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第五話

「そして俺は、この世界にやってきた」


そう言って目を開き、懐かしむような笑みを浮かべる統也に声をかけることが出来なかった。

こう言っては何だが、この世界にかかわる以上、そういうことがあっても何ら不思議はない。

それでもこの男は異質だった。それほどの経験をしていながら、後悔することも、自責の念に囚われることもなく、笑ってなんでもないことのように言う。


「なるほどの、そういうことじゃったのか」


爺の言葉に、意識を思考の海から引き揚げると、統也が照れくさそうに頬を掻いていた。


「まあ、それほど珍しい話じゃありませんけどね」


「そういうでない、確かによくある話じゃが、かといって皆が皆そんな経験をしているわけでもあるまいて」


爺と話す統也の顔を見ていると、それに気付いた統也が声をかけてきた。


「ディアナ、どうかしたのか?」


「ふん、なんでもない。ほら、さっさと行くぞ。昨日の続きだ」


「あ、おい、待てよ」


立ち上がり歩きだした私に慌ててついて来る統也を見ながら嘆息する。

どうやら、この男は相当歪んでいるらしい。それとも、ただの変人か。

隣を歩く統也を見上げる。

銜え煙草でヴァルとじゃれているその姿からは、なにも窺い知ることはできない。

視線を前に戻すと、見慣れた一軒家が見えてきた。どうやら、いつの間にか家のすぐ近くまで来ていたらしい。

玄関を開け中に入り、リビングのソファの上に身を投げ出す。

ヴァルを頭の上から降ろし、てきぱきと紅茶の準備をする統也を眺める。


「オイ、御主人。コノ後ハドウスルツモリダ?」


「適当に魔法書でも与えてやれば、あとは自分で何とかするんじゃないか?」


「ナンダ、エラク投ゲ遣リジャネェカ」


怪訝そうに聞いて来るヴァルを無視して、統也を呼ぶ。


「どうした?」


「私はやることがある。修業は自分でやれ、地下室にある魔法書を好きに使っていいぞ」


「そうか、分かった」


ありがとな、と言って地下へ降りていく統也を見送って、統也の入れた紅茶を口に含む。

美味い。

こんなに美味い紅茶を飲んだのは何年振りだろうか。

思い返してみれば、最後に誰かと一緒に暮らしたのはもう二十年近くも前のことになる。

そう言えば、あの男はどうしているだろうか。

どこからともなくふらりと現れ、この私を完膚無きまでに叩きのめした若輩者の吸血鬼。

たかだか百年ほどしか生きていないにもかかわらず、私のことをガキと呼んだ銀髪灼眼の無礼者。

そう言えば、あの男はどこか統也に似ているような気がする。

髪の色も目の色も、世界さえも違うというのに、愚かなまでに楽天的で、そのくせ瞳に強い意志の光を宿しているところなどそっくりではないか。


「何ニヤニヤシテンダ、御主人。気持チワリィゾ」


