンは恥ずかしいとも思わない。相手を馬鹿にしないこともひとつの礼儀だと知っているからだ。

 

 その婦人は、カレンたちの近くにいたローラッドとウィズクスウェルに気がつくと、きまりが悪そうに離れていった。その先では、シャーゼトルが女性に囲まれている。こちらに向けられたシャーゼトルの刺すような視線をカレンは無視した。

 

 広い会場は第二秘法による炎ではない明かりで満たされ、真昼のような明るさだった。いくつもの大きい円卓の上に、料理が所狭しと並べられている。雑多に混じった香りがカレンの食欲を刺激した。カレンがこれまで口にしたことのない豪勢な献立だった。

 

「どれから食べればいいか迷うなぁ」

 

 取り皿をもったまま、卓台の周りをうろついていると高い泣き声がわきおこった。誰のものかはすぐにわかる。

 

「まただ。すぐに俺のそばから離れるんだから」、カレンは料理をあきらめ、人混みをかきわけた。

 

 騒ぎの中心はカレンの予想通り、リーフォウだった。リーフォウのそばに中年の男女がおり、怒りの言葉を吐いている。男は腕をつかんで、リーフォウが逃げないようにしていた。リーフォウは泣くばかりで、そのことが相手をさらに苛立たせているようだった。

 

 野次馬の壁を抜けたカレンは男の腕を強引に払いのけてリーフォウをかばい、相手に経緯を求めた。

 

「その娘が私の連れにぶつかり、服を汚したのだよ。おまけに謝りもしない」

 

 床には料理と皿が落ちていた。どうやらリーフォウが皿にわけていた食べ物が女性の礼服にかかってしまったようだ。男と女の服には汁や油による染みができており、女のほうは不快感をあらわしながら、染みを拭き取ることに没頭していた。

 

「すみません。俺からも、後で叱っておきますから」

 

 カレンは、しがみついていたリーフォウの頭を無理矢理おさえつけて一礼させ、自分も頭をさげた。 


「公衆の前でかかされた恥がその程度で許されるか」

「だったらどうすればいいんですか」

「決まっているだろう。決闘だ」

 

 男はカレンに指をつきつける。周囲のざわめきがいっそう大きくなった。

 

「決闘なんて大袈裟な」

 

 これがこの国での流儀なのか、とカレンは呆れた。困り果てたカレンの反応を無視するかのように、男は「私の剣をもってこい」と誰にともなく叫んでいる。そのよろめくような足取りとろれつが上手くまわっていないことから、男が酒に酔っていることにカレンは気づいた。

 

「冗談じゃない。酔っぱらいの相手をさせられてたまるか」

 

 剣の扱いには自信があるが、見せ物にされるのは御免だ。この場を逃げ出す方法で頭を悩ませていると、人垣が左右に分かれた。

 

「決闘などとは物々しいな」

「へ、陛下」

 

 あらわれたウィズクスウェルを見て、男がうろたえる。

 

「その青年と少女は私の友人でね。彼らが迷惑をかけたというなら責任はこの私にもある。決闘ならば私が引き受けよう」

「そ、そんな。滅相もございません。先程のはただの冗談であります」

「そうか。それを聞いて安心した」

 

 ウィズクスウェルはそう言い、男と連れ添いの女性に丁寧な謝辞をつけ足した。女性に着替えを貸すようにウィズクスウェルがペルシュスへ告げると、王妃は男女を連れて宴の間から出ていった。

 

「みなさん、申し訳ありません。騒ぎは終わりました。宴の続きをお楽しみください」

 

 主催者である国王のよく通る声を合図に、野次馬は散っていった。そのウィズクスウェルがカレンに言葉をかける。

 

「まだ名前を聞いていなかったな」

「カレン。カレン=ラドアートです」


 カレンは続けて、酔っぱらいから助けてもらったことを感謝した。が、ウィズクスェルはそのことに関心はないようだ。

 

