第167話『連続詠唱』
朝を迎えてレニーは目を覚ました。
帝国ホテルの個室にあるベッドの上で上半身を起こす。
毛布がはだけて下着だけの上半身が露になる。
今何時だろうと、覚醒していく意識の中で壁掛け時計を確認した。
時刻は7:50だった。
思ったより眠ってしまっていた。
目の周りを撫でながらあくびをして、んん! と背伸びする。
最近は妙に体温が高いままだが、妊娠の兆しかもしれない。
本当にそうなら、とても嬉しいのだが。
ふと隣を見ればエクトがスースーと寝息を立てている。
意外と可愛いエクトの寝顔を見て、なんとなく幸福感が胸の内から沸いてきた。
その幸福感は覚醒を促し、目を冴えさせた。
レニーはエクトの頬にそっとキスだけして、何度か彼の体臭を堪能してベッドから降りた。
下着だけの全身にリリーザの学生服を着用していく。
そして思う。
やはりエクトの匂いは凄く良い。
とても落ちつく、と。
※
いろいろ整えてからレニーは部屋を出た。
廊下を歩いてシャルの部屋へ行こうとすると、そのシャルの部屋から当たり前のようにレヴァンが出てきた。
タンクトップと短パンという素晴らしくラフな格好をしている。
「あら、おはようレヴァン」
「ああ。おはようレニー。身体は大丈夫か?」
何に対しての『大丈夫か?』はすぐに察した。
レヴァンも自分の妊娠状態を心配してくれてるのだろう。
その心遣いが凄く嬉しい。
「ありがとう。あたしはまだ大丈夫よ」
「ならいいんだ。ちょっとアップのためにランニング行ってくるよ。エクトは?」
「エクトならあたしの部屋でパンツ一丁で寝てるわ」
メチャクチャ恥ずかしいことを言っているのだが、レヴァンには別にいいと思った。
さすがに親の前ではこんな発言できたもんではないが。
「そうか。あいつが残ってるならシャルとレニーのことは安心だな。俺はちょっと行ってくるよ。あ、今日の特訓は昼からだ。よろしくな」
特にレニーの発言に驚くことなくレヴァンは横を走り抜けてエレベーターへ向かっていく。
「あ、待ってレヴァン! シャルはまだ寝てる?」
「起きてる。なんか『連続詠唱』の練習するって言ってたぞ」
「『連続詠唱』? なにそれ?」
「わからん。正直、だいぶ前から言ってる詠唱方法なんだが、俺にはシャルが何を言ってるのか理解できなくてさ。良かったら協力してあげてほしい」
言ってレヴァンはエレベーターのドアが開くとそれに乗って降りて行った。
見送って、レニーは腕を組んで首を傾げる。
『連続詠唱』?
いったい何の事だろう?
『全同時詠唱』の事なら特訓の時に何度も聞いているから分かるが。
「脳で詠み上げた詠唱にも魔道書は応えてくれる。ならさ、いっそ『思考』と『動作』を切り離すなんて難しいことをやるより、バッサリカットして口での詠唱を止めちゃうの。そして『思考』に絞って多層を作ってセカンドからラストまでの詠唱を一気にする。それができたらセカンドからラストまでの魔法をドバーッといっぺんに放てるじゃん? これが成功したら永遠に魔法を連発できるようにもなるし」
これだ。
戦士のレヴァンにも同じ説明をしたのだろうか?
いや、それよりもこのシャルからの説明がなかったら、自分は『全同時詠唱』を完成させることはなかった。
それが大事。
このシャルの説明のおかげで自慢の『氷魔法全同時詠唱』を修得して披露することができたのだから。
「……あれ?」
ここでレニーは気づいた。
シャルの最後の一言に。
『これが成功したら永遠に魔法を連発できるようにもなるし』
永遠に魔法を連発?
まさか……あの時から『連続詠唱』とやらをシャルは考えていたのだろうか?
