第11話_彷徨号の災難
鉛色の雲が一面に広がり、たたきつける大粒の雨の中を、彷徨号は飛んでいた。
正面の風防で雨がはじけ、装甲の隙間にたまった水は風圧のせいで下から上、あるいは横へと流されていく。
彷徨号の操縦室に人の姿はなかったが、やがて、扉が開いた。
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果物を食べ終えたカレンは皮をまるめて皿においた。盆に載せた朝食は二人ぶんある。一つはリーフォウの物だ。
この仮眠室の寝台で、リーフォウは三日間眠ったままだった。リーフォウの好物だけを集めた盆と、衰弱の色が見えるリーフォウとを、カレンは見比べた。
「少しの間でもいいから目を覚まして、食べてくれよ」
長く大きな息を吐き、椅子から立ち上がると----床が傾いた。壁に立てかけておいた剣が倒れる。盆が台から滑り落ち、リーフォウのための朝食が床にぶち撒けられる。硬化陶製の食器は壊れることなく、床を転がった。床の傾きが入れ替わり、こぼれた薄桃色の汁が広がっていく。
「彷徨号、どうしたんだ?」
カレンは天井を仰ぎ見た。そこには、第二秘法で作られた室内照明があるだけだ。操縦室のような幾何学的模様はない。
『ローラッド、カレン、早く操縦室へ! レオフィードが!』
彷徨号の切迫した声はそこで終わった。カレンは剣をつかみ、仮眠室をとびだした。
カレンが操縦室にたどりつくと、レオフィードだけがいた。主操縦席に座っており、その右腕には操舵手甲が装着されている。レオフィードが首を傾げながら右手を動かすたびに、彷徨号の動きが乱れる。
「なにやってんだ! 操舵手甲をはずせ。彷徨号、操縦系統を切り放すんだ」
カレンが叫ぶと、足下の床が頭上へと入れ替わりそうになった。レオフィードは機体を元の体勢に整えたが、カレンはリーフォウのことが気になり、彷徨号に尋ねた。
『リーフォウお嬢様は平気です。主操縦席を操縦系統から切り離すことはできません。彼を止めてください』
カレンは主操縦席に走り寄り、レオフィードの左腕をつかんだ。
「操舵手甲をはずして、この席からどくんだ!」
「そんなに恐い顔するなって。ちょっと遊んでるだけだから」
レオフィードは片目をつむると、左腕をカレンの手首にそってくるりと動かした。カレンは力をこめていたにもかかわらず、つかんでいたところが外された。
「遊ばれてたまるか。早く手甲を!」
「やめろって」
カレンが両手で操舵手甲を握ると、レオフィードは強引に手をひっこめた。その動きで、彷徨号の速度が急激にあがり、カレンはよろめいた。
「おまえら、なにしてんだ?」
ローラッドとシャーゼトルが姿をみせる。カレンが説明する前に、ローラッドはレオフィードにとびついた。レオフィードの首に腕を巻き、締め上げる。
「誰がてめぇに操縦を許可したよ。とっととどきやがれ」
「わかったわかった。もうやめるから、離れてくれ」
「操舵手甲をとるのが先だ。カレン、シャーゼトル、この馬鹿から手甲をはずせ」
カレンは返事をした。シャーゼトルは無言ながらも協力する意志をみせた。シャーゼトルが足でレオフィードの右腕をおさえつけ、カレンが操舵手甲に手をかける。
「痛ぇっ! そこはこないだ怪我したんだぞ」
「知らん。貴様が撒いた種だ。じっとしていろ」
「カレン、なにぐずぐずしてんだ!」
「俺の手甲と形が違うから。うまくいかないんですよ」
「貸せ、俺がやる」
ローラッドが、カレンからレオフィードの右腕を強引に奪った。
「痛ぇって言ってんだろ」
堪忍袋の緒が切れたか、レオフィードが暴れ始めた。騒ぎと痛みの元凶である右腕を振り回す。そのはずみで、操舵手甲と操作盤をつないでいる接続導線が引きちぎれた。
「----あ」、カレンは間の抜けた声をあげた。その場にいた全員の動きが止まる。
『なんということを! 早く修理してください。でないと……』
彷徨号が早口ですべてを言うより先に、カレンは機体が失速しているのを感じた。この次になにが起きるか、カレンは直感的に悟った。
「師匠、後はお願いします」
言い捨て、カレンは操縦室を後にした。足元の床がゆっくりと傾き続ける。足をすべらせかけたカレンは頭上近くにある壁の手摺をつかんだ。
墜落を始めた彷徨号の通路を、カレンはリーフォウのいる部屋へと急いだ。
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----レオフィードが金属製の羽目板を開いた途端、大量の蒸気があふれだした。
「うわっちぃ!」、顔を両手で守り、とびのくレオフィード。
「気をつけたほうがいい。配電盤の周囲は熱くなってるから」
カレンはレオフィードに告げ、蓋の開いた操縦制御盤の中身をのぞきこんだ。回路基盤のいくつかが熱で溶けている。カレンは基盤を接続端子から引き抜き、明るい位置で作業にとりかかった。
「それを先に言えっての!」
「なに威張ってんだ、てめぇは。全部てめぇの撒いた種だろうが」
ローラッドがレオフィードの胸倉を掴む。レオフィードはローラッドの手を払った。
「こんなおんぼろな船を使ってるのが悪いんだ。俺がちょっといじっただけで墜落するなんざ、信じられないな」
『おんぼろとはなんですか。私の硬い身体でなければ、地上に衝突した衝撃で今頃みなさんは生きていないのですよ』
天井の幾何学模様が忙しく明滅する。レオフィードはなにか言い返そうとしたが、
「くだらんことでわめくな。いつになったら動けるのだ?」
