第05話_英雄たち
緑の平原に青く、太い線が走っていた。大陸の中央部を貫く大運河だ。
帆を張った船の姿が指先ぐらいの小ささで見える。陽射しが水面で照り返し、無数の銀色の煌めきが船の周囲で舞っていた。
「上からお船を見るのは初めて」
リーフォウが声をはずませる。正面の風防に額をくっつけて、彷徨号の下に広がる世界を覗きこんでいた。操縦盤に乗っているわけだが、ローラッドは咎めない。
『望遠で撮影したものを映像盤に出しましょう』
「映像盤なんかより、その目で確かめたほうがいいだろ。おい、彷徨号を運河に近づけてやりな」
背もたれを後ろへ傾けた椅子で寝ていたローラッドが告げる。カレンは返事をし、右手の指を定められた形に動かした。肘から先を包み込んだ操舵手甲がその動作を伝え、機体が反応する。彷徨号は緩やかに高度を下げていった。
『彷徨号、隊列を乱すな。戻れ』
通信機を介して、シャーゼトルの警告が届いた。スーノエルの秘法船団は覇王号を先頭とし、彷徨号を囲むような陣形で飛行している。彷徨号が隊列を乱すと、整った輪郭が壊れるというのだ。
「どうしますか、師匠?」
カレンは尋ねたが、彷徨号が高度を下げるのを止める気はしない。シャーゼトルの態度には、人を反発させるものがあった。
「あちらさんが勝手に編隊を組んだんだ。つきあってやる義理はねぇよ。彷徨号、耳をふさぎな」
彷徨号が返事した後、シャーゼトルからの交信は一方的に切断された。彷徨号が大運河の近くへいくと、スーノエルの船たちもついてきた。
「お船が見えないよぉ」、リーフォウが泣きつくようにカレンのほうを向く。運河を進む船がよく見えるようにカレンは機体の位置を変えようとしたが、スーノエルの秘法船にさえぎられた。
「邪魔なんだよ」
カレンは右手の指先の形を組み替え、彷徨号を右側の秘法船へ寄せた。カレンの思惑に反して、相手は距離をあけるどころか、船を近づけてくる。機体が接触し、金切り音と火花が散る。
『やめて下さい。私の柔肌に傷がつきます』
「あ、ごめん」
カレンは謝り、相手の秘法船と距離をとった。その後何度もカレンは編隊の囲いから脱出しようと試みたが、失敗に終わった。
小高い山の頂きの先に、細長い影が見えた。スーノエル王城の四隅にそびえる尖塔だ。
丘を越えると、赤い平原が視界に飛び込んできた。それは城下に広がる街で、家屋の屋根に用いられた赤煉瓦が織りなす鮮やかな模様だ。王城は、街の中央を貫く広い商業通りの先にそびえていた。
「なんだ。お祭りでもあるのか?」
大通りは人々で埋め尽くされていた。上空をよぎる秘法船を見上げ、手を振ったりしている。年齢や性別に関係なく、町中の人間が集まっているようだ。
家の屋根に上がっていた少女が、花束を放り投げた。シャーゼトルの覇王号が船外作業用の補助腕を伸ばし、その花束を受け取る。人々の間から歓声があがった。
リーフォウが花を欲しがった。彷徨号へ向けられた花束もいくつもあったが、カレンは船外補助腕をうまく操ることができずに取り損ねた。
そうこうしているうちに、秘法船の編隊は城へ到着した。高台に位置し、運河と街を見下ろしているその城は白く、赤煉瓦で築かれた巨大な正門が王城としての威厳を強めている。小さいながらも緑の濃い森と、青々とした湖をそなえており、中央大陸最大の王国として恥じない壮麗さを纏っていた。
リーフォウが、言葉になっていない感嘆の声をもらした。
森の中からつきだした尖塔のひとつへ、彷徨号は誘導された。シャーゼトルの操る覇王号や他の船たちは、塔の各所に設けられた発着口へ入っていく。彷徨号にもそのうちのひとつがあてがわれた。
明滅する誘導灯で示された発着口は彷徨号よりもはるかに大きい。速度を限界まで落とし、カレンは呼吸を止めて船を注意深く操った。