「ラドアート?」、ウィズクスウェルが目を閉じて、わずかの間考えこむ。「ずっと昔、レシュットガルでそういった名前の警備隊長の世話になったことがある。ラークウィッシュという名に心当たりはないか?」 


 ----ラークウィッシュ。

 

 その響きはカレンの心臓を強く脈打たせた。

 

 カレンは唾を飲み下し、咳払いをした。

 

「知りません」

 

 きっぱりと答え、カレンは視線をウィズクスウェルの緑色の瞳からそらした。その先では、多くの人々の足が行き交っている。

 

「そうか。知らなければそれはそれで構わん。ローラッドから聞いた。強くなりたいそうだな。我が騎士団に入ってはどうだ」

「冗談を言わないでください」


 唐突にそんなことを言われ、カレンはとっさに断った。

 

「南部大会のことは私も知っている。あの厳しい大会で優賞したならば、騎士団の者も反対しないだろう。しばらく私の下についてみないか」

 

 右手を差し出すウィズクスウェル。伝説と化したもう一人の英雄の申し出に、カレンの心はわずかに揺らいだ。部屋の隅にいるローラッドを見やると、ローラッドは「自分には関係ない」とばかりにそっぽを向いた。

 

「もったいないお言葉ですが、俺にその資格はありません。やらなくてはいけないことがあるんです」

 

 どこかへ行こうとしていたリーフォウをカレンはそばに引き寄せ、頭をなで、半ば乱れた髪型を整えてやった。

 

「よかったら話してくれないか。できることなら協力しよう」

「父上!」、シャーゼトルが大股で近づいてくる。カレンに向けられた表情には、嫌悪感が露骨にあらわれていた。

 

「先程から聞いていれば、何故そのような奴に情けをかけるのですか。一国の王たる者が、個人的な感情で動いて良いのですか」

「あんたに言われる筋合いはないよ」

 

 カレンは怒りの言葉をも続けようとしたが、ウィズクスウェルに無言で制された。

 

「シャーゼトル。民の命をあずかって国を治めるには理屈だけでは駄目だ。私の後を継ぐ気があるのなら、そのことを覚えておけ」

 

 静かに言い放つウィズクスウェル。シャーゼトルは開きかけた口をかたく結び、国王とにらみあっていた。父親と同じ緑色の瞳には泣き出しそうな子供にも似た、弱々しい光があった。十二個の星が刻みつけられたシャーゼトルの右手が、白銀色の前髪をおちつかなげにいじる。

 

「気まずい雰囲気だな」

 

 カレンがリーフォウをつれてこの場を離れようとした時、爆発音が起こった。

 

 わき起こった悲鳴を包みこむかのように、部屋の一画から白煙が広がっていく。


「なんだ?」、カレンは煙の出所を確かめようと爪先立ったが、なにも確認できない。

 

 連続して小さな爆発音が響き、大きな扉が鈍いきしみをあげて倒れこむ。

 

 大量の煙が堰を切ったように流れこみ、いくつかの人影が飛びこんできた。 


「静かにしろ。この城は我々が占拠する」

 

 人影のひとつが大声で告げる。金属質の光沢を放つ黒い服で、素肌があらわれているのは目元だけだ。腰には短い剣を横向きにぶら下げ、左胸のあたりに小さな銃身の生えた装具を固定してある。

 

 乱入者は六人いた。そのうちの二人が胸の銃口を、天井の豪華な飾り燭台へと向けた。硬い破裂音とともに、燭台の硝子質の覆いが砕け散る。真下にいた人々が悲鳴をあげて、降ってくる硝子片から逃れた。一人の若い女性が体勢をくずして転んだ。

 

 天井との接続部を壊された燭台が、落下する。

 

 逆流する人混みをかきわけるカレンがその女性の許にたどりつくより先に、ローラッドが硝子片の中へと滑りこみ、女性を救い出した。直後、飾り燭台は床に激突し、砕けた。

 

 女性の薄い服はところどころが硝子片で裂かれ、にじんだ血が服に赤い華を咲かせている。

 

