第74話『ちょっとだけ』
先ほどのマールの姿を見る限り、エクトが上手く立ち直らせてくれたみたいだ。
かなり面倒くさがっていたから適当にやるのではと少し心配していたのだが、どうやら余計な心配だったようだ。
やっぱりエクトを頼って良かった。
自分が抱えた問題だったからエクトを巻き込むのには少なからず抵抗があったが、相手が男性のマールでは仕方なかった。
レニーの中で一番頼りにできる男性はエクトしかいなかったのだから。
何かエクトにお礼をしたいと、レニーはエクトの部屋を再度尋ねた。
そこで目にしたものは。
「997! 998! 999!」
バカみたいに腕立て伏せをこなすエクトの姿だった。
「なんで筋トレしてんのよ! これからまた特訓だってのに!」
「1000! ふーっ! うるせぇなウォーミングアップだよ」
「高級ホテルのスイートルームで筋トレなんてシュール過ぎるわよ」
「あっそ。てか何の用だよ。また厄介事引っ張ってきたんじゃねぇだろうな?」
「ち、違うわよ。その、あんたにお礼をしたくて来たのよ。マールさんを立ち直らせてくれてありがとう」
「あ? あいつ立ち直ったのか? へぇーそいつは良かったな」
「え、ちょ、ちょっと? 説得したんじゃないの?」
「やることやれって言ってきただけなんだがな」
「えぇ‥‥‥なによそれ」
そんなので男ってのは立ち直るものなのか?
いや、そんなはずはない。
このエクトのことだ。
きっと説明が面倒くさいから色々とはしょってるに違いない。
「あ、ちょうどいいや。おいレニー。これ洗濯機に入れといてくれ。この部屋なんか洗濯機もついてたからよ」
こちらの返事も待たずにエクトは着ている上着を脱ぎ出した。
「ちょ、待‥‥‥」
黒いTシャツを脱ぎ終えたエクト。
露出したエクトの上半身に、レニーはおもわず眼を奪われた。
洗練され引き締まった筋肉。
割れた腹筋と厚い胸板。
逞しい肩に強そうな腕。
カッコいい‥‥‥。
レニーは見とれながら、素直にそう思った。
女性はムキムキだと女らしくないと言われるが、男性がムキムキだと男らしいと言われる不思議。
でも確かに、エクトの身体は男らしくて本当にカッコいい。
そんなことを思っていると、エクトがさっきまで着ていたTシャツを投げて渡してきた。
慌ててキャッチするレニーは、そのTシャツがエクトの汗で少し湿っている事に気づいた。
「オレちょっとシャワーしてくる」
これから特訓だってのに今かいた汗を流すつもりらしい。
エクトは体操着だけ引っ付かんでバスルームへと入って行った。
ひとり部屋に残されたレニーはやれやれと溜め息を吐く。
「自分の汗で濡れたシャツを渡してくるかな普通‥‥‥」
呆れながらも、エクトがそこまで自分に気を許してくれているとも取れて、そこまで悪い気はしなかった。
レニーはエクトの汗が染み込んだシャツを見る。
そしてフと思い出した。
以前シャルが言っていた。
レヴァンの匂いは格別だと。
よくレヴァンの脱ぎたての服の匂いを満足するまで嗅いでから洗濯しているともシャルは言っていた。
‥‥‥ならばエクトの匂いはどうなのだろう?
そんな正体不明の欲求に駆られ、レニーは手にしたエクトのシャツをゆっくりと持ち上げる。
周りに誰もいないことを確認する。
すごく変態な事をしようとしているからか、胸の鼓動が高鳴っている。
‥‥‥ちょっと嗅ぐくらいなら、別に良いわよね?
その問いに誰かが答えてくれるわけもなく、レニーはエクトのシャツを鼻に近づけた。
そして吸う。
‥‥‥エクトの香りがレニーの嗅覚を満たした。
特に不快感はなく、不思議と落ちつきさえ覚える良い匂いだった。
汗臭いという感想はなく、むしろこのエクトの匂いに癒されている自分がいた。
「うそ、これ、凄くいい‥‥‥」
自分でも信じられないくらいエクトの匂いにハマっていた。
くんか、くんか、と何度もエクトのシャツの残り香を堪能してしまう。
何やってんだろあたし、バカみたい。
自分でそう思っていても、鼻はもう少しもう少しと嗅ぎ続ける。
完全にエクトの匂いに興奮してしまっている。
ダメだ。止まらなくなる。
そろそろやめておこう。
そう思った瞬間。
「何やってんだこの変態」
「ひあっ!?」