スーノエルの作業員が二本の旗を振り、彷徨号が着陸するための補助をする。船体の向きや傾き、速度などを、作業員はたった二つの旗でわかりやすく指示した。カレンは旗の動きと右腕の操舵手甲に全神経を集中させた。平行着陸脚が衝撃を吸収し、作業員が旗を下げると、カレンは長い息を吐いて肩の力を抜いた。手にじっとりと汗をかいていた。
「どうですか、師匠。俺の腕は」、カレンは自信たっぷりに尋ねた。
「制動噴射をあと二秒ってところか。ぎりぎり及第だが、ちんたらやってると首にするぞ」
言い捨て、ローラッドが操縦室から出ていく。
「少しは誉めてくれたっていいだろうに」
カレンが口を尖らせると、
『カレン、これをご覧ください』
船外映像盤に船の真下が映し出された。三つある着陸脚の二つは、床に描かれた停船位置の印からはみ出している。
『ここが狭い町であったならば、周囲の建物や、ひいては住民にも被害が及ぶでしょう。あれはあれで、ローラッドなりにあなたを励ましているのですよ』
「そんな……師匠は映像盤も見ないで、俺が着陸位置をあわせられなかったことを見抜いたっていうのか?」
『真の秘法船乗りなら、船は身体の一部です。ローラッドは馬鹿ですが、伊達に英雄と呼ばれているわけではありません』
映像を見つめていると、「早く降りようよ」とリーフォウに服をひっぱられた。カレンが頷くと、リーフォウは駆け足で操縦室から消えた。
「英雄の、実力か……。やっぱり俺とは格が違うや」
カレンは唇を噛みしめ、リーフォウの後を追った。
**********
秘法船の外では、大勢の人々がローラッドを遠巻きに囲んでいた。ほとんどは作業服を着込んだ者たちだが、上品な服を纏った者も多い。
ローラッドは作業員たちに彷徨号の整備点検や、外装の破損箇所についてあれこれと指示している。
整備場を兼ねた秘法船の駐機場は広く、まだ数隻の船が入れた。しかし、今ここにあるのは彷徨号だけだ。機械油や、金属の焼けついた臭いがカレンの鼻孔を刺激する。
作業員が手にした高圧噴射器で、彷徨号の船体を洗っていた。広がる水たまりに、濁りを含んだ洗浄剤の泡がたつ。リーフォウは足で強く水たまりを踏みたたき、遊んでいる。はねた水が服を汚していた。
「こら。やめろって」
おとなしくさせようとカレンが走って近づくと、リーフォウは奇妙な叫び声をあげて逃げていった。カレンは追ったが、リーフォウは作業員たちの間を上手に抜けていく。カレンがリーフォウを捕まえるには時間がかかった。
「少しはじっとしていろ」
「やぁだ。もっと水遊びしたい」
手足をばたつかせるリーフォウをカレンが押さえつけていると、駐機場の雰囲気が緊張したものへと変わった。カレンが作業員たちの視線を追うと、一人の男が、通路へと続く出入口の前に立っていた。
歳は五○ぐらいだろうか。髪は老いを感じさせる灰色だが、体格のいい男の瞳はローラッドに劣らない力強いものを宿している。簡素でありながら威厳を損なわない上品な服装だ。その左胸には、シャーゼトルの右手にあったものと同じ十二個の星が銀の糸で刺繍されていた。
男は大股でローラッドへ近寄ると、なにも言わずに殴りかかった。同時にローラッドも拳を放っており、二人の攻撃は互いに相手の頬にめりこんだ。
「師匠の敵なのか?」
詳しいことはわからないが、ここは他人の城の中だ。もめごとはまずい。やめさせようと考えてカレンが慌てて駆け寄ると、二人は大声で笑い始めた。彼らの頬は相手の拳を受けとめたままだ。カレンは呆気にとられ、目をしばたたかせた。
「安心したぜ。衰えたのは顔ぐらいのようだな」、とこれはローラッド。
「十年ぶりか。お前は昔と変わらないな。少しは苦労したらどうだ」
「一日中考えこんでるから老けるんだよ、ウィズクスウェル。国も女も捨てて、旅にでもでれば若返るぜ。俺みたいにな」
