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コンビニとルーティン

作者: 山田湖

カクヨム様にカクヨム甲子園ショートストーリー部門に応募させていただき、見事落選した作品です。

「いらっしゃーせ」と俺は今日も店の入り口をくぐる客に挨拶をする。

 客は、おにぎりや菓子パン、カロリーメイトなどを持ってレジに並ぶ。

「5点で980円になります。ちょうどお預かりします。ありがとうございました」ともはやテンプレとなった挨拶を口に出す。


 心はもはや無、まるでロボットのようだった。


 俺は今、何者でもない。中二病とかではなく本当に何者でもないのだ。余裕で入れるはずだった公立高校に落ちたその時から。就職しようかと悩んだ結果、俺は高校浪人という選択をした。その選択を聞いた、親のあきれるため息、教師の失望を込めた励まし。そこに俺は何を思ったのか、もう覚えてなどいなかった。


 俺は午前中はコンビニでバイトをし、午後は図書館に行き、閉館時間まで勉強する。そして、帰ってからご飯を食べ、寝る。そんな毎日を送っていた。

 そんな日々を送っているうちに、バイトにも慣れ、「いらっしゃいませ」が「いらっしゃーせ」に変わるころには俺の心は段々と錆びつき、機能しなくなっていた。何を見ても、何を聞いてもそこに好奇心や喜びなど沸かなかった。


 今の俺を小説的に言うのであれば、錆び付いた歯車で作られた永久機関の中にいるようだった。


 


 毎日変わらぬ、プログラムされたルーティンのような生活を送っていたが、ある日コンビニで朝のバイト中、客が一人も来ないという何とも珍しい事態が起こった。この時間は基本的にサラリーマンが昼ごはんや朝ごはんを買いに、店内はにぎわっている時間なのに。

 もう一人のバイトはバックヤードで、品物の検品をしていたので表に立つのは俺一人だった。

 とりあえず誰も来ないので、ポケットから小さなメモ帳を取り出す。

 そのメモ帳は俺の志望校の受験問題を小さくコピーして貼ったもので、毎日暇なときには見るようにしていた。一応受験生という意識はあるので、こういう時間を有効活用しなければならないという義務のような行動だ。

 今見ている教科は社会。

 本当なら今頃、こんな生活を送っているはずじゃないのにと1年前の自分を呪いながら、頭の中で問題を解く。勉強を好きという人は多くないだろう。


 そのメモ帳をじーっと眺めている。『裁判員制度』と頭の中で答えたところで「あの、レジお願いします」という女性の声が目の前から聞こえてきた。何回か俺を呼んだのだろう、間近にいる人に話しかける声量には聞こえない。

 見ると、パーカーを着た、少し小柄で茶髪のポニーテールの女性が立っていた。どうやら読むのに没頭していたらしい。全く気付かなかった。「店長から減額食らうかな」と思いながら、「すいません。すぐに」と会計を始めた。ただ淡々と品物をバーコードリーダーに当てていく。


 すると、いままで俺のレジ打ちを眺めていたその女性が


「君、高校浪人生なんだ」と突発的に言ってきた。初対面の人間に本当に唐突に俺のご身分を言い当てられたのだ。


 流石に俺も久しぶりにびっくりして「なんでわかるった」という変な聞き方をしてしまった。

 その女性(よく見ると女子高生ぽい)は笑いながら「だって、そのメモ帳に高校の名前書いてあるもん。見た感じ社会の過去問だね」と答えた。

 そして「君、うちの高校に入ろうとしているんだ」と言ってきたのでさらに驚いてしまう。メモ帳の表紙に志望校が書いてあったのを見たらしい。

「まあ、頑張りなよ」と言ってその少し綺麗な、朝顔のような女子高生はコンビニ袋片手に駅の方へと向かっていった。


 俺はまた来るかと身構えたが、次の日も、その次の日もその女子高生は来なかった。もう来ないのかと思い、俺は少し安心する。なんというか、自分そのものを見透かされているような気がしたのだ。あの、どことなく笑顔の裏に何かを隠していそうな女子高生に。

 その後も女子高生が訪れることはなかった。


 ……だが、1週間後、俺とその女子高生は思わぬ再会をすることになる。


 いつもの図書館の帰り道、アパートの階段の裏といえばわかるだろうか、そこに女性がうずくまっていたのだ。切り傷や痣がはっきりと見える。流石に放ってはおけない。俺は声をかけることにした。

「あの……」と声を出すとその女性は振り返り、顔がこちらを向く。

 街灯の明かりで照らされたその女性はなんとあの女子高生だった。

「ああ、すいません。大丈夫です……ってあれ? 君コンビニの……」

「とりあえず、待っていてください」

 俺は女子高生にそう声をかけ、バイトしているコンビニへと向かい、消毒と絆創膏、軟膏を買い、女子高生の元へと向かった。

 気丈にも女子高生は笑いながら、手を振っている。しかし俺にはその笑みは今にも萎れてしまいそうな朝顔が最後の力を振り絞って咲いているように思えた。


 俺は女子高生の傷の手当てをしながら何があったのか聞いた。

 あくまで社交辞令、転んだか自転車か車とぶつかったといった答えが返ってくるかと思ったが、女子高生の返答は、なんと彼氏が浮気をし、それを問い詰めたところ殴られたという予想の遥か上をいくものだった。