無意識に口元が綻んでいたらしい。統也が来てからこういうことが多すぎる。

時計を見ると、統也が地下へ行ってからすでに一時間近くが経過していた。


「ヴァル、統也はどうした?」


「知ラネェゾ?マダ戻ッテネェミテェダナ。張リ切リ過ギテ、ブッ倒レテンジャネェカ?」


「なんだと?」


ケケケ、と笑うヴァルを無視してソファから立ち上がり、地下室へと走る。

『楽園』内に入ると、広場の中心付近で倒れている統也を見つけた。

駆け寄って様子を見ると、苦悶の表情で荒い息をついている。明らかに魔力の使い過ぎだ。

統也の魔力はおよそ八千。中級魔法程度ならば、よほど乱発しない限りそう簡単に尽きるものではない。

いったいどれほど無茶をしたというのか。


「バカ者がっ」


魔力で体を強化して統也の体を担ぎあげると、体温が尋常ではなかった。

熱すぎる。

ゲートを通って『楽園』から出る。そのままリビングまで駆け上がり統也の体をソファへと横たえた。


「オイ御主人、ドウシタンダ?」


「うるさいっ」


魔力は魔法師にとって生命力と同義であり、魔力が尽きた者に魔力を供給してやらなければ死ぬことになる。

魔力を供給するには、魔力を多く含む血液を飲ませるか、ラインを繋ぐしかない。

後者を行うには圧倒的に時間が足りない。かといって、吸血鬼である自分の血を飲ませれば、統也が吸血鬼化してしまう。

どうすればいい。

何が四百年を生きる大吸血鬼だ、何が『常闇の吸血姫ダーク・ブリュンヒルド』だ。弟子の一人も救えずに、何を自惚れていたんだ私はっ。


「御主人。オイ、御主人、聞イテンノカ?」


「黙れヴァルっ。うるさいと言っているだろう!」


「落チツケヨ御主人。ラシクネェゾ」


「っ……。そうだな……」


確かに少々取り乱し過ぎたか。

統也を見ると、幾分落ち着きを取り戻していた。

魔力の回復が早すぎる気はしたが、とりあえず危険は去ったようだ。

まだ息は荒いものの、表情が和らいでいるから心配はいらないだろう。

とはいえ、このままにしておくわけにもいかない。大量の発汗に、シャツが濡れて肌に張り付いている。このままでは風邪をひくことになるだろう。

体をふいて服を着替えさせようとシャツのボタンをはずして絶句した。

はだけたシャツの下から覗く引き締まった身体。

そこに残る無数の傷。

縦横に走る刀疵。いたるところに見える銃創。引き攣れている火傷の痕。何かに貫かれたような刺傷。

傷のないところを探す方が難しい位に刻まれ、一つの傷の上にもう一つの別の傷が重なっているようなところがいくつもある。

袖を捲くってみると、手首より上は上半身と同じようになっている。足の方も同様だろう。

背後から攻撃されたのか、完全に貫通している傷跡もあった。

顔や手首から下には傷が見当たらないことから、傷を消す術はあったのだろう。特に顔の傷は人込みの中でも目立つ。それはつまり、敵対する者に素性を知られる恐れがあるということだ。