「----よけいなことをウィズに吹きこまないで頂戴」
遅れて会話に加わったのは、清楚な装いの若い女性だった。飾り気のない純白の礼服に、長い栗色の髪が鮮やかに映えている。
「よう、ペルシュス。相変わらず若いな。化粧も厚いままだ」
ローラッドの軽口に、ペルシュスは形の良い眉を片方だけ吊り上げた。が、それもわずかな間だけで、ペルシュスは穏やかな笑みに戻った。
「どういたしまして。あなたも口下手なままね」
言葉尻に力をこめるとともにペルシュスの靴の踵がローラッドの爪先を踏み抜くのを、カレンは確かに見た。うずくまって足を抑えるローラッド。
「口には気をつけろと何回言えば懲りるんだ」
男が眉の間に皺を寄せて、ローラッドを見下ろす。
「この男が、あのウィズクスウェルなのか」
カレンはまじまじと男の顔を見た。二十年前、英雄グローリーとともに南部争乱を鎮めた英雄王だ。彼の武勇伝は、男ならば誰でも聞いている。カレンは畏敬と憧れの念で胸がいっぱいになり、すぐ近くにいながら、言葉をかけることができなかった。
「ずいぶんと仲がいいんだな」
ローラッドとウィズクスウェル、ペルシュスらのやりとりを眺めながら、カレンは妙な疑問を抱いた。
英雄グローリーは、代々後継者を見出しながら数百年もの間、この世界を守ってきたと言われている。ローラッドの、ウィズクスウェルやペルシュスに対する口振りは友人としてのそれだ。もしローラッドが二十年前の南部争乱の頃に先代の英雄グローリーに弟子入りしていたのなら、ウィズクスウェルたちにあのような対等な態度はとれないはずだ。
「師匠が元々二人の知り合いで、南部争乱以降に先代の英雄グローリーに弟子入りしたというならわかるけど」
あばれるリーフォウをおさえつけながらカレンが悩んでいると、シャーゼトルが部下を引き連れてやって来た。シャーゼトルの頬にはまだ痣が残っていた。カレンのほうに一瞬だけ向けられた緑色の瞳には敵意がこめられている。カレンはシャーゼトルを睨み返した。
シャーゼトルが鼻で笑い、先に目をそらす。カレンは不快だったが、髪の毛をリーフォウに強く引っ張られ、シャーゼトルのことに構う余裕がなくなった。
ローラッドがウィズクスウェルに言う。
「二人で話したいことがある。人払いを頼む」
「あら。わたしも厄介者扱いなの?」
からかうようなペルシュスに、ローラッドは答えない。ウィズクスウェルは顎に手をあてて怪訝そうにした。真顔のローラッドがなんの説明もしないままでいると、
「わかった。防音処置の施された部屋へいこう」
上背のある身を翻した。その先にシャーゼトルが立ち、敬礼をする。踵をそろえ、右腕を左の肩へあてる形だ。
「父上。ただ今帰還しました。ソーマスェラとルールカウとの会戦についての報告があります」
「後だ。急ぐ内容のものなら、文書にまとめてもってきてくれ」
ウィズクスウェルは足を止めずにシャーゼトルの横を通りすぎた。
「それから、ローラッドと同行してきた二人に部屋を与えておいてくれ。客人だから丁重にな」
「あいつに世話してもらうのか?」
頼みたくなかったが、長時間の運転で疲れているのは確かだ。なによりも、リーフォウをゆっくりと休ませてやりたい。
カレンは反発したいのを我慢して、「案内してくれ」と無愛想に言った。
「私は忙しい。誰か他の者をつかまえるのだな」
背中を向けるシャーゼトル。
そんな言いぐさはないだろうとカレンが文句を投げつけるより先に、
「シャーゼトル様、国王陛下がお頼みになったのはあなた様です。感情にまかせて使命を放棄しては、陛下を侮辱することになりますぞ」
ラオシュが、反論を拒む硬い口調で言った。シャーゼトルは顔を赤くし、何事か言いかけたが、悔しそうに口を閉ざし、咳払いをひとつした。
