第一話
「ぅ……」
後頭部に感じる鈍痛で目が覚めた。
体を起こして触れてみると、指先に感じる腫れ。
振り返ってみると、ちょうど頭の位置に大きめの石があった。
どうやら、こいつが原因らしい。痛みの理由が分かったところで立ち上がって、周囲を観察する。
「どこだ?ここ」
周りに見えるのは雪の降り積もった大地と無数の木々。
枝の隙間から光が射していることからまだ昼間だと思われるが、頭上を覆う密集した枝のせいで大半が遮られており、辺りは薄暗い。
森の中であることはわかるが、こんなところに来た覚えはない。
何があったのか思い出そうとして、近付いてくる人の気配に気が付いた。
「ちょうどいい、ここがどこなのか聞いてみるか。」
そうと決まれば善は急げ、だ。
気配の方へと近付いて行くと、突然、空気が変わった。
この空気は知っている。
敵意。
それもそうか、と嘆息する。
誰だって、森の中で近付いて来る気配があれば警戒するだろう。
どうしたものかと考えていたところで、先ほどから感じているものとは比較にならない、明確な殺気を感じ、慌てて後ろへ飛ぶ。
見れば先程まで立っていた場所に巨大な氷柱が突き刺さっている。
明らかに自然のものではない。となれば、考えられる可能性はただ一つ。
「魔術師か……」
魔術師。
魔力を用いて神秘を成すもの。
科学の発展した現代においては、空想上の存在である。
しかし、確かに魔術師は存在するのだ。
今し方攻撃を仕掛けてきた人物然り、そして、自身もまた、魔術師と呼ばれる者の一人。
「ちっ、めんどくせぇ……」
とにかく、今は身の安全を確保することが最優先。
躊躇っている暇などない。
「リリース・アクセル・イグズィウス」
身体強化と同時に牽制の魔弾と共に走り出す。
相手の位置は分かっている。
一気に距離を詰めて無力化するのが最善。
木の幹を蹴りつけながら相手の背後に回り、魔力を乗せた右拳を叩き込むべく、振り被る。
相手もこちらに気付いて振り向くが、もう遅い。
「なっ」
とてつもない衝撃を感じ、木の葉のごとく吹き飛ばされながら必死に体を捻り、なんとか足から着地する。
今のは、一体……?
相手の攻撃ではないだろう。完全に不意を突いていたのだから、そんな余裕はなかったはずだ。
対してこちらの拳は確かに相手をとらえたように見えた。
視線を巡らせると相手は十メートルほど離れたところに倒れていた。
警戒しながら近付いて驚いた。そこに倒れていたのは十四歳程の少女。どうやら気絶しているらしい。
ポケットから取り出した煙草に火をつけながら先ほどの戦いを反芻する。
それにしても驚いた。おそらく先ほどの衝撃は対物理障壁を殴ったためだろうが、この若さであれほどの結界が張れる魔術師がいたとは。
同じ魔術師として気になるところではあるが、今はそれどころではない。とりあえず近くの町へ行かなければ何も出来ないのだから。そのためには彼女を起こして尋ねるのが手っ取り早い。
そう考え声をかけようとしたところで、少女が目を覚ました。
「おーい、大丈夫か?」
そう声をかけると、少女は思わず拍手をしてしまいそうな身のこなしで距離をとった。
絹糸のように艶やかな金髪が風になびく。
どうやらかなり警戒されているらしい。深く澄んだ碧眼は油断なくこちらを睨みつけている。
「……貴様、一体何者だ?」
「人に名前を聞くときは、自分から名乗るのが礼儀じゃないのか?」
「うるさい!貴様黙って答えればいいんだ!」
うん、あれだ、黙っていたら答えられないよな。
しかし、いちいち突っ込んでいては話が進まない。ここは素直に答えた方がよさそうだ。
「俺は鷹司統也、魔術師だ」
「貴様の目的は何だ?」
「目的?何のことだ?」
「とぼけるな!この時期に結界を破って侵入したんだ、何をするつもりだ!」
結界?この時期?何のことだろうか。
「あー、ちょっといいか?話が全く見えないんだが……」
「……貴様、本当に何も知らんのか?ならば質問を変えよう。貴様はどこから来た?」
「どこからって……。ちょっと待ってくれ、今思い出す。」
そう言えば、なんであんなところにいたんだ?その前に何をしていた……?
