第142話『男として』
病院の外に出ると、まだ雨が路面を濡らしていた。
この天気で街を観て回る気にもなれず、俺はそのままサイスとベルエッタと別れ、帝国ホテルに戻ってきた。
小雨で助かったな。
傘を買わずに帰って来れた。
そう思いながら歩を進めていると、俺の前に一人の女性が立ちはだかった。
敵意は感じない。
誰だ? と俺は足元に落としていた視線を上げて女性の顔を見た。そこには……。
「レヴァン・イグゼスさんですね?」
聞かれて、目視して、俺は目を丸くしてしまった。
片目を隠すほど長い前髪と、黒のツインテール。
そして青紫の瞳。
びっくりするほどヴィジュネールにそっくりな女性がそこにいたのだ。
しかし、あまりにもスタイルが違いすぎる。
まず背が高い。おそらくシャルとレニーよりも高い。
そしていろんな所がボリュームアップしている。
もはやヴィジュネールをそのまま大人にしたような姿だ。
「……そうだけど、あなたは?」
「よかった。ここで待てば会えると思ってました。私は『豪腕のティラン』の魔女エリリアです」
『豪腕のティラン』!?
いつかの『エメラルドフェル』で戦い、そして昨日の『名誉挽回戦』にも出ていたあの大男か。
そのティランの魔女……ってことはやはりこのエリリアと名乗った女性はヴィジュネールの娘さんということになる。
たしかゴルトがそう言っていたはずだ。
どうりで似てるわけだ。
いやしかし、どう見てもこっちの方がお母さんに見える。
いやお母さんは言い過ぎか。お姉ちゃんだな。
ヴィジュネール本人は12~13歳にしか見えないから。
……実年齢はともかく。
だが、ティランの魔女ならばまだ彼女は学生のはずだ。
まだ学校にいるはずのこの時間に、こんなところで俺を待っていたのは何故だろう?
服装も黒の半袖と裾の長い青色のスカートという私服だ。
真面目そうな顔をしているからサボりというわけでは無さそうだが。
「あぁ、昨日のソルシエル・ウォーに出ていた」
「そうです。観ていただけていたなら良かったです」
「何か俺に用ですか?」
「はい。ティランがあなたと話がしたいそうなので、ついてきてもらえませんか?」
「俺と? 何の話です?」
「それは、あの、正直聞かされてなくて……」
なんだそりゃ。
なんか胡散臭いな。
でもあのゴルトとヴィジュネールの娘さんだし、あんまり無下にするのも悪い気がする。
でも敵国のど真ん中で敵の魔女にホイホイついて行くのはあまりに無謀ではないか?
やはり断るべきかもしれない。
「そうか。なら悪いけど俺と話がしたいならティランに直接来いと言っておいてくれるか?」
「待てレヴァン・イグゼス!」
今度は男の声がエリリアの後ろから響いた。
聞き覚えのある懐かしい声だと思ったのも束の間、現れたのは例のティランだった。
相変わらずの巨漢である。
白の半袖と紺色のジーパンという地味な格好なのにも関わらず、その目立つ巨体にはちょうどいいものになっている。
「ティラン!? あなた仕事があるんじゃ」
「片付けてきた。お前はもう戻れ。ここからは男同士の話だ」
「なによそれ? どういうこと?」
「……頼むエリリア」
厳つい顔に切なげな色を含ませたティランが言うと、エリリアは何かを言い返そうとしていたが、彼の顔を見て戸惑い、そして一歩下がった。
エリリアは俺を見て小さくお辞儀をすると、踵を返して去って行った。
見送りを果たして、ティランは俺に目を戻す。
「すまんなレヴァン・イグゼス。どうしてもお前と話がしたかった」
「いったい何の用だ?」
「ここでは雨が鬱陶しい。場所を変えよう」
「悪いが敵についていくほど馬鹿じゃない。ここで言え」
「あまり人に聞かれたくない話なんだ」
「……」
※
いい場所が他に思い当たらず、結局いま借りているホテルの部屋で話すことになった。
ティランを連れていることをシェムゾとグラーティアに目撃されてしまったのは言うまでもなく、とりあえず話をするだけだと説明する。
そして昨日からまったく使ってない俺の部屋に入った。
「で、話ってなんだ?」
「昨日のソルシエル・ウォーは観てくれたか?」
「ああ」
あっさり負けてたな、と言いそうになったがなんとか抑えた。
「そうか。すまない」
「何がだ?」
「『剣聖』と『戦狼』。やつらにスターエレメントを使わせて、能力を暴いてやりたかったが叶わなかった。本当にすまない」
「……? どういうことだ?」
