贈り物に想いをのせて
「バルサック戦記―片翼のリクと白銀のルーク―」の書籍化記念番外編です。
一応、本作未読でも楽しめるように描きました。
よろしくお願いします。
バレンタイン。
それは、互いの秘めたる想いを伝える日。
男は今年1年――必死に培ってきた採点結果を待ち望み、女は採点結果を「贈り物」に乗せて伝える。
だが、その「贈り物」を妨害する/妨害しなくてはならない輩も沸いてくる時期だ。
いずれにしろ、伝令兵――ロップ・ネザーランドには関係のない行事であり、特別な興味も抱かない。贈り物が貰えたら幸運で、なにもなくても構わない。
一生、この行事に縁がない――のは、寂しいと思うが、ここ数年は特に思うところはなく、彼の周りにも必死になる人はいない。
そう思っていた、この日までは。
※
さて、時は遡り10年前――ここで1人の男の話をしよう。
ヴルスト・アステロイド。彼は、魔王軍でも有数の荒くれ者として名を馳せていた。
狼型魔族名門家の長男に生まれながら素行が悪く、とある問題を起こして縁を切られた――と噂されているが、定かではない。
現在の彼は、多少なりとも角が取れ、口こそ悪いが面倒見の良い魔族――になってはいたが、それでも、過去の彼を知る者からは忌避すべき存在、として知られていた。
そんな彼には、1人の弟子がいる。
弟子といっても、上官から押し付けられた人間の小娘だ。
燃えるような赤髪と折れそうな細腕が特徴的な少女で、ここ半年あまり、戦闘の指南や軍人としての心構えを指導している。
ここへ来た当初、おっかなびっくりで戸惑ってばかりだったが、いまでは小さいながらも立派な軍人としてハルバードを振るっていた。そこらの新米魔族兵より腕がたち、実力をつけてきている。指導役としても鼻が高い。
ただ――食事、入浴、睡眠以外の時間は、ほぼすべて訓練に費やすほどの訓練バカ。おしゃれ、恋愛には一切興味を抱かない――10歳前後の女の子にしては、華がないことが玉にキズである。
女っ気のないまま成長してしまったらどうしようか、と本気で悩む今日この頃だ。
そんな彼女が、久々に訓練以外の質問をしてきた。
「はぁ? バレンタインデー?」
ヴルストは呆けたような表情を浮かべてしまう。
少女に似合わない言葉に、思わず手にした書類を落としてまいそうになった。
「バレンタインデーって、あのバレンタインデーか?」
ヴルストが書類を机の上に置きながら、再度尋ねる。すると、赤髪の少女――リク・バルサックは、至極真面目な表情のまま頷いた。
「はい。大切な人に、ありがとうって気持ちを伝える行事です。今日がその日なんですけど――魔族の世界にはありませんか?」
リクは女子も男子も関心を抱く甘ったるい話題を、いつになく淡々と質問してきた。まるで、ハルバードで敵をいかにして捌くのか、という方法を確認しているように。
「まぁ、あるっちゃあるけどよ……」
ヴルストは頬を掻いた。
リクの解釈で間違いではないのだが、正確にいうなら、女性が「大切な人」というよりも「恋人」や「想い人」に恋愛感情を贈り物で伝える日――である。
いつから広まったのかは定かではない上に、「バレンタインデー」という言葉の意味も知らないが、行事の内容だけは知っていた。
魔族の男共は、この日が近づくにつれて、そわそわと落ち着きがなくなっていく。
いうなれば、恋の期末試験。この1年の行動が採点され、「贈り物」という形で返却されるのだ。
ヴルスト自身、学生時代は意味もなく寄り道するとか、女性に優しく振る舞ってみたりとか、無意味な行動を起こしたものだ。
………結局、1つも貰えなかったが。
「なんだ? お前、誰か好きな人でもいるのか?」
「いませんよ? ただ、隊長に贈り物しようと思って………だけど、魔族にもバレンタインがあるか分からなくて……」
「あー、なるほどな」
ヴルストは納得する。
彼女は命の恩人であり、自分の才能を認めてくれた龍鬼隊隊長――レーヴェン・アドラーに多大なる信頼と恩義を寄せている。それは、もはや尊敬の域を超え、崇拝に近い。彼女にとってのバレンタインデーが「大切な人に感謝を示す行事」である以上、贈り物をしたいと考えるのは当然の流れだろう。
それに、リクは10歳前後。子どもから贈り物をもらったところで本気にする大人はいないし、リク自身――成長すれば「バレンタインデーの贈り物」が示す本当の意味に気づく日が来るに違いない。
ヴルストは腕組みすると、彼女に向かって頷いた。
「いいんじゃねぇの、さっさと渡して来い。今なら執務室にいるはずだぜ?」
「は、はい! ありがとうございます!」
「……いや、待て」
ヴルストはリクの襟首をつかんだ。