「……あぁぁぁっ!」
「きゃっ」
可愛い悲鳴に少女の方を見ると、尻餅をついて呆然とこちらを見ていた。どうやらあの悲鳴は彼女のものらしい。
しばらく呆然としていた少女だがその顔が羞恥に赤く染まっていく。
「と、突然大声を出すな!」
誤魔化すように大声で叫んでも、過去は消せない。からかってやろうかとも思ったが、流石に大人気無いのでやめておく。
「ああ、すまん。それより、思い出したぞ」
いつの間にか燃え尽きていた煙草の吸殻を携帯灰皿にしまいながら何事もなかったように受け流すと、少女は先程までと同じ高圧的な態度を装い、続きを促してきた。まだ赤みを帯びている顔でそんな態度をとられても、少しも怖くないのだが。
「あー、そのー」
「いいからさっさと話せ」
絶対信じないよなぁ、と思いながらも出来る限り真剣な表情を作って口を開く。
「……俺は、この世界の住人じゃない。」
「……」
「……」
「……ふざけているのか?」
ほらね、やっぱり信じてない。
「ふざけてなんかいない。事実だ。俺はこの世界とは違う世界から来た。」
「ふ、ふざけるな!世界の枠を飛び越えただと?そんなことが出来る訳が無いだろう!」
「だから事実なんだって。俺だってこんなこと言って信じてもらえるとは思ってねぇよ。」
俺の言葉に、少女は何かを考えるようなそぶりを見せ、探るような視線を向ける。
「ふん、ならば証拠を見せてみろ」
「証拠?」
「貴様が異世界から来たという証拠を見せろと言っているんだ」
「そんな都合の良い物がある訳ないだろ?」
「……貴様、先ほど魔術師だと言ったな?」
「ああ、それがどうかしたのか?」
少女は、うむ、と頷いた。
「この世界では私たちのような存在は『魔法師』と呼ばれる。そして、魔法師の扱う術を魔法と呼ぶ。貴様の言うことが正しければ、魔法と魔術の間には体系的に差異が生じるはず。それを見せろと言っているのだ」
「つまり、俺が魔術を使えばいいのか?」
「そう言っているだろうが」
確かに可能性はあるかもしれない。魔術と魔法が別物だとするなら、違いがあって当然。ルーツが同じだったとしても、世界が違う以上全く同一であるはずがない。
立ち上がり、少女に背を向ける。
「リリース・アクセル・イグズィウス」
幻想を結び、神秘を成す。それが魔術。つまり、魔術の本質は自己暗示。すべての答えは己が内にある。
「焼き尽くせ」
頭上にかざした手の先に直径二十センチほどの火球が出現し、振り下ろされた腕に従い飛翔する。
着弾。
轟音とともに爆風が吹き荒れ木々がざわめく。大量の雪が蒸発したことにより生じた水蒸気が晴れると、着弾した地点には直径二メートルほどの穴が開いていた。
振り返ると、少女が目を丸くして呆然としている。ギギギッ、と音のしそうなぎこちない動作でこちらを見た。
「なっ……」
「な?」
「な、なんだあれは!」
「うおっ」
ようやく喋ったと思ったら胸倉を掴まれた。そのうえ容赦なくがくがくと揺さぶってくる。
「これが貴様の言う魔術か!ふざけるのもいい加減にしろ!たったあれだけの詠唱であの威力だと?私をバカにしているのか!」
「ちょ、おい、落ち着けっ……!」
流石に苦しくなってきたので頭を叩いてやめさせる。強く叩き過ぎたのか頭を押さえて蹲ってしまった。
「く、くぅ……。な、何をするっ……」
目に涙を浮かべて上目遣いで睨みつけるその姿に、途轍もない罪悪感に苛まれ、とりあえず頭を撫でてみた。
大人しく撫でられていた少女だったが、しばらくすると手を払って立ち上がった。
「子供扱いするんじゃない!」
「へいへい、そりゃ悪かったな」
腕を組みジロリと見ら見つけてくる少女。その様子に知らず笑みがこぼれる。
「ふん、まあいい。とりあえず貴様の言う魔術というものが魔法とは別のものだということは分かった。それで、貴様は何のためにこの世界へ来たんだ?」
この世界に来た理由、か……。
新しい煙草に火をつけ、その先端から立ち上る紫煙を眺める。
「話したくないなら別にいいがな」
黙り込んだ俺に気を使ったわけではないだろうが、どうでもいいといわんばかりの口調で言った。
「でも、いいのか?自分で言うのもなんだが、俺は不審人物だぞ?」
「私をバカにするな。貴様がその気なら、私はすでに五回は死んでいるはずだろう?演技でない確証はないが、何かするつもりならそんなリスクの高い真似はせん。違うか?」
「確かにそうかもしれないが……」
「これでも人を見る目には自信があってな。それとも何か?貴様は私に疑われたいのか?」
にやりと笑いながら、ん?、と詰め寄ってくる少女には敵わない。
「分かった、降参だ」
その言葉に勝ち誇ったような笑みを浮かべ、満足そうに頷いた。
「うむ。しかし、この世界の住人でないとなると、住む場所もないのだろう?どうするつもりだ?」
「まあ、適当に仕事を探して何とかするさ」
「……」
黙り込んだ少女を不審に思い様子を窺うと、何やらぶつぶつと呟いている。そして大きく頷いたかと思えば物凄い速さで顔を上げた。
嫌な予感がした。
こちらを見たその目が、獲物を見つけた狼のような、何かを企んでいるときの妹弟子のような光を湛えていたのだから。
「よし、私が仕事を紹介してやろう!」
「い、いや、そこまで迷惑をかけるわけには……」
身の安全を確保しようとしたものの、
「遠慮するな、私に任せておけ」
などとこれ以上無い位の嬉しそうな笑顔で言われては断れるはずもなく。
「私はディアナ・K・ブリュンヒルデ。偉大なる吸血鬼の真祖だ。ついて来い、鷹司統也」
上機嫌で歩きだすディアナについて行くことしか出来なかった。