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第十二話

いつも通りの時間に目を覚まし、すぐ日付を確認する。

十二月三十日。

防衛戦を翌日に控えた今日の午後、学園全体を覆う結界を居住区、商業区などの一般人の生活区域まで縮小することになっている。つまり、それから年が明け結界が元の強度を取り戻すまでの間、学園に住む魔法関係者は『大樹』を目指す魔物の大軍を相手に戦い続けなければならない。

ディアナを起こし、朝食を済ませてから儀式の行われる学園区の中央広場へ向かう。ヴァルは留守番だ。

俺たちが到着した時には、すでに防衛戦に参加する人達の大半が集結していた。

今回参加するのは総勢二三一名。ほとんどが指導教員だが、中には氷雨のような学生もいる。

たったこれだけの人手で丸一日以上戦い続けなければならないのだから、まともな休憩時間など得られないだろう。

その上俺は遊撃隊。此処にいる参加者の中でもかなり負担は大きくなるはずだ。消耗を抑えるような戦い方をしなければならないだろう。

防衛戦の過酷さを想像して肩を落としていると、森崎さんがやってきた。


「やあ、調子はどうだい?」


「悪くはないと思いますよ?」


「当たり前だ、誰が鍛えたと思っている」

 

腕を組んでふんぞり返るディアナにそろって苦笑する。


「見ての通り人手が少なくてね。期待しているよ」


「まあ、出来る限りのことはしますよ。変に気負って下手を打つのは嫌ですから」

 

あたりを見回しながら言う森崎さんにそう答え、ほかの参加者の様子を窺う。

どの参加者も一様に落ち着かない様子で、視線を彷徨わせている。彼らも結界の揺らぎについては聞かされているのだろう。少し離れたとことにいる氷雨の表情からもわずかに硬さが見て取れる。

広場の中央には巨大な魔法陣が描かれており、その中に学園長以下数名の魔法師が円を描くように佇んでいる。足元の魔法陣から立ち上る燐光に照らされたその姿は、古の神話のワンシーンを連想させる。

ふいに元の世界での最後の光景が目に浮かび、目を逸らした。

見上げた空は鈍色の雲に覆われている。夜になって気温が下がれば雪が降るかもしれない。


「どうやらそろそろのようだ」

 

森崎さんの気負いの感じられない言葉に視線を戻すと、魔法陣から燐光が溢れ出し広場一面に広がっていた。

学園長らによる詠唱が始まり、一層輝きを増す。

目も眩むような閃光に手をかざす。

それが収まった時、『大樹』へと向かう膨大な数の微細な魔力をとらえた。

広場に集まっていた参加者たちが次々に担当地域へ向かう中、それに続こうと走り出し、言い知れぬ圧力を感じ足を止めた。

見れば森崎さんやディアナ、高位の魔法師と思われる数名も同様に立ち止まっている。

相変わらず感じ取れる魔力は小物ばかり。それでもこの圧力には心当たりがあった。

恐怖。

生物のとしての本能に刻み込まれた、抗い難い感情。

視線を向けるディアナに頷き返し気を引き締める。

どうやら一筋縄ではいかないらしい。

心を落ちつけるべく息を一つつき、人気のなくなった学園区を駆け出した。



「はっ!」


裂帛の気合とともに、眼前に迫った鬼を袈裟に斬り、そのまま反転、勢いを殺すことなく背後の鳥族を横薙ぎに両断する。

魔物たちの第一波を退け、ようやく周囲から気配が消えた。

結界の縮小からおよそ四時間。周囲は薄闇に覆われている。

これまでに斬り伏せた魔物の数は百以上。

今のところはほぼ例年通り。大したダメージもなく、体力的にも何ら問題はない。

しかし、結界が縮小された瞬間から感じる得体の知れない圧力が気にかかる。

今迄に感じたことのあるものとは違う。茫洋としてあやふやでありながら、一切の偽りなくそこにいる。いることは分かっているのにその姿を見ることは叶わない。そんな存在感。

