「未練がましい」
―――――あの人が最後に遺した手紙を、今も開けずにいる。
20XX年
今日も今日とて街は一見平和に機能している。
行き交う人々の群れ、紫煙の揺蕩うビル下の休憩所。
賑わいを見せる朝の通勤ラッシュ、徹夜で飲み明かしたサラリーマンが欠伸を零す。
横断歩道を幅を取って歩く学生服の群れ、ペットの散歩に勤しむマダムたち。
嗚呼、この憎たらしいほど燦燦と輝く太陽を、恨まず生きる方法を、私は知らない。
「――此の国も日和ったもんだよなぁ』
ふと後ろから声がして振り返る。
デスクに無造作に置かれた電子端末からだ。
声の主は小さな端末から皮肉な文句を乗せてくる。
少しばかり物騒な仕事先の古い友人のタイミングの良い挨拶に溜息を吐いた。
「良いことなんじゃないか?泡沫の平穏、素晴らしいことだ」
「心にもないことを言うようになったね」
「否、本音さ。但し、ツケを払うとき吠え面かくのは彼等だろうけれどね」
「厭味な言い方をするなぁ、君はやっぱり此の国に向いてないよ」
「向いてないなんて今更だろう?」
「今からでも此方に来たらどうだ?衣食住は保証するぞ」
「その代わり労働は強制ってか?」
「Exacta!」
「丁重にお断りさせて頂くよ」
「相変わらず釣れない奴だ」
「誉め言葉として受け取っておこうか」
「そういうところも変わらない」
くぐもった笑い声が端末越しに聞こえる。
窓枠に腰を預けながら、煙草を取り出しジッポーで火を点ける。
ゆっくり深く肺にを吸い込み、溜息を連れて煙を吐き出した。
独特の香りとムスクの匂いが小さな事務所に広がっていく。
徹夜明けの身体に染み入るようだった。
「まだ、あの手紙は開けていないのかい」
ふと、沈黙を破ったのは相手から。
その内容に思わず数瞬、固まってから返事を捻りだす。
「………どうせ、碌なことが書いていないさ」
それは、半分本音で半分は言い訳であった。
先程よりも上に昇った太陽が肌をじりじりと急かすように焼く。
「俺が開けてやろうか、と言っても聞かないんだろうな」
「この問答はかれこれ何回しただろうな、当然だよ」
「ならサッサと君が開けるしかないってことも分かってるだろう?」
「ああ……分かっているさ」
「彼女は非常に優秀だった、君の国の誇りだ」
「ああ」
「…彼女に寄り添い続けた君も、そろそろ許されても良いはずだ」
「………………」
それは、本当にそうだろうか。
既に刻まれたように深い目の下の隈が己の業を語っている。
何人を手に掛けたかも覚えていない手を日光に翳すと今でも赤色を幻視した。
「まだ、まだ……私は、赦されないさ」
「……そうかい、まあ、生きているだけ重畳か」
「なんだ、私が野垂れ死んだとでも思っていたような言い方だ」
「笑えないジョークを言うようになったな」
「本当にそう思っていたのか?」
「君が国に帰るとき見送ったのは俺だからな」
その言葉に苦笑いだけ返す。
あの頃の私は相当に酷い顔をしていたに違いない。
正しく今にも死にそうな………
「さて、俺は君とは違って今日も仕事があるからまた連絡するよ」
「私も一応、働いているんだがね」
「こっちと比べたらお留守番ぐらい簡単な仕事だろう?」
「それには何とも返せないな」
「精々、楽しく生きてくれ」
「そちらもな」
「ああ、また」
プツン、と画面が暗転する。
相変わらず不正アクセスが得意なヤツだ…と何ひとつ痕跡のない端末を見て笑った。
既に煙草は灰だけになっており、勿体ないと思いつつ灰皿に押し付ける。
ふらりと窓枠から身体を起こせば寝不足と疲労からか軽い眩暈に襲われ、慌てて窓枠に手をつく。
暫く瞼を閉じてから、本日何度目かも分からない溜息を吐いて立ち上がった。
よく見ると埃だらけの部屋には表社会には出せない資料などが無造作に置かれている。
古びた書類や手紙を退けて、小さな箱を奥から引きずり出した。
「そうか……時間が過ぎるのは早いな………」
箱を開けようとする手が無意識に震えているのを見て自嘲した。
ゆっくりと開くと埃が舞って軽く咽る。
—―――“親愛なる相棒へ”
それだけ書かれた紙が二つ折りにされていた。
随分と古びた紙だが、破損などはなく綺麗な状態で保管されている。
唯、赤黒い染みが淵に少しだけ付着しており目を細める。
彼女はもういない
その事実を受け入れているはずだった。
受け入れられたはずだった。
だが、この手紙の内容を未だに知らない事実が。
「私の弱さだ」
貴方は××で『未練たらしい』をお題にして140文字SSを書いてください。
#shindanmaker
https://shindanmaker.com/375517 より