ということは、服の下に隠された傷跡は、統也があえて消さなかったものなのだろう。


「そういう、ことか……」


同時に頭に直接流れ込んでくる映像。

目の前で失われる命。すべてが終わった後、自らの無力を嘆き絶叫する統也。

裏切り、背後から凶刃を振り下ろす背中を預けた仲間。自嘲の笑みでそれを受け入れる統也。

理解出来ない力を恐れ、化け物と罵倒する者たち。それを甘んじて受け入れる統也。

そのたびに体に、心に傷を負いながら、笑ってそれを受け入れて。弱音を吐くことも、誰かを恨むことさえなく。ただ、誰かのために。

これは刻印なのだ。統也が傷つけ奪った命を、統也が守り切れなかった命を背負い、自身を戒めるための。

同時に、守ると決めた命を、全てを賭けて守り抜くという誓いでもあるのだろう。

だからあの時、過去を語った統也は笑みを浮かべたのだ。

世界を越えてなお、統也はすべてを背負って生きることをやめない。すべてを背負って、その上でさらに戦い続けるつもりなのだ。

だからこそ、魔力が尽きるほど修行に明け暮れたのだろう。


「まったく、お前は大バカ者だ」


本当に救いようがない。

誰かを守るために戦い、そのために全身に数えきれない傷を負い。

助けた相手に迫害され、背中を預けた仲間に貫かれ。

それでも誰かのために、決して砕けることなく。

自分のことなど顧みず。

まるで子供がそのまま大きくなったかのように、どこまでも純粋で。

これ以上無く歪んでいながら、誰よりも真っ直ぐで。

そんな矛盾を抱えながら、ただ前だけを見据えて戦い続ける。


「本当に、大バカだ」


呼吸も落ち着き、穏やかな寝息を立てる統也の髪を梳く。

時間を確認しようと視線を巡らすと、無言のままこちらを見つめるヴァルと目が合った。


「ヴァル?」


「御主人、ソンナ顔モ出来タンダナ……」


「なんのことだ?」


「イヤ、ナンテーカ、ガキヲ寝カシツケル母親ミテーナ」


「なっ」


ヴァルの言葉に顔が熱くなるのを感じる。


「バ、バカ者!」


「ケケケケケ、イイモノ見セテモラッタゼ。侍ニハ感謝シネェトナ」


「だまれっ」


愉快そうに笑うヴァルに制裁を加えようと、その小さな体躯を掴みあげ振り被る。

そのまま床に叩き付けようとしたところで、小さなうめき声が聞こえた。


「ん、んん?……何やってんだ、お前ら」


「気が付いたか?」


手の中でもがくヴァルを放り投げ、ソファから身を起こした統也に近づく。


「ああ。……あれ、俺、なんでここに?」


「魔力切れでぶっ倒れたんだ。覚えてないのか?」


腕を組み、記憶を辿っているのだろう、ぶつぶつと呟いていたが、あ、と声を上げた。


「そうか、気絶したのか。ディアナが運んでくれたのか?」


「ああ、いつまでたっても戻ってこないから様子を見に行ってみれば、広場のど真ん中で伸びているじゃないか。分かっているのか?かなり危険な状態だったんだぞ?」


「あ、ああ、悪い、無茶しすぎたかもしれない。……ん?」


そう言って頭を下げたところで、着ている服が変わっているのに気付いたのか、視線で説明を求めてくる。


「かなり汗もかいていたし、そのままにしておくわけにはいかないだろう?」


「見たのか?」


あの傷跡のことか。

軽く頷くと、そうか、と呟いて黙り込む。


「まったく、お前は大バカ者だな。他人のためにあれほどの傷を負って、いつまでもそれを刻みつけたままにして。それでお前が死んだらどうするつもりだ?本当にバカだ、大バカだ」


「そうかもしれないな」


その顔に浮かぶのは笑み。しかし、すぐにそれは穏やかなものへと変わった。


「それでも、笑ってた人が、喜んでた人が居たんだ。だから、きっと間違いじゃなかったんだって、そう信じてる。確かに納得できないこともあったけど、過去を否定することは俺に託された想いも、今の自分も否定することになるからさ。今を精一杯生きることが、死んでいった人の供養になるのなら、俺は笑って生きるだけだ」


だからそう簡単に死ぬ気もないさ、と笑うその姿に、頬が熱くなるのを感じた。

この顔は反則だ。そんな顔をされては、その歪な生き方を否定することなどできないではないか。

どうも統也が来てからペースを乱されっぱなしだ。


「それにしても……、そうか、知られちゃったか……。このことを知ってたのは師匠とアリアだけだったんだけどな。ん?……ということは、つまり……」


何を考えているのか、難しい顔で黙り込んだ統也は、しばらくして顔を上げると、こちらの予想の斜め上を行く言葉を口にした。


「うん、そうだな。ディアナ、お前は今日から俺の家族だ」


こいつは今何と言った?

家族、家族と言ったのか?


「ヴァルも見てたのか?」


「アア、ソウダゼ」


「じゃあ、お前も家族だな。改めてよろしくな、ディアナ、ヴァル」


勝手に話を進めていく一人と一体に何か言ってやろうと思うのだが、思考が混乱して言葉が出ない。

家族だとなぜそういう話になるもちろん嬉しくないわけではないが違うそうじゃない私は何を言っているんだ家族か楽しそうだなだからそうではないしっかりしろ私。

何か言おうと焦れば焦るほど思考が混乱し、それによってさらに焦ることになる。

何一つ言葉を発することも出来ず、顔に血が集まってくるのを感じていると、ヴァルと話していた統也がこちらを向いた。


「そういえばまだ言ってなかったな。……ありがとう。」


だからそれは反則だと言っているだろう。

微笑みながらそう言われて、私の思考は完全に停止した。



「あ、おい、ディアナ」

ふらふらと倒れこんできたディアナを支えながら問いかけるが反応はない。

顔が赤いが、風邪でもひいたのだろうか?