堂々巡りを繰り返す思考にため息をつく。

そこでふと思った。あの男はどうしているのだろうかと。

鷹司統也。突如霧生に現れた素性不明の魔法師。『常闇の吸血鬼ダーク・ブリュンヒルド』の弟子。

そして何より、人でありながら人外の臭いを放つ男。

初めて会ったあの日、対峙した際に見せた薄い笑み。

思い出すだけで体が震えだしてしまう。

しかし、そこには一切の敵意も殺意も含まれてはいなかった。否。なにもなかった、と言うべきか。

殺意、敵意は言うに及ばず、人間らしい感情の一切が削ぎ落とされたような、そんな笑み。

かと思えば、人の生き方に口を挟み、よく考えろと言い残して去っていく。

あの時の彼の眼には、間違いなく感情が宿っていた。

人として無くてはならない物が決定的に欠けているにも拘らず、どこまでも人間らしく振舞おうとする。

分からない。故に恐ろしい。

それでも、信じてもいいのかもしれない。根拠もなくそう思う。

あの男は言った。自分には関係ない、だが姉さんは違うだろうと。

あの日以来よく考えた。経験したことがないくらい悩んだ。そして気付いた。

あの男の言葉に嘘はなかったのだと。

姉に連れられて逃げた夜、自分は何を考えていた?ただ震えるだけで、何も考えられなかった。焼けた里を目の当たりにして、姉が何を思ったのかも。

その時のことを今でも悔いていることにも気付けなかった。

いつも変らぬ笑顔の裏で自分を責め続けていることも、その笑顔が時々自嘲するそれに変わることを知ったのもあのあとだ。

知らず知らずのうちに姉を苦しめていたことに愕然とした。

それを教えてくれたのはあの男なのだ。自分のためなどではなく、姉の為に。

その上で言ったのだ、考えろ、と。

穏やかな微笑を浮かべ、弟子の成長を見守る師のような眼差しで。深い悲しみを押し殺して。

そこで気付く。あの男の態度は父のそれに酷似していたことに。

父も僕に何かを強制することはなかった。僕に才能があっても、修行をするかどうか、父の後を継ぐかどうか、最後まで僕に考えさせた。

自然と笑みが浮かぶ。なるほど、それなら納得がいく。


「涼、大丈夫かい?」

 

背後から聞こえた声に答えながら振り返る。


「うん、大丈夫だよ姉さん。そっちは?」

 

姉さんは一瞬驚いたような顔を見せてから、いつものように笑った。


「こっちも問題ないよ」

 

いまさらになって思う。姉さんは口調と表情が一致していない気がする。どうでもいいのだけれど。

そう言えば、姉さんはあの男を好いていたっけ。そう考えるとなんだか面白くない。

だから笑ってみた。あの男のように。

もう二度と姉さんを悲しませないように。



「ふむ、今のところは問題なし、かな」


「そうみたいですね。どこも順調そうですから」

 

各所に設置されたモニターの映像と定時連絡の内容に目を通しながらの言葉に、対面に座る統也君が答える。

ここは学園区の中心部に置かれた、日本魔法協会本部内の一室。遊撃隊の本部として割り当てられた部屋だ。

今この部屋にいるのは、僕ら二人を除いて十三人。全員が僕ら同様、報告の内容に目を通し、些細な異常も見逃すまいと目を光らせている。もっとも、時々統也君を窺うような素振りを見せているのだが。

当の本人はそんなものはどこ吹く風、といった様子で次々に報告書の束を捌いている。

その仕事ぶりは流石としか言いようがない。何しろ、敵の第一陣をほぼ損害無しで撃退できたのは彼の働きによるところが大きいのだから。

敵のわずかな動きを見逃さず、防衛員の配置を変更することで、孤立を防ぎつつ効率よく撃退していく。時に繊細に、時に大胆に。それも、単純に命令するわけではないのだ。あくまで判断は防衛員に任せ、必要な情報と助言によって自身の求める回答を導かせる。こうすることで反発を防ぎつつ、相手に自分の存在を認めさせる。実に上手い。

もちろん僕にも同じようなことは出来る。しかし、それは『こちら側』で二十年近く生きてきた経験によるものだ。

聞けば、統也君が『こちら側』で活動を開始したのは十四の時。今の年齢が十九だから、まだ五年ほどしか経っていないことになる。

無論、彼の話が事実だという前提に基づいての話ではあるが、外見から察するに今現在十九歳であることは事実だろう。つまり、どれほど長く見積もっても『こちら側』で生きて来た年月は十年余り。僕の半分程度だ。

真剣な眼差しで報告書を読む統也君を見る。

実力、経験ともに僕に匹敵するであろう青年は、どれほどの修羅場を潜り抜けてきたのだろうか。その横顔から窺い知ることは出来ない。


「ん?これは……」

 

眉をひそめて呟く統也君のただならぬ様子に思考を断ち切る。


「どうかしたのかい?」

 

統也君は顔を上げると、険しい表情のまま報告書を差し出す。


「何の根拠もないんですけど、何か引っかかるんですよねぇ……。嫌な予感っていうか、胸騒ぎっていうか」

 

受け取った報告書に目を通す。しかし、これと言って不審な点はないように思えた。


「考えすぎじゃないのかい?」


「そうだといいんですけど……」

 

答える声も歯切れが悪い。おそらく、今もめまぐるしく思考を巡らせているのだろう。

残念ながら僕には感じられないが、彼はある程度確信しているのだろう。これから何かが起こるだろうということを。

何ら根拠はないが、報告書と映像というごく限られた情報から敵の動きを的確に把握した彼の勘ならば、信じてみる価値はあるかも知れない。


「じゃあこうしよう。行動中の遊撃隊に警戒を促す、これならば僕らの権限だけで事足りる。それに防衛員の不安を煽ることもないだろうからね」

 

その提案に不承不承ながら頷く統也君に苦笑する。内心では居ても立っても居られないのだろう。先ほどまでの落ち着きが嘘のようにそわそわしている。


「そう言うわけだから、統也君、ディアナに伝えに行ってくれないか?下手に携帯を使うと、ディアナの周りに誰かいたときに不安がらせてしまうかもしれないからね」

 

