第九話
「はあ……。相変わらず数だけは多いんだよなぁ」
後ろで拳を振り上げる鬼を振り向きざまに斬り捨て、周囲を見回すながら肩を落とす。ざっと数えただけでも、まだ二十体近く居る。一体一体は大したことはないが、数が集まれば厄介になる。実際今までに何度かひやりとさせられる場面があった。
「ったく、三十体以上倒したってのに、まだあんなにいやがる。これも結界の揺らぎのせいだろうって話だったけど、今でこれってことは、当日はどれだけ出るんだよ」
今までに戦ったことのない数の集団にうんざりする。
まだまだ余裕はあるが、それでも疲れることに変わりはない。
「あー、もう、めんどくせぇ。まとめて吹っ飛ばすか。魔弾の射手、散弾、雷の十三柱」
最も密集している地点に、無詠唱で打ち出せる最大数の魔弾を叩きこみ、自身は逆方向へと走り出す。接近する俺に群がる六体の鬼の内、突出してきた二体を一刀で斬り伏せ、その後ろから続く三体をまとめて薙ぎ払う。そのまま反転し背後から迫る最後の一体に渾身の掌底を叩き込む。
「こいつでラスト、雷神掌」
掌底と共に打ち出された雷にその身を苛まれ、消えていく鬼を見つめながら煙草を取り出そうとして煙草が無いことに気付いた。
「あれ、どこかで落としたかな?」
「探し物はこれかな?」
ふいにかけられた声に振り向くと、そこには煙草の箱を持った菊川姉の姿があった。相変わらず笑顔を浮かべている。あれが地なのだろうか?
「ああ、やっぱり落としてたか」
「む、驚かないのかい?」
「お前が見てるのは知ってたからな。そいつを渡してくれないか?一仕事終えた後の一服が楽しみなんだ」
肩をすくめて言うと、クスッと笑った後、唐突にその姿が掻き消えた。
「おいこら、いきなり何するんだ。驚くだろうが」
下ろした視線の先で驚きの表情を見せる菊川を半目で睨む。いきなり至近距離で銃口を突き付けるとは、なんてことをするんだ。
「まさか、見えていたのかい?」
「まあ、こっちもいろいろあったんでな。それにしても瞬動術なんて使えたのか。……ほんとに中学生かよ」
昼間の水瀬といい、どうなってるんだ。
「ん?夕夏を知ってるのかい?」
ため息交じりに漏れた呟きに、菊川は首をかしげる。
「昼間ちょっとあってな。知ってるのか?」
「知ってるも何も、私の数少ない友人だよ」
「……ひょっとして他にも……、いや、なんでもない。ところで、何しに来たんだ?落とし物を届けに来たくれたわけでもないんだろ?」
ほかにも常人離れした奴がいるのか気になったが、それを聞くと俺の中にある常識が打ち砕かれそうな気がして話題を変える。銃を突き付けているのとは逆の手に持っていた煙草を奪い取り、一本取り出して火をつけると、なんだか虚しくなった。
銃をしまい俺から離れた菊川は、わずかに躊躇った後口を開いた。
「昨日はうちの弟が迷惑をかけたね。あいつは良くも悪くも真っ直ぐなんだ。許してやってくれないか?」
「なんだ、そんなことか。別に気にしてないさ。何か事情があるんだろ?自分で言うのもなんだけど、そんなことをいつまでも根に持つほど性格は悪くないつもりだ」
そう言って笑いかけてやると、菊川は安堵の息を吐いた。
「それを聞いて安心したよ。学園長の言っていた通りの人物のようだね」
「学園長がなんて言ってたのかは非常に気になるが……、安心してもらえたならいいや」
菊川は珍しいものを見るような視線を向けた後、愉快そうに笑いだした。
いったいあの爺は何て言ったんだ?
時折聞こえてくる単語から推測すると、かなり心外な内容だったのではないだろうか。
ほんとにあんな人が学園長をやっていて大丈夫なのかと不安に思ったが、魔法師としての実力は俺なんかより遙かに優れているのだから大丈夫だろう、と無理やり納得させる。
「本当に鷹司さんは変わってるね」
ひとしきり笑ってそういう菊川に視線を戻すと、目の端に涙を浮かべていた。
「……褒められてる気がしないのは俺の気のせいだろうか?」
「気のせいだよ。少なくとも私はそう思ってるよ。もし鷹司さんみたいな人が近くにいたら、涼はあんな風にならなかったかもしれない。私には無理だったみたいだけどね」
そう言って寂しげに笑う菊川の姿を悲しく思った。如何に常人離れした実力を持っていても、菊川はまだ中学生だ。普通ならこんなに苦しむ必要など無いはずなのに。
「昔はあんな風じゃなかったんだよ。人懐っこい子でね、一族のみんなにも好かれてた。私は落ちこぼれだったけど、あの子は才能もあったしね。……二年前のことだよ。私が里から離れているときに私たちの里は、ある人外の集団に襲われてね。私が里にたどり着いた時には、里は燃え、蹂躙されていた。涼はその光景を、みんなが死んでいくのを目の前で見ていたんだ」
自分の無力さを嘆くように唇をかみしめて続ける。
「私は涼を連れて逃げたよ。どうあがいても時間の問題だったからね。そして霧生にやってきた。そのころからだよ。涼の人外に対する反応が過敏になったのは。私はそれを見ていることしかできなかった」
駄目な姉だろ?と、力ない笑みを浮かべる菊川に、首を振って笑いかける。
「そんなことないだろう。俺にも似たような経験があるけど、結局乗り越えるのは本人の意思なんだ。周りの人間がどんなに頑張っても、本人が過去にとらわれ続ける限り解決にはならない。……俺もそうだったからさ」
空を見上げる。空には蒼く輝く上弦の月。
「それでも、その痛みを理解して見守ってくれる人がいればそれは大きな支えになる。大丈夫だよ、彼は。こんなに彼を大事にしてる姉がいるんだ、必ず乗り越えられるさ。彼の眼は、まだ死んじゃいないんだから」
「そうだね。いい人だね、鷹司さんは」
「よせやい」
無性に照れくさくなって菊川の頭を乱暴に撫でると、くすぐったそうに目を細める。
しっかりしろよ、菊川弟。お前にはこんないい姉がいるんだから。
「鷹司さん、あまりそういうことはしない方がいいよ。勘違いしてしまうかもしれないからね」
「ん?なにが?」
「はあ、無自覚みたいだね……」
「だからなにが?」
「なんでもないよ……。それより、私のことは氷雨でいいよ、菊川が二人じゃ混乱するだろうからね」
「そりゃありがたい。実際混乱しかけてた。俺のことも統也でいい。そっちの方が気が楽だ」
「それじゃあ、そうさせてもらうよ。……おや、もうこんな時間か。私はそろそろ失礼するよ。じゃあね、統也さん」
「ああ、おやすみ、氷雨」
時計を確認して、あわただしく去っていく氷雨を見送って煙草に火をつける。
見上げた空には、相変わらずの蒼い月。
「彼の眼は、まだ濁りきっちゃいない。だから大丈夫さ。あの頃の俺とは、違うんだから」
呟いたその言葉は、誰に聞かれることもなく夜の森に消えていった。