 想像より重い内容と、その内容にどう返したらいいのか分からない俺は何も言えず、ただ黙っているしか方法が思いつかない。


 応急処置も終わり一応女子高生を家まで送ることにした。目の前の傷だらけの女子高生は少し足を引きずって歩いている。満月と星々、家の明かりが俺たちの歩く道を照らしていく。


 特に話すこともなく歩いていると、今度はあちらが俺に質問してきた。

「別に馬鹿にするわけじゃないけど、なんで、高校浪人なんてしてるの? 併願優遇とかそういうので私立にはいけたんじゃないの?」

 言う通り、馬鹿にはしていないのだろう。目の前の女子高生からは悪意が感じられなかった。しかし、俺はこの質問にすぐに、そしてうまく答えることができなかった。


 ……なぜなら、俺の家は父親が職業不詳の貧乏家族だからだ。アパートに両親と弟一人で肩を寄せ合うように暮らしている。当然私立高校など合格しても通学する金もない。小学校、中学校ではよくそのことを馬鹿にされ、コンプレックスになっていた。


「そんなこと、なんであんたなんかに言わなきゃいけなんだよ」一番触れてほしくない所に触れられ、つい怒気を含んだ声が出てしまう。

 女子高生はそれにびっくりしながらも、震えて消え入りそうな声で

「なんとなく、私と同じような感じがしたから」そう言って、女子高生は目を陰の方にそらしてしまう。


 二人の間に沈黙が流れる。そして、女子高生は、囁きにも似た声で話し始めた。

「私の家はね、両親が離婚しているの。ずっと長い間、父親とふたりきりで暮らしてる。でもね、最近父親の仕事が危ないらしくて酒におぼれるようになった。それでも発散できない鬱憤は、全部私に来た。そんな時でも、彼がいてくれるから大丈夫、そう思ってたのに……」ついに女子高生の声に嗚咽が混じり始める。

「高校に行って、帰ってきて、父親に殴られる、そんな時計の歯車みたいな一日を毎日、毎日、毎日送っているの」最後の方は震えてもう言葉になっていなかった。


 

 会ったのは2回だけ。しかもただの客とコンビの店員という関係性。でも、その話を聞くだけで、俺は彼女と何回も会い、そしてお互いの傷をなめ合うような関係性になったような気がした。


 同じだ。と俺は思ったのだ。


 形は違えど日々の負のルーティン、変わらないマイナスの物に縛られている。そして、心が機能しなくなっている。彼女となら、この心のがらんどうを共有できるかもしれない。そう思った。

「俺は……」とぽつぽつ身の上を話し始める。貧乏な毎日、馬鹿にされる毎日、そして、受験に落ちたあの日。俺のがらんどう、錆びついた歯車を理解できるであろう人に話す。それだけでどんどん、自分の中の機能していなかった心がどんどん動き始める。錆び付いていた歯車が少しずつ動き出す。


 その錆は涙として出てきたのだった。

 すべてを話し終わった時、彼女は何も言わず、ただ微笑んで俺を見守ってくれた。それが何よりも嬉しかった。お互い涙でぐずぐずになった顔を見合わせ、少し笑う。

 星々と月も今夜は俺たちのために輝いている気がする。あなたたち2人なら大丈夫と。


 その次の日、彼女がコンビニに来て、店内を物色し、レジに並ぶ。

 ご丁寧に俺が昨日買った消毒と軟膏、絆創膏の値段とぴったり同じになるように計算し、選んだ品物を持って。


「それとこれ……」と言ってお金と一緒に渡されたのは小さなメモ帳だった。その1ページ目には、社会を自分がどうやって勉強したのか書かれていた。彼女は俺に微笑みを向けて店を出た。

 それから1週間おきに彼女はコンビニにきて俺にメモの切れ端を置いていく。初回はびっくりした俺だったが、だんだん彼女が来る日が待ち遠しく、誕生日プレゼントをもらう子どものような心境で彼女のメモを受け取るようになった。このメモの切れ端は、俺と彼女を繋ぐ、心の切符のように思えた。


 そのメモを交換し、20秒と満たない時間話すだけのやり取りは、俺の受験1週間前まで続いた。

 メモに書いてあったことは大体は勉強法だったり、モチベの維持、低価格で簡単に作れる夜食のメニューだったりしたが、最後の1週間のメモの切れ端には「受験、頑張ってね」となんとも女性らしい字で書かれていた。お互いの名前も知らない関係だがその一言だけで、俺はなんとなく救われ、今までの努力が認められたような気がした。

 そして、受験日。俺はもう何も迷わなかった。国語、数学、社会、理科、英語とどんどん問題を解いていく。この試験を通らないと、本当の意味でこの負のルーティンからは抜け出せないだろう。今は回っている歯車を、もう一度錆びつかせることだけはしたくない。

 俺の脳裏に浮かんでくるのは、今はもう懐かしく思える浪人期と、あの星と月が煌めく夜の、彼女の微笑んだ顔だった。



 そして、合格発表日。俺は自分の受験番号を無機質な数字–––その一つ一つが受験生の努力の結晶なのだろう–––が並べられている掲示板から見つけた。心の中を桜の花びらが吹き荒れていくような感覚になり、それと同時にあの負のルーティンから本当の意味で抜け出せた瞬間だった。


 そして、家族に報告の電話を入れるより、自分が喜ぶよりも先に、足を動かし歩き始めていた。

 –––名前も知らない彼女の待つ、そのコンビニへと。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

希望と行動によって結ばれた人たちは、愛によって結ばれた人たちと同じように、一人では到達できないであろうところへ到達することができる。

                        ――アンドレ・マルロー

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