そう言って笑いかけてやると、あからさまにその表情が明るくなった。しかし、すぐに険しい表情に戻る。


「でもそれじゃあ……」


「この中で一番機動力があるのは君だ。もし何かあったらすぐに駆け付けられるだろう?」

 

しばらく悩んでいた統也君だったが、こちらの意図を読み取ったのかしっかりと頷いた。


「分かりました、ここはお願いします」

 

頭を下げてから部屋を飛び出していく後姿を見送る。

実際のところ、先程の理由は後付けのものだ。ディアナの性格上、誰かと行動を共にすることは考えにくい。では本当の理由とは何か、簡単なことだ。

統也君は自分と関わりのある者が傷つくことを酷く恐れている。本人から直接聞いたわけではないが、先程の様子を見ていればすぐに分かる。もちろん、それを気にするあまり仕事が疎かになるようなことはないだろうが、精神状態が効率に及ぼす影響は決して小さくない。

残念ながら、今の霧生に彼ほどの実力者は数えるほどしかいない。いまだに不審な点の残る統也君がここにいることがそれを証明している。ここで彼が潰れてしまえば、不測の事態が起こった時にかなりの犠牲が出てしまうだろう。そのための休息であるという面が大きい。

実力、経験ともにかなりの物ではあるが、彼はまだ若い。考えうるリスクは可能な限り取り除くべきだろう。


「余計なお節介なのかもしれないね……」

 

呟き、苦笑する。先程から様子を窺っていた数人に、何でもないと手を振って報告書に視線を戻す。

ちらりと目をやったモニターに映った漆黒の青年を見ながら思う。

そう言えば、彼の戦闘を見たことはなかった。

統也君の実力を見る機会に恵まれたことに年甲斐もなく心を躍らせながら、目の前に積まれた書類の山から新たな報告書を手に取った。



最初にそれに気付いたのは涼だった。


「姉さん、来るよ。かなり多い」

 

珍しく焦燥を隠そうともせず告げられたその言葉に、拳銃を握る両手に力が入る。


「どのくらいだい?」


「分からない。ただ、こっちに向かってる奴だけでも百や二百じゃきかないと思う」

 

涼の魔力探知能力は私などより遙かに高い。おそらく学園内でも制度、範囲ともに最高水準だろう。

その涼を以てしても捉えきれない数の魔物が向かっている。それも、涼の口ぶりから察するにここだけではないのだろう。

はっきり言って百や二百なら私たち二人だけでどうにでもなる。涼もそれは分かっているはずだ。にもかかわらず、涼は明らかに動揺している。そこから導かれる結論は一つ。

かなりまずい。

どれほど力があっても、猟の得物は一振りの野太刀のみ。私も両手に構えた拳銃だけだ。数で押されれば、いずれ各個撃破の憂き目に遭うだろう。


「考えても仕方ないか。涼、行けるね?」


「もちろん」

 

前方を見据えながらのたった一言の肯定。

目を凝らせば木々の向こうに蠢く影が見える。確かに多い。私が探知できるだけでも百を越えている。その先にはより多くの異形がいるのだろう。

神経が研ぎ澄まされる。

邪魔なノイズが消え去り、視界が薄い蒼に染まる。

風の動きさえも手に取るように見通せる世界に、一発の銃声が響いた。

それを合図に涼が駆ける。

瞬く間に距離を詰め、上段から一閃。崩れ落ちる鬼には目もくれず、さらに奥深くへと切り込んでいく。

涼の死角から迫る異形を両の拳銃で片っ端から薙ぎ払う。

風の流れの変化に振りかえり、眼前に迫った鳥族に至近距離から銃弾を叩き込む。

唸りを上げる剛腕を左の銃把で受け流し、上段の回し蹴りを叩き付ける。


「撃つだけが能だと思わないでくれるかい?」

 

銃弾を撃ち込み、回し蹴りで薙ぎ倒し、銃把で殴りつける。

際限なく現れる異形に容赦なく銃弾の雨を降らせていく。


「ちっ、弾切れかっ」

 

舌打ちと共に駆けだす。銃が使えない以上、涼との距離を詰めなければならない。

立ちふさがる鬼に焦燥が募る。

涼を見れば、眼前の鬼を袈裟に斬り伏せたところだった。背後には別の一体。涼は気付いていない。涼の胴よりもなお太い剛腕が掲げられ、唸りを上げて涼に迫る。そこでようやく自身の窮地に気付き飛び退こうとするものの、背丈よりも長い野太刀を振り切った態勢である涼にそれが出来るわけもない。

涼との距離はおよそ十メートル。とても間に合う距離ではない。

私は涼まで失ってしまうのか?あの日以来修行を欠かしたことは無かった。必死に鍛えたところで、才能のない私に涼を守ることなど出来ないのか?

絶望が心を支配する。

そして、剛腕が振り下ろされた。

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