第四話
こちらの世界へやってきた翌日(体感的には3日目だが)、学園長に会うために学園長室へとやってきた。
隣にはディアナ、そして頭上にはなぜかヴァルがいる。
ディアナの結界空間『楽園』内で会ったばかりだが、どうやら俺はヴァルに気に入られてしまったらしい。
ディアナ曰く「こいつが人間を気に入るのは初めて」らしい。素直に喜べないのが正直なところなのだが。
「爺、入るぞ」
昨日と同様、尊大な態度で扉を押しあけたディアナに続いて扉をくぐる。
「おお、待っておったぞ。では早速始めようかの」
学園長は俺たちに気がつくと数枚の書類を持って応接用のテーブルへと移動する。
その途中、俺の頭上にいるヴァルに気付き声をかけた。
「おや、珍しい物がついてきたのう。元気にしておったか?」
「ウルセーゾ、爺。サッサトシヤガレ」
「残念じゃのう、久しぶりに一献どうかと思ったんじゃが」
「日本酒カ?」
「もちろんじゃとも。わしの秘蔵の酒じゃ」
「ケケケ、話ガ分カルジャネェカ」
その会話にディアナは「だから連れてきたくなかったんだ」と肩を落とす。
「おい、爺。さっさとしろ」
ディアナの言葉に学園長は、仕方がないのう、と呟いてソファに腰を下ろす。
その正面に座ると、書類が差しだされた。
必要事項は記入済みとなっていてあとは署名するだけの状態だったが、一応すべての書類に目を通す。問題がないことを確認してから署名すると、学園長は満足げに頷き、数枚のカードを取り出した。
「これは?」
「身分証明書とクレジットカード、その他もろもろ必要になるものじゃ。とりあえず口座には百万ほど入れてある。必要なものはそれでそろえて置いとくれ」
「ずいぶん羽振りがいいじゃないか」
「何、統也君に逃げられるのは敵わんしのう。そうならんためにも誠意を見せておくべきじゃろうて」
ほっほっほっ、と笑う学園長に苦笑する。
「では、ありがたく頂いておきます」
「よろしい。しかし、君は不思議じゃな」
「なにがです?」
「まだ若いというのに、四百年以上を生きる大吸血鬼『常闇の吸血姫』に対して動じることもなく、動きの一つ一つに隙がない。差し支えなければ話を聞かせてくれんかのう?」
「爺っ、何を言ってっ、……と、統也?」
学園長に食って掛かるディアナを押しとどめ、困惑気味に俺を見るディアナの目を見つめる。
「いいんだ。流石に何も話さないわけにはいかないからな」
それに、と続けると、ディアナは不思議そうに首をかしげた。
「ディアナには知っておいてもらいたい」
そう言って笑うと、ディアナは頬を染めてそっぽを向いた。
ディアナの反応に首をひねっていると頭上にいたヴァルが騒ぎ始めた。
「ケケケケケ。オイ、御主人、ナニ照レテイヤガルンダ」
「う、うるさいっ」
ディアナはヴァルを掴むと一切の容赦なく、その小さな体を床に叩き付けた。
「イテ―ジャネェカ」
「おい統也っ、こんな奴は放っておいて、さっさと始めるぞっ」
抗議の声を上げるヴァルを無視して詰め寄るディアナに「分かった、分かった」と言って、目を閉じる。
俺の中にある最古の記憶を引っ張り出す。
一度は記憶の奥底に封じ込めた、忌まわしき日々。そのすべてを一切合財、嘘偽りなく曝け出すために。
最初の記憶は、とても温かなものだった。
母さんはいなかったし、父さんの顔を思い出すことも出来ないけれど、それでも『家族』の温かみを感じることができた。
俺にとって父さんは英雄だった。
強くて、優しくて、たまに怒るととてつもなく怖かったけど、それでも俺を叱る言葉の端々に愛情を感じることができた。
そんな平穏な生活の終わりは唐突にやってきた。
俺が四歳になったばかりの冬の夜、俺たちの住んでいた家に、漆黒のローブをまとった男たちが突入してきたのだ。
父さんは呆然とする俺を抱えて家を飛び出した。
走って、走って、走り続けて、追っ手を振り切った時には父さんはボロボロになっていた。
森の中に逃げ込み追手がいないかあたりを見回した後、父さんはところどころ破れたコートのポケットから革製の腕輪を取り出すと、それを俺の右手首にあてがい何かを呟いた。
すると腕輪は俺の手首に巻きつき、外れなくなった。
「統也、これを外してはいけないよ?これが君を守ってくれる。もう少ししたら父さんの友達が来るから、それまでここでじっとしていなさい」
父さんはそう言い残して、来た道を引き返して行った。
俺は父さんの言いつけを守ってその場でずっと隠れていた。
暗くて、寒くて、すごく怖かった。たまに風が吹いて周りに生えていた木の葉っぱがざわめくと、悲鳴を上げてしまいそうになるのを必死に押し殺して。
どのくらいそうしていたのか分からないけど、不意に見上げた空に、いつも父さんのそばにいた使い魔の鳥が飛ぶのが見えた。
そのすぐ後に一人の男の人が来て、「もう大丈夫」と言ってくれた。俺は声を上げて泣いた。
なぜか分からないけど、もう父さんに逢えない気がした。
その人は父さんの友達で、父さんの使い魔に導かれて来てくれたらしい。
それが俺と師匠の出会いだった。