「誰か、この方の手当をしてやれ」

 

 そう言い、女性に上着をかけるローラッド。近くの衛兵が駆け寄ってくる。

 

「この、無礼者がぁっ!」

 

 怒声はラオシュのものだった。振り抜いた拳が黒ずくめの一人を吹き飛ばしている。卓台を倒して止まったその黒ずくめは手足を痙攣させていた。

 

「陛下、お気をつけを!」

 

 音もなく、一つの影がウィズクスウェルの背後に落ちてくる。後ろ、とカレンが叫ぶのと同時に、影の突き出した剣をウィズクスウェルは身体を捻ってかわした。

 

 シャーゼトルの投げた短剣がウィズクスウェルの上着をかすめ、黒ずくめに当たる。短剣は黒い服を貫くことができずにはじき返され、床で冷たい音をたてた。

 

 黒い頭巾の奥で細い目が笑う。左胸の銃口が、ウィズクスウェルへ向けられる。国王は羽織っていた上着を脱ぎ、黒ずくめに投げつけた。

 

 視界を覆われた黒ずくめが上着を払い捨てようとする。その隙をついてシャーゼトルが短剣を黒ずくめの首辺りへつきたてた。空気のもれるような叫びをもらし、黒ずくめは倒れていった。

 

「リーフォウは?」

 

 カレンは慌ててあたりを見回したが、小さな姿はどこにもない。人々はローラッドやウィズクスウェル、シャーゼトルたちの背後に隠れるように、黒ずくめ達から離れていた。カレンはリーフォウの名を呼んだが、反応はなかった。 


 短い口笛を合図に、黒ずくめ達は一か所に集まった。その数五人。そのうちの一人がリーフォウを捕らえていた。カレンは人の壁の最前列へ急いだ。

 

「リーフォウ!」

 

 叫ぶカレン。リーフォウはカレンのところへ走ろうとしたが、黒ずくめの腕を解くことはできなかった。それでもリーフォウが諦めないでいると、黒ずくめはリーフォウの頬を叩いた。

 

「やめろ!」、カレンは頭の芯が熱くなり、リーフォウに手を下した黒ずくめにつかみかかった。

 

「こいつがどうなってもいいんだな」、低い問いかけとともに、リーフォウの首筋に刃があてられる。動きを止めたままで手を放さないカレンに向けて、その刃が走った。鋭い痛みが上腕を焼く。カレンは歯を食いしばり、退かなかった。が、腕に力を入れることができずに、黒ずくめは強引にカレンの手を引きはがした。

 

 血が床に広がっていく。一瞬、カレンの視界はかすんだが、悲鳴のような泣き声でリーフォウに呼ばれ、目の前の霞を払うことができた。

 

「どうしたのですか、この騒ぎは?」

 

 外へ行っていたペルシュスが戻ってくる。その顔は強張っていた。

 

「貴様らのような輩を招待した覚えはない。人質を解放して、失せろ」

 

 ウィズクスウェルがカレンをかばうように前に立ち、言う。黒ずくめたちはウィズクスウェルの言葉を聞き流した。

 

「転移網計画は、スーノエルが大陸全土を手中におさめようとする危険な思想に基づいている。現在完成している装置と、資料のすべてをこちらによこせ。我々が処分する」

「雇われたというよりは、どこかの兵士みたいだな。自分らの国で使うんだろ」

「五大王家のどれかがからんでいることは間違いない。父上の計画に不満があるなら、公式に発言すればいい」

「それだけの覚悟と自負がないから五大王家としてつるむしかないんだろ」

 

 ローラッドとシャーゼトルが嘲りをこめて吐き捨てる。

 

「早く言われた通りにしろ。人質がどうなってもいいのか」

「待ちなさい。ここに集まった方々は単に招かれただけ。この国のやり方に不満があるのならば、王妃であるわたくしが人質となります」

 

 ペルシュスが、リーフォウを解放するよう要求する。指揮役らしい黒ずくめは少しの間考えていたが、仲間に顎で指示をだした。

 

