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第六話

食欲をそそる香りに目が覚めた。

上体を起こし辺りを見回すと、見慣れたリビングの風景が広がっていた。自分はソファで眠っていたらしい。

何があったのか思い出そうとして赤面した。

『楽園』で倒れていた統也をここまで連れてきて、その汗にまみれた身体を拭いてやろうとしてその身に刻まれた痛々しい傷跡を目の当たりにした。

そして統也の信念を、戦う理由を聞き、不覚にもその穏やかな笑顔に見惚れてしまった。

これだけでも相当恥ずかしいというのに、問題はそのあとだ。

こともあろうに、統也は傷跡を見た私たちを『家族』だと言ったのだ。

その一言にパニックを起こし、続くありがとうという言葉に完全にやられた。KOだ。ノックアウトだ。あの笑顔を思い出すだけで、どんどん顔が熱くなっていく。出来ることなら今すぐに大声を上げてのたうち回りたい衝動に駆られる。

吸血鬼の真祖ともあろう自分が、なんという体たらくだ。

自己嫌悪に打ちひしがれていると、その原因である居候がキッチンから顔を覗かせた。


「あ、起きたか?」


自分のしでかしたことの重大さを全く認識していないその態度に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。


「そろそろ夕飯が出来るから、もうちょっと待っててくれ」


そう言ってその姿をキッチンへと消した統也が去り際に浮かべた微笑に、鼓動が速くなるのを感じた。

まずい。これはまずい。非常にまずい。

この感情の名は知っている。それに浮かれる者たちを嘲笑ったものだ。

しかし、まさか自分が経験することになるとは思ってもみなかった。

共に感じる、正体の分からない漠然とした不安。

吸血鬼として覚醒して以来多くの時間を一人で過ごしていた。

むろん、しばらく行動を共にした者もいたが、その誰もが自分を置いて去って行った。

初めのころは寂しいと感じたこともあったが、いつしかそんな感情は消え去り、一人でいることが普通なのだと、自分はそういう存在なのだと思うようになった。

この学園で広域監査員として働くようになり、今までとは比べ物にならないほどの繋がりを得ても、一人で生きていくのだという考えが変わることはなかった。

それがどうだ。たった一人の『異邦人(イレギュラー)』の出現で、今まで信じて疑わなかった物がいとも容易く打ち砕かれてしまった。

鷹司統也という男は、まるでずっと昔からそうであったように、自分の生活の一部となってしまったのだ。

自分で自分が分からない。

もしも統也が目の前から消えてしまったら、私を置いて行ってしまったら、自分はどうなるのだろうか。

ああ、そうだったのか。

そこまで考えて、ようやく自分が感じている漠然とした不安の正体が掴めた。

恐怖。今の自分は、統也が消えてしまうことを恐れているのだ。

私が吸血鬼だと知っても態度を変えることなく、むしろ、より馴れ馴れしく接してきたあの男が、いつか私を置いて行ってしまうのではないか、と。それどころか、今さっき自分が見たのはただの幻覚で、そんな男は初めから居なかったのではないか、ただの夢だったのではないか、と。