リクは不満そうに顔を歪める。
「一応、確認しておく。なにを渡すつもりだ?」
ヴルストはリクを問い詰めた。
自分の部下になり、早1年――マジメに訓練に没頭する少女で不審な点は見当たらない。だが、彼女は人間である。バレンタインという行事に乗じて、隊長に毒を盛ろうと考えているかもしれない。
無論、リクがそんなことするわけない。そう断言できるが、念には念を入れて調べた方が良いだろう。
「別に、変な物ではありませんよ?」
「バーカ。念のためだ、念のため。ほら、よこせ」
ヴルストがリクを手放すと、彼女は渋々――鞄から贈り物を取り出した。
近隣の村で有名な菓子店の包装だった。そういえば数日前、リクが珍しく外出していたことを思い出した。それとなく尾行してみれば、彼女は確かに菓子屋を訪れていた。
あのときは、自分用に購入したとばかり考えたが、どうやら「バレンタインの贈り物」だったらしい。
「まぁ、あの店の菓子は有名だからな」
「いえ、包装紙は店のを使いましたが……一応、手作りです」
「そうかそうか、いいんじゃねぇの――って、待て!!」
ヴルストは慌てて菓子を取り上げる。
背中から冷たい汗が流れ始めた。
もし、リクが人間は人間でも、平民出身であれば問題なかっただろう。
しかし、バルサックといえば、名家中の名家。専門の料理人が雇われていることは容易に想像できる。そもそも、10歳にも満たぬ彼女が厨房に立つ機会などなかったはずであり、こちらに来てからも訓練一辺倒で、料理をした形跡は滅多にない。
「安心してください、毒は盛っていません」
「バーカ! 知らない間に入れてるかもしれねぇだろ? だいたい、菓子なんて作れるのか?」
「作れますよ、お菓子くらい」
ヴルストが指摘すると、リクは少し頬を膨らませた。髪の色ほどではないが、顔が赤く染まっている。
「そんなに不安なら、味見すればいいじゃないですか。
……ヴルスト伍長にもお世話になっていますし……別にかまいません、1つだけなら」
「おっ、いいのか?」
リクは不機嫌そうな表情のまま頷いた。
まさか、人生初の「バレンタインの贈り物」が毒見だとは想像したこともなかったが、それでも「バレンタインの贈り物」であることには変わらない。慎重に包みを開けると、なかには焼き菓子が数枚並んでいる。
形も色も申し分ない。一枚つまんでみれば、バターの柔らかい香りが鼻孔をくすぐった。
「へぇ……よく出来てるじゃねぇか」
「だから、言ったじゃないですか。毒は盛っていませんって」
「まぁ、そう怒るなって……ん?」
ふと、違和感を覚える。
リクは「毒は」と口にした。ただの言葉のあやかもしれないが、妙に気にかかる言葉だ。
ヴルストは焼き菓子を口に運ぶ前に、再度……焼き菓子を鼻先に近づけた。慎重に匂いを確かめる。すると、バターの香りのなかに、微かな甘い香りが混ざっていることに気がついた。
「……なんだ、この匂い?」
焼き菓子に使用する砂糖や果物とも異なる甘さ――。
ヴルストは毒物の知識と照らし合わせ、匂いの正体を思案する。しかし、匂いの正体に該当する毒物は見当たらない。ヴルストは悩んだ末、少し鎌をかけてみることにした。
「まさか、神経系の毒じゃねぇだろうな?」
「だから、違います。殺人菓子なんて、隊長に渡しませんよ!」
「じゃあ、この匂いは何だよ? なにか妙な薬でも入れただろ?」
「変な薬ではないです! れっきとした睡眠薬――はっ!」
そう口走った瞬間、しまった!と感じたのだろう。リクの表情が、みるみる間に青ざめていく。ヴルストは嘆息すると、焼き菓子をリクの前にかざした。
「まだまだガキだな、嬢ちゃん。
なーんで、隊長に眠り薬を盛ろうと思ったんだ?」
「……だって、隊長……目の下にクマがあったから」
リクは、しゅんっと項垂れる。
ヴルストは「なるほどな」と頷いた。彼女の言う通り、レーヴェンの仕事は多忙を極めている。最近、ほとんど寝ていないのか、くっきりとしたクマが出来ていた。
リクが心配するのも無理はない。しかし――
「だからってな、眠り薬は駄目だろ?」
「だって、そうしないと眠らないって思ったんです」
「いや、だからって駄目なものは駄目だ。よって、これは没収する」
ヴルストはそのまま袋を自分の鞄にしまいこむ。すると、リクの瞳に怒りの炎が燃え上がった。
「ちょっと待ってください! なにしてるんですか!?」
「レーヴェン隊長に怪しげな睡眠薬を飲ませるわけにはいねぇだろ!?」
「怪しげな睡眠薬ではありません! 市販の睡眠薬です!……ちょっと量は多めに入れましたけど」
「バーカ! 多めに入れてる時点でアウトだ!」
容量守りやがれ、馬鹿!