 ウィズクスウェルとローラッドがとめようとするのも聞かず、ペルシュスは堂々とした歩みで黒ずくめに近づいた。腕を背後で捻りあげられたペルシュスが表情を歪めるのを見届けてから、黒ずくめはリーフォウを放した。走り寄ってきたリーフォウをカレンが受けとめると、リーフォウは、カレンの胸に顔をうずめて泣きだした。

 

「怪我はないか?」

 

 尋ねるカレンに、リーフォウはむせびながら頷くばかりだ。安堵感が、カレンの腕の痛みが強くした。

 

 なにかを砕いたような、奇妙で不快な音がカレンの耳に届く。

 

 絶叫をあげながら、黒ずくめが右肩を押さえながら床を転がる。ペルシュスの身体の自由を奪っていたはずの者だった。なにが起こったのか、カレンにはさっぱりわからない。

 

「やっぱりやりやがったよ……」、ローラッドが、ため息まじりに大げさに首をふる。

 

 ペルシュスが動く。礼服の裾がふくらみ、舞うような印象を与えた。黒ずくめの傍らを通過するたびに、悲鳴があがり、黒ずくめは次々に戦闘不能におちいった。完全に気を失った者もいれば、首が不自然な角度に曲がっている者もある。

 

 それは一瞬のできごとだった。静かな表情のままで息一つ乱していない王妃に、ローラッドだけが拍手を送った。


「腕は錆びついていないようだな。恐いねぇ、血の気の多い女は。ウィズ、欲求不満をためさせねぇほうがいいぞ」

 

「これが……英雄の実力なのか」

 

 カレンは呆気にとられていた。例え武器がなくとも、敵を排除する。剣どころか木刀がないだけでなんの役にも立つことができなかった己の力を、カレンは恥じた。

 

「あいつも短剣一本で戦っていた。俺にはできるのか?」

 

 カレンはこれまで長い剣の扱い方しか修行してこなかった。シャーゼトルがどのような鍛錬を積み重ねてきたのか、カレンは気になった。

 

 カレンの目線に気づいたシャーゼトルが、

「血ぐらい止めておけ」

  飾り布を破って投げた。カレンは傷口にきつく巻きつけようとしたが、片方の腕に力が入らなかった。涙で目を赤くしたリーフォウが慣れない手つきで止血してくれた。

 

「----全員動くな!」

 

 ローラッドが切迫した声をあげ、シャーゼトルの手から短刀を取り上げる。

 

 ローラッドの投げた短刀はカレンの眼前を疾り抜け、壁にうつるカレンの影に突き刺さった。

 

「師匠、俺を殺す気ですか!」

 

 ローラッドは答えず、短剣を睨んでいる。その緊張した雰囲気に、カレンは呑みこまれた。

 

「出て来やがれ! 逃げられやしねぇぜ」

 

 壁に短剣で縫いこまれたカレンの影が盛り上がる。黒かった表面は灰色となり、白へと変わる。カレンの影であったはずのそれは、人の形となった。

 

 頭から爪先までを覆う純白の長衣。刺さっていた短剣を抜いたその手は細く、鈍い鉛色に輝いていた。頭巾の奥には白銀色の仮面がある。右目にあたる部分に切れ込みがあり、左半面には複雑な紋様が描かれていた。

 

 白ずくめが、短剣を床に落とす。

 

「魔神官、ギ!」

 

 静まり返った重い空気の中に、ローラッドの鋭い声だけが響いた。


 その白ずくめの姿は、カレンの遠い記憶を鮮明に呼び起こした。

 

「間違いない。あいつはあの時の……」

 

 恐れと怒りで手足が震えるのを、カレンは抑えられなかった。

 

「お兄ちゃん……あの人、恐い」

 

 リーフォウの顔が青ざめている。白ずくめの姿がまとう暗くて怪しい雰囲気のせいではない。リーフォウもまた、奥底に押さえつけていた過去と向き合わされているのだ。

 

