第161話『全ての答えは涙にあり』
見上げた天井にリビエラの涙を思い出す。
するとまた、胸が痛むのを感じた。
胸か、あるいは心臓か。
この部分に走る衝撃は、いったい何なのだ?
もはや、全てが痛い。
レヴァンに満身創痍にされ、ライザに顔面を執拗にやられた。
そして今は、リビエラに心を締め付けられている。
リビエラと話し合え。
ライザにそう言われたが、話し合ったところでどうなると言うのか。
『78』の息子と『スターエレメント』を持たない娘。
そんなのに跡継ぎをさせたいなんて、誰も認めないんだから仕方ないじゃないか。
僕は、間違ってなんかいない。
「また随分と派手にやられたな。ノア」
部屋の扉を開けて入ってきたのは、本当に意外な人物だった。
黒い髪にパープルの瞳が特徴的なあの男。
「……今度は君か、サイス」
珍客に溜め息を溢すノアは、それでもニヤリと笑ってサイスを見返した。
「君も僕に説教かい? それとも今回の負け方を嘲笑いに来たか?」
「お前を最後に将軍は全滅した。今さら笑うも何もない」
淡々と無愛想にサイスは返してきた。
嘘を言っているようには見えない。
「……だったら、一人にしてくれ」
サイスから視線を外し、ノアは床に座らせたままの身体を起こそうとした。
その時、サイスが右手を差し出してきた。
虚を突かれ、ノアはサイスに慌てて視線を戻す。
「立てるか?」
無愛想な顔のままサイスが言った。
どうして? という疑問が喉にまで出かかって、なんとか引っ込める。
代わりに怪訝な視線をサイスに送った。
しかし当の本人は顔色一つ変えず。
「キツいのか?」
「い、いや……」
そう言いたいんじゃない。
僕に手を差し伸べてる君が果てしなく気持ち悪いんだ。
さすがに面と向かって言えず、それでもノアは全身が痛みで震える事もあってサイスの手に甘えた。
手を握り、立ち上げられた。
「……ありがとう」
一応礼を言ってノアはベッドに腰を下ろした。
やれやれ。
気持ち悪いこともあるもんだ。
「ライザがあんなに怒る所は初めて見たな」
「……聞いていたのかい? 趣味悪いね」
「すまん。だが、お前には後悔してほしくない」
「え?」
「『家系』を取るか『リビエラ』を取るかの話だ。お前にとってはどっちも大切なものなんだろう。どちらも50%と50%で、どちらも外せない。だが、それでも必ずどちらかが0.1%は上回っているはずなんだ」
「……何を言ってるんだ君は」
「聞け。俺はその0.1%に気づけないで間違った選択肢をし、大切な人を失った。俺にもっと覚悟があれば、自分の心にもっと正直になっていれば、駆け落ちして別の未来もあったのかもしれないのにな」
初耳だった。
ベルエッタの前に別の女性でもいたのだろうか?
「後悔は先には立ってくれない。お前がリビエラに対して0.1%の何かを感じるのなら、迷わずリビエラを取れ」
冗談ではない本気の顔でサイスは言った。
0.1%の何か?
わからない。
それは、どの部分なんだ?
何をどう感じる部分なんだ?
「お前はリビエラを泣かしたそうだな。その時、何を感じた?」
「!」
リビエラの涙を見たとき、それは今でもハッキリと覚えている。
心臓を貫くような衝撃が走ったことを。
産まれて初めてだ。あんな心にドスンと来たのは。
「何も感じなかったのならそれでいい。迷わず家系を取れ。だがもし、何か少しでも感じる部分があるのなら、それがお前のリビエラに対する0.1%だ。その心に従ってリビエラを選んでやるといい。彼女が笑う先にお前の幸せも必ずあるはずだ」
リビエラが、笑う先に……
「俺はこの選択肢を間違えて、取り返しのつかない事になってしまった。だからノア。お前には俺の二の舞にはなってほしくないんだ」
「……どうして、僕にそこまで」
「まだお前が間に合う場面にいたから、それだけだ。……新しい生き方を見つけるのは難しい。それを受け入れるのもまた同じく難しい。割り切って忘れようとしても、ズルズルと引きずってしまう。女々しいと分かっていてもな」
どこか砂を噛んでいるような表情でサイスは語る。
彼の過去は知らないが、何か重い過去があったのは察した。
「俺みたいにはならないでほしい。選択肢を間違えるなよ」
それだけ言い残してサイスは踵を返し、部屋から出ようとした。
「待ってくれサイス。最後に聞きたい」
ノアの呼び掛けにサイスは立ち止まった。
「君の言う新しい生き方ってのはなんだい?」
何となく聞いておきたかった。
もしかしたら、そっちの方が自分に合っているかもしれないという淡い気持ちもあったのだと思う。
「……俺の新しい生き方は『あいつをもう二度と泣かせないこと』だ」
こちらに振り返らずサイスは答えた。
泣かせない?
「俺たち男にとって何が一番惨めなのか。その根底はグランヴェルジュでもリリーザでも変わらない。そうだろう?」
「それは……」
「俺はあいつを散々泣かしていた。だから、もう泣かさない。今はそれだけで精一杯だが、こんな生活も今では悪くないと思っている」
言って、サイスは今度こそ部屋を後にして去って行った。
『俺はあいつを散々泣かしていた。だから、もう泣かさない』
まるで自分に当て付けられたかのような言葉だった。
『リビエラがアンタの事でどれだけ傷ついてるか分かってんの!? あいつ昨日メチャクチャ泣いたのよ!? アンタのせいで!』
ライザの言葉が脳裏に蘇ってきた。
泣かしてしまった事実。
強いから大丈夫だと信じてたリビエラだが、そうじゃなかった。
そして、泣かしたことに一時の衝撃を心に感じた自分もまた、隠しようのない事実。
信じてきた家系や国よりも、リビエラが見せた一粒の涙の方が自分の中では何よりも衝撃が大きかった。
0.1%の何か、とはこういうことか。
あまりの単純さに苦笑し、ノアは唐突に得心する。
何が一番惨めなのか。
一昨日のソルシエル・ウォーで戦ったガルバやクロイドなどが言っていた言葉も、それなのだろうか?
女性を泣かすこと。
確かに、これほど男にとって惨めな事態はない。
大切な人には笑っていてほしい。
「……忘れていたな」
リビエラと出会って、隣で笑っているのが当たり前だったはずの幼馴染。
当たり前だったから、忘れていた。
「……父さん母さん、ごめん。僕は……」
ノアは痛む全身をベッドから下ろして、部屋を後にした。