ヴルストが一蹴すると、リクはふるふると震えた。いまにも噴火、否、すでに大噴火を起こしていた。
「ヴルスト伍長でも、これだけは絶対に許さない!」
叫ぶや早い。リクはハルバードを振り上げた。ヴルストの首元めがけ、ハルバードを奔らせる。ヴルストも、むざむざ首を切られるわけにはいかない。素早く剣を引く抜くと、ハルバードを弾き返した。
「バーカ! それはこっちの台詞だっての! 市販だろうがなんだろうが、薬入りの菓子を渡せるか!?」
「もう1週間、ずっとクマが浮かんでいるんですよ? そろそろ眠って貰わないと、隊長の身体が持ちません!」
リクは聞く耳を持たない。話し合いは平行線。互いの武器がぶつかり合う音と怒声だけが、廊下を木霊する。
「だからって、睡眠薬入れる馬鹿がいるか!?」
「すべては隊長の健康維持ためです!!」
「そんな健康維持法、認められるわけねぇだろ!!」
※
「……えっと、これは一体?」
それから十年――時は巻戻り、現在。
ロップ・ネザーランドは、目の前の惨状に呆然としていた。
参謀と一緒に執務室へ向かう途中、激しい剣戟の音が聞こえたので駆けつけてみれば、己の上官――リク・バルサックとヴルスト・アステロイドが剣を交わしていたのだ。
訓練、なんて生温い次元の話ではない。そこは、まさに戦場の一騎打ち。互いの剣を受け止め、いなし、切りかかる。この攻防が眼にもとまらぬ速度で繰り返されている。
「また今年もやってるのですか……しばらく放っておきなさい、ネザーランド曹長」
参謀は呆れたように溜息をついた。
「えっ、いいんですか!?」
「風物詩のようなものです。あとしばらくすれば、レーヴェンが止めに入ります」
「お前ら、いい加減にしろ!!」
参謀がそう言った矢先、廊下に旋風が巻き起こった。
レーヴェン・アドラーの翼が作り出した突風は、リクとヴルストを弾き飛ばす。無論、普段の彼らなら飛ばされることはなかっただろう。しかし、2人は互いを仕留めることに集中し過ぎてしまっていた。故に、背後から現れたレーヴェンに気づかず、みすみす攻撃を喰らってしまったのであった。
「うわっ、隊長!」
「俺は止めようとしていただけなのに!!」
だが、腐っても熟練兵。
リクもヴルストも即座に体勢を立て直すと、弁明の言葉を述べ始めた。
「今年こそ、バレンタインの贈り物を届けようとしたのに、ヴルスト少尉が邪魔してきたんです」
「バーカ! 今年も怪しげな菓子を贈ろうとしていたの間違いだろ!? 俺はそれを阻止しようとしていただけです!」
「菓子じゃないわ。今年は茶葉よ」
「眠り草入りのな! 匂いを嗅いだ俺が、俺が眠りかけたわ!!」
「黙れ。どちらも、同罪だ!」
レーヴェンの眉間に筋が浮かび上がる。
彼が怒るのも無理はない。執務室前の廊下は、すっかり剣戟の余波でボロボロに朽ちている。壁は削れ、破損し、床のいたるところに傷がついていた。
――修理費も馬鹿にならないだろう。
「罰として、今日一日――武器の代わりに箒でも持って、掃除していろ。一言もしゃべらずに!!」
「そんなー!?」
「今年もかよ!?」
「ぐだぐだ言うな。黙って働け!」
レーヴェンの怒声が、駐屯地を震わせる。
バレンタインデー。
それは、互いの秘めたる想いを伝える日。
龍鬼師団では、血で血を洗う攻防戦。
きっと、来年も同じ光景が繰り広げられるのだろう。
ロップは口元に苦笑を浮かべると、その場を後にするのだった。