シャーゼトルが横槍を入れた。彼のもつ革の装丁が施された厚い本には、栞が挟まれている。
「文句があるなら手伝えよな」
レオフィードは注意深く別の羽目板を開き、噴き出した蒸気をかわした。レオフィードの意見に、ローラッドは同意した。ローラッドは制御盤の奥から引っぱり出した機械の塊を調べている。
「こいつは私の船ではないし、墜落した原因は盗人の貴様にある。私が手を貸す道理はあるまい?」
シャーゼトルが操縦室から出ていこうとする。どこにいくのかとローラッドが尋ねると、シャーゼトルは背中で答えた。
「こんな狭い船に閉じこめられるのは我慢できない。雨もあがったようだしな。外で稽古をする」
シャーゼトルが消えた後、カレンとローラッド、レオフィードの三人は黙って作業を続けた。ひととおり調査がすむと、彷徨号が結果をまとめた。
『外部に損傷なし。伝達系統の回路の三割がたが焼き切れていますが、墜落の衝撃というよりは無理な操舵による過負荷が原因でしょう』
カレンとローラッドが横目でレオフィードを睨む。レオフィードは大きな咳払いをした。
「すんだことはしょうがないだろ。それで、どうやって修理すればいいんだ?」
『応急処置では駄目です。部品そのものをいくつか取り替える必要があります』
「カレン、倉庫にいって部品棚をあさってこい」
「もう調べました。必要な部品の半分は見つかりましたけど、残りはありません」
「ああ? 飛べねぇじゃねぇか。スーノエルで補給しなかったのかよ、彷徨号?」
『お恥ずかしい話ですが、私は老体ですから。どこにでも部品が用意されているとは思わないでください。幸いにも、ここからさほど遠くない場所に都市があります。純正は無理でも、代替部品であれば見つかるでしょう』
正面の映像盤に簡略化された地図が映しだされ、彷徨号と町の位置が輝点によって示された。ローラッドが舌打ちし、頭を乱暴にかく。
「カレン、行ってこい。レオフィードを連れてな。彷徨号、必要な部品の目録を作ってやれ」
「師匠、レオフィードはわかるけど、なんで俺まで行かされるんですか?」
「俺の命令だからだ。文句言わねぇでとっとと出発しろ。急げば日暮れまでには戻ってこれるだろ」
「俺からの文句は……」
「聞かね」
「だろうな」、力なく答え、肩を落とすレオフィード。
カレンとレオフィードは支度を終えた後、彷徨号の外に出た。雨はやんでおり、強い陽射しがふりそそいでいる。白の大地で反射した光が目を刺した。
「あんなに雨が降っていたのに、もう乾ききってる」
カレンはつま先で地面を叩いた。敷き詰められた白銀色の粒子はまるで砂のようで、かすかな風に吹き流されている。折り重なるような波模様を無数に描き、白銀色の大地は遠くまで伸びていた。
「白い砂漠なんて珍しい」
カレンが独り言を口にすると、
「そんなもんねぇよ。これは塩だぜ」
レオフィードが白い粒子を指先でつかみ、カレンの口に放りこんだ。カレンは目をしばたたかせた。
「しょっぱい。でも、また手品ですり替えたんじゃないのか」
「疑り深いやつだな。大物になれないぞ」
レオフィードは眉間に皺を寄せ、大袈裟に首を振った。カレンは白い砂を指でつまみ、ひと舐めした。
「本当だ。じゃあ、これ全部が塩なのか? どうして?」
「さぁね。教えてやらない」
「教えろよ。減るものじゃないだろう」
「無料ってのは割があわないなぁ」
「なんだよ、それは。一緒に旅をする仲間だろ」
「仲間? 俺は罪人で、仕方なく手を貸しているだけだぜ」
カレンとレオフィードがそうやって言い争っていると、名前を呼ぶ怒声が聞こえた。カレンが声の方向を向くより早く、カレンの後頭部に陶製の食器がぶつかり、小気味よい音を立てて割れた。
「おー、なかなかの投げっぷり」、拍手するレオフィード。
「いつまでぐずぐずしてやがんだ。とっとと町へ行きやがれ!」
頭を押さえてうずくまっているカレンに、ローラッドが告げる。見ると、彷徨号の搭乗口に、いつの間にかローラッドが立っていた。
「ひどいですよ、師匠! なにも皿をぶつけなくても……」
「口はいい。足を動かせ」
「は、はい……」
カレンの怒りの表情は、ローラッドがもつ数枚の皿を見て、ひきつったものへと変わった。
「……いつか食事に毒を盛ってやる」
カレンはローラッドに聞こえないように呟き、彷徨号へ背を向けた。その後をレオフィードがついていく。
雨上がりの空には雲ひとつなく、強さを増していく陽射しが白銀色の大地で鋭く照り返していた。
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彷徨号の搭乗口から見送っていたローラッドは、カレンとレオフィードの姿が砂の丘の陰へと消えてから、扉を閉めた。
「彷徨号、シャーゼトルはどこにいる?」
『稽古を終え、仮眠室で眠っています』
「好都合だ。音は聞こえないな。俺が許可するまで、その部屋の鍵は開けるなよ」
言いながら、大股で通路を進む。その表情には硬い決意があらわれていた。
『本当にやるのですか? どういうことになるか、予測不可能ですよ』
「だから今やるんじゃねぇか。カレンがいないこの機会にな」
『考えなおしては……』
「くどい!」
下唇を噛むローラッドは、ある扉の前で止まり、取っ手を横へ静かに引いた。わずかにできた隙間から中を覗き見ると、仮眠室の寝台でリーフォウはまだ眠っていた。
ローラッドは大きく深呼吸し、室内に足を踏み入れた。
(つづく)