それから俺は師匠の下で魔術を学ぶようになった。
師匠は最初、それに反対した。理由は俺には素質が全くと言っていいほどなかったから。
それでも俺は師匠に頼み込んで、ようやく師匠も納得してくれた。
幸い魔力は十分にあったから、身体強化の魔術さえ覚えてしまえば何とかなった。
自分の体を強化し、接近戦で戦う今のスタイルはこのころには確立していた。
師匠のつてで、格闘技や剣術を習い、初めて魔術師としての仕事に出たのは一四の時。すべての始まりから十年の月日が経っていた。
初仕事は師匠についての吸血鬼退治。ある山間の寒村が一体の吸血鬼によって死都になった、ということだった。
俺はこの日のために師匠からもらった日本刀を携え、師匠の後を追って目的の村へとたどり着いた。
そこにいたのは、もとは村人だったであろう大勢の亡者。師匠と二人でそれらを薙ぎ払いながら進んで行った先で、まだ血を吸われていない双子の少女を見つけた。
師匠の制止を振り切って彼女たちを救おうとした俺は、多数の亡者に囲まれ孤立してしまった。俺は二人を背後にかばい、剣を振るった。
必死だった。生きるために、何より背後で震えている二人を守るために。ただがむしゃらに迫りくる亡者の群れを斬り伏せた。
何度も亡者の攻撃を食らい、それでも戦い続けていた俺は体力も集中力も限界だった。
気付いた時には双子の片方の首に、討ち漏らした亡者が噛み付いていた。
首に噛み付いた亡者を斬り伏せた時には、すでに手遅れだった。
理性の光の殆ど消えた少女は、ふらふらと立ちあがって俺に近付いてきた。
「コロシ…テ……。ハヤ…ク。この子を…殺して…しま…う前に……」
わずかに残った理性でそういう彼女を、俺は斬った。俺はその時初めて、人を、殺した。
俺の意識はそこで途切れた。
次に目を覚ましたのは翌日の夜。傍らには一人の少女がいた。
俺の眠っていたベッド傍に椅子を置き、そこに座ってベッドの上に突っ伏して眠っている少女は、あの村で出会った少女だった。
彼女が生きていたことに安堵して、すぐに自分が彼女の姉か妹を斬ったことを思い出した。
彼女は何のためにここにいるのだろうか。俺を責めるため?それとも姉妹の仇を討つため?そんなことを考えていると少女が目を覚ました。
俺の顔をボーっと見る彼女の澄んだ紺碧の瞳を見返すことができず、俺は目を逸らした。
直後、胸に軽い衝撃を感じた。見ると柔らかな金髪。
「ミリアはっ、笑って、いましたっ。とてもっ、穏やかにっ。……っく。だ、だからっ、貴方もっ、笑ってっ、笑ってくださいっ。あなたが、苦しんでいたらっ、ミリアは、悲しみますっ。……っく。だからっ」
俺の胸に顔を押し付けて、声を押し殺して泣く少女に救われた。
「君、名前は?」
「……アリア」
顔を上げて答えた少女は目を赤く腫らしながらも、しっかりとした口調だった。
「アリア、君は、俺が守る。」
その日から、俺と師匠の二人きりの生活に、アリアという新たな家族が加わった。
俺はより一層魔術、体術の訓練に力を注いだ。守ると決めた命が二度と、この手から零れ落ちることが無いように。
それからは多くの仕事をこなし、大きな仕事も単独でいくつかこなした。
かなり無茶もしたし、死にかけたことは一度や二度じゃない。
それでも、わずかでも救える命がある限り、俺は戦い続けた。
救った命に感謝されることは稀だった。多くの場合、化け物と罵られ迫害された。
ともに戦った魔術師に裏切られて死にかけたことも、数えきれない程あった。
それでもよかった。それは、守れた命があったということだから。
笑っていたから。家族や友人、恋人の生存を喜ぶ人たちがいたから。
魔術師鷹司統也の名もそれなりに有名になり、同業者から『銀閃』の二つ名で呼ばれるようになったころ、俺の下にある依頼が舞い込んできた。俺が十九の頃だ。
内容はある魔術師の捕縛。数名の魔術師を制圧し、標的を確保する。難易度としてはそれほど高くはないものだった。
標的が拠点としている一軒家に侵入し、邪魔者を死なない程度に痛めつけ、最深部へと向かう。そしてそこにいたのは、漆黒のローブをまとった男。その手に握られていたのは、父さんがいつも持ち歩いていた白木造りの一振りの日本刀。
ああ、そうか……。こいつが、父さんを……■したのか。
気付くとすべてが終わっていた。
足元には虫の息の標的。
依頼主に連絡を入れ、落ちていた抜き身の刀を拾ってその場を後にした。
家に着くと、俺の姿を見たアリアが師匠を呼び、師匠は俺の持っていた日本刀を見て息をのんだ。
そのあと師匠から、父さんを襲った連中のことを聞かされた。
父さんが教会に狙われていたこと。あの日俺たちを襲ったのは、教会の実働部隊だったこと。父さんの子供である俺も同様に狙われていたこと。
そして、今回の一件で、連中に俺の正体がばれたかもしれないということ。
その日からの師匠の行動は早かった。
父さんと共同で行っていたという研究の成果を組み合わせ、ある術式を作り出した。
それが世界の枠を越えるという、前代未聞の大魔術だった。