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夏空に叫ぶ  作者: 鹿島 コウヘイ
第1章 初夏
5/13

1-5

 僕はもう勉強する気分ではなくなってしまったので、篠原と一緒に帰ることにした。

 学校の最寄り駅までの道程を、ふたり並んで歩く。僕と彼女のふたつの黒い影が、歩く度に揺れる。


「もうすぐ夏休みかぁ」


 両手で顔をぱたぱたと扇ぎながら、彼女はそう呟く。夏休みが待ち遠しい、という様子でも無さそうだった。

 今日も暑い。夕暮れ時になっても、気温はなかなか下がらない。けれど、夏というのは、きっとそういう季節だ。

 僕もスクールバッグに入れていた安っぽいうちわで、彼女と同じようにぱたぱたと顔を扇ぐ。けれど、うちわを使っても湿度を含んだ生温かい風が頬を撫でるだけで、心地の良いものではなかった。


 学校からの帰り道、住宅街の一角にある小さな公園では、小学生くらいの男の子たちが無邪気に遊んでいた。彼らはみんな、夏という季節を象徴するかのように、健康的な日焼けをしていた。

 さようならー、とその小学生たちは彼女に向けて元気よく挨拶をする。またね、と彼女は軽く手を振ってそれに応える。年齢の離れた弟たちを見守る姉のようだった。


「君だけ挨拶されなかったね」

「もう慣れた」

「そうなんだ」


 僕は基本的に、他人に話しかけられることが少ない。それが子どもであっても、大人であっても。話しかけるな、という雰囲気を意識して出しているわけではないけれど、顔が問題なのだろうか。それでも他人との会話を煩わしいと感じる僕には、好都合ではあった。


「三枝君、夏休みは忙しいの?」

「バイトくらい。篠原は?」

「部活と塾かな。本当は私もやりたいんだけどね、アルバイト」

「お金が欲しいの?」

「というよりは、部活とか塾をやめる口実にしたいだけ。どっちも行きたくて行ってるわけではないから」


 空を見上げながら、彼女は言った。


「・・・やめたいのなら、やめればいい」

「簡単に言ってくれるなぁ。まあ、その通りなんだけどね」


 近いうちにやめるよ、と篠原は遠くを見つめながら言った。彼女の視線の先には、薄橙色をした雲と、ゆっくりと沈んでいく夕日だけがあった。

 彼女は自分のやりたくないことをやめることが出来るだろうか。

 少なくとも部活に関しては、実績ということでも、単に篠原を手放したくないということでも、おそらく周囲から止められるだろう。篠原陽香というのは、そういう存在だ。

 やめられればいいな、と僕は思った。彼女がそれを本当に望んでいるならば、の話だけれど。

 途中、僕たちは犬を散歩させている老齢の女性とすれ違う。見た目は大人しそうで可愛らしい小型犬だったが、なぜか僕だけがその犬に猛烈に吠えられてしまった。今にも噛みつこうとする勢いだった。それを見て、彼女は愉快そうに笑う。


「嫌われてるね」

「人間と動物にはあまり好かれないんだ」

「そのふたつに好かれないんだったら、すべての生物から好かれないってことになるんじゃない?」

「考えてみれば、そうかもしれない」


 駅に近づくにつれ、周辺に建ち並ぶのはアパートや一戸建ての住宅よりも、飲食店やコンビニ、コンパクトな商業ビルなどが多くなっていく。

 県庁所在地の隣に位置するこの市は、俗に言うベッドタウンで、よく『住みやすい街』という評価を受けることが多い。ここで生まれ育った身としては、あまり実感はないけれど。

 ここから何駅か離れたところには市の中心街があり、大型ショッピングモールや娯楽施設に加えて、活気づいた商店街などが軒を連ねている。買い物に困ることはほとんどないだろう。

 生活に必要な物はなんでも揃い、通勤や通学の利便性にも優れている。けれど、特筆すべき特徴や観光資源などはない。なんでもあるが、なんにもない。僕の住んでいる街は、そういうところだ。


 やがて、僕らは学校の最寄り駅に着く。部活帰りや仕事帰りの時間と重なったのか、駅の構内にはそれなりに多くの大人たちや、他校の学生たちが忙しなく行き来していた。

 構内の改札が見えた辺りで篠原は立ち止まり、こちらを振り返って言う。


「夏休み、したくなったらラインするよ」

「ああ」


 何を、と聞くのは無粋だと思ったので、僕はなにも聞かなかった。お互いに、求めたいときに身体を求める。僕たちはそういう都合の良い関係であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 僕の家と篠原の家はそれぞれ、この駅を挟んで反対方向にある。僕たちは改札の前で別れた。


「バイバイ、三枝君」

「さようなら、篠原」


 篠原と別れ、僕は自分の帰る方向の改札口へと向かう。タイミングの良いことに、ちょうど電車がホームに到着したところだった。

 僕はバッグからケースに入った定期券を取り出し、それをかざす。けれど、自動改札機のカードリーダーは定期券を読み取ってくれなかったようで、ピーッ、と無慈悲にも大きな音が鳴り、素早くゲートが閉まる。

 どうやら機械にも嫌われてしまったらしい。目の前で、乗れたはずの電車が通り過ぎていった。僕はほんの少しだけ悲しくなった。


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