アンビバレント
昔から一人でいるのが好きだった。みんなが鬼ごっこにしている中、一人でブランコを漕ぐような少年時代だったし、それは今になっても変わらない。
SNSを見ると当時の鬼ごっこのメンバーが合コンやら会食をしているが、僕は変わらずにブランコを漕いでいる。変わったのは右手に濃度の低いチューハイを持っていることぐらいだ。
一人でいることのメリットとしては気を遣わなくて済むこと。ボーッとしてても本を読んでても音楽を聴いてても走り回ってても誰にも迷惑がかからないこと。つまりは自由ということだ。
人目がどうとか気にする人もいるだろうが、誰も僕のことなんて気に留めることはない。
考えてみて欲しい。公園で酒を飲みながらブランコを漕ぐ男に話しかけようと思うだろうか。休日の昼間にカフェで本を読んでいる男と仲良くなりたいと思うだろうか。
あなたの答えが僕が人目を気にしない理由だ。
一人が好きと言っても少なからず友人は持つべきだ。人生において腹を割って話せる相談相手は必ずと言っていいほど必要だし、時々喋りながら飯を食うとストレスの発散に繋がる。趣味の合う映画を観て、感想を伝え合えばより仲は深まり、映画に対する愛着も湧く。ただこういう相手に対してあまり干渉、というか重きを置かないところが一般的に言われるパリピや、陽キャラと違うのだろう。一緒にいて楽しいとは思うものの、それが一週間連続で続くと思うと流石に疲れが出る。ストレスが溜まる。その結果嫌いになる。そのためには会うのは月に2、3回で充分なのだ。
ただ皮肉にも僕は時々ものすごく寂しくなることがある。人と話したい。飯を食いたい。夜景を見たい。ゲームをしたい。そう言った願望は大抵夜に起こることが多い。聞いた話によると夜は日中と比べて恋しくなる時間帯だそうだ。最近になってそのバイアスにまんまと嵌められる事が多くなったように思う。
それはなぜか。自分なりに考えてみた結果、他人を見過ぎているからではないかという見解にたどり着いた。
わざわざ街を歩かなくともインターネットを開けば腐るほど他人の生活を見る事ができる。
「今日は友人とランチに行ってきました!」
「韓国旅行2日目!○○と居るのって超楽しい!」
などという投稿は嫌というほど目につく。果たしてその現象は何に起因しているのだろうか。嫉妬?憧れ?単純な興味?
それは僕にはわからない。恐らく本能的に引き寄せられているのだと思う。
この腐った社会を忘れるために好きなことばかりに目を当てて現実逃避しながら現実を楽しむ。そういう簡単に見えて実は難しいことを楽々とこなしてしまう人を世は「世渡り上手」と呼ぶ。先述したパリピや陽キャラ、またSNSに旅行の写真をあげたりパンケーキの写真を載せて友達をタグづけしているような人たちのことを指すのだろう。
そういう人たちは少年、少女時代には明日の宿題なんて気にも当てず友達と鬼ごっこを楽しんでいた人たちだろう。
僕にはあまりにも楽観的で能天気で、けれど最も輝いている人たちだ。
しかしそれを羨むことはない。今の自分を悔やむこともない。自分が選んだ道だ。当時、ブランコに乗らずに仲間に混ぜてもらうことだって出来た。でもそれを選ばなかったのは結果大人になって疲れると知っていたから。明日のことを忘れるよりも、嘆いてどうにかして生き延びる方が合っていたから。
だから僕はブランコを選んだ。
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