第34話『苦くて甘くて』
朝になり、エクトは浴衣から普通の学生服に着替えて客室を出た。
朝食を済ませてホールへ向かう。
「あ、エクトくん。レヴァンは?」
ホールへ出てきたエクトに、シャルがそわそわしながら聞いてきた。
 
「あいつならまだ部屋でイビキかいて寝てるぜ」
「んもぉ。自分でデートしようって言っておいて寝坊するなんて」
「しょうがないわよシャル。レヴァンは一番疲れてるだろうし」
シャルと一緒にいたレニーが苦笑混じりに答えた。
「そうだけどさぁ。‥‥‥私ちょっと起こしてくる」
「無理矢理はやめとけよ?」
「わかってるよ」
シャルは駆け足でレヴァンの寝ている客室へ向かっていった。
「んじゃ、オレたちも自由行動とするか」
エクトが言うとレニーが頷く。
「そうね。オープ先生が言うには『エメラルドフェル』に帰るのは夕方だっていうし、ゆっくりできるわ」
「夕方か、けっこう時間あるな。お前はどうするんだレニー?」
「とりあえずお店でも見て回ろうかと思ってる。レヴァンが面白そうなお店がけっこうあったって言ってたから」
「ふーん」
 
店か、興味ねぇな。
「あんたはどうするの?」
「オレは‥‥‥」
とくにやりたいことはない。
いや、むしろここはレニーと一緒に行くべきか?
とは言っても、レニーと一緒にいると意識して落ち着かない。
温泉であんなこと聞かされなければ、こうも意識などしなかったのに。
いままではちょっと可愛いパートナーぐらいにしか思ってなかったのだが、今は一人の女として見てしまっている気がする。
「オレはとくに何もねぇな」
「そ、そうなの!? じゃあ!」
レニーは弾んだ声を上げたが、ハッとなって顔を赤くした。
「‥‥‥ぁ、じゃあ、あたし行ってくる」
レニーは踵を返して旅館の出入口に歩いていく。
どこか寂しそうな彼女の背中を見て、エクトはおもわず口を開いた。
「‥‥‥おい、待てよレニー」
「え、なに?」
「その~なんだ。ヒマだしオレも行く」
「え!? でも、あたし本当にお店を見て回るだけよ?」
「別にいいよ。何かほしいのあったら買ってやる」
「ぃ、いいわよそんなの。悪いし」
「なんでだよ? デートって男が女に貢ぐもんじゃねぇーの?」
「え、デート?」
「あ‥‥‥」
なんかうっかりデートとか言ってしまった。
何言ってんだオレは‥‥‥アホか?
「デ、デートってあんた。あたしなんかでいいの?」
「い、いいも何も、お前しかいねぇだろ」
「そ‥‥‥そうだけどさ」
「ま、まぁあれだ。昨日はお前のアドバイスでオレは間違った行動をせずに済んだ。その礼もしたいんだ」
「アドバイス?」
「跳弾狙撃なんて、あの時のオレには思いつかなかった。だから、礼をしたい」
嘘はついていない。
本当にあの時は冷静さを欠いていたから、レニーのアイデアがなければどうしていたか分からない。
  
シャルもそうだが、魔女は被弾の心配がない分、オレたち戦士よりも冷静でいられるのだろう。
「そ、そう言ってくれるのは嬉しけど、何か買ってもらうのはやっぱり悪いわ。この前もお寿司をごちそうになったばかりだし」
「んなこと気にすんなよ。礼ぐらいさせろ。お前のおかげで今日まで勝ててきてると言っても過言じゃねぇんだよ。オレの場合は特にな!」
「わ!」
エクトはレニーの手を強引に引っ張った。
無理矢理に腕を引っ張るが、当のレニーはさして抵抗もせずに引っ張られるがままだった。
レニーは困った表情こそしているが、どこか満更でもないような顔をしているのも確かで。
「それとなレニー」
「え?」
「お前に何かあったらオレが困るんだよ。だからついてってやる」
「‥‥‥うん。ありがとうエクト」
照れながらも微笑むレニーの顔を見て、妙に嬉しくなっている自分がいた。
‥‥‥やっぱこいつ、可愛いかもしれない。
また、柄にもなくそう思ってしまった。
  
※
レニーはエクトに強引に引っ張られるのが、実は少し好きだった。
暖かくて力強い彼の手は、本当に逞しくて、その手に従っていればずっと付いていけそうな気がするほどに。
自分勝手で無愛想で口も悪い。
でも、あたしの身を案じてくれる優しいエクト。
そんな彼に心を落とされてしまった自分。
それは、別に否定しなくてもいい恋心だとシャルが教えてくれた。
おかげで少しだけ素直になれてきてるような気がする。
正直、自分の高校生活など何の期待もしていなかった。
どうせリリーザはグランヴェルジュに負けてしまうだろうと思っていたから。
しかしその予想をエクトとレヴァンはあっさり変えてしまった。
今ではリリーザの救世主と呼ばれる二人。
そのエクトの魔女を、自分がやるなど誰が思っただろうか。
  
しかもついにグランヴェルジュ帝国の将軍の一角を倒すまでに至った。
エクトはまだこれから、もっと上を目指すだろう。
その時自分は、エクトに付いていけるのだろうか。
期待に応え続けられるだろうか。
  
高まる不安の中でも、やってやる! と訴える心の熱がある。
その熱こそ自分の本音だろう。
その熱はきっと、エクトに振り向いてほしいという動機から生まれているのはもう分かっている。
何も否定することはない。
エクトが好きだという事実。
  
そして今、彼に連れられて人生で初のデートをしている。
桜の散る『リウプラング』の街中で。
まさに現在、レニーは春を迎えているのだ。
「なにか欲しいのあるかレニー?」
「いま見てるとこよ。あ、これ美味しそうじゃないエクト?」
「コーヒーか?」
「うん。あの、すいません。『リウプラングオリジナルブレンド』をください」
  
カウンターの店員さんに注文を告げて、さっと出てきた挽きたてのコーヒー。
捨てやすい紙コップで渡され、香りを楽しむ。
  
「んーいい香り」
コーヒーを楽しむときは【香り】【コク】【酸味】【風味】を意識すると良いのだ。
レニーはそれを知っている。
そしてゆっくりと一口飲む。
  
「あ、けっこう軽い」
「うまいのかそれ? ちょっとくれよ」
気になったらしいエクトがレニーのコーヒーを取った。
とういうより奪った。
 
「あ、ちょっ!」
エクトは何一つとして迷うことなく、レニーが口をつけた紙コップに口をつけたのだ。
「に、苦っ! おまえ、よくこんなの飲めるな!」
か、間接キスしちゃった。
「そ、それがいいんじゃないのよ! い、いや、それよりあんた! それ、か、間接‥‥‥」
「オレこれ無理だ。返す」
「いや返すって‥‥‥」
  
本当に返された。
エクトが口をつけた紙コップを。
これにまた、口をつけたら再間接キスになるのでは!?
‥‥‥でも、エクトなら、別にいいか。
 
レニーは返された紙コップに、そっと口をつけた。
残ったコーヒーを飲み込んでいく。
どうしよう。
エクトと間接キスしていると意識してしまって、味がさっぱり分からない。
ただの苦いコーヒーと化している。
けれども、レニーの気分はとても甘くなっていた。
次回の更新は月曜日です
 