 近くにいた人々は後ずさるようにして白ずくめから離れていく。カレンは、退くことも進むこともできなかった。

 

 カレンは片腕の傷口に爪をたてた。痛みで、恐怖からくる身体の震えを止めようと思った。だが、記憶の疼きに比べれば、傷の痛みなどないに等しい。

 

「お楽しみのところ申し訳ないが、少しばかりつきあってもらおうか」

 

 白ずくめ----魔神官ギが言う。仮面の下から聞こえてくるその澄んだ声は青年のもので、心地よい楽器の音色にも似ていた。

 

「俺も訊きたいことがある。ソーマスェラとルールカウの二つの国が戦うようしむけたのも、貴様らだな」

 

 ローラッドの問いに、魔神官ギは頷いた。

 

 それを合図にローラッドとウィズクスウェル、ペルシュスの三人が魔神官ギを囲んだ。

 

 爆音が、広間を大きく震わせる。

 

「もろい城だな。下手に暴れないほうが良いぞ」

 

 魔神官ギが手をかざす。見えない力の塊が床をえぐりながら直進し、ローラッドを襲う。

 

「あの技は……師匠、逃げて下さい!」、叫ぶカレン。

 

 第一秘法。人の意思によって様々な現象を起こすことを可能とする、古の秘法だ。

 

 ローラッドが気合いを発し、拳を床に叩きつける。ローラッドの足下が大きくへこみ、見えない力同士がぶつかると、金切り音が空気を裂いた。

 

 悲鳴とともに耳をふさぐ者が多かったが、カレンは我慢して短剣を拾い上げ、白ずくめに切りかかろうとした。

 

「ようやく出会えた……こいつを問いつめれば、奴の居場所がわかるはずだ」

 

 カレンがそんなことを思っていると、

「ペルシュス、その馬鹿を止めろ!」

 ローラッドが言い終わるより先に、横から人影が体当たりしてきてカレンははじき飛ばされた。薄い衣服を通して、ペルシュスの豊かな胸が顔に押しつけられている。カレンは真っ赤になって戸惑った。

 

「怪我はないかしら?」、尋ねるペルシュスの黒い瞳には厳しい光が宿っていた。母親や王妃ではなく、一人の戦士としてのものだ。

 

「危険なことはやめなさい。わたくしがもう少しでも重かったら追いつけずにいて、今頃あなたは消えていたのよ」


 立ち上がったカレンは、数瞬前まで自分がいた場所の床に太い亀裂が刻みつけられているのを見た。魔神官ギの仕業だ。今、自分は生死の境目での、本当の戦いの中にいる。そのことを痛感したカレンは唾を飲みこんだ。

 

「<古の王(いにしえのおう)>はどこだ? この国のどこかに記録があるはず」

 

 魔神官ギの問いかけに、カレンの傍らでペルシュスが息を呑んだ。

 

「<古の王(いにしえのおう)>だと? フィデルは何故そんな伝説の代物を探している」

 

 ローラッドが口にした名前に、カレンは息を呑んだ。

 

 フィデル----カレンが八年の間、片時も忘れることのなかった名前。

 

「……師匠は奴を知っているのか?」


「尋ねているのはこちらだ。私の質問に答えろ」

 

 魔神官ギが鉛色の腕を差し出し、虚空を掴む動作をした。純白の長衣がはためき、魔神官ギを中心に起こった旋風が四散する。

 

「みんな、伏せなさい!」、ペルシュスが警告する。カレンはリーフォウをかばい、床に伏せた。

 

 鋭く澄んだ音が断続的にはじけ、そこかしこで悲鳴があがる。魔神官の風がなでていったカレンの腕にはいくつもの紅い線が描かれていた。服のところどころも小さく裂け、血が滲んでいる。頬に触れてみると、指先が紅く濡れた。

 

 カレンはあたりの人々を見渡した。ほとんどの者がカレンのように切り傷を負って騒いでいるが、致命傷を作った者はいないようだ。

 