「ならば後はお前に任せる。これは私からの命令だ。すべての責任は私が負う」
「承知致しました。出来る限りのもてなしをさせていただきます」
シャーゼトルが乱暴な足取りでいなくなると、ペルシュスが口を開いた。
「気分を損ねないでね。あの子は人と親しくするのが苦手なのよ」
申し訳なさそうに言うその表情は一国の王妃ではなく母親のものだった。カレンは曖昧な返事で答えることしかできなかった。
「今夜は会食がおこなわれるの。あなたの服も用意させておくわ」
ペルシュスは膝を折り、目の高さをリーフォウにあわせて語りかけた。
「かいしょくってなぁに?」
リーフォウが目で助けを求めていたので、カレンは代わりに返事をした。断る理由はない。
カレンとリーフォウはペルシュスと別れ、ラオシュについていった。回廊の天上は高く、幅も広かった。随所に設けられた採光窓のお陰ですべてが明るく照らし出されている。天井には、花束を連想させる美しい明かり台が吊り下げられ、踊り場にはこの城の絵がかけてあった。
「わぁ、きれい」
リーフォウが、回廊の脇に置いてあった花瓶を手に取った。その花瓶の渋く、細やかな様式はカレンも知る非常に高価な物だ。
「傷つけるといけないから戻そう。な」
カレンがおそるおそる声をかける。リーフォウが振り返った拍子に、手の中から花瓶が滑り落ちる。済んだ音をたてて、花瓶は割れてしまった。カレンは悲鳴をあげた。とても、カレンが弁償できるような代物ではない。全財産といっても町に残してきた簡素な家と、わずかな家具だけだ。
「全部でいくらぐらいになるかな……」
「気にするな。後で侍女に片づけさせておこう」
胃の痛みにたえつつ、カレンが指折り数えながら顔をひきつらせていると、ラオシュが笑った。カレンは苦い気持ちで、躊躇いながら切り出した。
「でも、この花瓶。弁償しきれませんよ」
「構わん。どうせ模造品の安物だ」
あっさりとした物言いのあまり拍子抜けして、カレンは信じかけた。だが、よく考えてみると、このような立派な城が安物の模造品を並べておくものだろうかと疑問に思った。
カレンたちにあてがわれたのは「銀幕の間」と呼ばれる一室だ。一対の大きな寝台と鏡台の他に、卓台や箪笥がある。カレンがこれまで予想したこともないほど豪奢な部屋だった。リーフォウは喜び、寝台へと飛びこんだ。
「このお布団、ふかふかぁ」
カレンが感嘆のため息をつきながら部屋を見回していると、ラオシュが懐からなにかを取り出し、頬のあたりにあてた。
「またか。わかった。すぐに行く」
ひとしきり独り言を口にした後、ラオシュは手にしていた物をしまおうとした。リーフォウが「それ見せて」とねだる。ラオシュはもったいぶらずにその道具をリーフォウへ手渡した。
太陽の光にかざして片目で透かし見ようとする彼女の横につき、カレンも覗きこんだ。小さな筒状の物体で、小さな梃子や目盛の刻まれたつまみが並んでいる。なんなのかとカレンが尋ねると、遠話機だとラオシュは説明した。第二秘法としての色合いが強い機械仕掛けの産物で、同様の物を持つ相手と会話ができるらしい。
「もっとも、範囲には限界があるがね。
私は去るが、用があれば近くの兵に遠慮なく申し出てくれ」
カレンが遠話機を返すと、ラオシュは部屋を後にした。
カレンは椅子に身体を預けた。詰め物がほど良いやわらかさだが、慣れないもので落ち着かず、カレンはすぐに席を立った。意味もなく部屋の中をうろうろしていると、リーフォウが外へ行こうと言い出した。
「あの王子にだけは会いたくないけど」
顔を会わせたらまた衝突するだろう。そんなことを考えたが、このまま窮屈な部屋にいるよりは気が楽だ。カレンはそう結論づけ、「銀幕の間」を後にした。
(つづく)