気付けば震えていた。ただただ、統也がいなくなってしまうのが怖かった。一人になるのが恐かった。

いくら自分に言い聞かせても震えは一向に収まらない。


―いっそ自分の物(しもべ)にしてしまえ―


もう一人の自分の囁きを全力で否定する。

それだけは出来ない。吸血鬼の真祖『常闇の吸血鬼ダーク・ブリュンヒルド』として、何より統也が家族だと言ってくれたのだ。それを裏切るような真似は出来ない。


―どうせあいつもお前を捨てるのだ―


そんなことはないっ。あいつは私を捨てたりしないっ。


―なぜそう言い切れる?あいつはお前とは違う。あいつもいつかお前を恐れ、蔑み、去っていくに決まっている―


もうやめろっ、やめてくれっ。


―お前が受け入れられることなどあり得ない。お前は吸血鬼、化け物なのだから―


脳裏に浮かぶ光景。

家族が、友人が、旅の途中で出会った者たちが叫ぶ。


「ば、化け物っ」


「こっちに来るなっ」


「た、助けてくれっ」


化け物化け物化け物化け物化け物バケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノバケモノ。


「ヤメロォォォォォォォォッ」


「ディアナ?」


いつの間にか目の前に立っていた統也の細身ながら引き締まった体に、恥も外聞もなくしがみつく。


「ディ、ディアナ?」


「と、統也っ、お、お前もっ、私の前から、消えてしまうのか?」


「……」


「私を、置いて、いなくなってしまうのか?……私を、一人にするのか?」


「ディアナ、俺は、お前を置いて消えたりはしない」


「ほ、本当か……?」


「ああ、本当だ。……約束する。俺はお前を置いていなくなったりはしない。お前が望む限り、いつまでも傍に居てやる。……お前を一人にはしない。絶対にだ」


その言葉を聞いた途端、どれだけ抑えようとしても決して収まらなかった体の震えが、嘘のように収まった。

泣いた子供をあやすように背中を撫でる統也の手の暖かさにひどく安心する。

先程まで頭の中に響いていたもう一人の自分の声も、今はもう聞こえない。

そして確信した。私はヴァルを従えて、一人で生きていくことなど出来ないと。そんな必要はないのだと。

未来は誰にも分からない。それでも、統也の言ったことなら信じられる、そう思えた。


「落ち着いたか?」


統也の声に、その胸に顔を埋めたまま頷く。

それを聞いても、統也は私を引き剥がすことはなかった。私の気が済むまでこうしていてくれるのだろう。

このままずっとこうしていて困らせてやろうか、とも思ったが流石にそれはやめておく。

体を離すと、視界に広がったのは統也の優しい笑み。


「もうすぐ準備できるから。顔、洗っとけよ?」


いたずらっぽく笑いながら軽い調子で言う統也を睨みつけると、朗らかに笑いながら立ち上がる。


「お前のことを受け入れないような奴は放っときゃ良いんだよ。そんな奴らは相手にするだけ無駄だ。少なくとも、俺やヴァル、学園長はお前の味方だ」


去り際、私の頭を乱暴に撫でながらなんでもないように言うと、キッチンへ消えていった。

照れ隠しか、足早に去る統也を可笑しく思ったが、それ以上にありがたかった。

統也に出会ってからたった二日。

それでも、統也は私にとってとても大きな存在になっていた。

だから。

たとえ何があろうと傍にいてやろう。見ず知らずの誰かの為に戦い、そして傷ついた統也が幸せになれないなど、そんなことはあってはならないのだから。

もっとも、統也は自分を不幸だなんて思っていないのだろうが。



夕食を済ませた俺たちは『楽園』内に来ていた。

ことの発端は、夕食の席でディアナの発した言葉だった。曰く、「お前に一人でやらせていてはどんな無茶をするか分かったものじゃない。これからは私の監視の下で鍛錬をしろ。もし一人でやったりしたら……分かっているだろうな?」ということだ。

無茶をして心配をかけた、という自覚がある以上逆らうことなど出来るはずもなく、ディアナの提案を素直に受け入れた。決して、そういったディアナの浮かべた笑みに恐怖を感じたからではない。あくまで自分の意志だ、……そのはずだ。

今、俺の目の前にはディアナとヴァルがいる。魔法使用なしの模擬戦らしい。

俺は大丈夫だと言ったのだが、つい数時間前に魔力切れになった奴の言うことなど信用出来ないとばっさり切り捨てられ、魔法の講義は無しになったのだ。

ディアナは魔法使いタイプらしいのだが、こうやって向かい合ってみると魔法など無くてもかなりの実力の持ち主だということが分かる。

ヴァルもかなり手強そうだ。ディアナの従者である以上、魔法なしの近接戦闘ではディアナ以上かもしれない。

どちらにせよ、気を抜けば一瞬で終わってしまうだろう。もちろん負けるのは俺だ。

それでも簡単に負けてやるつもりなど無い。やりようによっては十分勝機もあるのだから。


「統也、準備はいいか?」

 

不敵に笑うディアナに軽く頷くことで答え、全身から不要な力を抜き自然体で構える。

ディアナが上空に発生させた氷の塊が、重力に引かれて自由落下を開始する。それが地面に到達した刹那、ヴァルが突っ込んできた。

自身の身の丈をはるかに上回る大型のナイフを左右に一本ずつ持ち、軽々と振り回す姿はまさに暴風。下手に近付けばたちどころに切り刻まれ、物言わぬ肉塊と化すだろう。

予想より数段速いその動きに虚を衝かれるが、それも一瞬。あちらが速いのなら、それ以上の速さで迎え撃てばいい。

息つく暇もない連撃を捌きながらディアナの位置を確認すると、初めの位置から一歩も動いていない。手を出すつもりはないのだろう、実質的な一対一だ。これでヴァルに専念できる。

左からの袈裟切りを左前方に踏み込むことでやり過ごし、裏拳の要領で繰り出される横薙ぎを身を沈めることでかわす。再び右手のナイフが迫るより早く、左の掌底がヴァルを弾き飛ばしていた。

器用に空中で回転して足から着地したヴァルが楽しそうにケケケ、と笑う。


「ナカナカヤルジャネェカ」


「褒めたって何も出ないぞ?」


再び突っ込んで来るヴァルの上段からの一線を半身になってかわし、続く刺突を仰け反ってやり過ごす。伸びきった腕を掴み、そのまま地面に引き倒す。呼び出した玉兎の切っ先を突き付けたところで、ヴァルが口を開いた。


「ドウヤラ、俺ノ負ケミテェダナ」


「そうだな。……ところで統也、なぜ獲物を最後まで使わなかった?」


玉兎を消し、ヴァルを頭の上に乗せた俺にディアナが言う。


「なぜ、って言われてもなぁ……。単にやりづらかっただけだ。玉兎を持ったまま、ヴァルの攻撃を防ぎきる自信はないからな」


「なるほどな。しかし、それだけでもないだろう?」


正直に話せとばかりに半眼で睨むディアナに、肩をすくめて答える。


「別に嘘を吐いてるわけじゃない。ヴァルの間合いじゃ、長刀なんてまともに使えないからな。まあ、もう一つ理由を挙げるとすれば、下手に玉兎を使うと、ヴァルをぶった斬っちまうかもしれないからさ」


模造刀でもあればいいんだけど、と言って苦笑する。

玉兎を持って対峙した相手は、一切の容赦なく切り捨てる。俺にとっての玉兎はそういうものだ。故に玉兎を修練に使う気にはなれない。


「つまり、模造刀を用意しろ、というわけか」


「いや、別にそこまでしてもらわなくても……」


「今日はこれで終わりだ。統也、近いうちに模造刀を手配しておく。それまでは組み手はなしだ。……分かったな?」


「……分かりました」


決してディアナに気圧されたわけではないが、素直に従っておく。本当だぞ?師匠の言うことは素直に聞くべきだからだぞ?

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