『連続詠唱』と言う名前からして、魔法を連発できるという発言を照らし合わせるとハズレているとは考えにくい。
「シャル? 起きてる?」
真相を確かめるべく、レニーはシャルの部屋をノックした。
すると中から「うぇっ……かはァっ!」とシャルの苦しそうな声が聞こえてきた。
驚き慌ててレニーは部屋のドアを開いた。
幸い鍵は掛かってなかったからすぐに入れた。
「シャル!? 大丈夫っ!?」
すると玄関のすぐ横にあるトイレからシャルが出てきた。
手の甲で口元を拭いながらシャルは。
「あー、今日もつわったなぁ。口の中が苦いや……」
っと顔色一つ変えずにピンピンしていた。
「あ、レニー。おはよう!」
「ぉ、おはよう。だ、大丈夫なの?」
「うん大丈夫。いつものつわりだから」
びっくりするぐらい明るく笑うシャル。
なんて幸せそうな笑顔だろう。
つわりという妊娠すると起こる代表的な生理現象にこんな朝早くから苦しんでいたというのに。
驚きである。
「そう……やっぱり妊娠すると大変なのね」
いずれ我が身だと考えながらレニーは言った。
とてもしんどそうだけど、それでもシャルは笑っていた。
「そうだね。身体がどんどん変わっていく感じはするよ。お母さんになっていってるって考えれば凄く嬉しいけど」
「なるほど。そんな風に考えればいいのね」
シャルのこのポジティブな思考は妊娠時において物凄く大事な気がする。
今のうちに見習っておこう。
「レニーもこのままいけば他人事じゃないよー?」
「それはわかってるわ。大丈夫。覚悟の上よ」
「さすがレニー! 未来のママ友! ……ところでどしたの?」
「あ、そうだった。昨日グラーティアさんにあなたの事を頼まれたのよ」
「お母さんに?」
「そう。シャルはまだ『同時詠唱』できないから教えてあげてって」
「『同時詠唱』ならもうできるよ?」
「なんだ──……できるの!?」
一瞬思考が停止したがすぐに聞き返した。
うそ、だって!
シャルは一度だって『同時詠唱』を成功させたことなどなかったのに!
いったい、いつの間に!?
「うん。でも『全同時詠唱』はさすがにまだかな」
「え、ぇ……なんで教えてくれなかったの?」
「ごめんね。ノアさんとの戦いまで秘密にしとこうと思ってたんだ。ほら、なんか私達の情報って敵に漏れがちじゃん? だから出来ても誰にも教えないでおこうって決めてたの」
「そうだったんだ……」
敵を騙すにはまず味方から、というやつか。
有効な手段だが、さすがに自分には教えてほしかった気がする。
親友なのだから、と。
……さすがにこれはワガママか。
「ノアさんとの戦いで披露しようかと思ってたんだけど、レヴァンが強すぎて披露できなかったよ。私の出る幕がなかったっていうか」
「確かにレヴァンは凄かったみたいね。どんどん強くなってるみたいだし」
もはやあの『鬼神』シェムゾと互角に渡り合えるほどの実力を身に付けているレヴァン。
それは魔女である自分でもよく分かった。
それに対しエクトはやはり見劣りするレベルのものだった。
だからこそ、ベオウルフ戦の時に見せてくれたエクトの真の実力には狂喜したのだが。
「うん。だから私も早く完成させないとね。レヴァンに完全に置いてきぼりになってるし」
「完成させるって『連続詠唱』ってやつのこと?」
「うん。でもこれはまず『全同時詠唱』をマスターしないとダメなんだ」
「そうなの?」
シャルは頷く。
「だからレニーお願い。どうやって『全同時詠唱』をマスターしたのか教えて?」
「もちろんよ。特訓は昼からだから、それまでに予習をしておきましょう」
「予習って?」
「詠唱を歌うつもりで詠む練習をするわ。まずは脳に好きな曲をインプットするつもりでやるのよ。大丈夫。コツさえ掴めば簡単だから」
「ぅ、うん……レニーの簡単はあてにならないよぅな気がするけど……」
「何か言った?」
「ううん! なんでもないよ!」
シャルが必死に首を振る。
実際バッチリ聞こえていたのだが、あえてからかってみた。
それにしてもやはりシャルはグラーティアと同じで発想力がある。
まさか『全同時詠唱』の派生先まで視野に入れていたとは。
『連続詠唱』……このシャルの発想に『全同時詠唱』が必須ならば、親友として、ママ友として、力になるまで。
シャルがいったいどれだけの魔女になるのか。
レニーは、どこか楽しみになっていた。




