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桜舞う季節  作者: 宮岡 侑
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辞令交付の日 2




「……失礼します」


 蹴り破りたいのを思い直して、装飾が煩い政令部室の扉を開ける。この趣味の悪い造りは何第目かの豪遊王がつくらせたものらしい。早く取り替えないだろうか。重い。

 応えを待たなかったのは、そんな風に、普段は気にならないことさえも機嫌が降下していく原因たる奴に対するささやかな抵抗だ。

 最も、悲しいかな来慣れた場所。遠慮するつもりなど当初からなかったのだが。


「…………。香柳月こう りゅうげつ政令部令殿は?」


 どうしてまともに居たことがないのか。

 真正面の机は完全に無人だ。

 行方をくらました時しかここに来たことがないとはいえ、机にいないことが常態になっているのは問題だ。


「やぁ、朱藍。政令部付になったって?」


 政令部の文官たちとも旧知の仲だ。本当にこれでいいのかと思わないわけではないが、今更態度も変えられない。


「ええ、これからも、よろしくね」

「ああ、こちらこそ。厄介事、背負いこんだなぁ」

「……本当にね」

「いや、感謝、感謝」


 うんうんと、そこにいた政令部の面々が揃って頷いた。比較的若い年齢層が揃っているだけあって、容易に朱藍に味方してはくれない。

 上司に迷惑を被っている彼等とすれば、朱藍のような存在は天の恵みなのだ。


「で、この人はどこ行ったの?」


 トンッ と空席になっている机を叩く。

 書類が山積みになっているというのに、最高責任者は一体どこをほっつき歩いているのか。辞令の出る日ぐらい大人しく執務机にいてほしい。


「すぐに戻るような事を言っていたから、城内にはいるはずなんだけどな」

「全く……」


 帰る時間を予告する時は、大抵皇太子のいる春桜宮にいることがおおい。

 遊びに行ったのか、仕事に行ったのかは悩むところだが、さすがに皇太子の居宮に無断で乗り込むのは気がひける。

 仕方がない。


 普通ならば、上司が新参者の紹介をするところなのだが、上司はいないし、どうせ慣れ親しんでしまった場所だ。この際形式は略式でもいいだろう。

 政令部の面々に改めて向き直ると、軽く息をすいこんだ。


「本日より、政令部付となりました、宝朱藍と申します。若輩者ですが、よろしくお願いいたします」

「はい、よろしく」


 背後から軽く応えた声に、眉間に皺が寄った。

 全ての元凶。

 その男はひょうひょうと現れて、朱藍の神経を逆撫でする。


「挨拶はすんだので、今日は帰ります」


 これ以上ここにいたら、間違いなく手が出る。今日くらいは穏便にすませよう。どうせ通常業務の中で怒鳴ることも多くなるのだ。

 喉を労る為の茶葉を用意するくらいの勝手は許してもらわなければ、わりにあわない。


「いやぁ、残念」

「?」


 楽しげに残念と言われて、一言文句を言ってから帰ろうかと振り返る。全く、人の神経を逆なでしてくれる。

 バサッ

 景気の良さそうな紙束の音とともになにかが顔面に直撃した。それが紙束だと確認するまでもない。一体何をするのだ。

 押し付けられていた紙を退かすが、その紙束に書かれている内容が目に入って、溜め息をついた。

 重要書類だ。


「……それで、どこまで配達してくればよろしいので?」


 辞令交付早々に仕事をさせる気だ。すぐにわかってしまうのは、侍女の悲しい性か。それとも、この男の性格を知ってしまったせいか。

 通常業務なだけまだましだが、普通は辞令交付日に仕事などさせないものだ。


「見ればわかるだろ」

「こういう書類は易々と侍女ごときが見ていいものではないんデスが、ご存じありませんか」

「信頼できなきゃ、政令部の書類をまかせねぇよ。 ……だから、お前一人だけなんだろ」

「一人?!」


 そんなこと聞いていない。各部には少なくとも三人は侍女がついているものだ。なのに、最重要部署に侍女が一人とは一体どういうことなのだ。


「今までいた流香りゅうか様や里玲りれい様は、どうされたんです?!」

「稚流香は寿退職、今里玲は引き抜きにあった。相手が陛下だからな、仕方ないだろ」


 二人でも少ないと言われていたのに、その二人が一度にいなくなったとは。


「……なんで、それで補充が一人なんですか」

「他に任せられるのがいなかったから。藤佳は戸令部に、佑奈は商令部にとられちまったし」


 侍女の人事は早い者勝ちなのか。たまに引き抜きもあるから、あながち間違っていないのかもしれない。

 信頼されていると思えはいいのかもしれないが、この先の未来には暗雲が立ち込めているらしい。


「ま、がんばってくれ」

「……誰かさんが余計な仕事を増やさなければ、なんとかしますけれどね」


 なんとかしなければなるまい。一人だけだと言うのなら、出来るところまでやるまでだ。

 だから、余計な仕事などやっている暇などないだろう。いや、やりたくない。


「それも、仕事のうちだろ」

「止める気はない、と」

「俺は別に困らん」

「他が困っているのが目に入らないんですか、あなたは。御自分に都合のいい目ですね。そんなもの、なくて結構です。捨ててしまいなさい」


 ついでに、誰かこの人も捨ててきてくれ。

 どうしてこんな無責任な人が政令部令などに任命されているのだ。だれか、引きずり下ろせ。


「……相当、鬱憤溜ってるなぁ」

「誰のせいですかっ!」


 怒鳴ってみても、どこ吹く風。

 怒るだけ無駄だとわかっていても、怒鳴らずにはいられない自分が悲しい。

 悲しすぎだ。

 結った髪を掻きむしりたい衝動を抑えて、きびをかえす。


「……行ってきます」


 何を言っても無駄だ。わかっている。わかっていても文句を言わずにはいられない。

 書類を受けとると、ざっと目を通して行き先をきめる。どこにも、知り合いがいる。行く先々でも、哀れみの声を聞きそうな気がした。

 行きたくない。


「兵部令にもよって来てくれや」

「……」


 書類の行き先には兵部令はなかったはずだ。そもそも、最高機関とはいえ政令部が直接兵部令に指示を下すのはまれなこと。

 念のため書類にもう一度目を通したが、兵部令行きの書類はない。

 となれば、私的なことか。

 顔をしかめたのに気付いたのか、その返答はなかなか楽しげに教えられた。


「ま、行けば分かるさ」

「個人的な使い走りは仕事のうちではないのですが、御存じではないのですか」

「固いこと言うなって」


 やっぱり私事か。

 まったく、前任者はよく耐えたものだ。

 そのうち放り出す算段をしだすかもしれない自分の未来を思う。現実にありそうだ。


「気が向いたら行ってきましょう」


 ついでに兵部令にいる慧修のところで愚痴ってこよう。甘い茶菓子でもあれば多少は心休まりそうだ。

 数分にして一日分の疲労を受けて、重い体を酷使する。

 後ろで何か言われた気がしたが、放っておく。たいしたことではなさそうだ。

 歩き慣れた回廊を歩きながら、あの日の事を思い出す。かえすがえす、後悔の連続だ。


 全ての災疫の始まりとなったあの日も、こんな風に暖かな春の日だった。







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