「どこか痛むか」

 

 カレンはリーフォウに尋ねたが、反応はない。リーフォウは無言で、魔神官ギを見つめている。そこに感情と呼べるものはあらわれていない。まるで人形のようだった。

 

「しっかりしろ! あいつを見たら駄目だ」

 

 カレンはリーフォウの小さい身体を揺さぶった。リーフォウの空色の瞳は虚ろに白銀色の仮面を捉え、唇がかすかに動いていた。

 

 カレンは耳を近づけたが、リーフォウの呟きの内容までは聞き取れなかった。

 

「あいつだ……あいつのせいでリーフォウがおかしくなったんだ」

 

 カレンは殺気をこめて魔神官ギを睨んだ。魔神官ギはカレンのことなど最初から眼中にないように、ウィズクスウェルへ向けて言葉を発した。

 

「次は威嚇ではないぞ。<古の王(いにしえのおう)>はどこに眠っている?」、両腕を虚空に伸ばす魔神官ギ。ローラッドとシャーゼトル、ラオシュが身構え、じりじりと間を詰めていく。ペルシュスは指を組み合わせた印を結び、何事かを唱えていた。

 

 干渉言語----第一秘法を用いる際に必要とされる特殊な言葉だ。ペルシュスの干渉言語が次第に力強く、速くなるにつれて、額に鎖で下げられた小さな宝石が輝きだした。ペルシュスの言葉に呼応して、無数の光の煌めきが人々と魔神官との間に幕となって降り注いだ。

 

「ペルシュス、やめろ。おまえの守護秘法よりも奴のほうが早い!

 ここに<古の王(いにしえのおう)>はない。だが、創設者の残した記録が、保管庫にある」

 

 ウィズクスウェルが早口で告げる。答えを聞いた魔神官の仮面が嗤ったように、カレンには見えた。

 

「ならばもう用はない。ここにも、貴様らにもな」

 

 魔神官ギの身体が光を放つ。それは、漆黒の光だった。黒い輝きは徐々に強さを増していく。

 

 闇の閃光は急激に膨らんだ。卓台や床、天井など、黒い光に触れたものが次々と崩壊していく。灰よりも細かな塵となったそれらは黒い光球に呑みこまれ、消えていった。

 

「いかん。全員を避難させろ!」

 

 ウィズクスウェルの叫びに衛兵たちが応え、人々を誘導して部屋から出させる。カレンもリーフォウをつれて逃げようとしたが、リーフォウは動こうとしなかった。虚空の一点を見つめ、不明瞭な言葉を呟いている。

 

「ここから離れないと」----死んでしまうぞ、と言いかけたカレンは口をつぐんだ。

 

 リーフォウの身体から、黄金の煌めきがたちのぼっている。それは黄金色の陽炎のようだった。黄金色の光は輝きを増し、生き物であるかのようにリーフォウの周囲で舞い踊る。

 

 リーフォウの言葉が次第に力強く、明瞭な響きとなっていく。その時にはカレンも、リーフォウが干渉言語を唱えているのだと理解できた。

 

 リーフォウの悲鳴を合図に、黄金色の光が弾ける。閃光は波となって漆黒の光球を襲った。

 

 二つの力の流れは互いに打ち消そうと荒れ狂う。灼けついた空気の中で稲妻が走り、衝撃が光の飛沫となって飛び散った。

 

 見えない力のつぶてがカレンを叩く。カレンは筋肉を緊張させて堪えた。

 

「何故だ? リーフォウは第一秘法の修行なんてやっていないのに……」

 

 リーフォウと魔神官ギの対決は均衡が崩れず、決着がつかない。それも、カレンを驚かせることのひとつだ。あの恐怖と力の権化である魔神官と対等の力を使えるなど、信じられない。

 

「目障りだ、娘」、魔神官ギが掌をリーフォウへとかざす。鉛色の人差し指の先端に青い光が灯る。それは射られ、一条の光線となってリーフォウに迫る。

 