「俺は……いや、俺たちはお前とエクト・グライセンに勝ってほしいんだ」
まさかの回答だった。
だが、不思議とそんなに違和感を覚えなかったが。
「だから昨日、お前たちがここ『アカシエル』に着くであろう頃に試合を奴等に仕掛けた。勝てもしない試合だったのは分かっていた。だが、お前たちに少しでも情報を与えたかった」
「良いのかよそんなことして。国を裏切る行為だぞ」
「構わんさ。元よりお前たちに負けて『無能』というレッテルを貼られ底辺に落ちた身だ」
『無能』か……聞き慣れた単語のはずが、彼の放つ『無能』は随分と重い気がする。
「裏切るも何も、すでに見捨てられた存在ってことか?」
俺が聞くとティランは頷く。
「レヴァン・イグゼス。お前には、どうかこのままグランヴェルトを倒して、この国を変えてほしい」
あまりにもスケールのデカイ話になっているが、彼の双眸は冗談を言っているものではなかった。
「……言われなくてもグランヴェルトは倒す。この国という脅威を排除するつもりだ」
全ては愛する妻と子供の未来のために。
才能主義など人を不幸にするだけだ。
「そうか。すまない」
ティランがついに頭を下げてきた。
敵である俺に頭を下げてまで、グランヴェルトを倒させたいのか。
ティランは底辺に落ちた身だと言っていたが、やはりそこから脱出したいのかもしれない。
一種の同情が胸に沸いたが、自分の力ではなく、俺に頼ってくる彼が何となく惨めに見えてしまう。
だが人は、自分の持っている力以上のことはできない。
ましてや魔力を無効化さえするという『覇王』を相手にして、それに勝って自分で地位を取り戻せなど、さすがに言えたもんじゃなかった。
ティランはきっと、藁にもすがる思いで俺に頼ってきたのだろう。
そう思えばまだ同情の余地はある。
「レヴァン・イグゼス。俺は、自分が情けない」
「……」
「グランヴェルトどころか、将軍の一角にも勝てん。ましてやお前にも勝てなかった」
「……そうだな」
「底辺に落ちるのが、俺だけなら良かった。エリリアまで不幸にしてしまった自分が、情けなくて仕方ない!」
「っ!?」
エリリアまで?
ティランは頭を下げたまま震えている。
床にポタポタと雫が落ちた。
これは『涙』か。
ティランは、泣いている?
「俺は、弱くて、負ける奴が情けなくて立派じゃないと思っていた。お前たちに負けて、俺は敗者となり、学校を退学させられ、元の道には戻れなくなった」
「負けただけで退学とか……」
過激な国だな。今更だが。
「最初は、己の修行不足だから仕方ないと敗北を受け入れていた。敗者は惨めだと、でも弱い自分が悪かったと」
「……」
「だが、それよりも、もっと惨めな事に気づいたのだ」
「それが……彼女か?」
ティランは頭を上げて、涙で濡らした顔を頷かせた。
「俺の未熟のせいで、パートナーであるエリリアまで底辺に落としてしまった。俺のせいでエリリアがもう並みの人生すらも送れないのかと思うと、っ!」
ドバッとティランの両目から涙が溢れた。
「こんなにも『男として惨めな事』があるのかと、これ以上惨めな生き方があるのかと、気づいたのだ……っ」
大の男が泣いている。
その涙は誰のための涙か、やっとわかった。
なんだよ。
こいつ、自分の地位を取り戻したいから俺に頼ってきたわけじゃないのか。
自分ではどうしようもないから、敵に頭を下げるという愚行までやる。
全てはパートナーである魔女のために、か。
こういう奴は好きだな正直。
男が一番輝いている瞬間だと思えるから。
「わかったよティラン。あんたの気持ちは良くわかった。だから泣くなよ」
背中をポンポンと叩きながら俺はそう言った。
ティランは「すまん」と涙を手の甲で拭う。
「つまらん話を聞かせた。本題に入ろう」
「本題?」
「ああ。エリリアの母上からだ。『剣聖』と『戦狼』のスターエレメントの情報を流してくれた。本当に僅かだが、足しにはなるはずだ」
エリリアの母上から?
てことはヴィジュネールからか。
またあの人に援助されるとは。
情報の横流しは完全に国の裏切りだが、彼女もまた、娘の未来を思っての行動なのかもしれない。
「どんな情報なんだ?」
「『剣聖』のスターエレメントは『光の分身体』。『戦狼』のスターエレメントは『氷の巨狼』だそうだ」
『光の分身体』と『氷の巨狼』か。
なるほど。
また22時に最新話を追加します!