いや、吸血鬼が風邪をひくなどということがあるのだろうか。少なくとも俺は、そんな話を聞いたことがない。


「なあ、ヴァル。こっちの吸血鬼って風邪とかひくのか?」


ヴァルに説明を求めるが、ヴァルはやれやれとばかりに首を振っている。


「ソンナワケネェダロ。侍、お前鈍イッテ言ワレタコトネェカ?」


む、なぜこいつがそんなことを知っているんだ?


「御主人モ苦労スンナ」


何のことかは分からないが、とりあえずディアナは風邪ではないようだ。しばらく休めば起きるだろう。

時計を見ると、すでに午後6時を回っていた。今から準備すればちょうどいい頃だろう。

ディアナにはいろいろ迷惑かけたみたいだから、今日はディアナの好きなものでも作るとするか。


「ヴァル、ディアナの好きな物って何だ?」


ヴァルは呆気にとられたように口をあけたまま静止していたが、やがて。いつも通りケケケ、と笑った。


「御主人ノ好キナモノカ?ソンナモン、血ニ決マッテンダロ」


「いや、そうじゃなくて……」


「分カッテルッテノ。御主人ノ好キナモノハ美味イモノダ。アトハ自分デ考エナ」


ヴァルから聞き出すのはあきらめ、一番自信のある『ビーフストロガノフ』を作ることにする。

指定席だといわんばかりに俺の頭に乗ったヴァルとともにキッチンへ移動し、下ごしらえを始める。


「オイ、侍」


いつもとは違い、真剣なヴァルの言葉に手を止める。


「オ前ニトッテ『家族』ッテノハ、ナンダ?」


「俺の居場所であり、何に代えても守り切るものだ」


「ソノ結果、オ前ガ死ヌコトニナッテモカ?」


「……家族と自分、そのどちらかしか生きられないというのなら」


ヴァルが何を思ってこの問いを投げかけたのか。それはわからない。

それでも、ヴァルが俺に何を望んでいるのかはわかる。

それは俺と同じ想いだから。


「もちろん、そんな状況は作らせないし、仮にそうなっても簡単に諦めるつもりはない。みっともなく這いつくばってでも、みんなで生き延びる道を探すさ。残される怖さ、一人の寂しさはよく分かってるから……。だから、ディアナが望む限りそばにいる。あいつを一人にはしないさ。」


頭上からさかさまに俺の顔を覗き込んでいたヴァルは、ケケケ、といつもの愉快そうな笑い声をあげて、俺の頭をぽかぽかと叩いた。


「カッコイイコト言ウジャネェカ、トーヤ。ソノ台詞、御主人ノ前デ言ッテヤレヨ」


「なんだよそれ」


言って、気付いた。

知り合って初めて、ヴァルが俺の名前を呼んだことに。


「ようやく認めてもらえたってことかな……」


「ナニカ言ッタカ、侍?」


どうやら、まだまだ認めてはもらえないらしい。

ヴァルがどれほどの間ディアナと共にいたのか、それを知るすべはない。本人に聞けばわかるのだろうが、おそらく教えてはもらえないだろう。今までにディアナの過去の話はほとんど聞いていないのだから。

どちらにせよ、俺などより遙かに長い年月を共にしているはずだ。当然、ディアナの過去もそれなりによく知っている、もしくは関わっているだろう。

今日の昼間ディアナたちに話した俺の過去もかなり省略しているが、すべてを話したところでディアナのそれには遠く及ばないだろう。

もちろんディアナに同情するつもりなど無い。ディアナ本人もそんなことは望まないだろう。

いずれ話す時が来るのかもしれないが、少なくともその時が来るまでは話すつもりはないし、ディアナもそう考えているはずだ。

少し寂しい気もするが、話したくないことを無理やり聞き出すなどという無粋な真似はしたくない。ディアナは家族なのだ。

故に俺のすることはただ一つ。

ディアナを守り、何があっても共に生きる。いずれ時が来たときにディアナのすべてを受け入れる。

それが、多くの人を傷つけ、その血に塗れた俺に出来る唯一のことだから。

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