 光の矢は、リーフォウをかばったカレンの太股を貫いた。カレンは叫びをあげた。刃物による切り傷の痛みの比ではない。骨の芯を焼くくような異質の激痛に、カレンは立っていることもできず、床にうずくまった。

 

「これで終わりだ」

 

 魔神官ギの澄んだ声が、カレンの神経を逆撫でする。カレンは手をついて起きあがりかけたが、足がまったくいうことをきてくれなかった。

 

「なんとかやってやる」

 

 カレンは両手で床を押して反動をつけ、片膝をつく形でなんとか起きあがることができた。しかし、思うようには動けそうにない。

 

 魔神官ギの手から、五条の稲妻が放たれる。

 

 身を硬くしたカレンの前に、ペルシュスが割って入ってきた。稲妻は、見えない壁に阻まれたかのように、ペルシュスのすぐ手前で次々とはじけちった。

 

 その度に、ペルシュスの苦しそうな呻き声をカレンは聞いた。

 

「後ろの娘ほどではないが、それなりに力はあるようだな」

 

 言い捨て、魔神官ギは跳躍した。直前までギのいた場所を、ウィズクスウェルの剣が薙払う。魔神官の放った稲妻をウィズクスウェルが剣で受けると、剣は折れ、ウィズクスウェルの身体は大きく飛ばされた。

 

「師匠、なんとかしてくださいよ!」


「まだだ!」、腕を組んで突っ立っているローラッドが鋭く答える。

 

 着地した魔神官ギが、ローラッドのほうへ顔を向けた。長衣の裾が、ゆっくりと床につく。

 

「まだ、とはどういうことだ? ローラッド=レフィングル」


「----こういうことだ」

 

 どの死角に隠れていたのか、シャーゼトルが、魔神官ギの背後に立った。その手には、装飾の施された剣が握られている。魔神官の純白の長衣がはためくのと、シャーゼトルの剣が唸るのが同時だった。

 

 再び間合いをとった二人の動きが止まる。鉛色の左腕の、肘から先が床に落ちて転がり、濁った赤黒い水たまりが広がっていく。魔神官の純白の衣にも、同じ色の染みが左半身のあたりで大きくなりつつあった。

 

 膨らみ続けていた漆黒の光球が霧散する。リーフォウから放たれていた黄金色の光も止まり、リーフォウの身体は支えを失った人形のように倒れこんだ。

 

「今だ、師匠!」


「言われるまでもねぇっ!」

 

 ローラッドが秘法銃(ひほうじゅう)を抜き、銃口を魔神官ギへ向けた。秘法銃(ひほうじゅう)から伸びた光線を、魔神官ギは上体をわずかにひねるだけでかわした。純白の衣の周りに黒い霞が立つ。長い衣が一瞬にして、霞と同じ黒色に染まる。人の形を作っていた霞は溶けるように崩れ落ち、床に白銀色の仮面だけがはりついた。

 

「今日のところは退散するとしよう。借りは必ず返すぞ、スーノエルの王子」

 

 仮面が床に沈みこみ、小さな影だけが残った。その影も徐々に薄れ、ついにはただの床模様となる。

 

「逃げたみたいだな……終わったのか?」

 

 安堵の息をつくカレン。

 

「ローラッド、保管庫だ。奴は保管庫に向かっている」

 

 王妃の肩を借りて立つウィズクスウェルが苦しそうに言い、ラオシュや衛兵へも同様の指示を下した。

 

「邪魔はさせない……」

 

 ローラッドたちが広間から出ていくより早く、どこからともなく静かな声がした。魔神官ギのものだ。

 

 切り捨てられていた魔神官の左腕が、断末魔の叫びのように痙攣を始める。

 

 ペルシュスが干渉言語を唱え始めた。光の雪が魔神官の左腕に降り積もる。

 

 次の瞬間爆発が起こり、閃光と爆風が熱い刺激となってカレンを刺した  


 

(つづく)

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